Re:SALOON & VBA

「決め・分け論52」的日本文化論

暫く、ここに投稿文を載せていない。5月の連休以来かと思う。
流石に、50回を超えたら、ネタが切れたかというと、残念ながら、そうではなくて
書きたいことは、次から次へと湧いてくる。
湧いてくることを、纏め切れないで居るうちに、また次が湧いてくるので、
もう、収拾がつかない感じ・・・とまでは行かないけど、
若干、書きたいと、書けるの気持ちが、上手く調整できないでいる感じがする。

書きたいを形にする努力が出来ないでいるのは、
仕事がストレスなのでなのが、実は、明白なところで、
休日は、もう、タダ、ボーッとしたいという欲が勝ってしまう。

今回の久しぶりの連休で、書けるかなと思っていたら、もう、三連休も3日目の夕方になってしまった。

あああ、前振りも余計だけど、中々、どこから始めたら、溜まっている書きたいを解消できるのやら

さて、最近、書きたいことは、
ボーッとして、休日の貴重な時間を浪費しているYouTubeなのだけど、
僕の好きなテーマで、日本人論が、結構、紹介動画で出て来る。
それを観るから、また、そういうのが紹介されるのだけど、
右翼ではないので、日本礼賛、贔屓の引き倒しではない方だと思うけど、
外国人YouTuberの日本のココがいい、みたいな動画はよく観る。

褒められて嬉しいという自尊心が、満足ではなくて、
ああ、そう観えるのだなぁという感じでみている。

で、「分かりたい」系のものの観方として、
何故、そう見えるか、外国人は、そう感じるかを考える。

で、「決め分け論」で、解釈すると、
外国人があげる日本の特徴、は、
結構、それって、日本が「分かりたい」系だから、そうなのじゃないかなと
思うということだ。

韓国・北朝鮮をテーマにした動画もよく観ている。

日本人・韓国人のYouTuberの、日韓文化比較なのだけど、
彼の国の文化を、「決めたい」系、比較して日本を「分かりたい」系だと
分類して考えると、非常に、すっきり、見えて来る気がする。

韓国のYouTuberの韓国・朝鮮の礼賛動画、日本の悪口動画は、
あっても韓国語なので、観たことがないけれども
それは、「決めたい」、決めつけ動画、決めつけの論理だろうと思う。

何故、なのかではなくて、
そう「決まっている」から、日本は「悪」なのだと、
そういう論理。

半島の文化は、歴史的にいうと、両班支配の文化・歴史だと思う。
支配層を決める。それは、親族、家柄で固定化される。
儒教が、そもそも、疑問の余地がない、「決めたい」宗教。
統一教会も、その流れで、「決めたい」に貫かれている。
そして、階層が固定化され、新たな可能性を否定する文化となる。

韓国人のファッションが固定的、美容整形天国、学歴社会も、
既知、既存の評価、価値観に縛られた指向性だと思う。
財閥というのもある、折角、南は、自由主義国の一員なのに、
固定化、画一化の方向に、進んでしまう。

反日教育も、その流れの中から出て来たものだと思う。
「恨」の思想から、説く解釈もあるけれども、
両班支配が、開始時10%未満であった比率が、
両班の身分を金で買うという手段もあり、日本統治前には、
人口の半数が両班であったとも聞いた。

で、日本統治になり、両班制度は廃止、奴婢の解放、教育が受けられるとなったとき、
両班からすると、日本に、特権を奪われたと「恨」になってしまう。
昨日まで、何もしなくても、ご飯が食べれたのに、
日本式の「働かざるもの喰うべからず」は、
労働を強いられ、搾取されたになるのも当然なのかも知れない。

一方、同じ立場だった、台湾が、同様の反日にならなかったのは、
勿論、台湾に両班制度がなかったということだけど、
本質的に、僕は、僕の解釈では、地政学的に、
半島と、島国の差があるという気がする。

では、何故、半島だと「決めたい」の結果至上主義になってしまうのか、
何故、島国だと、「分かりたい」の過程重視になってしまうのか、

分かってもらえるかどうか分からないけど、「結論」として言うと、
半島は、大陸の一部だと言うこと。
どういうことかというと、自分たちは、ある全体の部分だという認識だということ
ほら、分かり難いよね。

自分たちは、ある「部分」なので、自分たちが関与できない、他の部分があり
それはもう、どうしようもないということ。
なので、どうしようもない部分は、我感知せずで切り捨てて、
自分たちの関与できる部分をここまでと「決めてしまおう」ということ。

分かり難いなぁ~

逆に、閉じた島国だと、ある意味、全体に関与は物理的に出来ないにしろ
その理由を知ることは出来る。
関与しない部分も、知ることは出来る。
ある意味、全体性に関与できる。
他者も理解しての、全体の一部として自分をとらえることが出来る。

理解できない他者の支配を排除して、自分たちを固定化したい、半島人とは、
捉え方が違ってしまう。

半島は、更に、南北で、分かれてしまった。
そして、北は、さらに、「知りたい」を一切排除して、「決めたい」の絶対優位を国是としてしまった。
もう、これは、最強。

そして、この最強は、失敗を認めないから、最強をハリボテとして、実質は最弱・最貧への突き進む。

日本が、外国から仕入れたものを加工して、グレードアップするのは、
ある意味、失敗を認めるからだと思う。
失敗したら、抹殺されるのであれば、誰がトライ、リトライするだろうか、

日本の職人気質・職人技は、リトライと創意工夫の産物だと思う。
ラーメンは、こう作るというレシピを固定化してしまったら、
今のラーメンの発展はない、コンビニの進展もない。

韓国の大統領は、前の政権を根こそぎ否定して、他国と結んだ条約を破棄する。
継承して、発展させるではなくて、
廃絶して、根絶やしにして、刷新する。
敵対者を「分かりたい」と認めることは出来ない。

北の将軍が、世襲制なのも、究極は、他を受け入れる「分かりたい」がなく、
「決めたい」なので、そうなっていると思う。決まっているの原点の関係(一番信頼できる関係性)は、親子関係なのだと思う(日本では、そうでない場合もあったりするから「分かりたい」の余地があるのだけど)。

勿論、日本にも「決めたい」と「分かりたい」の両方の価値観、指向性、相克はある。
(僕の仕事のストレスも、「分かりたい」に過ぎる自分の特性故だったりもする。)
但し、韓国・朝鮮の、それの許容度と比べた場合には、かなり「分かりたい」にシフトしていると思う。

「決める」前には、「分かる」「分かりたい」が、あると思う。
他者を全否定しなくて、ある程度、許容して、
次の物が、継承・発展させる、許容度が日本にはあると思う。

で、それは、島国で、山も川も海も、見渡せる国土が生んだ、全体性だというのが、
今回のテーマの解ということになる。

やはり、「分かって」貰い難い文章になってしまった。

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