風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

80周年記念吟道大会

2014年03月16日 | 詩吟
公益社団法人 関西吟詩文化協会 創立八十周年
  並びに公益社団法人創立二周年記念全国吟道大会

            後援  文化庁
                兵庫県
                神戸市
                公益社団法人 日本吟剣振興会
                愛国詩吟総連盟

 
神戸のワールド記念ホールにて開催され、東京芦孝会も40名ほどが参加しました。
五千人余りの会員が一つに集い周年行事が行われました。
この出席は、割当制となっているため、心ならずも会場に來る、あるいは登壇して吟詠をすることのできなかった方々も多かったと聞きました。

東京芦孝会は割り当てられた人数をちょうど参加希望する人で埋められたので、幸運と言えるでしょう。

そして会員吟詠は、地区連合会として11の連合会が会員数に比例する時間の割り当てがあって、
「わが郷土と山紫水明を詠う」というテーマで、それぞれが構成吟を作り発表しました。

江戸といえば、お江戸日本橋、太田道灌、武野の晴月を選択し、ナレーションでは天下一品の芦○さんが担当して、作品が出来上がった。
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太田道灌は、私が詩の一節に出だしをすることを仰せつかり、少ない練習回数をものともせず、大観衆のもとに女性合吟。そして武野の晴月は芦△さんが出だしで男性合吟。お江戸日本橋は女性の歌唱で7分の持ち時間で発表でした。


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わたしにとって5千人を前に吟詠発表するなど前代未聞の大災害ともいえる出来事。
あがり症の、マイク大嫌いが、参加のメンバーの先導をするなど、とんでもないことをさせるものだと、拒否しつつ、「だれがするの?あなたでしょう!」と言われて、しぶしぶ承知。


練習を重ね、だんだんに責任感が生まれたころ、冬から春への体調変化がいつもより早く起こりあわや欠席かという状態になったのだけれど、何んとかとり直して、覚悟をだんだんに定めていくことになる。

そして、前日のホテルでの出来事。

転勤で東京を離れ、神戸に詩吟留学(?)をしているわが夢青葉のメンバーが陣中見舞いに訪れ、幸いにも東京の人たちに温かく迎えていただき、数人の有志が一室に集まった。

そこでは、飲めや飲めやが始まっていて、やがては、神戸の先生にどれだけ訓練してもらったか聞いてやろうじゃないのということになる。

彼は、お酒も入っているし、ホテルの部屋ということもあって、遠慮をしていたのですが、「飲めや」が「歌え」モードにスイッチして、彼は、吟じる事になった。

夢青葉から、神戸へとがんばってと送り出したときは,カラオケ調だった詩吟がしっかりと安定し安心して聞いていられるものに、詩吟モドキが詩吟になっていた。
先生の厳しい指導と、諸先輩からの良い刺激を受けて、留学が功を奏していると見受けられた。


夕食の終わるころに顔見世をして、テーブルを回り挨拶をして回った彼は一応好感を持って受け入れられたのですが、この、部屋での諸先輩のようぼうというよりも要求に従い2年間の成果を披露したことがさらに、好感をもって受け入れられた。 

それで、私も、明日の練習がてら、そこに集まっていた女性と太田道灌を吟じたのでありました。ホテルの部屋なのに。少しお酒が入っていたとはいえ、学生の頃の意気に燃えるというのが大人になっても有るところには有ることを知るのでした。


これで、彼は、仕事を終えて帰ってきても、みなさんに快く迎えてもらえることだろう。
もとより、このようなことがなくても、芦孝会のみなさんは、帰ってきたら気持ちよくお帰りと迎えてくださることは、先刻ご承知。

それにしても、心意気があることを表明したら、それ以上の歓迎を受けることは、予想されることです。

良かったねぇ。


そして、いろんな元気パワーをもらった私は、明日の合吟の先導をもっと、渾身を込めて行わねばと、密かに固く誓うのでした。

そして、大会当日の今日になって、懐かしい方たちに会いたいと思って探していたら、先方から探して会いに来てくださった。

あぁ、なつかしい。一挙に40年前にタイムスリップ。
結婚をして岡山を去る前に、現役の吟詩部員だった彼女。大変に懐かしがって、目が「先輩!」と言っている。

そして、永○先生。プログラムから私の名前を一番に見つけたのが先生だったそうだ。
懐かしい。すかさず、かねてから、知りたかった佐藤鷺照先生の資料をお願いしてみたら、快諾を頂きました。

さらには、今日は吟ではなく舞をするとのことで、広島からやってきた部活の後輩も出吟で袖に並んでいるときにやってきた。どれだけ、励みになったことか。

学生の頃は、鬼と言われた私は、後輩にはすっかり嫌われていると思っていたけれど、こうやって、はるばると出かけてきた先で、名前を見つけて、会場を探しに来てくれるのだ。

ありがたいなぁ。うれしいなぁ。

そして、東京連絡所と言っていたころに、中央会で指導をしてくださっていた先生もご夫妻で参加しているので、仲間が席に連れて行ってくれて、会わせてくれた。

そのどれもこれもが、なつかしくてうれしくて、心が大地につながれる気がしてくる。


おかげで、大観衆を前にしても、あがることがなく平常心を保つことができたのです。

私としては、できる限りのことをしたと思っているのですが、さて、客席で聞いていてくださった方は、どのような感想だったのだろう。


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