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≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

明日香村の石造物その4(高松塚壁画館)

2022-12-15 17:52:15 | 行った話(展覧会以外)
明日香村の石造物その3(石舞台古墳) よりつづく

高松塚古墳も教科書級だ。
電車の時間が迫っていたので、本体の古墳は見ず、壁画館 だけ観てきた。
上の写真の模写のキャプション↓

壁画館に展示してある模写は、3種ある。一枚目の写真は「再現模造模写」。


これから8枚は「現状模写」の写真。現状といっても1973年壁画発見当時の現状だ。
東壁南側男子群像。

東壁中央青龍。

東壁北側女子群像。

北壁玄武。欠落が悲しい。

西壁北側女子群像。これが教科書級なんだな。

西壁中央白虎。

西壁南側男子群像。

天井星宿。

キャプション↓ 東壁と西壁で描かれているものの顔の向きがだいたい逆向きだ。どちらも北を向いている。
四神のうち南の朱雀がいない。鎌倉時代ごろの盗掘時に損壊したのだろう。ああ悲しい。




これから3枚は「一部復元模写」。
西壁中央の月像。

白虎の上に月が描かれている。

天井の星宿。星座がくっきり。

キャプション。

発掘されてからずいぶん時間が経っている。その間の壁画の劣化が大いに問題で、遺跡の保存の難しさを知った。高松塚古墳だけでなく キトラ古墳 も議論があったなあ。



副葬品レプリカ。
金銅製透飾金具。

銀荘唐様大刀金具類。

このような大刀だったのだろう。

海獣葡萄鏡。トーハクとかでお馴染みだ。




キャプション。



 
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平城宮跡歴史公園に行った。その1(遣唐使船)

2022-12-08 15:26:18 | 行った話(展覧会以外)

夏の終わりに旅行に行った。まずは 国営平城宮跡歴史公園
やたらと広いが、見るところが点在している。
バス停や駐車場やお土産を売っている店やレストランなどのあるエリアに、復原された遣唐使船ある。せんとくんが呼んでいるようだ。


キャプションにあるように、最後の遣唐使船から400年ほど後の「吉備大臣入唐絵詞」の姿の復元だそうだ。本当にこんな船だったかは定かではない、ということか。




一番上の写真に見える船の裏側から乗り込む。

帆柱の下の方に縛りつけられている竹製のマット?が帆なんだそうだ。帆って布製だとばかり思っていた。ずいぶん頑丈そうだ。




船の両脇に狭いデッキ?がある。

艪棚(ろだな)というらしい。




船の上に部屋?が3つある。これは真ん中のもの。

緑の格子の隙間から中を覗く。床は開けられるようだ。

賄い部屋だそうだ。




船尾。

主舵。棒は抜いてあるそうだ。

遣唐使船の構造についてのキャプション。




賄い部屋のすぐ後ろが遣唐大使の部屋。なんかお寺のお堂みたいだ。

屋上?があるみたいだ。

キャプション。蓋、とあるのはどこにあるのだろう?




船首。

いかりは前側なのかあ。船について全く知らないわたし。碇という漢字が石偏なのに納得した。

加飾も鮮やかな船でした。

ちゃんと復元してあるようだが、一度でも航海したことがあるのだろうか?
航海歴はあるようです。2010年の上海万博に出たらしい。 船上の部屋の上にも構造があって階段も取り付けられていたようだな。



   平城宮跡歴史公園に行った。その2(朱雀門編) へつづく



 
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平城宮跡歴史公園に行った。その2(朱雀門)

2022-12-08 15:25:56 | 行った話(展覧会以外)
平城宮跡歴史公園に行った。その1(遣唐使船) よりつづく

朱雀門(すざくもん)だ。
なんと大きな門なのだろう。脇に立っている衛士の小さいこと!
丹と漆喰のコントラストがパリッとしていて、そこに金と緑のアクセントが美しい。

軒丸瓦、黄色く塗られた垂木の四角と丸い断面が等間隔で並んでリズムが気持ちよい。

なんと太い柱!後ろの衛士の小さく見えること。

扉のついている柱のもと。この部分を何というのだろう?

隅木から下がっているのは瓔珞でよいのか?用語が分からない。

朱雀門の右側。塀の上辺はカーブを描いている。塀の上の屋根も揃いの意匠だ。

通用門?の手前に木。向こうが少し見える。いざなわれる景色。しかしはっきりいって中国風にしか見えない。

キャプション。羅城門は復元しないようだ。

これもキャプション。




   平城宮跡歴史公園に行った。その3(兵部省跡、東楼復元) へつづく


 
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平城宮跡歴史公園に行った。その3(兵部省跡、東楼復元)

2022-12-08 15:25:26 | 行った話(展覧会以外)
平城宮跡歴史公園に行った。その2(朱雀門) よりつづく

レンタル自転車をこいで 広い平城宮内を移動する。葦原というか草原というかそんな感じだが、自転車/徒歩道路があるのでそこを通る。 国営平城宮跡公園HPマップページ
写真↑は兵部省跡(ひょうぶしょうあと) だと思う。うっかり踏み込むと靴が濡れる。向こうに見える屋根は 朱雀門ひろば の平城宮いざない館だろう。

そういえば、平城 じゃなくて 平城 なんだな、と思ったが、範囲が違うんだそうだ。平城宮は平城京に含まれるんだそうだ。 平城ツーリズム.COM 平城京と平城宮 意味は?

草原の中のまっすぐな道を北上する。建物を作っています という絵のついた囲いと、その向こうに見える絵と同じような建物。
建物は大極門(だいごくもん)だ。大極門のすぐ横に東楼(ひがしろう)を復元するのだ。当然、大極門の反対側には西楼もね。


立派な足場だなあ。 そして向こうに大極殿が見えてくる。




   平城宮跡歴史公園に行った。その4(東院庭園) へつづく


 
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平城宮跡歴史公園に行った。その4(東院庭園)

2022-12-08 15:25:03 | 行った話(展覧会以外)
平城宮跡歴史公園に行った。その3(兵部省跡、東楼復元) よりつづく

平城宮跡歴史公園の東に張り出したところに庭園がある。  ←平城宮跡資料館HP
1965年の国道24号線バイパスの計画に伴う調査により平城宮の東側に張り出し部が発見されて、国道24号線はぐねっと東に迂回することになったらしい。

絵巻物に出てくるような池に朱の小さな橋がかかった建物。中州には松が植えられている。
簀子縁に高欄があって、宴のさいには貴族男性が下襲を掛けたりしたのかしら、とか想像しまう。
周囲は塀で囲まれ、隔絶された小世界だ。世界観を表しているのかしら?とか思うも 知りません。
塀の内側、池の周囲を巡る小径を行く。
植栽は古文に出てくるものばかりだった。ウメ、モモ、サクラに紅白のハギ。まめに通って草もチェックしたいくらいだ。


敷地の角に隅楼(ぐうろう)というやぐら?がある。外観を撮るのを忘れてしまった。こんな感じ
1階の塀側の2面は、ちょうど遣唐使船の甲板上の小屋のような 緑の角棒を並べた格子と白い腰壁だが、小径のルート上の面は四阿のように柱だけで開放的だ。この場合 二阿になるのか ?
2階に上がる梯子がある。わたしは高いところには登りたい方です。

上を覗く。



向こうの建物には渡れない。

別角度から。


こちらは渡れる橋。向こうに建物がある。ほとんど屋根と柱だけだけど。


北側は板塀だ。



じつは板塀に挟まれた復元建物が庭園の出入り口になっていて中が資料館なのだ。その外観も撮るのを忘れた。
その資料館の展示の写真4枚。

鳳凰文の鬼瓦ってはじめて見た。

緑釉が浮彫を引き立てる。

鬼瓦ってこういうイメージだよな。

遺構のキャプション。もっと沢山ありました。




   平城宮跡歴史公園に行った。その5(第一次大極殿) へつづく


 
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