風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

東京芦孝会中央会8月

2013年08月25日 | 詩吟
幼児というものは、限りないパワーを授けてくれるものだ。
この2週間、ハードだったはずだけれど、一晩ぐっすり眠って、朝いつもよりのんびりしただけで、通常に戻れた。

その初日が、詩吟の会です。

娘たちが帰り、こたろうがやっと安心して寝そべっている姿は、夫婦二人と一匹の生活に戻ったなぁと実感します。

そして、私は、詩吟へとでかけます。


今日の、中央会は、李白と杜甫についての講話が長かったので、今日の吟題の杜甫作 「笛を吹く」は、簡単な練習で終わりました。

杜甫というと李白、二人は、親交厚かったのです。二人の人となりは、両極端だった。

陽の李白と、陰の杜甫、それぞれファンがいるでしょう。
どちらが、好きですかと、先生は尋ねられました。
陽と陰だとどちら?と聞かれたら、陽だけど、李白と杜甫と聞かれて、即座に応えられるほど漢詩を読み込んでないのです。
今年に入って、須藤明実先生と出会い、やっと、その勉強の入り口に立ったところです。

HPの吟詠コーナーから、李白と杜甫の詩を選び出してみました。
現在関吟のテキストには、李白の詩 24作 杜甫の詩 10作 収納されています。
好きな詩ときかれると、やはり、学生時代に飽きるほど吟じこんだ詩を掲げることになります。
李白でいうと、山中問答 峨眉山月 白帝城 静夜思 贈汪淪 春夜聞笛 望天門山
杜甫は何と言っても、まずあげられるのが、貧行交 そして春望 登高 絶句
贈汪淪と登高は、佐藤佐藤鷺照先生の吟詠集にもおさめられています。

すべての中でどれが好きかというと 山中問答と貧行交が挙げられます。
戦っていたつもりだったこと、朋友とのかかわりの濃密だったことが、その詩を好きにさせていて、今でもその気持ちが続いているのでしょう。

学生時代は、詩吟は体育会系の部活のためのツールであった。
今は、何なのかなぁと、考える。

学生時代の2年間の濃く激しい戦いの日々とその後の5年間の佐藤鷺照先生との静かで穏やかな日々。

それが、バックボーンとなって、知る人のない東京での生活を支えてくれたように思う。
その時は、一生懸命でそれとわからなかったけれど、終わったと思った詩吟とのかかわりが、復活してみるとよくわかります。
困ったときは、朋友と先生とを思い出すだけで、なんだか自力解決ができてきた。
思い余って、電話を取るところまで行ったことは何度かあるけれど、もう一考えすると、不思議と解決方法がぶら下がってきたものでした。


詩吟とは全く関係のない悩みであったのに、なぜ?と考えると、詩吟の技術だけを教えられたのではなく、人としてあること、人として大切にされること、人として大切にすることを教えられたのだとわかります。

先生はこんな時なんておっしゃるだろう、朋友は、何と答えるだろうと、考えると、その頃体にしみこませたものがよみがえってくるのです。

その頃頂いた大きなものを、詩吟の後輩にすこしでもお渡しできたらと思う。
それを、よく理解してくれている夢組さんたち、お渡しする対象になってくれてありがとうと思う。


そのころには思いもしなかった、ちいさいながらも教室をもっている展開になっているけれど、体温を感じ息遣いの伝わるこの距離感が、一番良い。
これ以上を望むとするなら、あと一つ、お悩み解決塾のようなものがあると良い。
やはりこれも、マンツーマンに近い極少人数で行うのが、必須条件。
それ以外のことには、興味がない。
私が私らしくあることは、このサイズが、ふさわしい。




さて、今日は、いつになく合吟コンクールの練習に熱が入りました。

いつもは、別の教室で練習している人たちが集まって合吟をするのですから、気持ちを合わせるのは、なかなか難しいのです。

今日は、練習後、幹事会がなかったので、久しぶりに出席なさった方と二人で、女子会としゃれこみ、日ごろは話す暇のないことを、あれこれとしゃべり合いました。

一回り若い方とここまで、長く話ができるとは思わず、時間を見てびっくり。
間に詩吟という共通のツールがあることで、話は尽きないのでありました。

女子特有のあちらこちらに話が飛ぶのですが、飛びながらも主題は詩吟という面白い時が過ぎました。

お付き合いいただいて、ありがとう。


 
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