風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

その5

2020年01月17日 | 徒然に日々のことを
別の考えは、私の住まいの近いところへ、教場の引っ越しをする。

そうすれば、「夢青葉」の名前も、私についてくるんだけどなぁ。

たかが名前、されど名前。

最後になって、名前は譲らないと、言いたくなるかもしれないねぇ。

そりゃあそうさ。10年、どれだけの思いをして育んだと思いますか?

芦孝会のシステムからすると、教場の名前って、誰かのものではないんだろうねぇ。

こんなに大事にしてきた「夢青葉」なのに。

簡単に、渡せる?はじめは、渡せると思ったから、ぐいぐいと進めたんだもの。

「わたせるさ!」「いや、わたせない」「いやいや・・・・・」

    これは独り言、独り言・・・

まてよ、私が進めてきたことと、「名前」云々は、違う問題なのだよ。
一緒くたに考えては、間違い。
そのあたりは、「受けたいか受けたくないか」も、よく、気持ちを聞かないとね。


生来のんびり、のらりくらりのツンデレ猫は、精一杯背伸びして頑張ったねぇ!
もしかして、もっとガンバッたら、豹になったかなぁ。

いやいや、それは、有り得ない。

そろそろ、伸びやかにしなやかに、しっぽを振りながら、ゆったりと私らしく歩きたいよ。

もし、つっぱり猫が外れたら、ゆるくて、いい感じになるでしょうね。
きっと応援も増えることでしょう。

それでもあと少し、突っ張り猫が、頑張らねばねぇ。
                    独り言、ひとりごと。。。

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その4

2020年01月17日 | 徒然に日々のことを
そして、平成29年12月には、その実現に向けて、最初の行動として、KANGIN TOKYO NEWS掲載をしたのだが。
たった1行の教場情報ですが、その記入内容の升目には、厳然たる意味と権威があって、自由裁量の教場管理部分と、幹事会管理部分があるということ。
自分が携わりながら、わかっていなかったのです。

そして、私が、掲載の追加条項を担当であるがゆえに、了承なしに書きみました。

これは、結果的に、独断先行となり、「ダメ!」と指摘を受けました。

その点は、じっくり幹事会にて、説明をし、しぶしぶ了解を得ました。
KANGIN TOKYO NEWSのしっかりとした運営が、私の中で、はじめて、明らかになった時のことです。

お叱りを受けるほど大事な決断であった事を再認識して、さらに、その気持ちは変わらず、前進あるのみ。

おかげで、少しずつ可能性が見えてきた。

あと一押しは、「往復4時間の道のりはつらいよ」と、愚痴をこぼしてみた。

後ろ向きの説得で、情ないけれど。意外とそう言う根幹にかかわらないことや、情に訴える部分が、効いたのかもしれない。

いや、そうじゃない?偶々、機が熟したの?  あぁ、そうかも。



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その3

2020年01月17日 | こたろう
私の教場への考え方は、独り歩きできるまで、丁寧に育てる。育ったら、手放す。

学びピアでの経験が、その考え方を具体的にして行ったように思います。

最初の見込み違いが、持てる力を出しきることを教えてくれました。
ちっちゃな雪粒が、ちっちゃなままで乙に澄ましているはずだったのだが。
失敗という衝撃で、動きだし転がりだしました。

転がりながら、どんどん大きな雪玉に成長して、いつしか「5周年」と呼ばれるようになりました。

ただの幸運ではなく、メンバーの心意気と人とそれまで機会ががなく出せなかった能力が、開花しました。


その時に中心で、働いていたうちの二人は、都合で、ほどなく退会の意思表明をなさいました。

せめて、20周年が終わるまではと会員登録を延長していましたが、それも、この三月で、終了です。

旅立つときは、少々の抵抗感がなくては、寂しいよね。

嘘でもいいから、涙を流して別れを惜しみ、その先は、粛々とそして嬉々として、新生活を楽しんでいただきたい。


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その2 横道

2020年01月17日 | 徒然に日々のことを
きらり!教場だより掲載のために作ったロゴは、メンバーの増減に合わせて、作り直しました。
話がそれるけれど、あの頃は、まだ、写真を載せるのは、あまりなかったね。
載せても、あまり顔のわからない写真だったね。
今は、堂々と一人のアップ写真が掲載されている。

それだけ、KANGIN TOKYO NEWSが会員の気持ちに入りこんで、身近になり、会員さんたちも遠慮がちではなく、自己主張をするようになったということなのかなぁ。

ただの、連絡用の紙ではなく、会員相互の掲示板以上の役割を果たすようになったということだねぇ。
その陰に、どれだけの、知恵と労力が積み重ねられたことか。

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10年目の独り言 その1

2020年01月17日 | 詩吟
一本の電話から、記憶を過去へとさかのぼり、独り言が、始まる。

そうそう、夢青葉誕生は、平成22年の4月。

4月には、11年目に突入するんだねぇ。

何か良いことが起こりそうで、期待に胸を膨らませています。

大きなストレスと緊張から解放されて、緩やかに思考がほどけてきます。

夢青葉の5周年は、夢松風とのただの合同練習会のはずだった。
不手際と幸運とが重なって、ぎりぎりのタイミングで、当初の予定のこじんまりしたレストランではなく、客席200の大きな会場を借りることになりました。
午後の半日8千円という安い使用料も魅力でした。
しかも同じ建物の最上階に、レストランもあり、懇親会も楽々でしたねぇ。


人は、外観に惑わされるものだから、お客様は、会場を見て大々的にぶちかましたと思ったことでしょう。
当初大きすぎる箱で、ちまちまと侘びしい会になるのではないだろうかという心配は、杞憂に終わり、次々と参加者が増えていって、何度もプログラムを書きなおしたねぇ。
会員の頑張りと熱気で、大きすぎるとは感じなかったよねぇ。

それには、ひとえに「里仁」主催の須藤明実先生の後押しを忘れてはいけません。
そのころ、論語を読む会を、学びピア21の会議室で受講して居たことから、幸運を引き寄せました。そして、一緒に学んでいた、尺八の奏者にも、ご参加いただきましたよね。



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