≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

肺がんの診断を受け手術した。(長いです、記憶違いが含まれているかもしれません)

2020-09-18 20:05:29 | 肺がん

実は市町村で受けた成人病検診の肺のX線検査で引っ掛かったのだが、自覚症状は全くないし現実感が湧かず心配していなかった。とはいえ放置する理由がないので Serenelli のボタンアコーディオンを買った 翌々日に総合病院でCT検査を受けたら 肺がんですね とまさかの宣告。

冷静に考えればがんになる確率は全く低くくなく我が身に起こってもそんなに驚かなくてもいいのに、気分は青天の霹靂、いや、目のまえ真っ暗。

せっかくボタンアコ買ったばかりなのに、とか気分が激しく落ち込んだが、いやちょっと待てよ、宣告されて何かわたしの生活変わる?中途で辞められないプロジェクトとかそういうのとかけ離れた 悠々自適 好きなことを好きなようにやってる幸せな生活してるじゃない、わたしともあろう者が何をうろたえているんだ!? って思ったら2日ばかしでストンと落ち着きました。がんで今すぐ死ぬわけじゃないし、なんなら交通事故ですぐ死ぬかもしれない。死なない人間はいないんだし、子どもたちもまあまあ仕上がったし、楽器は治療後の楽しみという励みにすればいいし、タイミングはちょうどいいでしょう。

子どもを作ろう と思ったとき、わたしという人格が試されるな、と意気込んだものだった。このがんも自ら選んだわけではないにせよ 試練だな、などと息巻いたりもした。

初期なので手術です、胸腔鏡手術で左肺上葉切除です、この日にちを予定しています、入院は10日前後でしょう。ということで、検査に次ぐ検査である。CT、MRI、PET、造影剤を入れたり入れなかったりいっぱい撮った。血液もいろんな検査項目で採ったし、尿や心電図や呼吸の検査もしたし、なぜか婦人科の方も検査した。けっこう費用がかかった。また、手術時に口から挿管する際に歯を損傷したり歯周病菌が奥に入らないよう病院内の口腔歯科で何度か指導を受けた。

リハビリも事前に何度か受けた。吸気の量を測るレスピフローというものを買わされた。3000ml弱吸えた。呼吸の練習と歩行時の脈拍や血中酸素飽和度のデータ取りもした。かつてトロンボーンを吹いていたとき腹式呼吸や 腹に入れてさらに胸にも空気を入れるMAXなことをしていたし、普段から腹式呼吸していたので呼吸はすぐにOKが出た。何の経験が役に立つか分からないものだ。手術後目覚めたら寝たきりで管が沢山ついている状態です、そうしたらまず足首を動かしましょう、それから深呼吸しましょう、というイメージトレーニングの指導はありがたかった。

主治医には、とにかく手術まで風邪を引かないよう充分 気をつけて下さい、と何度も念を押された。入院の事務手続きの窓口では、既往症や家族構成や連絡先、プライバシーの配慮等々聞かれ、レンタル品の書類にサインしたり持ち物や注意事項の書かれた冊子をもらったりした。また、健康保険の限度額適用認定証をもらって来て下さいとも言われた。検査の費用であの程度かかるのなら入院したらいくらかかっちゃうんだろうか?と心配だったので大変ありがたい。かけている生命保険が下りるのは一通り済んだあとというのを知ったので、尚更である。

COVID-19 のせいで入院患者への面会は禁止である。とのことで、あれ持ってきて、と会えもしない夫に頼むのは申し訳ない(ものは看護士が渡してくれる)。入院生活に不便が出るのは辛いだろう、とお泊まりの荷物の準備はわたしの人生の中で一番抜かりがなかった。やればできるじゃん!

入院1日目、朝 夫の運転で病院に入り、婦人科で検査の結果を聞いたり口腔歯科でチェックを受けたりしてから入院した。名前とバーコード入りのテープを左手首に巻かれる。4人部屋の一角、窓際のベッドがわたしのスペースになった。荷物を棚に収め、購入したテレビカードで冷蔵庫を動かしそこにお茶のペットボトルを移し、上履きに履き替え、レンタルの寝間着に着替えた。テレビは有料だが、入院案内放送だけは無料である。それをちゃんと見てね、と看護士に言われたのでおとなしく見る。水戸黄門をもじったドラマ仕立てだった。じゃあシャワー浴びてきて、というのでシャワーを浴びる。これがどんなにありがたいことか、このときのわたしには分かっていなかったな。

昼食を看護士が持ってきて、名前の確認をされた。うん、料理は刺激が足らぬ。それからリハビリの理学療法士が来た。あらかじめ言われていた通り入院まえの担当とはまた違う人である。COVID-19 のあおりで人の交流をなるべく減らす狙いもあるのだと思う。腹囲や胸囲が呼吸でどのくらい伸び縮みするのかを測ってウケていた。トロンボーンやっててよかった。

夫と一緒に手術の説明を主治医から受ける。手術は4時間の予定です、左脇のあばら骨の間4ヶ所に穴を開けます。胸腔鏡手術だもんね。手術後すんなりゆかず大小のトラブルの起きる確率は10%程度あります。まあ仕方ないな。部分的に取り除いた肺のスペースはどうなるのか?等々いろいろ質問した。丁寧に答えてくれて好感が持てる。そしてサインした。部屋に戻ってのんびりしていると手術スタッフの看護士が来て、アレルギーはあるか?と聞かれたり、アクセサリーや差し歯など外れるものは全て外すように、という当日の注意を受けたりした。麻酔科医が来て説明を受けた。まれにこういうトラブルが起きます、等々。サインした。わたしの手術のために大勢のプロが関わるのだなあ、やたらとした検査もこのためだったんだなあ、と大掛かりなことの中心に自分がいるのに少し気後れする。しかしもう後戻りはできない。サインしちゃったからね。

入院翌日の朝から手術である。それに備え 入院した日の夕食は流動食だった(一番上の写真)。重湯(おもゆ)、温かい牛乳、ゆずゼリー。重湯はうっすーい粥で、塩を溶かして飲む。なるほどこれは流動食だ、とか妙な納得をする。飲んでいる最中に主治医がちらと来て去っていった。何かを飲めるのも21時までだし、入院したら下剤を飲まされたし、消化器は空っぽにするんだな。じゃあいつから飲み食いできるようになるんだ?と看護士に聞いたら、手術翌日だろう、先生が判断します とのこと。手術した日は耐えねばならないようだ。

4人部屋で人の気配がするし、薄明かりだし、同室のお婆さんの夜中のトイレに付き添う看護士とのやり取りが聞こえたり、個々のスペースはカーテンで囲っているものの扉が開けっ放しなので向こうの部屋のお爺さんのしわぶきが聞こえたり、と落ち着いて眠るのはムリだった。

入院2日目、朝 飲み食いできないので暇である。主治医のほかに3人白衣を着た人たちがちらりと現れた。間違えないように、手術する左側の肩に主治医がマジックで○を描く。手術 どうぞよろしくお願いします。もう手術の準備をするのみである。トイレに行ってから、自分の服はパンツだけで手術衣に着替え、前日きっちりサイズを測ってから渡された血栓防止の膝下ストッキングを履かせてもらい、看護士に筋肉注射をされ、自室の枕を移したストレッチャーに横たわると手術室へGO! 手術室手まえで執刀する主治医と夫にちらと会えた。寝たままスマホと貴重品を入れた引き出しの鍵を夫に渡す。

次の扉を抜ければ手術室かと思ったらそうではなかった。入院している部屋から付き添って来た看護士から手術スタッフの看護士に引き継がれ、名前の確認をされ、手首のバーコードが読み取られた。手術室はいくつもあった。そのうちのひとつに入るとストレッチャーから手術台へ移る。手術台は暖められていた。髪を覆う帽子を被される。待ち構えていたスタッフが一斉にそれぞれの仕事を始める。モニターする心電図の電極をペタペタ貼ったり定期的にプシュウと測る血圧計を腕に巻かれたり、血管に点滴の針を刺されたり。手術スタッフの看護士のわたしへの態度は微塵も不安を感じさせない完璧なものだった。見上げると歯医者のものを何倍も大きくしたような照明。部屋には色々なものがあったようだが、矯正視力ではないし知識もないので何がなんだか分からない。口と鼻に酸素マスクをあてがわれじっと待っているうち麻酔が効いてきて記憶は途切れる。待っている間に聞こえてきたBGMはビゼー『アルルの女 第一組曲 前奏曲』だった。

手術 終わりましたよー、と声を掛けられ意識が戻る。どうやら手術台ではなくベッドに横たわっているようだ。帽子はこの時点で脱がされていたと思う。手術スタッフの看護士から病棟の看護士にベッドごと引き渡され、行きしなにちらと夫に会えた同じ場所で夫に渡したものを返してもらい、枕元に置く。本来ならICUに行くそうなのだが、COVID-19 のあおりでまっすぐ自室へ戻った。手術まえに履いていたパンツはビニール袋に入れられていて、これはどこにに置く?と看護士に聞かれたので、棚に置いてくれ、と頼む。スマホは枕元にそのまま、引き出しの鍵は引き出しに挿して、と頼む。

酸素マスクが顔にはりついている。両ふくらはぎが煩わしい。血栓防止に交互にマッサージされているのだ。ちょうど血圧計の腕に巻くああいう感じの圧迫だ。きついストッキングだけでもイラッとするのにさらに拘束されているのだよ。もちろん血圧計も二の腕に巻き付いていて5分おきにプシュウときつくなって測っているし心電図も脈拍も血中酸素飽和度もモニターされている。点滴の管と導尿カテーテルと胸腔ドレーンが体内に繋がっている。胸腔ドレーンはこぽこぽ水音を立てている。入院まえのリハビリで聞かされた、手術後 目覚めたら管がいっぱいついています、というのは伊達ではなかった。想像以上だ。

枕がない。頭を上げてはいけないようだ。数時間経てば使っていいらしい。そのうちどんどん暑くなってきた。布団をはいでも暑い。看護士に訴えたらアイスノンを頭の下に入れてくれた。熱が出ているらしい。しばらくして酸素マスクは口と鼻を覆うタイプから鼻の穴それぞれにチューブの先が入るタイプになった。口の中が渇いてつらい。昨晩からずっと飲んでいないし、口を潤したい。が、それは明朝だ。

看護士はしょっちゅうやって来て点滴を替えたりする。その都度ちゃんと何の点滴を入れますと言い、わたしの名前が点滴の袋に書いていることをわたしに確認させ手首のバーコードを読み取る。わたしもアイスノンを交換して とか、痛い とかしょっちゅうナースコールする。わたしをここから出せえ~!という魂の叫びが内に響く。が、とにかくガマンガマン。明日になれば飲める、と己をなだめる。血圧計も5分おきから1時間おきに変更されたし酸素マスクからチューブになってそれも外されたし、徐々にましになってきている。と、己を励ます。理学療法士がちらと来て、足首を動かせ、深呼吸しろ、と言う。ああそうだった、と思うも、落ち着いてそうする気分には到底なれない。肺がんの自覚症状が全くなかったから、手術を受けなければこんな目に遭わなかったのに!という気持ちが湧いてきた。とても眠れたものじゃない、と思っていたが、いつのまにか数時間眠ったらしい。

入院3日目。朝になって、水を入れた吸い飲みと薬を看護士が持ってきた。薬の袋に書いてある名前を確認させ、袋を破いて錠剤をわたしの掌に乗せる。なんとか上体を少し持ち上げ、痛み止めと痰の粘りけを弱くする薬と胃薬を飲む。ああ、水が美味しい。人心地つく。もう要らないね、と血栓防止のマッサージ機を外しストッキングを脱がしてくれる。心電図の電極を剥がし腕に巻いていた血圧計も外す。血中酸素飽和度と脈拍をチェックする指先をはさむクリップはモニターに繋がず無線でナースセンターへ飛ばすものに変わったが、やはりコードが長くて煩わしい。主治医が大腿から採血して行った。胸にマジックテープで留める胸帯というものが巻かれていた。いったん胸帯を剥がしホカホカのおしぼりで胸や顔や脛や足を拭いてもらったのがとても気持ちよかった。胸帯を巻き直し、手術衣から寝間着に着替えさせてくれた。移動式の機械がベッド脇まで来て、パンダの柄の鉛のガウンを来た技師がレントゲン撮影して去っていった。

ベッドの柵に掛かっているコントローラーを操作して、ベッドの傾きを変えて少し上体を起こすようにした。そうするとお尻がまえにずれてくるので、ベッドの脚側も少し膝が立つように調整した。ベッドの背を起こすと枕やアイスノンがずり落ちてくるのが困る。左脇に傷口が4つあるので、体を右に向けるか真っ直ぐ上を向くかしか出来ないのがもどかしい。あれこれ気に入らないが、それでも手術直後に比べたら雲泥の差だ。霧状の薬を吸う吸入をする。

理学療法士が来た。どう?みたいなことを聞かれた。促され、ベッドの横に脚を垂らしてに座ってみる。おお!座れた!と感動していると、ベッド下部にくくりつけられていた導尿カテーテルの袋を外し、胸腔ドレーンと点滴のついた支柱に縛りつけられないか試している。病室を出てあそこのソファまで歩いて、と言う。そんなこと出来るのか!?と思ったが、よろよろ歩いてソファまでたどり着けた。座って少々休んでから自室のベッドへ戻った。お疲れさまでした!と明るく言われた。こちらは這々の体である。

昼食が来た。あいだ4食が抜けている。主食がお粥になっていた。なんとか数口食べたがテーブルに置いてあったうがい受けに戻してしまった。さっき歩いてふらふらだったからか。薬を持ってきた看護士が片付けてくれた。急に冷や汗がどっと出ることがよく起こる。手術って大変なんだなあ、と思い知る。

看護士は時々やってくる。抗生剤や痛み止めの点滴を取り換えたり、採血したり、尿の袋を空けたり、体温血圧脈拍血中酸素飽和度を測ったり、傷口を見たり、吸入の機械をセットしたりする。理学療法士もまた来た。午前と同じことをする。2度目だと感動/戸惑いは少ないけれど、やはり疲れた。そうこうしているうちに、もう夕食だ。食欲は湧かない。それでも数口食べていると主治医がちらと来て去っていった。食べたものは胃に納まったか、と思ったが、またあげてしまった。消灯だ。少しでも眠って体力が回復しないかと望む。

入院4日目、朝食は半分食べた。だいたい食べているときに主治医かそのチームの誰かが見に来るようだ。どうも肺から空気が漏れているらしい、だが数日で止まる事もあるので様子を見ましょう、とのこと。漏れた空気は皮下気腫になっていて、皮膚の上から触るとごそごそ片栗粉を触るような独特の感触がある。それがどこまで広がったか検温等で看護士が来るたびついでにチェックして、ここまで広がったという印を左の腹や背中や腕にマジックで描いていく。首は目立つから描かないでおくね、と看護士に言われる。

痛みは昨日よりおさまってきた気がする。導尿カテーテルが抜けた。空気の漏れる肺がしぼまないよう胸腔ドレーンで陰圧にしているのだが、壁に仕込んである装置からチューブで繋いで吸引している。トイレに行くときは自分でチューブを外して胸腔ドレーンと点滴の袋がついた支柱をゴロゴロ押して行ってね、と看護士に指導される。とても嬉しい。立って歩いて、自分の棚から本を出す。自分の棚の冷蔵庫のお茶を出して飲むことも出来る。

理学療法士が来た。当然 歩かされる。さっき教わったように胸腔ドレーンの吸引チューブを抜いて、支柱をゴロゴロ押して入院しているフロアの廊下の端から端まで往復した。昼食は1/3くらい残した。立って歩いて歯磨きした。栄養士が来た。食事を残しているけれど多い?食べるのも治療だよ、等々言われ、主食の量を減らす代わりにカロリーメイトゼリーをつけるからおやつに食べて、ということになった。呼吸器疾患の食事を食べるときのポイントという紙ももらった。俗にいう太らない食べ方の反対のようだ。エネルギーの多い料理から食べましょう。理学療法士は午前と午後、1日2回来るようだ。だんだん入院生活のリズムが分かってきた。夕食はご飯が減っていたのでなんとか完食した。寝るまえに、痛み止めの点滴を入れてもらった。

入院5日目。なるほど朝食のお盆にカロリーメイトゼリーアップル味がのっている。おやつに食べよう、と冷蔵庫に移した。ホカホカのおしぼりつきの寝間着交換とシーツ交換があった。胸帯は ずれてくるので止めてTシャツに替えた。車椅子に載せられてレントゲン撮影に連れて行かれ、それから入院まえに何度かかかった外来の口腔歯科に連れて行かれた。入院棟から行くと迷路のようだ。部屋に戻ると吸入が待っていた。

吸入後ゆったりしていたら主治医が来て、左脇から胸腔ドレーンを抜いて行った。しかし看護士に、空気が漏れて皮下気腫になっているし 話すとモコモコ膨れるから管を入れ直す可能性が高い、それなので点滴の針は残しておきましょう、と言われてしまった。そういうことを言われたんだけど、と午前のリハビリの理学療法士に愚痴る。ゆっくり歩きながら喋るのでたくさん話せる。理学療法士は雑談も仕事のようだ。入院中一番話した相手が理学療法士だと思う。話しながら咳き込んだら左の胸だの背中だのがパンパンに膨れてしまった。その状態を見た看護士からの報告や朝のレントゲンを見て、主治医は胸腔ドレーンを入れ直す決断をしたようだ。ああ、これは何らかのトラブルの起きる10%に入ってしまったんだな、と思った。

昼食を摂ってしばらくして、朝レントゲンを撮った部屋へまた車椅子で連れて行かれる。さっきは立って胸を撮影したが、今度は上から撮影できる台の上に左脇を上にして横たわる。何か忘れ物があったようで看護士が取りに行っているあいだ、主治医に これでうまくいかなかったらどうするのか訊いた。自己血を胸腔に入れて穴を塞ぐ、それでもダメなら再手術だね、それは最悪だね、と言うので思わずハハ、と笑ってしまった。局部麻酔の注射を打たれ、まえに入れていたより太い管を入れる。ちょっと痛いよ、と主治医が声をかけ、ゴリッと管を押し込む。ちょっと何てもんじゃなかった。全身冷や汗びっしょり。看護士が拭ってくれた。主治医、発汗多し、などとのたまう。その状態でレントゲン撮影して主治医が確認して、看護士に自室へ戻される。朝 寝間着を取り替えたばかりだったが、また寝間着を替えてもらった。痛いので飲み薬以外に点滴でも痛み止めを入れてもらう。アメフトの選手の肩の防具のようにパンパンに膨れていたのが少し治まる。

痛くて横になれない。ベッドの上体を起こして、そこに顔ををうずめるようにしてすがりつく姿勢が一番耐えやすい。冷や汗かいて苦しんでいるわたしを理学療法士が見て、午後のリハビリはお休みになった。それでもおやつのカロリーメイトゼリーを食べ夕食も完食したのだから、回復しつつあるのだろう。明日はもっとよくなる、と信じて夜を迎える。

入院6日目。土曜日のせいか朝の始動がゆっくりしている。しかし朝食を食べていると主治医はちらと現れた。胸腔ドレーンを見て芳しくない旨さりげなく言って去っていく。朝食後、またレントゲンを撮った。レントゲン室のまわりにCTとかMRIとか検査室がいくつもあるのだが、そのすごい機械のメンテナンスが来ていた。なるほど休みの日の方が都合がよいのだな。看護士の恒例の測定によると久しぶりに血圧が110台体温が36度台に下がっていた。今でも十分痛いと自分では思うのだが、手術後は血圧120台体温37度台で冷や汗がどばっと出ていたから、回復してきているのだろう。痛いときに自分の体がどう反応するのか少し知れた。

食後の飲み薬の痛み止めが効いたかうつらうつらしていたら主治医がまた来た。レントゲンを見たのだろうか。わたしを見て開口一番、仰向けが一番 皮下の空気が抜けないから動いた方がよい、と言う。残念ながら空気漏れは治まっていないので、明後日レントゲンを撮ってから胸腔に自己血を入れてみましょう、と言う。

あとはいつもの入院生活ルーティン。1日3回は来る看護士の測定、聴診器で胸など何ヵ所か音を聴く、傷口を見る、皮下気腫の広がりチェック。午前と午後のリハビリ。朝食や夕食を摂っていると来る主治医たち。ちょっと不穏な気分ではあったがのんびりした1日だった。

入院7日目。この日は朝食を食べ終えてしばらくしてから主治医が来た。ぽこぽこ水音を立てている胸腔ドレーンを見て、けっこう漏れてますねえ、と言う。明日 胸腔に自己血を入れてみるけどダメだったら再手術だね、だと。全身麻酔でまえとおなじ穴から、たぶん肺の穴は1ヶ所だと思うんで塞げば済むよ、手術は1時間くらいで済むよ、と仰有る。わたしの血よ粘っておくれ!と強く願った。

日曜日ものんびりしているなあ。今日はレントゲンの予定もない。それで洗濯することにした。洗濯機200円、乾燥機40分で100円で、硬貨でもテレビカードでも使える。下着のほかに血栓防止のストッキングや胸帯も洗った。昼食はパンだった。どうも週に1食だけのようだ。午後 看護士が髪を洗ってくれた。入院した日に洗って以来だから なか5日だ。冷や汗もたっぷりかいたし泡立ちが悪くて看護士に申し訳ない。もちろんそんなわけだから、抜けた髪の毛がベッドにつく。少しでも快適に過ごそう、と見つけ次第 拾って捨てるようにした。入院したとき、布団のカバーや寝間着は洗い立ての感触なのに臭うなあ、と思ったのだが理由が分かった。患者はおしなべて垢じみているからだ。最初は臭いが気になったけれど、もうすっかり慣れてしまった。

リハビリのときに理学療法士に肺の穴をどうやって見つけるのか訊いた。胸腔に生理食塩水を入れて肺から空気が漏れているところをチェックするんだそうだ。漏れていれば泡が出る、と。なんだ、自転車のパンク修理と一緒だな、と思った。手術のときもそうしたはずなんだけど、と理学療法士は言う。

手首を動かしたか何かで左手首甲の点滴の針のところから少し出血したようで、看護士が針を抜いた。これで 痛み止めの点滴を今すぐ入れて!って頼めなくなったけれど、体についているのが胸腔ドレーンだけというだけなのはずいぶん気が楽だ。

同室はトイレの近いお婆さんばかりという大部屋なので、眠りの浅いわたしが熟睡出来るわけがない。傷のせいか熱っぽくなったりするし。リハビリではそれなりに歩かされてはいるけれど、胸腔ドレーンと点滴の支柱を押してよろよろ歩くから、ふくらはぎを動かした気がしない。夜 ベッドの上で足むずむず症候群っぽくイライラするので、足先を手で掴んで脚裏を伸ばすストレッチをするようにしたらずいぶんましになった。

入院8日目。朝食後の歯磨きをしていたら主治医が来た。レントゲンで肺の膨らみ具合を見るらしい。膨れていないと自己血を入れても効果が少ないんだそうだ。入院5日目6日目とレントゲンを撮った部屋にまた車椅子で連れて行かれて、立って胸のレントゲンを撮る。こちら向きのモニターがあったので見たが、素人目では左肺は萎んでいるようには見えなかった。

午前のリハビリで理学療法士が、自分が見た限りではなぜか若い人の方が皮下気腫になる気がする、と言っていた。ああそうねえ、このフロアではわたしは最も若いかもしれない。若いほうが身離れが悪いんですかね?と返したがピンと来なかったようだ。

午後 自己血を胸腔に入れる処置を受ける。指先に血中酸素飽和度と脈拍を測るクリップをはめられる。いつものように左脇を上にして横たわる。胸腔ドレーンの吸引を止めて、看護士が右腕から33ml×3本採血する。看護士が1本抜いたら主治医に渡し、看護士が2本目を抜いているあいだに主治医が左胸腔に1本目の血液を入れていく。血液を抜かれているせいか、冷や汗が出てきた。3本入れ終わったら、右向き、四つん這いになって頭を低く布団につける姿勢、というのを数分ごとに繰り返すのを30分やった。その間わたしは喋ってはいけない。

その後胸腔ドレーンを吸引する壁からのチューブに繋いで、わたしは話してもよくなったが、30分に1回さっきの姿勢をとるように、寝るとき以外は仰向けにならないように、と主治医は指導して去っていった。姿勢を頻繁に変えると、胸腔ドレーンを入れた傷口ではなく、なぜか左の下のあばら骨と腹との境がきゅうっと痛くなる。難儀だなあ、と思いつつごそごそ姿勢を変えていたら、主治医が慌てて戻ってきて、仰向けは厳禁だからね、と念を押して行った。

主治医から明日 話があるので午後 夫に来てもらうように伝えてほしい、と言われた。夫にラインする。来るならついでにペットボトルのジャスミン茶 数本と咳防止ののど飴と胡椒とシャンプーと大好きなトゥルシマサラチャイをペットボトルに淹れて持ってきて、とつけ加えておいた。

自己血を入れて1時間くらいして、主治医が白衣3人を連れて来て、気分はどう?と言う。胸腔ドレーンを見て、効果がない、と言う。がっかりだ。でも体勢を変えるのはやってね、と言われたので希望を失わずやることにする。

入院9日目。朝食を摂っていると主治医がちらと来る。塞がってないですね、と言う。ああ、手術なのかなあ、と暗い気持ちになる。

午後 夫がやって来る。夫に会うのも声を聞くのも1週間ぶりである。病室で他の患者は電話しているが周囲に丸聞こえでわたしはそれが嫌なので、1度も電話していない。頼んでいたものを受け取る。主治医と看護士と4人で話をする。まず先週 受けた手術の結果の説明を聞く。切除した左肺の上葉に3cmのしこりがあり、病理検査の結果 腺癌で、一緒に切除したリンパ節に転移はなく、進行度はⅠB期、今後 再発予防に抗がん剤を1~2年間 内服し、少なくとも5年間は経過をみる、とのこと。また手術後 肺から空気が漏れていて、閉鎖手術が望ましい、とのこと。左肺下葉の 取り去った上葉と接していた部分がきれいに剥がれていなかったのかもしれない、と。ああ、そうですね、手術ですね。手術は明後日の午後に予定していて退院はその3日後ぐらいの予定だが、手術までに穴が塞がれば中止します、と言う。夫は明後日も病院に来なくてはならないだろう。1週間まえのあの状態に戻るのかと思うと気が重い。手術そのものより目が覚めたときのあの拘束された感じが辛いのだ。知らなければこんなに気が重くなることもないのに。

リハビリで歩きながら理学療法士に、手術になりそうだ、とこぼす。再手術ともなるとスタッフや道具の準備が大変だろう、と理学療法士に話を振ると、同様の手術の見学をしたことがあるが、切る医師見る医師閉じる医師の3人組に同じだけ看護士、麻酔科医とそのサポート等で9人くらい要るな、患部がそんなに大きいわけじゃないから医師は触れないようにすれ違う感じで、手術室は広そうに見えてもそうでもない、とのこと。ああやっぱり手術は大がかりだな。

最初に聞かされた、手術後トラブルの起きる確率は10%程度、というのは決して小さい数ではないよなあ、と思う。手術がどうだったのかわたしは見ていないし見ても分からないが、少なくとも主治医の話ぶりやわたしの質問への答え方には誠意を感じる。マメにわたしの病室へ様子を見に来るし。どうもうまくいかないようだ、という状況から次の手段へは迅速に移行してくれている印象がある。そもそもわたしにすべはないのだし主治医を信頼して(いろいろ聞いた上で)委ねるしかないよなあ。手術後の苦しいのも一晩だけだよ、しかも今回は手術が短時間だから、ダメージ少ないだろうよ。

と思いながら窓の外を見たら、2重の虹が見えた。リハビリ中だったのでスマホは手元になく写真は撮れなかったけれど、わたしには啓示にとれた。そして、手術がんばろう、という気持ちにストンと落ちた。

さっそく夫が持ってきてくれたトゥルシマサラチャイをコップに少し注いで飲む。スパイシーな香りが沁みる。夕食のアジのムニエル野菜のせに、夫が持ってきてくれた胡椒を振る。元気が出る。食べていたら主治医が来て、前向きに頑張りましょう、と言う。はい、すぐやっていただけるし、と返しておいた。そして胡椒を自慢したら、病院の食事は刺激が足らないですよね、ですって。

歯磨きのあとに石鹸で顔を洗った。左手首の甲にあった点滴の針が抜けたから両手で石鹸を泡立てられるようになったのだ。抜けた日に思いつけばよかった。それまで痒かったが皮脂がぺたぺたしていてアトピー性皮膚炎の薬が塗れなかった部分に薬を塗ることができた。この晩は入院中で一番よく眠れた。

入院10日目。朝食時に主治医が白衣2人を連れて来た。あと1日あるから、と言う。期待せずに期待してあの思いの外 苦しい体勢をとることにする。もし手術となればまた導尿カテーテルが入るよな、しかしもう9日も風呂に入っていない。それはイヤだなあ。せめて寝間着交換のときに渡されるおしぼりで陰部をよく拭ったりお茶を浸したティッシュで拭ったりした。洗濯しておいた 手術時に履く血栓防止のストッキングや手術後に巻かれる胸帯を、棚の取り出しやすい位置に移した。

お昼過ぎ、前回同様 手術スタッフや麻酔科医が入れ違いに来て説明等 行う。ハイハイ存じておりますよ。主治医も来て胸腔ドレーンを見る。明日の手術はありそうですね、と言う。今日の夕食は流動食で明後日の朝まで絶食。手術は午後なので、飲水は明日の朝8時までだ。

夕方 夕食のまえに主治医がぞろりと連れて来て、どうですか?と訊く。のんびり過ごしております、と答えたら胸腔ドレーンがぽこぽこいうので、ああ明日の手術はありますね、と主治医が言う。よろしくお願いします、と返事した。流動食についているゼリーはコーヒーだった。

同室のお婆さんの一人は退院、一人は病棟を移り、一人は部屋が変わるそうで、この夜は個室状態だ。しかし明日 手術後 戻ってくるのは違う部屋になるらしい。

入院11日目。朝食はないが、8時まえにトゥルシマサラチャイを飲む。主治医が来てまたわたしの左肩にマジックで○を描いた。午前のうちに洗濯/乾燥する。リハビリで理学療法士と話をする。肺の穴を塞ぐのにシートを貼るらしい。手術の見学に入っていい?と訊くので、いいよ、と答えておいた。手術の話をいろいろ聞いたから、それくらいは許可しないとね。

前回は朝1番の手術だったから時刻通りだったけれど、今回は午後でまえの手術の時間が予定通りとは限らないので早めに準備をする。今回は先に点滴の針を刺された。トイレを済ませ血栓防止の膝下ストッキングを履かせてもらいTシャツを脱いで手術衣に着替える。胸腔ドレーンがついたままなのが、ワンピース型の手術衣だと裾にジャマだ。髪も横向けに寝たときに困らないよう縛り直す。ストレッチャーに寝転んで手術室へ運ばれる。前回同様 手前で夫にスマホと鍵を渡す。手術室は前回と同じ部屋だった。前回同様 手術台に移りスタッフたちにあれこれされる。酸素マスクをあてがわれじっと待っているときに聞こえてきたBGMは、やはりビゼー『アルルの女 第一組曲 前奏曲』だった。

手術が終わって夫にスマホと鍵を返してもらい、違う自室へ帰る。寒いから布団をかけてくれ、暑くなったからアイスノンくれ、痰を吐きたいからティッシュを取ってくれ、とひとしきりナースコールしたあとスマホを見ると16時半だった。あとで夫に聞いたら、やはり手術時間は少し延びたようだ。手術後 夫が主治医と話したことによると、肺の穴が見つかりにくかったそうだ。胸腔ドレーンはまえの太さに戻ったらしい。今までは咳をするのが怖かったが、今回はちゃんと痰を吐ける。

前回の手術後よりも全然 楽な印象。前回は手を動かしていいかすらおっかなびっくりだったが、今回は平気。しかし元気な分 ここから出せえ~!という内なる獣の力が強い。耐えがたくて起き上がったらひょいと上体は上がる。起き上がるとモニターが見える。心電図、脈拍、血圧、血中酸素飽和度、ついでに時刻。起き上がるとモニターが乱れるので しない方がよいのだろう、と思うが我慢できず、何度も上体を起こしてしまった。前回はむしろ息苦しさが緩和される酸素マスクはありがたかったのだが、今回は煩わしくて仕方がない。首を左右に動かさずにいられない。動物園のクマの常同行動のようだ。とはいえ午後の手術だったので夜の来るのが早い。飲水が明朝からなのは前回と同じだから、我慢する時間は減ったはず。と己をなだめるもやはり手術直後はつらい。口の中が渇かないよう今回は舌回しをしたら、ずいぶんましだった。

入院12日目。朝7時に看護士が水を入れた吸い飲みと薬を持ってきた。上体を起こせる?というのでひょいと起きるとびっくりされた。ハハ。それでわたしはベッドの背を途中まで起こした。主治医たちが来た。主治医は血栓防止のマッサージ機のスイッチを切ってくれた。それで看護士がマッサージ機を外しストッキングを脱がせおしぼりでふくらはぎと足を拭ってくれた。気持ちがいい!あれこれついていたモニターも外され血中酸素飽和度と脈拍を測るクリップのみになった。

理学療法士が来た。まだ手術衣のままだったがいきなりフロアを2往復した。ちょっと疲れた。自室のベッドに座り、入院まえのリハビリで使ったレスピフローを使う。どんなに吸えないかビックリするよ、と脅されて吸ってみたらたったの500ml。何度もやって、やっと1500ml弱。手術まえの2/3まで回復させましょう、となかなかのスパルタぶり。

看護士が来て導尿カテーテルを抜いてくれた。手術衣を脱がせ、寝間着に着替えた。昼食が来た。疲れていたけれど完食し、戻したりはしなかった。午後もリハビリがあった。展開早いっすねー、と理学療法士が言うので、こうでなくっちゃ!と返した。

主治医が来た。明日レントゲン撮って胸腔ドレーンを抜いて、明後日またレントゲンを撮ったら退院しましょう、とのこと。すごく嬉しい。一気に良くなった気がする。夕食は減らすまえの量に戻っていたが、ぺろりと食べてしまった。胸帯を外しTシャツに着替えた。

入院13日目。朝食後レントゲンを撮った。主治医が確認して胸腔ドレーンを抜いた。入院中ずっとわたしの左脇に繋がっていたものがなくなったのだ!点滴もあと1本だけ。それが終われば針も抜ける。明日退院でもいいんだけれど、明後日 口腔歯科の予約が入っているので、受診してから退院の方がいいでしょう、と言われる。明後日退院だ。ああ長かった。

理学療法士に肺の穴を見つける方法を以前 訊いたけど、胸は透明ではないから泡は外から見れないよね、胸腔に開けた穴に入れたカメラで観察するのだろうけれど、生理食塩水は胸腔の穴から漏れないの?とリハビリのときにまた訊いた。そうしたら、左脇、つまり穴を上にして胸腔に生理食塩水を入れているから漏れないのだ、と。なるほど、やっと納得した。

入院14日目。レントゲンを撮った。皮下気腫はずいぶん減った。最後のリハビリでは、歩行時の脈拍や血中酸素飽和度を測定し入院まえに測ったものとくらべたりもした。本当は手術後すぐにレスピフローのリハビリをするんだけど空気が漏れて出来なかったからね、始めるのが遅れた分 回復が遅いかもしれないけど自分で一生懸命やってね、と言われた。傷口のガーゼも外された。シャワーを浴びてよい、と看護士に言われた!もう日本髪が結えそうなくらい頭がぺたぺた(長さは足りないが)だったのでとても嬉しい。ふらふらして危ないからゆっくり入ってね、という指示がありがたい。

入院15日目、最終日。主治医が傷口に貼っている絆創膏の大きいようなものを取り替えた。2日で剥がしてね、と言われた。口腔歯科に呼ばれたので看護士と行く。この入院中 看護士に連れられて何度もレントゲンや手術室や口腔歯科に行ったけど、自分の脚で歩いて行ったのは最初で最後だな。口腔歯科はナイルチドリにつついてもらうワニの心地(実際にワニの口に入って寄生虫を取っている行動は観察されていないそうだが)。寝そうになった。移った先の部屋のお婆さんが強力でなかなか眠れなかったのだが、もうさらばだ。薬剤師が来て、次の診療までの薬とあずけていた薬をもらう。

最後の昼食のお盆には 寿 という文字と鶴と亀の絵のかいてある小さな屏風がのせてあった。食べ終えて歯磨きをして、荷造りする。寝間着を脱ぎ服に着替える。

残しておいた最後のトゥルシマサラチャイを飲み干しコップを洗って鞄にしまう。

病院に着いた、と夫からラインが来る。その旨を看護士に伝え、手首の名前とバーコード入りのテープを切ってもらい、診察券を返してもらう。支払いは1階窓口で、だそうだ。

重たい鞄は看護士に持たせ、手術の説明のときだけ通れたガラス扉を開けてもらう。向こうには夫が見える。振り返って大勢のスタッフに、お世話になりました、ありがとうございました、と言いたかったのだが、皆いそがしそうにミーティングしているので、鞄を持っている看護士にだけそう伝えてフロアから出た。鞄は夫が受け取る。

エレベーターで下り、夫が支払いを済ます。病院から出ると暑いながらも秋の風だ。入院している間に季節が変わってしまった。車に乗って半月ぶりにうちへ帰るのだ。そういえば入院してすぐに見た入院案内放送で、家に帰るまでが入院です、とあって大笑いしたのを思い出した。

 

 

 


コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Serenelli のボタンアコーデ... | トップ | 千葉聡 『歌うカタツムリ―進... »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (にーや)
2020-09-19 19:37:23
大変な思いしたのに、頑張ったんだね…立派、立派、大変だったね…😭😭😭チーらしい様子が伺えて懐かしく、元気をもらったよᕦ(ò_óˇ)ᕤ
これからも、お互い健康に過ごせるように、自愛しながら人生を楽しもうね🤗
返信する
Unknown (にーや)
2020-09-19 19:39:08
本当にお疲れ様🤗退院おめでとう㊗️
返信する
Unknown (fuiriyamabuki)
2020-09-19 21:50:02
にーやさん、ありがとう! そろそろ色々出てくるお年頃なんだと思います。お元気ですか?
返信する

コメントを投稿

肺がん」カテゴリの最新記事