第1回 新座市吟剣詩舞道大会にて、伴吟のデビューをしました。
ひばり会で、練習していた「九段の桜」は、この日のための練習でした。
練習するたびに、息があって、心地よさが広がってくるこのたびの練習でした。 私の吟が大好きといってくださる方との練習は、喜びであり、お互いに感謝し合えるところが、何よりのことでした。
独吟の部もあり、先生も勧めてくださったので、ついでにと言っては申し訳ないのですが、出吟しました。プロナンバー8番、「山亭夏日」錬成会で、吟じたことがあり、季節もあっているので、選んだのです。
やはり、詩が好きで選んだので、何よりも檀にあがったときの安定感が違いました。一度、壇上で独吟を経験しているということも大きな要素でした。
そして、CD伴奏がすこし聞こえにくい位のボリュームだったので、よく聞く作業をするためにいっぱいいっぱいにならなくて済んだのが、良かったような気がします。
どうしても、あがってしまって、結句の息の足りなさが、残念だったのですが、聴いて頂いた方には、気にならなかったとのこと。
終わってしまったことにあれこれ言ってもね、という配慮だったのかな?
さて、今日の私のメインイベントは、プロナンバー15番の九段の桜の伴吟。
マイクの位置が、演者よりも前にあるという予期しない出来事にあったのですが、目の端には動きがどうにか入る位置でチェックしながらの吟でした。
伴奏曲を変えたおかげか、滑らかに、滑り出し、気合の入った舞いをしているのが、伝わってきます。
最後の言葉の、「祭る」のところで、ぴたりと合ったのが、合わせたのではない妙味があり、もう1回、もう1回と重ねた練習のたまものであると、感動。
先生にも、今までにない舞いだったと褒めてもらって、戸惑う彼女。
素直に、満面の笑みでよろこんだらいいのに、と思うのですが、彼女の良さでもあるその性格は、どうしようもないねぇ。
ばんざーいと喜ぶことをさせてあげたいと思いつつ、それは、それで彼女ではなくなるのよねぇ。
小西先生が担ぐ天秤棒は、剣舞。そしてその前籠が舞い手、後ろの籠が吟じ手。
小西先生が、方向を定め剣舞という道具で、前と後ろの絶妙のバランスをとるっていうイメージがわいてくる。
小西先生は、確固たる信念の人、だから、私たちは、不安定に揺れる籠であっても、安心して前後のバランスだけを考えていればよい。
かと思えば、剣舞をよく知らないものが物を言うべきではないけれど、剣舞が素晴らしく冴えているのに、残念な伴吟のコンビネーションの組をみた。詩吟をする立場から言うと、もっと、ふさわしい吟者は、苦労して探さなくてもいるはずと思ってしまうのです。
そんなことは、承知の上と、そのコンビを組んでいるのでしょうが、真意を知りたい。
「伴」の重要さをこのところ、考える機会がたびたびある。
東京芦孝会のなかでも、「伴」の立場をずっと貫いている人たちがいる。
いつもその場所にいてくれて、見慣れているけれど、「伴」に徹していてくださるから、安心して、私は私の場所にいることができる。 ありがたいことだ。
ひばり会で、練習していた「九段の桜」は、この日のための練習でした。
練習するたびに、息があって、心地よさが広がってくるこのたびの練習でした。 私の吟が大好きといってくださる方との練習は、喜びであり、お互いに感謝し合えるところが、何よりのことでした。
独吟の部もあり、先生も勧めてくださったので、ついでにと言っては申し訳ないのですが、出吟しました。プロナンバー8番、「山亭夏日」錬成会で、吟じたことがあり、季節もあっているので、選んだのです。
やはり、詩が好きで選んだので、何よりも檀にあがったときの安定感が違いました。一度、壇上で独吟を経験しているということも大きな要素でした。
そして、CD伴奏がすこし聞こえにくい位のボリュームだったので、よく聞く作業をするためにいっぱいいっぱいにならなくて済んだのが、良かったような気がします。
どうしても、あがってしまって、結句の息の足りなさが、残念だったのですが、聴いて頂いた方には、気にならなかったとのこと。
終わってしまったことにあれこれ言ってもね、という配慮だったのかな?
さて、今日の私のメインイベントは、プロナンバー15番の九段の桜の伴吟。
マイクの位置が、演者よりも前にあるという予期しない出来事にあったのですが、目の端には動きがどうにか入る位置でチェックしながらの吟でした。
伴奏曲を変えたおかげか、滑らかに、滑り出し、気合の入った舞いをしているのが、伝わってきます。
最後の言葉の、「祭る」のところで、ぴたりと合ったのが、合わせたのではない妙味があり、もう1回、もう1回と重ねた練習のたまものであると、感動。
先生にも、今までにない舞いだったと褒めてもらって、戸惑う彼女。
素直に、満面の笑みでよろこんだらいいのに、と思うのですが、彼女の良さでもあるその性格は、どうしようもないねぇ。
ばんざーいと喜ぶことをさせてあげたいと思いつつ、それは、それで彼女ではなくなるのよねぇ。
小西先生が担ぐ天秤棒は、剣舞。そしてその前籠が舞い手、後ろの籠が吟じ手。
小西先生が、方向を定め剣舞という道具で、前と後ろの絶妙のバランスをとるっていうイメージがわいてくる。
小西先生は、確固たる信念の人、だから、私たちは、不安定に揺れる籠であっても、安心して前後のバランスだけを考えていればよい。
かと思えば、剣舞をよく知らないものが物を言うべきではないけれど、剣舞が素晴らしく冴えているのに、残念な伴吟のコンビネーションの組をみた。詩吟をする立場から言うと、もっと、ふさわしい吟者は、苦労して探さなくてもいるはずと思ってしまうのです。
そんなことは、承知の上と、そのコンビを組んでいるのでしょうが、真意を知りたい。
「伴」の重要さをこのところ、考える機会がたびたびある。
東京芦孝会のなかでも、「伴」の立場をずっと貫いている人たちがいる。
いつもその場所にいてくれて、見慣れているけれど、「伴」に徹していてくださるから、安心して、私は私の場所にいることができる。 ありがたいことだ。
ひばり会とその他の小西先生のお弟子さんたちの写真。
会場が明るいため私のスマホではない携帯のカメラでもここまで撮れました。
私の携帯ですから、すなわち、私にかかわる写真は有りません。
(^^♪あしからず♪^^)
会場が明るいため私のスマホではない携帯のカメラでもここまで撮れました。
私の携帯ですから、すなわち、私にかかわる写真は有りません。
(^^♪あしからず♪^^)