マリンタワーからの夜景を堪能したあと、山下公園を通って帰る事に。
外に出て、マリンタワーを振り返りました。緑色の照明は、クリスマスをイメージした冬バージョン。
ちなみに、マリンタワーは、シンボルタワーとしてだけではなく、灯台としての機能も持っているそうです。展望室の上部に設置されていて、航路標識番号もしっかり付いています。名称は、「横浜マリンタワー灯台」。
外に出て、マリンタワーを振り返りました。緑色の照明は、クリスマスをイメージした冬バージョン。
ちなみに、マリンタワーは、シンボルタワーとしてだけではなく、灯台としての機能も持っているそうです。展望室の上部に設置されていて、航路標識番号もしっかり付いています。名称は、「横浜マリンタワー灯台」。
マリンタワーの不思議な形をした、ほぼ全面がガラス張りのエレベーターで展望室へ。そこからは、横浜港の素晴らしい景色が望めました。もちろん、氷川丸も眼下に。
日が落ちる頃、街に灯りが点り始めました。夜景も、マリンタワーの魅力の一つ。
日が落ちる頃、街に灯りが点り始めました。夜景も、マリンタワーの魅力の一つ。
一通り見学したので、休憩がてらに、船内カフェ「Cafe CABIN」に立ち寄りました。以前訪れたときには、レストランもあったのですが、この時はすでに閉鎖されていました。
生ビールと粗引きソーセージを注文。海を眺めながら、氷川丸に乾杯!
生ビールと粗引きソーセージを注文。海を眺めながら、氷川丸に乾杯!
最初に見ることができるのは機関室。色々な計器類や大きな装置が並び、工場の中にいるようです。重層構造になっていて、階段で上り下りしながら見て回ります。
最下層部分では、エンジン本体と発電機などを見ることができます。写真の右端で座り込んでいる人がいますが、あれはエンジンのクランクシャフトを見ているのです。
最下層部分では、エンジン本体と発電機などを見ることができます。写真の右端で座り込んでいる人がいますが、あれはエンジンのクランクシャフトを見ているのです。
山下公園を散策した後、氷川丸へ。
氷川丸と、山下公園を見下ろすマリンタワーは、2006年12月25日で営業を終了。お別れがてら、ちょっと立ち寄ってみることにしました。
氷川丸が現役を引退後、この山下公園に係留されたのも、マリンタワーが建設されたのも、昭和36年の「開港百周年記念事業」の一環。変わりゆく横浜を、45年間見続けてきたのです。
氷川丸と、山下公園を見下ろすマリンタワーは、2006年12月25日で営業を終了。お別れがてら、ちょっと立ち寄ってみることにしました。
氷川丸が現役を引退後、この山下公園に係留されたのも、マリンタワーが建設されたのも、昭和36年の「開港百周年記念事業」の一環。変わりゆく横浜を、45年間見続けてきたのです。
山下公園に到着。ここが、関東大震災の瓦礫で埋め立てられた土地に作られた公園だと知ったのは最近です。初めて訪れたときには、まだ臨港線の高架橋が公園を横切っていました。
悲しい物語が秘められた「赤い靴の女の子」像越しに、これから向かう氷川丸を。
悲しい物語が秘められた「赤い靴の女の子」像越しに、これから向かう氷川丸を。
神奈川県庁前には、素晴らしい銀杏並木があります。
大学時代、友人と訪れたとき以来、私のお気に入りの場所です。
神宮外苑などの、蝋燭のような銀杏ではなく、大きく枝を張った古木が立ち並び、この季節の横浜を黄色く彩ります。
大学時代、友人と訪れたとき以来、私のお気に入りの場所です。
神宮外苑などの、蝋燭のような銀杏ではなく、大きく枝を張った古木が立ち並び、この季節の横浜を黄色く彩ります。
馬車道の名の由来は、昔、異国の人たちを乗せた馬車が行き交った道だったから。
後ろに見える建物は、神奈川県立歴史博物館の建物で、旧横浜正金銀行本店として、明治32年(1899年)から明治37年(1904年)にかけて建築されたものです。ネオバロック様式の建造物で、国の重要文化財に指定されているほか、国の史跡にもなっています。
後ろに見える建物は、神奈川県立歴史博物館の建物で、旧横浜正金銀行本店として、明治32年(1899年)から明治37年(1904年)にかけて建築されたものです。ネオバロック様式の建造物で、国の重要文化財に指定されているほか、国の史跡にもなっています。