風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

東京芦孝会中央会5月

2013年05月26日 | 詩吟
前回の東京芦孝会中央会は、風邪で欠席。
総会と昇段試験がある要の会だったのだが。

ほぼ欠かさず出席するつもりの会に一度でもお休みするとなんだか、浮遊感がある。

なんとか、その穴埋めが出来上がって、練習に身を入れるようになる。

今日は、出席が少ない。

先月のように行事があると、増えるのではなくて減るのだ。

今日は、年に二度開かれる指導者会議。
幹事さんは、毎回幹事会が行われるので、指導者ではない人は、明るいなぁと言っていそいそと家路へ。

昇段についての相談でしたが、意義ある話し合いができたように思う。

東京芦孝会の成り立ちの特殊性から、規定通りに物事を勧められないこともあり、それは臨機応変に運営していかねばならない恨みがある。

そして、上へと進めば進むほど、それぞれの会員の詩吟への、東京芦孝会への、そして関吟への温度差が開いてくるのは、しかたがない。

それを、一つのまとまりとしてまとめていくには、テクニックが必要となってくる。

夢組のような、小さな会は、温度差が生じる隙がないのだが、それも、長く続けて行けば、個性の違いが表れてくることだろう。

今は、私の特性を生かした教室運営が出来ていて、みな幸せに次の練習を心待ちにすることができている。

会の後の飲み会では、久しぶりにご一緒する方の隣で、ウーロン茶を頂く。
その方は、私の特性をよーく見ていて、それが、今までは欠点として映っていたのが、長年やっていると、欠点は欠点として、認めたうえで、仲間として認めてくださったようだった。

この年になり、長年続けていることがあると、欠点をむりやり改善するのではなく、それがあらわす別の面から、認めがたいことが認められるようになってくるものだ。
ありがたくうれしいことではある。

その人らしさを失わないのは、私のテーマで、いつも練習しながら、言い続けていること。

私も、その大先輩のように、認めがたいことも認めるあるいは別のアプローチをして人を認めることができるようになっていかねばね。

今日も、男性9人と女性は私一人のなかで、意見を当たり前のように言ったのだけれど、皆さん紳士なので、どんな意見もきちんと聞いてくださるのがありがたい。
それに威をかりて、空気を読まない出来ていることも確か。

次回から、女性の指導者が増えてこの会も賑やかになりそう。
二人は心強いけれど、女性二人となると、却って気遣いが要りそうで、空気を読む訓練がいるのかなぁ。

ま、練習の延長で、体を固くしないで、伸びやかにいきましょうか。




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