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旅猫旅日記

写真と文で綴る旅の風景

2008年夏の青春18きっぷの旅・第2弾 信州どたばた旅7

2008-08-02 | 
さらに散策を続けていると、小さな横丁の奥にも湧き水があった。そして、その湧き水の流れの中に、ガマが穂を付けていました。子供の頃は、見かけることも多かったのですが、最近では出会うことも少なくなりました。そんなガマの穂に、こんな街中でであえるとは思ってもいませんでした!
水がきれいだってことですよね。

奥飛騨から越中路への旅46

2006-11-26 | 
高岡駅へ戻り、今度は氷見線に乗り換えて、雨晴海岸へと向かいました。
雨晴は、富山湾越しに立山連峰を望むことが出来るところで、以前来たときは、くっきりでは無かったけど、きれいに見えたので、今回は期待して向かったのです。
雨晴駅で降りて、海岸へと出てみたら、立山連峰の影すらありませんでした。残念!
ほんとなら、写真の向こうに立山連峰が大きく横たわっているのですが。。。
今回の旅はこれで終わり。

奥飛騨から越中路への旅45 万葉線

2006-11-25 | 
山町筋からのんびり歩き、高岡城跡へ。前田利長の隠居城として造られたものの、一国一城令で破却されてしまった短命な城でした。それでも、堀や本丸をはじめ、各曲輪の縄張りは残り、今では市民の憩いの場となっていました。
ひと回りした後、近くの電停から路面電車に乗車。ここ高岡にも、万葉線という路面電車が走っています。このとき乗ったのは、可愛い猫が描かれた車両。旅猫にぴったり(笑。

奥飛騨から越中路への旅44 山町茶屋のソフトクリーム

2006-11-24 | 
菅野家住宅の隣に、「山町茶屋」という古い町屋を利用したお休み処があったので、ちょっと休憩することにした。中へ入ると、土間であったところにテーブルといすが置かれて、ちょっとした喫茶室になっていて、その奥には広い座敷がありました。
座敷では、何やら背広姿の男性が数人が談笑中。その中の一人は、筑紫哲也氏でした。高岡で講演会があったようです。
私はというと、テーブル席に腰掛けて、ソフトクリームを舐めていました(笑。
でも、このソフトクリームは美味しかったですよ!

奥飛騨から越中路への旅43 菅野家住宅

2006-11-23 | 
これは、国の重要文化財に指定されている「菅野家住宅」です。
菅野家は、高岡の政財界の中心的な存在だったそうだ。明治の大火後の建築で、隣との境に、延焼防止用の釉薬をかけた煉瓦で造られた防火壁があります。
一般公開されていました。

奥飛騨から越中路への旅42 土蔵造りの街並み

2006-11-22 | 
金屋町の散策後、今度は山街筋にある土蔵造りの街並み散策。
途中に、どこかで見たようなデザインの洋館が見えてきました。これは、旧高岡共立銀行本店で、現在は富山銀行本店となっている建物ですが、やはり、東京駅を設計した辰野金吾が監修したとのこと。設計は、清水組の田辺淳吉だそうです。

奥飛騨から越中路への旅41 格子造りの街並み

2006-11-21 | 
「鈴木写真店」を過ぎると、格子造りの町屋が立ち並ぶ通りになりました。地元で「さまのこ」と呼ぶ千本格子の町屋は、旧町内エリアに27軒残存。写真は、中町エリアの街並みです。
金屋町は、高岡城主前田利長が、砺波郡西部金屋(現高岡市戸出西部金屋)の鋳物師7人を呼び寄せて住まわせたことから誕生した町です。
近くには、高岡鋳物発祥の地碑もありました。

奥飛騨から越中路への旅40 金屋町にて

2006-11-20 | 
高岡駅前から、コミュニティーバス「こみち」に乗車。
若い女性の運転手さんで、とても親切な方でした。横田町バス停で降りるとき、わざわざ身を乗り出して、金屋町への行き方を教えてくれました。実は、訪ねたわけでもないのですよ。
教えられたとおりに歩くと、目の前に写真屋さんのようなものが。
「8月のクリスマス」という映画に出てくる「鈴木写真店」だそうです。映画を観ていないのですが、とても雰囲気のある場所に立っていました。

奥飛騨から越中路への旅39 大伴家持の像

2006-11-19 | 
前田利長公の墓所を訪れた後、一旦高岡駅前へと戻った。
高岡駅前に、万葉集で名高い「大伴家持」の銅像が建っていました。
越中国守として赴任した家持が、万葉集に詠んだ歌「もののふの 八十娘子らが 汲みまがふ 寺井の上の かたかごの花」に因んだものらしい。
かたかご(堅香子)は、カタクリのことです。

奥飛騨から越中路への旅38 前田利長像

2006-11-18 | 
瑞龍寺を拝観後、その前から延びる前田利長公の墓所へと続く「八丁道」と呼ばれる道を歩いた。途中、有名な「銀鯰尾兜(ぎんなまずおかぶと)」を被った凛々しい姿の前田利長公の銅像がありました。

奥飛騨から越中路への旅36 瑞龍寺法堂

2006-11-16 | 
仏殿の後ろには、国宝の法堂がありました。
明暦年代(1655~57)に竣工した境内第一の規模を誇る建物です。方丈建築に書院造を加味した構造で、奥の内陣には、加賀藩二代藩主前田利長の位牌が置かれています。

奥飛騨から越中路への旅33 瑞龍寺仏殿

2006-11-13 | 
山門を入った正面に建つ国宝の仏殿です。
万治二年(1659)建立。総欅造りで、屋根は金沢城石川門と同じ鉛板葺き。全国的にも類の無い鉛板葺きですが、これは、有事の際に鉄砲の弾にするためのものだそうです。戦国時代、大寺院も防御施設として機能したことを伝える貴重なものです。
内部には、中国明代の釈迦、文殊、普賢の三尊を祀っています。