風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

声が出た

2021年04月23日 | 体を整える
調整していただいた最上の体で、夫の反対を押し切って、カラオケで練習。
入り口で、アルコール消毒。入室の際は、手袋をしているので余計な場所には直接触らないで、それぞれの準備をする。
あとは、自分の道具をつかうだけだから、手袋を外し、マスクを外す。

前回の練習の時と違って、ずいぶん早い段階で、声が出てくる。
声が出てくると、低い音の滑りが良くなり、濁る声が回を追って少なくなって快調である。

「あ」の音は、とてもいい。
三半、三の音程に気を付けて、パッと六に上がる譜が、回を追うごとに、滑らかになる。
これを習ったはじめは、「爾霊山」だったなぁ。
言葉が違うと、同じ「あ」の母音で、吟じるのに、感触が全く違っている。

昔の発声と、今開発中の発声の違いだけではない気がする。

伴奏も良く聞こえるし、結句の大山が最後まで安定してきたし、結びの三の高さの音が安定したので、ゆとりを感じる。

予定した練習回数の半分にも達してないのですが、「声を出さない発声練習」で、少しは補えたかもしれない。

関吟HPの掲示板にも、小さい声の練習は、発声の練習にはならないが、情緒的な工夫をするのには、適しているというのがありました。

自宅では、よそ眼(耳)を憚らず、好きなだけ練習していたあのころのことを懐かしむこと無く、今ある環境で、出来ることを工夫をすればよいと思えるようになった。

「おおきなこえ」に対する忌避感から口をつぐまざるを得ない状況に、大きな声を出せないと、ひもじい思いすることはない。

もうこのまま声が出なくなるのではないかとの不安から解消され、まだ、大丈夫、やればできると、安心を得たことも確か。
出ない声を無理に絞り出さないで、楽器のメンテナンスに勤しんだことは、不安もあったけれど、とても良かった
あとは、何度も何度も、鳥が羽ばたきを覚える時のように、「習」って「習」うのみ。

山田先生!楽器の調整、心の調整をありがとうございます。
そして、むしろ声を出さない発声練習を見つけた私を、褒めてもらおう。

若いときの幼い楽器で、出していた思い切りの声と、年を重ねて、少しくたびれて、気持ちもくたびれた楽器を、奏でるのは、同じ自分の体でも、まるで違う楽器を奏でるのだと、認識し、同じ声を出すには、楽器に合わせなくてはいけない。
それ以上の声を出すには、どういう意識改革が必要か、考える。

「いつものあれ」ではだめなのです。

自分の老いを知り、力の入れ具合が変わったことを知り、だからこそ、できる限りの体のメンテナンスを心がけることが、とても大事と、分かりました。

喉は、使いすぎてもいけないが、使っていなければ、どんなに体のメンテナンスを行っても、出にくいものだということもわかりました。
ほどほどというのが、それぞれに違っているから、自分のことを理解するにも、誰かへの助言の時も、これからどう言葉にしてよいのか、検証の要あり。

私の根本の発声は間違っていたわけではないのだと、安心しました。

本当に間違っていたなら、今までの練習はご破算にしなくてはならないところだった。
人生が変わる位の、重要案件になるところだった。
あぁ、良かった。



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背骨の10番

2021年04月23日 | 体を整える
背骨の10番は、腎臓系の不調により、固くなるそうです。
そこに敢えて力をあたえて、ふっと力を抜くことで、凝り(のようなもの)をほぐすことができます。

上下の念転の体操を、教えて頂きましたが、教えられるままに、手や足を動かしていると、自然と10番に力が集中していました。そこで、足と手で、その箇所の引き合いがしぜんと起きることになります。
それは、山田先生がそのように誘導して下さっているからなのですが。
この動きと感覚を覚えることが出来たら、腎臓系の不調を自力で改善することが出来ます。
ただし、治すには、悪化した年数の倍は、かかるそうなので、ゼロにしようと焦らないで、それ以上悪化させないことを当面の目標にすることです。

引きあって、ふっと力を抜くと、呼吸が深く入って、心地よいのです。
先生の指示通りに、手足を動かしているとその場所に行きあたっていくようになってきました。
自分で、「探し当てることが出来るようになった」入り口に来たようです。
腎臓と聞くと、不調個所と十分に知っているので、満足し、興味深々となる。
この先はどうなるの?

その気になって体操をするようになる。
全力で力を入れるのではないのに、不思議なことに、終わったときに、ふわぁーっと脱力し、空気が余計に入ってくるのが、何よりの証明なのだと思う。




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