goo blog サービス終了のお知らせ 

旅猫旅日記

写真と文で綴る旅の風景

奥飛騨から越中路への旅2 猪谷駅

2006-10-13 | 
富山駅には5時半過ぎに到着。さすがにちょっと肌寒かった。富山で高山本線の普通列車に乗り換え、終点の猪谷へ。高山本線は、2004年10月の台風23号による災害で、ここ猪谷駅から角川駅までが2年経った今でも不通となっている。錆びついたレールが悲しい。

奥飛騨から越中路への旅1 寝台特急「北陸」

2006-10-12 | 
先週の木曜日から、奥飛騨と越中路を巡る旅へ出かけた。
もちろん、旅の始まりは夜行列車。今回は、大宮駅23時30分発の金沢行特急寝台「北陸」を利用。平日の、まだ会社帰りのサラリーマンやOL、どこかで遊んできたのだろう制服姿の女子高生らが溢れるホームに、古強者と言った感のあるブルーの車体が静かに入ってきた。今宵の宿は、この列車のB個室寝台「ソロ」。先月乗った「サンライズ出雲」のシングルには見劣りがするものの、シンプルな室内はやはり居心地が良かった。
写真は、早朝の富山駅に到着した「北陸」号

山陰への旅33 城崎名物「かにずし」

2006-10-11 | 
山陰への旅の最後、特急「きのさき」の車内で食べたのが、この「かにずし」。
城崎の駅前で売っていたのを見つけて買い込んできたのだ。山陰海岸といえば「かに」。やはり、この弁当は食べておかないとね。注文してから箱詰めすると書いてあったのだが、ちょうどひとつ、前の客がキャンセルしたものが手に入り、列車の時間に間に合った。
それにしても、この駅弁は美しいですよね。これまで出会った駅弁の中でも、たぶん一番ではないかと。その上、さすが出来たて、酢めしがまだほんのり温かく、かにのほのかな甘みと絶妙な味わいでした。これは是非、もう一度食べてみたい弁当ですね。次に来るときは、城崎温泉に一泊してのんびりしたいものです。

山陰への旅32 特急「きのさき」

2006-10-10 | 
城崎温泉で寛いだ後、始発の特急「きのさき」号で京都へと向かう。
旅先で最近思うのは、どこへ行っても列車が味気ないものになってしまったこと。ピカピカなのは良いが、軽量化と効率化で見た目も冷たい感じ。車内も向かい合わせのロングシートが主流でどうも居心地が悪くなった。
でも、この「きのさき」は温か味のあるものだった。見た目も古強者といった感じで、車内も落ち着きのあるレイアウト。なんといっても、新しいデザインとは言え、LED全盛期の中にあって、ちゃんとヘッドマークを掲げているのがうれしい。
旅人は、こんな些細なことでも喜ぶのです。

山陰への旅31 城崎ビール

2006-10-09 | 
温泉で汗を流した後、駅前に「地ビール」の文字を発見。まだ時間があったので、風呂上りに一杯やろうと立ち寄ることにした。
店の名は「グビガブ」。地ビールのほか、地元の「但馬牛」を使った料理もあったが、さすがに時間が無く断念、ビールだけを頂くことにした。注文したのは「カニビール」という飴色のもので、地元名産のカニに合うビールということで作られたもの。ほんのりとした甘さがあり、カニの甘さと合うかもしれませんが、どこか物足りなさも。他のビール(ピルスナー、レッド、ヴァイツェン)も飲みたかったが、時間が無く、後ろ髪を引かれながら店を後にした。

山陰への旅30 城崎温泉 さとの湯

2006-10-08 | 
餘部駅から下り列車に乗り、一度浜坂駅へ戻り、1時間ほどの乗り継ぎ時間を使って浜坂の町を散策。その後、再び上り列車に乗り換え、今度は餘部鉄橋を渡って城崎温泉へ。
初めて降りた城崎温泉。さすがに名高い温泉だけあって、駅前の街並みも、どこか風格を感じさせるものでした。ここでも1時間ほど時間があったので、駅の隣にあった外湯「さとの湯」へ入ることにした。入口の横に、滝まである大きな足湯があり、湯量の豊富さを実感。

山陰への旅29 餘部鉄橋

2006-10-07 | 
松江で4日目の朝を迎えた。今日で旅も終わり。
山陰本線で京都まで行き新幹線で帰るのだが、途中、まもなく架け替え工事が始まり姿を消す「餘部鉄橋」を訪ねることにした。特急列車と普通列車を2つ乗り継ぎ、目指す「餘部鉄橋」の袂にある餘部駅で下車。急いでホームの先端から続く山道を登り、今乗ってきた列車が鉄橋を渡っていく姿をカメラに収めた。
それにしても、赤い鉄橋が森の緑、日本海の深い海の色に映えてます。雨まじりのあいにくの天気でしたが、素晴らしい景色を見ることができた。この鉄橋が架け替えられ、コンクリートの橋になってしまうのは、あまりにも惜しい。

山陰への旅28 松江地ビール ビアへるん

2006-10-06 | 
奥出雲葡萄園を後にして、この日の宿がある松江と向かった。
とりあえずホテルに荷物を置き、松江城の外堀の役目をしていた堀川を巡る遊覧船の乗り場近くにある「松江堀川・地ビール館」へ行ってみることにした。駅前から、松江市内の観光地を巡るバス「まつえウォーカー」の乗り、有名な塩見縄手を車窓に見ながら向かった。目指す地ビール館は、バス停のすぐ近くにあり、堀川に面した小奇麗な建物でした。「ビアへるん」は、従業員3名で造っている小さな地ビール工房で、この地ビール館内で醸造しているそうだ。名前の由来は「へるん先生」こと小泉八雲にちなんだもの。
2階に、ビールを飲みながら食事ができるレストランがあるというので、そちらで寛ぐことに。堀川の見える窓際の席を取ったが、広~い店内に客は私一人。落ち着けない感じだったが、軽いつまみと地ビールのお試しセット注文。3種類の中では、ペールエールがなかなかでした。限定の「宍道湖夕陽ビール」というのが目に付いたので、これも飲んでみたが、かなりすっきりとした味わい。生小麦を使用したそうだが、確か、夏に飲んだ伊豆高原ビールにもあったような。。。

山陰への旅27 奥出雲葡萄園

2006-10-05 | 
温泉津の町を離れ、山陰本線で再び宍道へ向かい、前日に乗った木次線で途中の木次駅へ。駅前からはタクシーを使い、目指したのは奥出雲葡萄園。奥出雲葡萄園は、こだわりのワインを造る小さなワイナリー。瀟洒なワイナリーの建物の前には、レインカットのブドウ畑が広がっていた。
施設の見学は出来ないが、ワインの試飲ができる他、併設されているレストランで食事をしながら寛げる。試飲をしながら、ワイナリーのスタッフととしばらくお話をした後、そのレストランで昼食を取った。

山陰への旅26 温泉津 沖泊

2006-10-04 | 
温泉津湾からのんびり歩いて20分ほど、トンネルを潜った先に現れたのが、石見銀山から産出される銀を積み出した沖泊と呼ばれる小さな集落。戦国時代、温泉津湾と沖泊を隔てる丘上に築かれた鵜の丸城と、入り江を挟んで向かい側にある櫛山城に守られた重要な港であり、石見銀山への物資の陸揚げも行われていた。当時の賑わいを印すものはほとんど無く、船を係留するため、岩盤をくり貫いて作られた「鼻ぐり岩」が残るだけ。今は、住む人も疎らな静かな佇まいで、訪れたときも、私以外は誰もいなかった。

山陰への旅25 温泉津湾

2006-10-03 | 
愛宕神社から眺めた温泉津湾です。
温泉津温泉の街並みは、この温泉津湾に面したところから、細長い谷をほぼ一直線に連なっています。石州瓦を載せた家が数多く残っているのが良くわかります。

山陰への旅24 内藤家庄屋屋敷 なまこ壁

2006-10-02 | 
温泉津港から温泉街へ向かう道沿いに、重厚な漆喰の塀を持つ立派な屋敷があった。元亀元年(1570)、毛利元就の命を受けて温泉津湾の入口に鵜の丸城を築いて奉行となった毛利水軍御三家のひとつ内藤氏の子孫が住む屋敷です。内藤氏は温泉津に土着し、代々庄屋や年寄りを務めたそうだ。屋敷は、温泉津大火(1747年)後に建てられた温泉津で最も古い建物で、蔵の壁はなまこ壁が施してありました。現在、18代目の当主がお住まいとのことです。

山陰への旅23 温泉津温泉元湯 泉薬湯

2006-10-01 | 
薬師湯の斜向かいにあるのが、温泉津温泉の元湯「泉薬湯」。
温泉津温泉の歴史は古く、奈良時代初期の神亀三年(724)に編纂された「和名抄」に「温泉津」の地名が載っているそうです。この頃から温泉があったと推測され「温泉=ゆ」という起源だと考えられているようだ。平安時代には、都にまで名が聞こえたと言うから凄い。
脱衣所に入れば、こちらはさらにレトロ。木の温もりたっぷりでした。湯船は三つに分かれていて、こちらも成分が濃いのが湯船に付いたもので分かる。真ん中の湯船は温め(と言っても熱い湯に対してだが)で、右側の湯船はちりりと熱い。地元のお年寄りに囲まれて、熱々の湯に浸かるのもなかなかである。それにしても、肌に絡む湯の感じが何とも言えず、これは効きそうでした。

山陰への旅22 温泉津温泉 薬師湯

2006-09-30 | 
宿の湯も良かったが、温泉津と言えば、源泉掛け流しの外湯が有名。
まず入ったのが「薬師湯」。明治5年の浜田地震の際に湧出したことから「震湯(しんゆ)」とも呼ばれている。古い映画館のような建物で、隣には、大正8年に建てられたモダンな洋風の旧浴舎もあった。脱衣所は、大きな扇風機が天井で回り、何ともレトロな感じ。小判型の小さな浴槽と洗い場は、温泉の成分が幾層にも積み重なり、泉質の良さが窺えた。地元のお年寄りの社交場的な感じで、のんびりと湯に浸かっているとホッとした気分になります。

山陰への旅21 温泉津温泉夕景

2006-09-29 | 
部屋で一休みした後、夕暮れの温泉街を散策した。
とりあえず、温泉街の入口に当たる温泉津湾を目指す。リアス式海岸である温泉津湾は、天然の良港として古くから栄えた港。石見銀山で産出された銀は、この温泉津から船で運ばれていたそうだ。
写真は、港からの帰り道、温泉街のメインストリートを写したもの。車が滅多に通らない静かな温泉街では、お年寄りがのんびり歩く姿が似合っていた。