風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ひばり会5月

2013年05月25日 | 徒然に日々のことを
剣舞と詩舞の会「ひばり会」に参加。
大輪神刀流の方々の自主練習の集まりで、小西如泉先生が指導をなさっています。

小西先生は、関吟東京支部十周年のために詩舞を取り入れるために協力を惜しみなくいただいた先生です。

詩舞をプログラムに入れましょうとの言いだしっぺは私。帰国したとき、すでにはじまっていた実行委員会にまだ正式には入っていなかったのだけれど、中央会の後の飲み会に、昔からいたような顔をして参加し、そのうえ、言いたい放題を最初からしていたような記憶が・・・

まだ、実行委員でもないのに、飲んだ勢いで(ウーロン茶だけど)詩舞がなきゃあね、舞台には、先生の書道吟剣だけでは、十周年という大舞台には彩と動きが足りない気がしたのです。
しらふの、会議場ではとても言えないことを言い出したのでした。そして、獅「具合に実行委員ではなかったために仕事で手がふさがってもいなかったので、私が、詩舞をゼロから習うことになったのでした。

といっても、詩舞を舞台に上げるということを認知されるには、それから、何か月かかかったのです。
ゼロからのスタートで、舞台に上げられるものを身に着けられるかどうかは、本人の私にすらわかっていないのに、大事な舞台に、上げる決断は誰にもできないのですもの。

それから、主要メンバーは忙しく手がふさがっていますし、詩舞を習った経験のある人はいませんから、私一人で、始めるしかありません。まず、先生探しが始まり、あれやこれや・・・・・一年の道のりがスタート。

二人目の先生が、小西先生でした。

さすがに大輪神刀流の指導者だけあって、最初に習い始めた新舞踊の先生とは、すべてにおいてキレがあり、詩吟を長年やってきた私には、歌謡曲に合わせて舞う勘所とはすべてが、ぴたりとはまる心地よさがありました。

新舞踊の先生のそのまた先生には、剣舞の素養があったので、その大先生が、振り付けをしてくださり、練習が始まりました。
詩吟は、私が吹き込んだテープで行うわけですから、タイミングは合わせようとすることなく合わせられるのです。

そして、踊りに関する一切の習い事をしたことのない私は、新舞踊のソフトタッチの練習で始まったのが、入りやすかったのだと、思い、それはそれで、小西先生に巡り合わなくても、舞台に乗せられるものは出来ていたと思うのです。
でも、望めば、降りてくるもので、結局最後まで、二人の先生について、練習を続けたのでした。
日舞の素養のある先生が振り付けした詩舞は、そっけないほどの振り付けであった大輪神刀流で修業を重ねてこられた小西先生には、違和感がありつつ、新しい方向性を見つけることのできる振り付けであったようでした。

最初に指導してもらった先生への配慮もしていただきながら、小西先生にはきちんと詩舞の動きを指導して頂き、どうしても納得のいかない部分の振り付けの変更などもしていただきながら、練習は進みました。
本当に、おかげ様でした。

先生は、今日になって初めて、「あの時は死にものぐるいでしたからおたがいにね。」という言葉を聞きました。

先生は、淡々と指導なさっていたように見受けられて、そのようにずっと思っていたのですが、先生も、そうだったのですね。


あれだけ集中して練習をしたことはなかったと思うし、まじめに、家でもおさらいをしていましたから。
小西先生の前に出た時は、すっかり心身の準備が出来上がっていて、まっすぐに、懐に飛び込んでいけたのでした。
その、思いをまともに受けてくださって、伝えたい思いがひしひしと伝わってきて、超速の進歩と毎回褒めても頂きました。


まだ、小西先生には本格的に教えていただいてない頃、プレリハーサルがあり、衣装を着けて舞台上で踊り、十周年の舞台に上げても良いとやっと、実行委員から許可が下りました。
さらに練習に熱が入り、小西先生との出会いへと進みました。

新舞踊と、大輪神刀流の秋の会にそれぞれ出演許可を頂き、舞台の経験もさせていただき、正式リハーサル、そして本番当日に至りました。

その時は、帰国後の逆カルチャーショックの真っただ中。不安定な心がそれ以上落ち込まないで、浮上する力を仕事と詩舞の練習でもらってきたように思います。

もし、仕事をしてなかったら、もし、詩舞という未知のものに取り組まなかったら、とよく思い返していましたが、そういえば、最近忘れているなぁ。


今日は、6月9日の第一回新座市吟剣詩舞道大会 主催新座市吟剣詩舞道連合会に出演するための練習会です。

当日、九段の桜の伴吟をさせていただきます。そして、独吟は、大輪神刀流の所属として出吟します。大輪神刀流としては、臨時の新参者ですから、出吟は関吟の名前を使えませんから、本名で出るのです。
そして、出吟順は前の方です。
流派とか所属とか、考えたことがないのですが、逆の立場になってみてなるほどそうなるのねぇと、思うのです。
関吟の所属年数が長くなり、昇段昇格をしてくると、望むと望まざるとにかかわらず、だんだん後ろの方へ押し下げられて(押し上げられて)居心地がなんとなく、、、と感じるのですが、逆に、新参者として、前の方での出演となると、あ、そうかと思うのです。
気が楽というのは、とてもよいことなのですが。

さて、伴吟も本気だよというのが伝わると、何度も何度も繰り返し、中断し,再開しを繰り返すので、本当に良い練習になります。
今までは、中断することなく、2回ほどで、申し訳ないと終わってしまっていたのです。
繰り返すたびに、息があってきて、満足感たっぷりとなるのです。
これで、お客様で伴吟をしているのではなくなったなという気がしました。

おかげさまです。当日、がんばりましょう。



コメント