旅猫江戸日記

~江戸を歩く~
江戸の記憶を訪ね歩いた日々を綴ります。

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鬼平犯科帳 第5話「老盗の夢」 九段坂下 葭簀張りの居酒屋

2009-12-31 | 鬼平犯科帳
鬼平犯科帳 第1巻 第5話「老盗の夢」新装版P.195

玉やを抜け出した喜之助が、庄助ら三人に追いついたのが九段坂の上。三人は、九段坂を下り切って、ちょいと右に入ったところにある葭簀張りの居酒屋に入った。喜之助は、道を隔てた竹下主水正屋敷の塀ぎわにうずくまり様子を伺う。この後、居酒屋へ乗り込み、二人を刺殺後、茂太郎と相打ちになった。
九段坂は、今よりもずっと急な坂で、坂下には荷車を後押しする「立ん坊」が屯していた。居酒屋があった場所は、現在の昭和館のあたりと思われる。ここは、幕府の蕃所調所があった場所だが、濠側に今は無い道があった。居酒屋はそのあたりに出ていたものと想定したのだろう。ちなみに、竹下主水正屋敷の位置は、九段坂を挟んで反対側にあった水野監物の屋敷あたりと思われる。
写真は、九段坂を下から撮ったもの。左側にあるのが昭和館。右に見えている茶色のビルのあたりが、水野監物の屋敷跡。(2006-1-29撮影)
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鬼平犯科帳 第5話「老盗の夢」 板新道の裏長屋

2009-09-22 | 鬼平犯科帳
鬼平犯科帳 第1巻 第5話「老盗の夢」新装版P.192

板新道の裏長屋は、密偵小房の粂八が住んでいる場所。ここから、夜になると鎌倉河岸へ味噌おでんの屋台を出しに行くことを、岩坂の茂太郎に知られた。
現在の板新道は、内神田三丁目あたりであり、江戸の頃は永富町と呼ばれた場所にあった。板を売る店が多かったから付けられたそうだ。写真は、旧永富町四丁目のあたりの町並み。(2008-1-5撮影)
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鬼平犯科帳 第5話「老盗の夢」 鎌倉河岸 居酒屋豊島

2009-09-22 | 鬼平犯科帳
鬼平犯科帳 第1巻 第5話「老盗の夢」新装版P.191

〔玉や〕で蓑火の喜之助を縛り上げた3人(印代の庄助、火前坊権七、岩坂の茂太郎)の会話の中で、小房の粂八が入ったという鎌倉河岸の居酒屋が豊島。
当時の鎌倉河岸には、「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」と詠われた造り酒屋豊島屋があった。居酒屋豊島は、この豊島屋から取ったと言うのは明白だが、この豊島屋も創業時(慶長元年(1596)関ヶ原の戦いより前)は、旨い酒を提供する店として始まったそうなので、居酒屋と言っても過言ではない。江戸名所図会や広重の絵にも描かれたことのある名店です。ちなみにこの豊島屋、現在でも千代田区の猿楽町にあり、昔ながらの製法による白酒を造っています。
写真は、鎌倉河岸に面した旧神田鎌倉町に建つ鎌倉河岸ビル。古地図と見比べると、ちょうどビルの看板のあたりに豊島屋があったと思われる。(2008-1-5撮影)
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鬼平犯科帳 第5話「老盗の夢」 天徳寺門前替地

2009-09-22 | 鬼平犯科帳
鬼平犯科帳 第1巻 第5話「老盗の夢」新装版P.189

盗の当日四つ半(午後11時)に集まる場所にしていたのが、「天徳寺門前替地の火除地」。貸座敷〔玉や〕のある伝馬町一丁目とは、道(現在の新宿通り)を挟んで向かい側にある。盗が終わった後、盗金を一時運び込む予定だった「尾張さま裏の空屋敷」は、現在の四谷中学校の裏手、四谷一丁目13番地あたりにあった。
写真は、旧伝馬町一丁目から見た旧天徳寺門前代地。(2008-8-31撮影)
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鬼平犯科帳 第5話「老盗の夢」 四谷・伝馬町一丁目 貸座敷「玉や」

2009-09-22 | 鬼平犯科帳
鬼平犯科帳 第1巻 第5話「老盗の夢」新装版P.188

長遠寺を出た蓑火の喜之助が向かったのが、四谷・伝馬町一丁目にある貸座敷「玉や」。ここは、かつて盗賊野槌の弥平の息がかかった一種の〔盗人宿〕だった場所。
伝馬町一丁目は、現在の四谷一丁目3,8,13番に当たり、新宿通の拡幅などで江戸の頃よりかなり細長くなってしまっている。裏手の狭い路地を新道と呼んでいたらしく、今でも入口に「しんみち通り」という看板が上がっている。写真は、四谷御門(現四ッ谷駅)側から見た旧伝馬町一丁目。(2008-8-31撮影)
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鬼平犯科帳 第5話「老盗の夢」 谷中・首ふり坂 長遠寺

2009-09-22 | 鬼平犯科帳
鬼平犯科帳 第1巻 第5話「老盗の夢」新装版P.187

蓑火の喜之助の江戸のでの仮寓が、谷中首ふり坂にある長遠寺である。
江戸の頃の谷中には、長遠寺と言う寺は無い。首振坂(三崎(さんさき)坂)は、現在の谷中四丁目と五丁目の境から千駄木駅へと降りる坂であり、両側には寺院が建ち並んでいる。ちなみに、坂下から見て左側に、大円寺と長久寺という寺が並んでいて、長遠寺とはそのあたりから名付けられた名前なのだろうか。首振坂の名の由来については、「首をふる僧此坂にありしゆえ呼びならはせし名なり」と『江戸名所図誌』にある。
写真は、夕暮れ時の三崎坂(首振坂)。(2007-12-9撮影)
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鬼平犯科帳 第5話「老盗の夢」 四谷・麹屋横丁の長屋

2008-09-21 | 鬼平犯科帳
鬼平犯科帳 第1巻 第5話「老盗の夢」新装版P.186

蓑火の喜之助の配慮により、座頭の彦の市が住み着いたのが、四谷・麹屋横丁の長屋。彦の市は、大盗賊・蛇の平十郎の配下で、今回の盗のために差し向けてくれたのである。
現在の麹屋横丁は、新宿御苑の大木戸口から出てすぐの新宿通りを渡った真向かいになる。ちょうど、四谷四丁目と新宿一丁目の境にあたる場所。現在の地名は四谷ですが、当時は内藤新宿に含まれるようです。
写真は、横丁の中でも長屋があったと思われるあたり。四谷四丁目32、33番付近です。画面奥へ下る坂道は江戸時代にはなく、ここにあった町を斜めに貫いて作った新しい道です。(2008-3-9撮影)
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鬼平犯科帳 第5話「老盗の夢」 四谷御門外 蝋燭問屋・三徳屋治兵衛

2008-09-07 | 鬼平犯科帳
鬼平犯科帳 第1巻 第5話「老盗の夢」新装版P.184

蓑火の喜之助が狙いをつけたのが、四谷御門外にある蝋燭問屋・三徳屋治兵衛方。三徳屋は、江戸開府以来の商家で、江戸城や御三家筆頭尾張家への出入りも許されるほど。店構えは大きくないが、その金銀がうなっているという。
現在の四谷御門外は、JR四ッ谷駅の西側一帯の四谷一丁目界隈になる。小説では、その詳しい場所は書かれていないが、当時の麹町十一丁目か四谷塩町一丁目(現・新宿区本塩町)あたりと思われる。
写真は、旧四谷御門前にあたる新四谷見附橋西詰から見た旧麹町十一丁目です。写っている郵便局の右側が旧四谷塩町一丁目。(2008-8-31撮影)
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鬼平犯科帳 第5話「老盗の夢」 浅草・鳥越 松寿院門前

2008-08-16 | 鬼平犯科帳
鬼平犯科帳 第1巻 第5話「老盗の夢」新装版P.178

十軒店の宿屋に草鞋を脱いだ翌日、蓑火の喜之助が足を運んだのが、浅草・鳥越にある松寿院門前にある小さな花屋。ここの主は、夜兎の角右衛門配下の前砂の捨蔵で、夜兎一味の江戸における盗人宿の役目をしている。喜之助は、夜兎の角右衛門に助っ人を頼むために訪れたのである。
なお、「松寿院」と言う寺は鳥越に実在せず、当時の鳥越には「寿松院」という寺が存在していました。近くの金竜山浅草寺内にあった「松寿院」と混同されたのではないかと思われます。ちなみに、現在も「寿松院」は旧元鳥越町に存在しています。
写真は、天文屋敷と呼ばれた幕府の測量所があった辺りから見た寿松院の門前町。右奥へと向かう道は、江戸時代は新堀川が流れていて、ちょうど右側に見える雑居ビルの前に、幽霊橋という橋が架かっていました。(2007-5-27撮影)
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鬼平犯科帳 第5話「老盗の夢」 日本橋・十軒店

2008-08-10 | 鬼平犯科帳
鬼平犯科帳 第1巻 第5話「老盗の夢」新装版P.178

京から江戸へ下ってきた蓑火の喜之助が草鞋をぬいだのが、日本橋・十軒店の宿屋「丸屋仙太郎」方。
十軒店は、江戸時代初期、桃の節句・端午の節句に人形を売る仮の店が十軒あったことから名付けられたといわれる町。雛市が立つ町として、「江戸名所図会」にも紹介されています。江戸中期以降は、季節に応じた玩具を売る店が軒を並べていました。
現在の十軒店跡は、日本橋室町三丁目にあたり、銀行などのビルが建ち並んでいます。(2008-7-27撮影)

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