音楽に目覚め、バンドを始めた中学生の頃、いっちょまえに「ヴォーカル」であった僕は自分の声が嫌いだった。なにせ、世良公則~ロッド・ステュワートばりのハスキーな声に憧れていたんだから。しわがれ声で「トゥンナイ~トゥナイ~今夜こそオマエを落としてみせる♪」とか、「I love you, honey~♪」とか決めセリフをシャウトしたかったのだ。
残念ながら僕の声はまったくしわがれておらず、何度、押入れの布団に顔を埋めて叫んで声をつぶして一瞬の喜びに浸ったことか・・・けれど翌朝にはすっきり元に戻ってしまった。「ええ声~」。
ハスキーじゃないとロックじゃないような気がして、本気でミュージシャンになるつもりの僕にはけっこうなコンプレックスだった。
それが徐々に解消されていったのは高校時代、バンドの趣味がストーンズ、キンクス等のコピーから徐々に80年代ニュー・ウェーヴに移行していった頃か。暗めの英国ニュー・ウェーヴ、その元祖のようなデヴィッド・ボウイ・・・みんなしわがれ声じゃないではないか。エコー&ザ・バニーメンのイアン・マッカロクの真似ならちょっと出来るぞ、アズテック・カメラのロディ・フレームなんて近所の気のいいお兄さん声だぞ、これなら俺もいけるかも!と、なんだか自信が芽生えた。
同時に憧れ始めたソウル・ミュージックの世界。ここも「しわがれ声登竜門」みたいな感じだったけれど、色々聴けばスイートな歌唱スタイルの人もたくさんいることを知った。叫べなくても囁くことは出来る。
そしてかれこれ20年が過ぎ、幸いなことに、コンプレックスを持っていたこの声、さほど特徴的だとは思わないこの声に、自分が思っていた以上に魅力を感じてくれる人々に、支えられてきた(ベース中野トオル曰く「不幸な感じの声」)。だけど未だに自分の声のすべては把握しきれていない(webb相方小池雄治に指摘される)。僕がもし、ガラッガラのハスキーヴォイスだったら今みたいな音楽はやってなかったかもしれない。AC/DC風綿内とかどうすか?
残念ながら僕の声はまったくしわがれておらず、何度、押入れの布団に顔を埋めて叫んで声をつぶして一瞬の喜びに浸ったことか・・・けれど翌朝にはすっきり元に戻ってしまった。「ええ声~」。
ハスキーじゃないとロックじゃないような気がして、本気でミュージシャンになるつもりの僕にはけっこうなコンプレックスだった。
それが徐々に解消されていったのは高校時代、バンドの趣味がストーンズ、キンクス等のコピーから徐々に80年代ニュー・ウェーヴに移行していった頃か。暗めの英国ニュー・ウェーヴ、その元祖のようなデヴィッド・ボウイ・・・みんなしわがれ声じゃないではないか。エコー&ザ・バニーメンのイアン・マッカロクの真似ならちょっと出来るぞ、アズテック・カメラのロディ・フレームなんて近所の気のいいお兄さん声だぞ、これなら俺もいけるかも!と、なんだか自信が芽生えた。
同時に憧れ始めたソウル・ミュージックの世界。ここも「しわがれ声登竜門」みたいな感じだったけれど、色々聴けばスイートな歌唱スタイルの人もたくさんいることを知った。叫べなくても囁くことは出来る。
そしてかれこれ20年が過ぎ、幸いなことに、コンプレックスを持っていたこの声、さほど特徴的だとは思わないこの声に、自分が思っていた以上に魅力を感じてくれる人々に、支えられてきた(ベース中野トオル曰く「不幸な感じの声」)。だけど未だに自分の声のすべては把握しきれていない(webb相方小池雄治に指摘される)。僕がもし、ガラッガラのハスキーヴォイスだったら今みたいな音楽はやってなかったかもしれない。AC/DC風綿内とかどうすか?
Like A Father~のAメロあたりの周波数がツボです。
温かいんだけど物悲しげな声。
キーが高くなればなるほど悲しさ加減が増してきます。
考えたらBASSの周波数帯に近いのかもしれませんね。
これからも僕のツボを刺激し続けてください(笑)。
哀しみ倍音ですな。
声(もちろん音楽も)にほれて
みんな大好きなんですよ!
声って大きいよ。
だって、私が最初に知ったとき、
しばらく声だけの人ですから。
どんな人なのかって思ってました。
エガワ君、Hello,hello
我々が愛する二-ル・フィンはニュージーランドらしく、適度な明るさと屈折をもった歌声だよな。
私がそれを含めて何かを感じているのかはよく分からないけど、でもなんか好きなんですよね、確実に。そういう何かを出せる人ってステキですよ!あたしもなんか出したいなあ。。
温かいんだけど物悲しげな声。ってのはすごい同感。
夜中なのにまた聞きたくなってきました。
間違っても外側の赤いメラメラ炎な声ではないね。