風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

想像力欠如は、いいこと?

2022年03月15日 | こたろう
介護をするうえで、「想像力」は欠かせないらしい。
手を貸すのが当たり前と思うけれども、手を貸してほしくない人のことも、考えてあげねばと。

私の介護の始まりは、まだ50台で、老眼も知らない時だったから、体が老いるとはどのようになるのかも分からず勝手な思いこみで、母の介護をしていました。

優しくて、想像力のある人は、いろんなことがわっかてしまうから、私の十倍の労力をかけて介護をしているのだろうということを知りました。

私は、母一人の介護に、手いっぱいで詩吟を7年間お休みしました。
そして、それに続いて、ウランバートル在住となった3年を入れると、通算10年間詩吟のことをすっかり忘れていました。

一つのことしかできないので、趣味である詩吟は、すっぱりと休止しました。

すっかり詩吟を忘れていたのに、帰国した時、ご挨拶に行かなければと思ったのは、毎月、毎月、”KANGIN TOKYO NEWS”が届いていたからです。

今、見直してみると、休眠期間の10年間きちんと毎月ニュースが届けられました。
例外は、ウランバートル在住となったはじめの年の2004年だけが、2か月分あるだけでした。そのほかの年は、最低でも10か月分は揃っていました。
これは、届かなかったのではなく、私の整理が悪かっただけのはずです。
私は、詩吟を忘れていたのに、芦孝会からは忘れられてなかったのだなぁ。。。

そのことに気がついたものですから、帰国のご挨拶と長年のお礼を言わねばと、中央会に出かけました。
そこで、新たな出会いがあり、詩吟復活と相成りました。

帰国直前の数か月は、夫の同僚向けの詩吟教室をしましたが、それは、帰国して詩吟を始めるつもりがあってのことではありませんでした。
馬上で、気分良く詠った「風林火山」に興味を持ってくださった人がいたので、成り行きで教室が始まりました。

帰国したら、忘れられてないと気づかされ、暖かく迎えてくださったことで、復帰の決意をしました。
想像力がなかったおかげで、休眠期間中にストレスを感じることもなく、我が道を進んでいました。
詩吟教室を暫定的に開いたときも、長く休んでいることをチクリとも感じなかった。
ほぼ、止めたつもりでいたせいもあるけれど、それにしてもと、私の感覚って本当に鈍い。
目の前のことにしか、考えが及んでない。
単細胞なんだねぇ。

ほんの少しでも、想像力があったら、辛すぎて、申し訳なくて、くよくよとしていたかなぁ。。。

まてよ、思いだしてみると、ウランバートルにも、詩吟の「縮刷本」は、持っていったよねぇ。それは余興用だったと思う。モンゴル人を意識した日本の香りのするものとして。
動機は不純でしたねぇ。

一つのことしか考えられないおかげで、重すぎる荷物を抱えこまない。
片手で持てるだけに整理し、片手は、自由に動かすことが出来ました。
ストレスを溜めない、私にあったやり方だったと思う。

出来ることをよそ見をしない(本d当はよそ見をするよゆうがない)で、決めたことをやる。
これが私の秘訣だったのかなぁ。




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