風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

関吟東京中央会

2011年02月27日 | 詩吟
産休?が終わり、久しぶりの中央会出席です。
都合3回もお休みをしたことになります。

皆さん心よく復帰を受け入れてくださったというより、先月も同じように出席したかのような受け取り方と言ったほうがよいのかなぁ。

私の面の皮が厚いせいかもしれませんが、長いお休みを詫びる言葉を暗に要求されるような雰囲気も無く、なんて、おおらかな人たちなのだろうと思う。

こんな会だから、途切れつつも辞めないで続けられたのだろう。

始まったころには、無かった、コンクール出場や、他流試合が増えて、私にとっては心がざわめくことが増えてきたので、中央から離れた場所で、週人数の夢青葉教室を開いて、夢青葉中心の生活が始まったのはちょうど良かったのだろう。


今日は、たまたまお隣の席に座った方も、吟暦は古く、テキストは渡されず先生の声を聞き覚えて手探りでお稽古をしていた事を懐かしく語り合いました。
意気投合した勢なのだろうか、「川中島」を合吟して欲しいと言われ、一度は、独吟なさったらとお断りしたのだけれど、さらにお願いされてしまったのでした。

請われれば、うれしくなってしまう私のこと、最後は二人で合吟をしました。

昔懐かしいお稽古の方法で習い始めた者同士、合吟となると元気いっぱい吟じたのでした。
本当は、前半はさびしく、後半は激しく吟じる詩なのだけれど、、、、(笑)

「一脈通じる」と言うのは、まったく意味が違うのだけれど、頭の中をこの言葉がぐるぐる回っているのです。
たまにしかお目にかからない人であっても、キーワードが一致すると、同じ脈を打ってしまい、通じてしまうものらしいという意味に勝手に使いたがっている私。
面白い体験でした。

師範と名が付けば、いついかなるときも模範となるべき吟をせねばならぬとちょっと前の私はしかめつらしく考え実践したことだろう。

ある日、気がついたら、「ねばならぬ」を床に置いて、「らしくって?」と考えているのでした。




   


by こたろう

中央会の日は、朝は8時過ぎに出かけて、夜は9時過ぎて帰ってくるかあさんだけど、きのう、とうさんがカナダから帰ったばかりだから、さすがのかあさんも自重したらしい。
6時には帰ってきた。

練習は、5時までだから、練習だけでさっさと帰ってきたんだな。

去年、おとどしは、モンゴル帰りの長いフランクのあと、久しぶりに吟復帰したから、10周年の準備、その当年、後の名残の年ということで、すごく頑張ってたなぁ。
だから、詩吟中心の生活だったよね、土日は、半分以上出かけていたかあさんだった。

ことしの練習は、おもに夢青葉の始めての昇段試験の受験にむけて、心して練習をするとのことで、中央会と夢青葉だけに絞ってすごすつもりらしい。
オルティンドーと詩舞の練習も当分休みのままかなぁ。

日ごろの感謝をこめて、とうさん孝行も少しはする気になったんかなぁ?

ぼんやり、のんびり~してすごすのが好きなかあさんには、ちょっときついここ数年だったかも。

去年の10月で、仕事も終わりになるかと思ったら、思いのほか、産休を快く承諾してくれて、2月に仕事にも復帰したしね。
仕事が、なくなったらと、あれこれ考えていたことも全部据え置きになったから。
よその教室へ行ってちょっかいを出すのは、お休みらしいね。

ぼくも、かあさんがのんびりしてると、膝があいているので、ごろごろとうれしくなる。
それに、ブラッシングの回数も増えるしね。 大歓迎。

きょうは、早く帰ってきたから、夕食後ずいぶん長い間、かあさんの膝の上で背中なでなでしてもらって、うれしかったよ。

家での詩吟の練習だけは、勘弁して欲しい。
練習がうまく言ったときは、上機嫌で、ぼくにもいいことがおこるから、まぁ、よしとするか。
ほんとは、大きい声は、にがてなんだよなぁ~~~



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