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風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

帰りました 日本の良いところ

2004年11月11日 | チンゲル亭過去日記

我が家の、なじんだ椅子に腰鰍ッて、日記を書いています。
日本はいいなぁ。

昨夜は、秋刀魚の塩焼きと垂フ物とやっこと味噌汁の夕飯を作って待っていてくれました。

魚がうまーい!夫と、舌鼓を打ちました!
野菜がうまい、お茶がうまい。

久しぶりの娘の笑顔は、幸せをくれました。
心配した鼓太郎も、パニックを起こすことなく機嫌よくしてくれています。
早速、いつもの足元で、眠りました。

今日は、一日荷物の片づけをしていました。鼓太郎は一人でお留守番ではないので、なんだか変だと思っているのか、それとも、喜んでいるのか、よくわかりませんが、、、
へ い わ だぁー

                ☆

UBと違うところ

車は左
信号が青になったら、安心して渡れる。
日本語の看板(あたりまえ!)初めてのところでも買い物が短時間に出来る。
タクシーのドアが自動であること。
タクシーは、左のドアから乗る。
暖かい飲み物を売っている。お茶のペットボトルを買いました。
電話で、用が足せる。言葉の問題もさることながら、情報がしっかりしている。
暗くても安全に買い物が出来る。
貴重品のバッグを、神経質に気にしなくて良い。

電車が走っている。
席を取るのは、モンゴルと同じ我先にだけれど、取られるとなんだか腹が立つ。
タクシーは、所番地で行く先に連れて行ってくれる。
モンゴルは、住所では無理。大きな建物で行く先を指示。判らないときは、行く先のいる人に電話をかけて、運転手に説明をしてもらうのである。
タクシー料金が高い。

                ☆

今日は、4人で、念願のお寿司を食べに行きました。
友達のおすし屋さんは定休日で残念でした。
明日、あさってとそれぞれ用事が入っているためそれ以上待てなかったからです。      
おいしかった。生の魚がこんなに美味しかったとは!
ほっぺたが落ちるとはこのことです。

JICAからの、残念なニュースも聞きましたが、それを吹き飛ばす楽しい会話が続きました。
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送別会その2

2004年11月09日 | チンゲル亭過去日記

朝から、いろんな場所へ出たり入ったりの用事があるので、お友達のタクシーを頼みました。

JICA、銀行、郵便局、お友達のうち、大学とUB中を駆け巡りました。
その間に、教授が待っているからすぐに来てという電話。
帰国のための、あれこれをやっているところで、急に言われてもこまるので、いけるようになったら電話をすることにしました。

そして、約2時間後、やっと、大学に行くことが出来ました。
それで、教授の言うのには、「○○さんも、モンゴル人になりましたねぇ。2時間もまたせたのだから」と言われたそうです。(笑)

何とか、今日の予定を終わらせて、協力隊員さんたちが開いて下さった送別会へと向かいました。

心づくしの会に、ちょっと涙腺が緩んでしまって、夫に続いて挨拶をするところを一言もしゃべることが出来ませんでした。

初めて、出席する2次会はカラオケ大会。懐かしい唄を唄い大いに憂さを晴らしました。最後だからと無理やり誘った夫も、楽しげに歌っていましたので、安心しました。

最後の「サライ」は,大感激。

2次会に向かうときに降り出した雪が、3センチほど積もっていました。
モンゴルには珍しい湿り気を含んだ雪でした。

明日、あまり降りすぎると、あさってのフライトに影響が出そうです。
北京での乗り継ぎ便に間に合うかどうか。

                  ☆

明日は、最後の事務所挨拶のあと、大学へ行ったり、お寺へ行って、頂いた線香を燃やしにいきます。

そして、最後のお昼を作った跡、残った食材をお友達にもらってもらい、夕食はその人と、レストランへ行きます。

10日は、朝6時に家を出ます。
このパソコンも、仕舞って、荷物の取りまとめの完了となりそうです。

ですから、少しの間、メールチェックも出来ません。あしからず。
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花ちゃん末キる

2004年11月09日 | チンゲル亭過去日記

TV5の放送のビデオを見ながら、花ちゃんに末オてもらいました。
せっかくのチャンスだったのですから、どのように話されたのか、知りたくて、花ちゃんに家に来てもらったのです。

その傍らで、私たちはせっせと荷造りでした。
送るものは、ほとんど無いと思っていましたが、みかん箱の大きさの箱が3箱出来ました。

明日は、郵便局に送りにいきます。
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送別会

2004年11月07日 | チンゲル亭過去日記

ボクト山国立公園内にある、キャンプへいきました。
総勢13人、子供一人、日本人二人。
私たちの送別会でした。

ゲルに入るとまず、ストーブを燃やし始め、傍らでは、スーパーで買ってきたヒャム、きゅうり、パンを薄切りにしています。

お皿にオープンサンドにしたパンを盛り付け、コップにはアルヒを注ぎ、酒盛りが始まります。

愉快な人たちのさざめきの中にいると、言葉はわからなくても心地よくなってきます。
参加した女の子は、10歳。日本に住んだこともあり、私のちょうど良い話し相手。

ほどほどに、食べ物とアルヒがお腹に収まると、挨拶が始まります。

夫も、今日はいつに無く饒舌で、一人一人の思い出をお目にかかった順番に話し始めました。
そして、懐かしがりながら、感謝を述べるのです。

それぞれの人への、そのときの苦心談やエピソードはその人の笑顔を誘い、わっと笑い声が上がり、その人への愛着を感じました。

この2年間の、夫の様子が良くわかった瞬間でした。

ノゴトイシュルのランチ後、後ろの丘にのんびりゆっくり休み休み登るのです。
冷たい空気が、ほっぺを赤くします。

三々五々頂上を目指し、おしゃべりが弾みます。
話が盛り上がると、私と女の子は、取り残されました。

ゲルに帰ってからは、スーテイツァを頂きながら、今度は、それぞれの主人への送別の思いを述べてくださいました。
私には、オルティンドーが所望され、前よりも上達したと褒めてもらいました。

それぞれ、暖かく、夫のことをよく理解して下さっている言葉に、思いがけない気がしました。

一人の言葉が終わるごとに、アルヒで乾杯。
夫は、かなり飲んでいるようでした。

帰りは、明るいうちに帰宅できるはずでしたが、車に五寸釘が刺さってパンク。
予備タイヤを載せてないので、もう一つの車にはずしたタイヤを乗せ、修理に向かいます。
やはり、モンゴルでは、2台を連ねて、出かけるのが安心です。

真っ暗になるまで待ちました。どうやらそれらしい車のヘッドライトが見え、ほっとしたのもつかの間、そのライトが忽然と消えました。
しばらくして、又、忽然と目の前に現れました。

平らと思っていたのですが、乗用車が隠れるくらいの高さの起伏があったのです。
無事、タイヤを取り付けて、帰宅できました。
それにしても、寒かった。
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オルティンドー

2004年11月07日 | チンゲル亭過去日記

3日、最後のオルティンドーの練習がありました。
1時間のあいだに、音階練習と4曲のうたをもう一度先生ガ録音してくださいました。
そして、帰国後も練習できるように、質疑応答をしてくれました。

親切に、もう一度音を入れてくださるとは思わなかったので、驚きました。
その日急に昼過ぎから、雪が降り温度が下がったので、喉の調子が悪かったので、声が出にくいので、ちょうど良かったのです。

いつものように、練習の後、お茶しながら色々とおしゃべりをしました。
こんな楽しい時間が、これで最後かと思うと残念でした。

一つ一つ、終了のマークがついていきます。
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帰国あいさつ

2004年11月04日 | チンゲル亭過去日記

帰国に伴って、色々な場所に表敬訪問に,出かけます。
そのほかに、地質のセミナーがあり、市内をあちこちに走り回りました。

昨日の午後から、急に温度が下がりました。
温度計は、マイナス15度を示しています。
室内は、24度のままですから、体が十分温まっているので、マイナスの温度は10分以上戸外にいると、じわじわと感じてきます。

今朝の6時は、真っ暗で、明けの明星がくっきり見えました。
帰国の10日は8時50分ボヤントオハー発ですから、この時間に出かけることになります。
さぞ、寒いことでしょう。
去年の、今頃は、道路に氷が張っていたそうで、これでも随分暖かい冬だそうです。

11月の日本から、氷の張るウランバートルに着いた2年前は、どんな気持ちがしたのでしょう。
それにしても、2回の厳しい冬をよくぞ元気で無事に過ごしたものと感心します。

どなたが守ってくださったやら、本人のやる気が取り合えずの敵を撃退したのやら、よくわかりませんが、ありがとうと感謝するのは、どちらの方向に向けて言ってよいのやら、、、

四方に向けて、ありがとうございます! と言っておきましょう。

お隣さんとの話も、別れの話やら、日本のお家を訪ねる話やらになってきました。
何より、まもなく12才になるゴールデンのハナとの別れが、迫っているかと思うと、格別の思いがあります。

帰ってからも、良い縁が続きますように。
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テレビ出演その2

2004年11月03日 | チンゲル亭過去日記

緊張の瞬間がおわりました。
早速、見たよと電話をいただき、「げに、友達とは」を感じる。

映像としての出来は、ほんとに良かった。
モンゴル語のわからない私は、ゲレル教授、ドガラ教授、ビャンバーさん、ツェギーさん、の知った顔が出て、なにやら話している表情ガ落ち着いている様子、鉱石見本の美しい緑がよくでていること、教室の学生達が楽しげに機器を使っている様子、一転して、鉱山で大きなトラックが走り、重機が鉱石を採掘している様子、サミンウードの井戸掘り現場の良く撮れた写真など、バランスよく配置されて、見て楽しいものでした。

これで、モンゴル語の部分が理解できれば、大人にも子供にも理解しやすい紹介番組になったのだろうなぁと想像しています。
説明に難しい仕事も、音と映像の手助けで、わかりやすくなるものだと、この番組のプロデュースをしてくださった、シニアにも感謝せねば。

この録画テープを、あさってのドガラ教授の還暦祝いの講演会にも使えるし、良い宣伝にもなったのではと思います。
2年間の終わりを迎えるときに、夫のしてきたことがこういう噛み砕かれた形で、モンゴルの人に少しでも理解してもらえたのなら、それは、冥利に尽きることです。

そして、明日は、ザミンウードの井戸を掘り当てたときの、セミナーがあります。
一つずつ、終わりに向けて、扉が開き扉が閉じ、それぞれが今満足感でもって終えてきたのが、ちょっと誇らしい。
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本日テレビ出演

2004年11月03日 | チンゲル亭過去日記

モンゴルTV5で夜9時ごろから、夫ともう一人のシニアの仕事の様子がテレビで放映されます。
他の方の映像を見ていると、夫の話す声は、すぐにモンゴル語がかぶさってしまうはずなので、話初めと終わりの一言ぐらいだけ生の声を聞くことが出来るようです。
夫の仕事を、子供や、お年寄りにもわかるように説明することは至難の業だと思うのです。
連れ添って、30年になる私にもほんとのところはわかっていないのですから。

どのように説明されるやら、テレビにかじりついていてもモンゴル語を理解できない私には、まったくわからないでしょう。
せっかく、夫の仕事の何たるかをちょっとでも判るチャンスだったのです。

UB在住のモンゴル語を理解する隣人に、期待を持って待っていてもらっているようです。感想を明日聞いてみましょう。

とりあえず、ビデオを撮りましょう。

                 ☆

今日、最後になるかもしれないオルティンドーのお稽古の連絡を待っています。
この1ヶ月は、先生が忙しかったこともあって、お休みが続いていたので、楽しみです。
時間が取れなかったら、最後のご挨拶だけでもしたいと思っています。
そして、最近紹介してもらった、学生さんに一緒に行ってもらおうと思います。花ちゃんの通訳の様子や日本人が習い事をしているのを見ていてもらったら、めったにない体験をさせてあげられると思っているのですが。
彼女は、時間が空いているでしょうか。
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NBAに田臥勇太

2004年11月02日 | チンゲル亭過去日記

モンゴルにまったく関係の無いニュースですが、娘が注目していた田臥勇太がプロバスケットボールのNBAでプレーできるようになったと報じられていました。

無名の頃から、注目していて、その人が力をつけて名を成すまで、見続けると言う経験は、私には残念ながら有りません。
ニュースに載る人を見つけたと言うこともすごいことですが、それより、そこまでにいたる経過をどんな気持ちで、見続けてきたのか、私も体験してみたいと思うのです。

昨日の娘からの電話でにわかに日本が近くなって、日本人の出てくる夢を見て、はぁー来週だぁー、と実感し。
日本の情報を身近に感じ、帰った自分を想像し、オフ会の日程を相談し。。。
俄かに、日本が近くなりました。

やっぱり、帰るんだなぁ!
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娘からの電話と帰国準備その2

2004年11月01日 | チンゲル亭過去日記

久しぶりに、長女の声を聞く。
留守番の二人は、忙しくなかなかつかまらないこともあって、肝心な話は大体において、娘からかかってくる電話によることが多い。

今日は、帰国を前にして、確認の電話だった。
10日8時50分に、ボヤントオハー空港を出発し、北京経由で帰ります。
その日のうちに家に帰り着くから、よろしくねと頼みました。

鼓太郎が、お腹をなめすぎて、五円はげができているとの事。
長女 「帰ったら、かわいがってやってね。」
私  「もちろんよ。」

私  「帰ったら、携帯ひつようかなぁ」
長女 「必要だよ」
私  「一番安いのは何か調べといてね。」
長女 「いいよ」

長女 「帰ってからの話ができるようになったねぇ。今まではぜったいできなかったもんねぇ」
私  「ほんとだねぇ。」

帰国して初めての土曜日は、不在です。といったら、次女に叱られたとか、出も、友達の結婚式だからと言ったら、それはしょうがないとの返事だったそうです。

そんな感じで、10ヶ月を留守番していたのね。
鼓太郎も、頑張って、長い留守番を耐えてくれました。
帰ったら、目一杯あそぼうね。

浦島太郎気分で、帰国してもすぐになじめるかなぁ~なんて漠然とした不安を抱いていましたが、長女の声を聞いて、不安はなくなりました。

さ、元気で荷物の片づけを続けましょう。

           ☆

郵便局から送る荷物について、トゥーブショーダンという中央郵便局の存在しか知らなかったのですが、小さい郵便局の存在を知りました。

中央と違って、小さい局では、荷物を家まで取りに来た上に同じ料金というサービスをしているそうです。
中央よりも、小さいほうのサービスが良いというのは不思議ですが、どういうことでそうなっているのか、判りません。
シニアの通訳さんからの情報で、女性一人で来ている方にとっては、荷物を取りに来てくれるのはさぞありがたいことでしょう。

彼女の、強い思いが情報を得、私にも恩恵にあずかりました。
こちらでは、こう有ってほし胃と言う強烈な思いがないと情報が得られないのだなぁ。
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