
本年2月14日、当会相談役である前会長須之部量三先生が逝去されました。眠るがごとく安らかなご最期であった由です。享年87歳。
当会と先生とのご縁は、1984年、当会が外務省、大蔵省(当時)の認可を得て任意団体から社団法人に組織変更したときまで遡ります。総合研究フォーラム設立発起人のお一人としてお力添えを賜り、認可後はそのまま引き続き理事をお願いし、以来、実に22年の長きにわたり、ご指導をいただきました。この間、年に2回は研修生に対して、国際情勢の変化と日本の今後のあり方について、実に深みと先見性に富んだ講義をしていただく一方、お忙しい中、課外活動はもとより懇親会などにも参加され、積極的に研修生との交流にも努められました。また、93年大来佐武郎会長の急逝に伴い03年に退任されるまでの間、第二代会長として誠実に本会の経営の責任を果たされました。
かくも長きにわたる当会とのかかわりの中で、なかんずく、10年にわたり毎年東南アジア研修団長として数多くの研修生を引率、歴訪した東南アジアの国々の歴史、社会、宗教、文化、政治経済などについて、座学では到底得ることができない新しい視座を与えて下さいました。この研修を契機に東南アジアに対する問題意識を深め地域への親しみと興味をもつようになった研修生も多かったと思います。
その海外研修で特に忘れがたい思い出は、ジャカルタでのある晩、大使公邸でのレセプションの席上、須之部先生がインドネシア語でかの有名な「ブンガワンソロ」を歌われたことです。先生のやや細くせつせつとした美しい歌声が南国の夜空に吸い込まれていった、あの夜を昨日のことのように思い出します。ホテルへ帰る車中でレパートリーを伺うと、笑いながら、韓国の「アリラン」をあげておられました。その国の歌をその国の言葉で歌うことがその国の人と打ち解けるのに近道になると思うと、そのとき先生はおっしゃっていましたが、それ以上に先生はその国を実に温かい目で見つめておられたのではないでしょうか。いつか「アリラン」も聴いてみたかったですが、残念ながらその機会はありませんでした。
また、先生は小柄でしたが、アルコールにはめっぽう強い体質をお持ちでした。穏やかで明るく、かつ決して酔った姿を見せることのない飲み方で、外務省時代の数多くの出張経験からどこそこの航空会社には美人の客室乗務員が多いなど、軽く愉快な話題に発展することもありました。そして飲み物は、いつもハイボール。しかもその割り方にもこだわりをお持ちで、こればかりは他人任せにはせず、まるで理科の実験ようにご自身でウィスキーとソーダの比率を調整しておられました。海外研修では寄る先々の空港の免税店でボトルを購入、宿泊先のホテルの部屋でナイトキャップとして楽しんでおられました。10日強の研修中、かなりの本数を空けられたのではないでしょうか。
東南アジアを旅すると、朝食にお粥が出てくる機会が多いことはご承知の通りですが、先生はそのお粥に粉末の「高麗人参」をかけて召し上がっておられました。はじめは普通のふりかけと思って眺めていましたが、それにしても毎朝毎朝よく飽きが来ないものだと思い、伺ってみてわかったことです。健康維持のためだよ、と笑っておられました。味についての論評はありませんでしたが。
最愛の奥様を亡くされてからの先生が時折見せるさびしげな表情を今もって忘れることができませんが、今はきっと天国で奥様と再会、つもりに積もったお話に花を咲かせておられることでしょう。
先生、本当に長い間ありがとうございました。先生の見識とうちから湧き出る誠実なお人柄に接することができたことに心から感謝申し上げるとともにこれからも当会を末永く暖かく見守ってくださるようお願い申し上げます。
社団法人 総合研究フォーラム
理事 事務局長 阿 部 滋 朗
当会と先生とのご縁は、1984年、当会が外務省、大蔵省(当時)の認可を得て任意団体から社団法人に組織変更したときまで遡ります。総合研究フォーラム設立発起人のお一人としてお力添えを賜り、認可後はそのまま引き続き理事をお願いし、以来、実に22年の長きにわたり、ご指導をいただきました。この間、年に2回は研修生に対して、国際情勢の変化と日本の今後のあり方について、実に深みと先見性に富んだ講義をしていただく一方、お忙しい中、課外活動はもとより懇親会などにも参加され、積極的に研修生との交流にも努められました。また、93年大来佐武郎会長の急逝に伴い03年に退任されるまでの間、第二代会長として誠実に本会の経営の責任を果たされました。
かくも長きにわたる当会とのかかわりの中で、なかんずく、10年にわたり毎年東南アジア研修団長として数多くの研修生を引率、歴訪した東南アジアの国々の歴史、社会、宗教、文化、政治経済などについて、座学では到底得ることができない新しい視座を与えて下さいました。この研修を契機に東南アジアに対する問題意識を深め地域への親しみと興味をもつようになった研修生も多かったと思います。
その海外研修で特に忘れがたい思い出は、ジャカルタでのある晩、大使公邸でのレセプションの席上、須之部先生がインドネシア語でかの有名な「ブンガワンソロ」を歌われたことです。先生のやや細くせつせつとした美しい歌声が南国の夜空に吸い込まれていった、あの夜を昨日のことのように思い出します。ホテルへ帰る車中でレパートリーを伺うと、笑いながら、韓国の「アリラン」をあげておられました。その国の歌をその国の言葉で歌うことがその国の人と打ち解けるのに近道になると思うと、そのとき先生はおっしゃっていましたが、それ以上に先生はその国を実に温かい目で見つめておられたのではないでしょうか。いつか「アリラン」も聴いてみたかったですが、残念ながらその機会はありませんでした。
また、先生は小柄でしたが、アルコールにはめっぽう強い体質をお持ちでした。穏やかで明るく、かつ決して酔った姿を見せることのない飲み方で、外務省時代の数多くの出張経験からどこそこの航空会社には美人の客室乗務員が多いなど、軽く愉快な話題に発展することもありました。そして飲み物は、いつもハイボール。しかもその割り方にもこだわりをお持ちで、こればかりは他人任せにはせず、まるで理科の実験ようにご自身でウィスキーとソーダの比率を調整しておられました。海外研修では寄る先々の空港の免税店でボトルを購入、宿泊先のホテルの部屋でナイトキャップとして楽しんでおられました。10日強の研修中、かなりの本数を空けられたのではないでしょうか。
東南アジアを旅すると、朝食にお粥が出てくる機会が多いことはご承知の通りですが、先生はそのお粥に粉末の「高麗人参」をかけて召し上がっておられました。はじめは普通のふりかけと思って眺めていましたが、それにしても毎朝毎朝よく飽きが来ないものだと思い、伺ってみてわかったことです。健康維持のためだよ、と笑っておられました。味についての論評はありませんでしたが。
最愛の奥様を亡くされてからの先生が時折見せるさびしげな表情を今もって忘れることができませんが、今はきっと天国で奥様と再会、つもりに積もったお話に花を咲かせておられることでしょう。
先生、本当に長い間ありがとうございました。先生の見識とうちから湧き出る誠実なお人柄に接することができたことに心から感謝申し上げるとともにこれからも当会を末永く暖かく見守ってくださるようお願い申し上げます。
社団法人 総合研究フォーラム
理事 事務局長 阿 部 滋 朗