風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

口遊む

2021年02月11日 | 徒然に日々のことを
昨年の今頃、コロナの勃発と時期を同じくして、声が十分に出なくて、足掻いていました。
発声法の問題点をみつけて、体の問題点を見つけ、工夫して見たら、少々ですが、口遊めるようになってきました。

ソーシャルディスタンスをとって、広く散らばって座ることになったとき、喉がつらくて、声が出なくて、小型のスピーカーを使ってみたりしました。

問題点を意識すると、やっと、見えてくるものがありました。

首の左右の筋が凝り固まっていたことを自分で認識するようになったのは、肩が巻き込んでいることに対処することによって、手の付け根の前側が、緩み始めたことからではないかと思います。

いろいろな不調は、内臓からくるものだけでなく、緊張からくるストレスもあったようです。心と体のダブルだから、症状が凝り固まって内在してしまったということなのでしょう。
そうなると、隠れてしまった核は、自分では、見つけることができません。山田先生施術によって、見つかり、その対処法を学びました。

山田先生がどんなに施術して下さっても、私の意識が、そこに向いていかなければ、解決は望めません。
自分で気が付くと、心身のいろんな事象が動き始めました。

冬眠と言いながらも、『整体』へと導くための体操をして、冬眠から覚める時の激しい変化に耐えられるように備えることは、大事です。


不要不急の外出を避けるようにとの見解に、一教場の夢松風がのんびりおやすみを決め込むことにしました。
それには、芦孝会の活動を執行する幹事会が休まず機能しているから、その選択を迷わずすることができます。

私は、教場指導者としては、教室の機能を停止をしました。夢松風の会員さんと同じに私も声を出すこと、長時間の拘束、大人数が集まる場所には、欠席します。

そして、芦孝会幹事としては、、活動を止めませんから、幹事会には、当然、出席します。

こういう流れをつくることによって、私の喉は、幸運にも休暇になりました。
声は出してないと出なくなるよとは、山田先生にも言われましたが、私の喉は、たぶんそうじゃないと思ったので、少し、ビビりながら、お休みです。
教室の誰よりも、私が一番休止状態なのかもしれません。

おかげで、喉に潤いが戻りました。

なんだか、いい感じですよ。だって、口遊めるようになりましたから。
この発声を続けていたら、ついには、大きな声も、苦手な小さな抑えた声も自在に出せるようになるかもしれません。

コメント

昔の詩吟仲間

2021年02月10日 | 徒然に日々のことを
昨日の明け方、西の方に住んでいるIさんと、広い部屋で、2人、とても穏やかにお話をしている夢を見ました。

Iさんは、年下ですが、関吟の格は上のすこぶる力のある方です。

彼女と、詩吟の話でもなさそうだし、世間話ほどくだけてもいなくて、静かないい時が過ぎていきました。

二人とも座っていて、ほぼ動きがないけれど、気持ちは通じ合っているというような、心地の良い夢でした。

詩吟と言えば、彼女とはいつもバトルを繰り広げていたので、こんなおだやかな夢を見るなんてねと、夢の中でも思っていました。

彼女の存在だけが、詩吟の雰囲気を醸しているだけの夢だから、お休みしている詩吟への発破でもないだろうねぇ。

「私の思うままに」というメッセージだったのだと、思うことにしました。


コメント

梅の便りから

2021年02月06日 | 詩吟
梅の便りを聞き、すぐさま口ずさめるのは、「寒梅」。
まだ記憶力十分の時に覚えたものは、スイと声になる。
あぁ、いいなぁ。

それからおもむろに、スイと声の出にくい他の漢詩を探してみる。
それは、エクセルに入れた自作の吟題検索表。
「梅」と入れると、11の漢詩がずらりと並びました。

A33 寒梅 A50 松樗~ A53 弘道館に梅花を賞す A56 雪梅 
B12 飛梅 B22 梅花 B22 山園小梅 B22 梅花詞 B25 梅林鶯声を聴く 
C29 古梅村嘱目(新教本には載っていません) 
D17 梅一輪

10年余り前、完成したエクセルの表をクリックすると、一瞬にして選ばれた吟題が出現した時、「なんてべんり!」と叫びました。
そして、そのあと、あの入力した全表がなくなったと勘違いして青くなった。
そして、その後の操作で、元の表が戻ってきたときの感激と言ったら。
まるで、マジック。

今は、ネット検索がとても便利になって、こんな表なんていらないかもしれないが、関吟のテキストにある漢詩の検索表だから、今でも少しは、意味があるのかな。

その昔、習い知った漢詩の数も増えてきて、テキストをあっちこっちとページを繰るのが忙しくなり、そのころは、索引もなかったし、自分で索引を作ろうと一念発起。
エクセルの検索機能というものを教えてもらって、その作業が始まりました。

その表の1行目は、▼印のついたボタンのついた表題がある。
2行目からは、早速、A1-1 「江南春望」が入力されています。一番下は、444行にD19-2「小板橋」で終わっています。

すごいねぇ、関吟のテキストの吟題は、400をこえているんだねぇ!
初めて、数字にして見て、驚いた。
検索表の入力の時は、文字だけを追っていたからねぇ。

平成21年に副読本が出版されたとき、巻末に索引表が付くようになったので、とても便利になりました。そのころから、自作のこの検索表は、あまり使わなくなったのですが、一応、最近追加されたB36まで入力しました。この先、増えたら、どうするのでしょうねぇ。

そして、今気が付いたのですが、この表は、旧テキストの番号と旧縮刷本のページになっています。
400あまりの漢詩の新しい教本番号とページを、今から、入れるの?いれないの?
入れないと完成しないけど、その必要あるかな。
入れるとしたら、冬眠中の今ですね。


コメント

歩く

2021年02月05日 | 体を整える
人体力学・井本整体 genten2月号が届きました。

井本先生の巻頭言は、むさぼるように読むのですが、今月号の一番長い時間眺めていたページは、井本先生の歩いている全身写真です。

ほれぼれするような、見ていてこちらの身体まで軽くなるようなお姿です。
「流れるような」「無駄な力が全然入ってない」「きれい」と、それぞれ感想が寄せられています。
それを人体力学的に解説すると、『腰が上がっていて、特に、腰椎3番が中に入っている』ということになるそうです。

私の目には、腰椎3番を起点として、コンパスのようにまっすぐ足が伸びていて、つま先があがって靴底が見えている。後ろの足もまっすぐ伸びていて、踵がきっちりと曲がっていて、足先が地面をしっかりとらえて、上半身に推進力を与えているように、見えます。

たった一枚の写真から、たくさんの理想的な体の動きの情報が入ってくる。

井本先生は、先生そのものが、「整体」なんだねぇ!

井本整体人体力学は、余分に力の入っている箇所の力を抜き、力を入れたくてもうまく入らない箇所に自然と力を取り戻してくれる体操を、体に覚えさせてくれるのです。
             genten2021年2月号18ページ
コメント

果たして、すきだらけ?

2021年02月03日 | こたろう
好きなところで好きなだけ寝る猫が
           すきだらけで好きだ  仁尾

時間がたっぷりあるおかげで、炬燵に座る時間が多い。
そして、その膝の上に、隙あらばこそとこたろうさんが、飛び乗ってくる。

膝の上にこたろうさんがいる時は、大義名分で、座り続けられる。
たまに、立ち上がらねばならない時が来るけれど、「こたろうさんがここにいるから」と、立ち上がらない理由にする。


また、その逆のどうしても、どうしても、立ち上がらねばならないとき、テレパシーで、「ごはん」を送ると、うまい具合に「うにゃん!」と言って、膝から飛び降りて、お皿のところに飛んでいってくれることがある。

そうは問屋が卸さないと、寝そべり続ける時もある。
それは、私がネコナディストとなっているとき。
あるいは、ウンディの奏者になっている時。

やっぱり、本気で、「おやつ」「ごはん」の信号を送らねば、見破られてしまう。
「おやつ」と、ひとたび声を出したら、ちゃんと好きなおやつを差し上げているから、フェイクではないのだが、、、動機が不純だから、心が、チクリとする。

本気で、あげようと思うときと、嘘だけど嘘ではない時とは、テレパシーの伝わり方が違うようだ。
結局、こたろうさんは、おやつをせしめるわけですがね。
果たして、「隙だらけ」は、どっち? 好きだらけという言葉は、ある?



コメント

緊急事態宣言延長

2021年02月02日 | 徒然に日々のことを
地球の公転と暦のずれにより、124年ぶりに2月2日が節分となった今年それが今日のこと、その日に、宣言がありました。

コロナ緊急事態宣言を延長 10都府県で3月7日まで 

菅首相「改善すれば解除前唐オ」もありとしながら、 延長となるのは、東京、埼玉、千葉、神奈川の首都圏4都県、大阪、京都、兵庫の関西3府県、愛知、岐阜の東海2県と福岡県。対象地域での医療提供体制の逼迫ひっぱくが依然、深刻な状況にあることなどを踏まえ、継続が必要と判断した。
 
首相は衆参両院の議院運営委員会で、延長に関し「全国の新規感染者数は減少傾向にあるが、今後もこの傾向を継続させ、入院者数や重症者数を減少させる必要がある」と説明した。


コメント

方向音痴

2021年02月01日 | 徒然に日々のことを
原田マハも、方向音痴なんだそうです。
「山側は北。海側は南。方向音痴の私でも、神戸では方角を間違えようがない。そんな大らかな地図のような街が大好きだった。」と、言っている。

私が、方向音痴を自覚するようになったのは、関東平野に住むようになった時。
私も、《山側は北》の倉敷に育ったから、山がないと北を認識できないのです。

原田マハは、大原美術館に来たことがある。執筆のための取材だったのだが、長いこと、私は、大原美術館のキュレーターだと思っていました。

彼女は、創作するについて、走りっぷりは、まだ、1文字も書いてないのに、書きあがった先のことを約束させるほどの前のめりさんです。

なんとなく好ましいのだけれど、なんとなく気に入らないところのある、今までにない個性の人。

美術館巡りの番組のあるじにもなったし、ちっとも迎合せずむしろ戦っているようなところが、好きであり、嫌いであるのです。

きっと、「大原美術館」を餌に吊り上げられたと(楽園のカンヴァス)の被害妄想を、不遜にも思っているからかも。
自分でも笑ってしまう。


コメント