風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

東京芦孝会5月中央会

2016年05月22日 | 詩吟
中央会では、野田 芦孝先生が本部からの最新情報を届けてくださいますが、今日は、まさに、夢組の指導者のためにあるようなテーマ「和歌」でした。

和歌の伴奏集が発売され、その最新のCDをかけながら、今日の吟題は、啄木の「たはむれに」。
何度か練習してみて、やはり、発声練習をしないまま、和歌の発声をすると、喉の負担をかける度合いが高く、吟詠の後の普通の会話に、相手方に気づかれたかどうか微妙なところですが、喉の滑りが悪くなっています。

幸い、音の取りにくい箇所はなかったので、伴奏を聞きひたすら、和歌の発声に集中しました。

前回の練習で、丹田に力を落とす工夫をして、少々改善されてきたとはいえ、まだまだ、足りません。

大好きな辰巳先生と、その吟題「幾山河」を選んだのは、ちょっと冒険だったとは思うのですが、何度も何度も聞くのですから、やはり、吟じやすいということよりも好きだという方が練習に励みになるだろう吟題ではありました。


こんな風に、テキストを見ながら、重箱の隅をほじくるようにして、吟詠を聞くのは、なんて無粋なことか、もっと楽しんで余韻をもって聞くのに取っておいた方が良いのではないかと思ったのです。

辰巳先生の「幾山河」は何度聞いても、新しい発見があり、楽しんで、楽しんで聞くことができています。
これは、多いなる誤算でありました。
おかげ様で、すこしずつ、すこしずつ、前進しているはずです。


吟詠発表も、手連の会員さんからの御指名から始まるので、とても2回の練習で、手を挙げるほど私も子供では無くなっています。
上級者の模範吟を聴きながら、思ったこと。

失礼ながら、耳年増になったなぁってことを感じました。
これで、天狗になるほど子供ではなくなったことも、感じました。

惨憺たる私のその気になって最初の和歌の吟詠は、ICレコーダーの中にあります。
恥をかいて、発奮するのは、もう少し先のことにいたしましょう。

我が会員さんたちには、早いうちに恥をかきなさいって、言っているのに、いざとなると、わたしは、意気地なしです。

和歌への気持ちの変化を、見事に、タイミングよく掬われて、救われました。

教室で、和歌、俳句を取り上げる機会に、素直な気持ちで、臨めると期待しています。

それを考えると、いかに、漢詩の吟詠について、傲慢であったかを、反省。

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