二律背反・・・僕を現すになかなかいい言葉を見つけた。
物事には、相反する二つの側面がある。
何ものも手放して、いい面だけをもっている訳ではない。
いい面もあれば、悪い面もある。
僕の頼りなさは、それをいつも考えてしまうからだ。
煙草は吸わないけれど、煙草にも必要性がある(人たちもいる)と考えてしまう。
仕事でも、この方法もいいけど、反対のこっちの方法もよさがある・・・
と考える。
そうすると、自分の中では優位は決められるが、
他者との関係では決めることが出来なくなってしまう。
自分はそう思うけれど、違う考え方をする人がいるかも知れない・・・
結局、お客さんに決めてもらうということになる。
上司には、待ちの姿勢と映っても仕方がないと思う。
僕は、特定の宗教を信仰はしていないが、無信仰かといわれるとそうではないという気持ちはある。
考えてないから、無信仰なのではなく、いろいろ本を読んで来て、自分なりに考えて、どれかの信仰に入ることが出来なくなっている。
考えて考えて出た結論とまでは言えないが、自分なりには考えた末の立場だと思っている。
世の中に、これが絶対という方法は、ないんじゃないかというのが僕の思いだ。
方法は、時の流れとともに、水に浮かぶ泡のように、現れては消えていく・・・
僕には姉がいる。姉はカルトにはまっている。
カルトのカルトたる所以は、他を受け容れなくなるということだと思う。
姉は、宗教には疑問を持っていた。そして、その疑問が、ひっくりかえって・・・
最初に知ったカルトに捕らえられてしまった。
「これが絶対に正しい」を持つ人の行動は力強い。迷いがない。
僕に考えていないという上司も、カミさんも・・・
最初の宗教(つまり自分は正しい)に捕らえられてしまったのではないか・・・
ひとつ正しいを知ってしまって、それに対立するものの正しさを、頭から、否定することで、
自分の正しさを守ろうとしているのではないか・・・
中国が、反日で盛り上がっている。
中国は、自らの正しさを維持するために、悪者を必要とした。
それが中国の教育に流れ込んだ。
その最初の信仰・教育を受けて育った世代が、今、日本大使館にツブテを投げつけている。
自らの正しさを維持するために・・・
暴徒と化した群集は、南京を侵略した日本軍に似てないだろうか・・・?
中国人は殺していいが、ただ、日本人は何をされても文句は言えないと相似ではないだろうか?
日本の「新しい教科書」も、根は同じなんだと思うけれど・・・。
(同じ顔をしている・・・鏡のあっちとこっち)
他者を悪者にせずに、自分の正しさを維持する方法はないのだろうか・・・
否や、そもそも正しさなど証明する必要はないのじゃないか・・・
それぞれがそれぞれの美点を持っている。
オンリーワンだから、存在する意味がある・・・そう思えないだろうか・・・
比較したり、競ったりする必要はない。
君のこと迷惑なんだ出て行けよ 鏡よ鏡我を映すな
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