どうやって生きてきたか。

皆さん今晩は、うたうたい秦千香子です。
ス-パーの魚屋さんで自分と同じ名前の魚を見つけました。
「ちか」だって。ちょっと笑う。
さてどうやって食べようか。
煮つけ?塩焼き?
おなかがぐうと鳴った。
”鬼婆の笑いを、私は笑った”
という、石垣りんさんの「しじみ」という詩の一節を思い出す。
昨日まで生きていたものの命を奪って食べて、
自分は生かされる。
すべての生き物の業(ごう)っていうもの。
食べるときに、自分が生きるため命を奪ってしまったその生き物たちに、
ごめんね、ありがとう、っていう気持ちを込めて、
「いただきます」って言うんだよ、だから合掌するんだよ、と、
母がよく言ってた。
お母さんありがとうってそんなとき思う。
自分の子供がいつかできたら同じことを教えてあげたいな。
そういえば人間はあまり食べられる心配がないね。
だから「いただきます」忘れちゃう人が増えているのかもしれない。
食べ物を残してももったいないってわからない人が居たりするのかもしれない。
敵に食べられる心配がなくて毎日安心だけど、
自然として、人間だけそんなの免れちゃっていいのかな。
食べられるのって、怖いんだろうな。
ふたたび、石垣りんさんの「儀式」という詩の一節を思う。
その骨の手応えを
血のぬめりを
成長した女に伝えるのが母の役目だ。
パッケージされた肉の片々を材料と呼び
料理は愛情です、
などとやさしく諭す前に。
長い間
私たちがどうやって生きてきたか。
どうやってこれから生きてゆくか。
晩御飯は合掌していただいた。
「ちか」よ、ありがとう、そのいのち、いただきます。
人ひとりも、大変な数の命の集合体でできているんだね。
自分という命を大切にしなくちゃと、なんかそう思った。
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