日本の傳統(伝統)を守らう!

皇位繼承問題を主に扱ひます。メル突(場合によっては電突)を實踐(実践)・推奬してゐます。

私なら死刑にする

2006-06-05 23:59:59 | その他

産經新聞に以下の樣な論評が掲載されてゐた。まつたくこの通りだと思ふ。

【断】私なら死刑にする (産經新聞 2006年06月04日 東京朝刊)

 7年前に山口県光市で起きた母子殺人事件の最高裁判決が今月20日に言い渡される。犯行当時18歳だった被告人は一、二審で無期懲役の判決を受けたが、今回その判決が見直される可能性が指摘されている。要するに死刑判決が下されるかもしれないということだ。

 ほぼ毎日、殺人事件が報道される。それぞれ事情はあるのだろうが、まったく情状酌量の余地のない犯行がある。2年前の奈良、昨年の広島と栃木、今年の川 崎と秋田での児童殺害である。栃木と秋田の2件はまだ犯人が検挙されていない。大阪で姉妹を殺害した犯人は、16歳の時に母親を金属バットで撲殺した過去 のある22歳の男。その犯行状況を知ると慄然(りつぜん)として反吐(へど)が出そうだ。正真正銘の人間のクズというほかない。

 以下、私見である。平成21年までに裁判員制度が始まる。もし私が選任されたら、右のような卑劣きわまりない犯罪者は全員死刑である。言い逃れのための精神鑑定などまったく不要。露骨な言い方が不快かもしれないが、彼らは生きている資格のない人間、むしろ死んだほうがましな人間、と考えるからだ。

 死刑制度は犯罪抑止効果がないといわれる。そんなものなくていい。加害者にも「人権」があるという。極悪人に限ってはそんなもの、ない。人間のクズが「更生」するために、なぜ関係のない人間の理不尽な死が必要なのか。「更生」などさせるな、と言いたい。

 「自分がもし不条理に殺されたら、その犯人を死刑にしてほしい」と書いたのは小谷野敦氏である。考慮すべきは被害者の無念だ。百歩譲っ て、生物的な死を強制する死刑が非人道的であるなら、社会的な死である終身刑を導入すべきである。無期懲役といっても有期懲役ではないか。(評論家・勢古 浩爾)

二人以上殺さないと死刑にならないといふのはせめて何とかならないか? 何故かうなつてゐるのか? 終身刑が無いのは何故なのか? 疑問は盡きない。

(尽きない)

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