風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

合吟

2022年01月19日 | 詩吟
コロナの状況(緊急事態宣言)を考えて、少しゆるくなりかけていた合吟への規制を元に戻しました。

夢松風練習開始の、会歌合吟は、久しくやっておりませんが、広い会議室を借りて居て、隣の部屋も使用者がいない時は、新課題の練習は、合吟で実施していました。今回は、それも中止としました。

新しい吟題を、いきなり独吟するのには、少々抵抗があると思うのですが、一節ずつの先導に、対する吟詠は、席の順番に一人で発声してもらいました。

今日は、基本吟で、難しいところはないので、さらりと一回だけの吟詠として、今日は6人の出席でしたから、ちょうど、一巡することで、発声する練習が終わりました。

それで、すぐに独吟をして頂きましたが、何の破たんもなく、一吟が出来ました。
たった一節だけの発声で、不足に思っている方もいましたが、その時の吟詠の様子を聞いていたところ問題なしとして、致しませんでした。現状は、致し方ないと思います。

合吟は、気持ちを合わせるのには、良い方法ですが、お互いを見合うことで、自分の吟詠ができません。それを何度か繰り返すことで、慣れもあって、先導した吟詠とのずれが生じています。一節だけ、独吟の方が集中すると思いました。

今日の新課題を一回だけ聞いて、独吟というのは、基本ができていれば、無理なことではありませんでした。
思った以上に、できるものなのです。

今まで、丁寧を基とするの考えでいましたが、ここまで出来るのであれば、今までのやり方は、丁寧すぎたという気もしてきました。

一番長い人は、10年を超えようとしています。始めたころは、一題を4回かけて習得して居ました。
そこから、いつまでも抜け出せないような練習で良いのか、習熟は、自己責任として、教場では、最小限の学びでよいのではないかとの考えもあります。

同じ時間数で、多数の吟題をこなしている教場もありますから、一考せねばならない時に来たと思います。

進み方が早ければ良い、習った吟題が多い方が良いとは、思いませんが、一つの吟題を教場ではどこまで、完成に近づけて良しとするか。

あくまでも楽しむ教場であってよいのか、真摯に上昇を求めなくても良いのかと思いは揺れます。

昨日より今日、今日より明日と上手になるのは続けていれば当たり前です。

それは明らかなのですが、自分の腕がどこまで上がっていったとしても本人の感覚は、いつも平地に立っているきもちでいます。そして、隣の人だけが限りなく上昇して行っている気がして置いてけぼりを感じています。
上達したと言う実感を味あわせてあげられない私の責任なのです。

それにかかわる解決策は?
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