マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

食器を洗った後、どうするか悩んでいる話

2020-01-20 | 日々の暮らし
最近、食器を洗った後のことについて、悩んでいることがあります。
それは、食器に付着した水滴を、乾燥させるか布巾で拭くか、という問題。

とてもピンポイントですが、今回は食器を洗った後のことについて、少し深く考えてみたいと思います。

現状
試行錯誤中ではありますが、食器を洗った後は食器乾燥機へ入れて、ある程度食器が溜まったらスイッチを入れて、乾燥が終了したら食器棚へ片付ける、といった手順です。

この方法のメリットは、

 ・布巾は不要
 ・食器に水滴の跡が残りにくい
 ・乾くまでほったらかし

デメリットは、

 ・電気代がかかる
 ・乾きやすいように並べる必要がある(手間がかかる)
 ・完全に乾くまでに時間がかかる
 ・入れられない食器がある(漆、一部のラバー製品やプラスチック製品、金や銀の塗装がしてあるなど)
 ・スペースを取られる
 ・手入れを定期的にする必要がある

また、我が家のキッチンは狭いので、食器乾燥機を置くスペースに邪魔されて、動線が使いにくくなっています。
もっとも、これは食器棚や冷蔵庫、電子レンジ台などの配置にも問題があるので、改善の余地はあるのかな、と思っています。

「仮想おひとり様の老後」にトライしたとき
以前、母が入院している期間だけ、老後のおひとり様を想定して、生活の一部を変えてみました。
そのひとつが、食器乾燥機を使わない、というトライでした。
このときは、食器を洗った後、水切りに数分放置して水滴がある程度落ちてから、キッチンペーパーで残りの水滴を拭き取る方法にしていました。

約2週間くらいのトライでしたが、キッチンペーパーの消耗がいつもより多かったのはご想像のとおり。
では、電気代はどうか、という点が気になったのですが、そもそもひとりなので暖房もあまり入れないし、電気も自分がいる部屋しか点けないし、という感じだったため、食器乾燥機を使わなかったことが、どれくらいの節約になったかは全くの不明(苦笑)
ですが、食器を洗う数が断然少ないことを考えると、乾燥機を使うまでもないのかな、という気持ちにもなりました。

2日間ほど布巾を使ってみた
なんとなく、昔のように布巾で拭いて食器棚に片付けるようにしよう、とトライしてみました。
使った布巾は、マイクロファイバーのモノ。
普段は、水切りの底に敷いて、食器の水を吸わせる用途ですが、そのまま拭いてしまえばいいかな、と考えました。

そもそも、布巾を使ってみようと思ったきっかけは、単純に乾燥機の電気代が気になったことと、食器を洗うたびにキッチンペーパーで拭くのは不経済だし、ごみも増えることが少し気になったからです。
やり方は、仮想おひとり様の老後にトライしたときと同じように、洗った後しばらく水切りの上に放置し、その後布巾で拭く、という手順です。

2日間、布巾を使ってみて考えたのは、

「衛生面ではどうなのだろう?」

ということでした。
布巾は、当たり前ですが布です。
何かを拭けば汚れが付き、その汚れに雑菌が繁殖します。
また、濡れた布類を汚れたまま放置すると、もっと雑菌が増えるとのこと。

とすると、使い終わったらきれいに洗って(なんなら除菌殺菌もして)、干しておく必要がありますが、そうなると水仕事が増えて、水道代も気になり始めました。

また、食器を拭いた後、最初のうちはいいのですが、後に拭いた食器は拭きあがりがさっぱりしません。
おそらく、布巾が水滴を吸っているために、最後の方は完璧には水滴が拭き切れていないのだと思います。
となると、また乾燥した別の布巾かキッチンペーパーで拭きたくなります。
食器の数が多かったり、大きな食器を使ったりすると、布巾1枚では満足いく仕上がりにならない気がします。

他の人はどう思っているのか
布巾で拭くことにトライしてみた結果、めちゃくちゃ迷いが出てきました(笑)
数か月前までは、食器乾燥機はスペース取って邪魔だから要らないかな、と考えていて、壊れたら買いなおさずにいよう、と決めていたのですが、ここにきて要るかもしれない、という考えに揺らいでいます(苦笑)

こうなったら、ネット記事やSNSで、他の人は布巾を使っているのか、使う理由は何か、布巾を使わない人はどうしているのか、なぜ布巾を使わないのか、を調べてみることにしました。

まず、布巾を使っている方ですが、使う理由はやはり経済的な側面と環境面を気遣ってのことでした。
布巾を使えば、乾燥機や食洗器のように電気を使いませんし、使い捨てのキッチンペーパーはごみが増えるので環境によろしくない、という考えから使っている方が多かったです。
また、すぐに食器棚へ入れられるので、食器に埃が付かない、などの意見も見かけました。

次に、自然乾燥している方を見つけました。
自然乾燥の方は、水切りカゴや珪藻土マットの上に放置しておき、水滴が渇いたころに食器棚へ。
理由は、放置しておけばいいから(笑)
まあ、そうですよね。
そういうことでしたら、乾燥機や食洗器も同じですね。
自然乾燥している理由は、単純に乾燥機や食洗器を置く場所がないか、あまり難しく考えていないかのどちらかみたいでした。
ただ、中には布巾が不衛生だから、と考えている人もいて、それは乾燥機や食洗器を使っている方も同じように感じておられるみたいです。

次に、乾燥機や食洗器を使っている方です。
自然乾燥派と同じように、放置しておけばいい、という考えと、温風で乾かす方が水滴がしっかり蒸発して食器もキレイだから、という考えの方もいました。
そこは、私も同意です。
そして、やはり布巾で拭くのは不衛生だと感じている方も、いらっしゃいました。

食洗器を使う方は、まず食器を洗う水道代の節約と、洗うところから乾燥させるところまで、放置しておいていいという部分に、メリットを感じているようです。
私も、実は食洗器を試してみたいのですが、狭いキッチンでも使えるモノがなかなか見つからないので、購入には至っていません。
そして、やはり衛生面を気にしておられる方がいました。
この場合は、洗うスポンジと布巾の両方が気になっているみたいです。

最後に、キッチンペーパー派。
使う理由は、布巾を使った場合の衛生面に疑問を持っているから。
まず、衛生面なのですね。
私も、使ってみてわかったのですが、布巾を少し使って、しばらく放置しただけで、匂いが気になりました。
この匂いは、雑菌が増えたからに他ならないと思います。
その点、キッチンペーパーならば、使ったらすぐに捨てるだけでいいので、布巾よりも清潔に保てるはずですね。
ちなみに、使う種類は、水にぬれても破れにくいというペーパーを探して、お使いのようです。
あと、キッチンペーパーを使う方はミニマリストだったりシンプルライフを意識している方が多いようです。
乾燥機や食洗器をキッチンに置いておきたくない、というのが理由ですね。

キッチンペーパーの場合、価格と使用頻度が見合っているかどうかが気になります。
その点は乾燥機も同じで、1日に何回スイッチを入れるか、乾燥させる食器数の平均はいくつくらいか、トータルで何分乾燥させているか、電気代がキッチンペーパーに比べて割高なのか割安なのか、ちょっと本気で調べる必要があるかもしれない、と思い始めました。
また、ごみの量はどのくらい増えるのだろうか、という点も気になるところです。

2人以上の家族の場合
今、私は母と2人暮らしですが、使う食器は1人のときに比べて当然2倍になります。
となると、食器を洗って拭くまでに、割と時間を要します。
かといって、1食分を乾燥機に入れるとスペースに余裕がたくさんあるため、2食か3食終わるまでは乾燥機のスイッチを入れない日もあります。
そうなった場合、朝使った食器が食器棚に入るのは、夕飯を食べた以降になってしまい、食器を片付けるまでに時間がかかります。

これは、自然乾燥も同じことですが、洗った食器が食器棚から出た状態ですと、例え乾燥機の中に入っていても、雑然とした見た目になります。
視覚的に、スッキリさせることを優先させるとなると、やはり布巾かキッチンペーパーで拭く必要が出てきますね。
もし1人暮らしでしたら、拭いた方が効率的で時短になりそうなのですが、私の個人的な印象だと家族が2人以上の場合は、乾燥機や食洗器を上手に利用したほうがいいように思いますが、考えれば考えるほど、どの方法がいいのか、結論が出ません。

ひとまず乾燥機フル活用で過ごします
結論が出ないので、ひとまず今までどおり乾燥機を使う方法で過ごしたいと思いますが、とりあえずやめてみることを決めました。
それは、洗った食器を一時置きする水切りに、布巾を敷かないこと。
今まで、水を吸ってくれるだろうと思って、マイクロファイバーの布巾を敷いていたのですが、あまり効果がないような気もしていて、さらに衛生面が気になり始めたので、一度やめてみようと思います。
もし、やはり拭く方がいいかもしれないな、と思ったら、コスパがいいキッチンペーパーを探そうと思います。

ふと思いましたが、食器を洗った後、拭くのか乾燥させるのか、という問題は、永遠に決着がつきそうにないですね。
最終的には、自分が気持ちよく食器を保管できることがいちばんいいのでしょうが、どの方法も何かしらの犠牲が伴っているな、とも思うので、選択が難しいです。


今回は、食器を洗った後のことについて、いろいろ考えていることを綴ってみましたが、食器は口に入れる食品を盛り付けたり入れたりするモノですから、拘ることができるところは、とことん拘りたいです。
そういえば、かなり以前ですが、きちんと除菌殺菌をしていないスポンジで食器を洗うと、食器を乾燥させても菌が残っていて、その食器を使うとお腹の調子が悪くなる可能性があると、テレビで医者が言っていました。
布巾で拭くかどうかも考えてしまいますが、スポンジも衛生面では面倒なモノなのですね。
家事は、拘り出すときりがないので、あまり考えすぎないで自分がやりやすい方法を見つけるのが、1番のようです(笑)

我が家が汚部屋にならなかった理由を考えてみた

2020-01-19 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
我が家には、これでもか、というくらいモノがありました。
ところが、メディアで取り上げられるような「汚部屋」には、かろうじてなっていなかった気がします。

そこで、我が家がかろうじて「汚部屋」にならなかった理由を、私なりに考えてみました。

汚部屋の定義?
ところで「汚部屋」とは、どういった部屋や家のこというのでしょうか?

私の個人的なイメージでは、

 ・部屋中、家中に、モノとごみがあふれかえっている
 ・人が暮らすスペースがほとんどない
 ・全く掃除がなされおらず、あちこちに汚れが付いている

といった印象です。
モノが多くても、ごみがなく、家の中の汚れも生活していて普通に汚れる範囲に収まっていれば、ギリギリで汚部屋にはなっていないと思っています。

ある人は、ごみがあふれかえっている家は「ごみ屋敷」と呼ぶかもしれませんが、私の中では「汚部屋」と「ごみ屋敷」は、かなり近い状態だと思っています。
また、ある人は、ごみがなくともモノが溢れていて片付けや掃除ができない状態ならば「汚部屋」と呼んでいるかもしれませんね。

以前の我が家
ここでは、今の住居であるマンションへ越してきた時期まで、話がさかのぼります。
まず、兄が遠方から我が家に戻ってくる前の、現在の住まいがどのような状況だったのか、綴っていきます。

今の住まいは分譲マンションですが、その前は小さな戸建てに住んでいました。
小さい平屋だったので、住んでいる私たち(この時は私と両親の3人暮らし)は、そんなに家具や荷物を持っていた感覚はなかったのですが、今のマンションへ越してくる時に、家具が大きすぎることや、多いこと、モノもやたらとたくさんあることを実感しました。

しかし、当時はある程度の不要品は処分したものの、結局アレもコレもすぐには買いに行けないから、持っていこう、ということになりました。
おまけに、新居になるのだから、と家具を新調したりもしました。

越してきてすぐは、まあ家具が多い状態ではありましたが、モノは全て収納できていました。
しかし、その後です。

母のエリア
母が、病的にモノを買うようになり、使いもしないストックを際限なく通販で購入していました。
洋服も、出かける度に数万円の服を買っていたといっても、過言ではありません。
今思えば、当時そこまでお金があったのかしら?と、とても不思議なのですが、途中で支払いが難しくなったときには、持っていた宝石などを買い取ってもらい、現金に変えていた時期もあったようです。
たまたま、サラ金などには手を出さなかったので、今無事に過ごせていますが、もし本気で歯止めがきかない状態になっていたら、と思うと恐ろしいですね。

そのような状態が続くうちに、母が購入した生活用品や洋服が、家具の中に納まらない状態になっていきました。
タンスや棚の上は、ぎちぎちの状態で段ボールが置かれ、4部屋あるうちの1部屋は、母の服と未開封の生活用品のストックで、あっという間に埋まりました。
いわゆる、足の踏み場がない状態になっていたのは、今でもはっきり覚えています。

最終的には、物置部屋になっていた部屋からもモノが溢れだし、とうとうその溢れたモノに躓いて、母が転んで頭を打って出血、救急搬送されました。
そのことがあって、私がかなり厳しめに、命とモノとどっちが大切か、と叱ってからは、少しずつ不要な服やモノをリサイクルショップへ持ち込むようになりました。
もっとも、結局買ったモノに未練がたっぷりあったので、当時は売るか好きな人に譲る以外の方法では、モノを処分していなかったですが(苦笑)

最近になって、やっと不要品を「ごみ」として処分してくれるようになったことは、今までにもブログに綴ってきました。

父のエリア
父は、とにかく趣味と特技が広範囲にわたっていたので、それぞれに関係があるモノを、お小遣いの予算が許す限り、集めていましたね。
父のエリアは、絵を描く道具とその作品、大工道具と材料、カメラ、気まぐれに集める記念コインや記念切手、便利グッズ、そして小説や趣味のことに関する本も、山ほどありました。

以前、大きな本棚を処分した話をしましたが、その本棚には父が購入したり譲ってもらったりして集めた書籍で、いっぱいになっていました。
加えて、リビングテーブルの下にも、書籍が積み重ねてあり、寝室のそばにも書籍を積み上げている状態で、日々過ごしていました。
大工道具はベランダへ、絵の道具と描いた絵、カメラと写真は押し入れや自分が使っていた収納家具へ、とにかくあちこちに収納していました。

父は、とにかくリユースやリサイクルが好きで、家の中で壊れたモノは、必ず一度は修理するし、修理が無理なモノは、別のモノに作り替えて使うような人でしたので、いつまでも古いモノが残った状態で、新しいモノを手に入れてしまう、いわゆるタメコミアン。
おまけに、ちょっとした雑貨も気に入ると購入してしまうので、私や母も「お父さんは、なんでこれを買ったんだろうね」と言ってしまうようなモノも購入していて、亡くなった後、父の遺品を整理した時は、少し途方に暮れるくらいにモノが溢れていました。

兄のエリア
今から10年くらい前でしょうか、兄が仕事を失い、我が家に同居することになりました。
マンションは、もともと兄が戻ってくるとは想定していなかったことと、母や父のモノで溢れていたので、兄だけのエリアはありませんでした。
仕方なく、父が使っている部屋に兄が居候する形で、なんとか寝る場所だけは確保できました。

この兄も、収集癖が酷くて、自分の趣味のモノを次から次へと、お金が許す限り購入してしまう性質でした。
仕事がなくなり、住んでいた部屋も引き払い、戻ってきたときは何も持っていなかったのですが、数か月もすると、父の部屋は父のモノと兄のモノで溢れかえりました。

この状況になると、布団は敷きっぱなしになりますし、掃除機もかけられないような状態です。
床もほとんど見えないし、かろうじて歩けるスペースがあるくらい。
2人が使っている部屋だけは、ほんの数か月で汚部屋寸前の状態までいっていました。

後に、父も兄も亡くなったので、ほとんどのモノを私が躊躇なくごみ袋へ放り込んで、汚部屋も終息を迎えました(笑)

マシュマロのエリア
私の部屋は、もともと引っ越してきたときからひと部屋与えられていたので、家具や持ち物は多かったのですが、自分の所有物はきちんと把握して、保管と収納をしていました。
ある程度モノが増えると、不要になったモノを捨てるということも、昔からできていました。
なんなら、クローゼットに余裕があったため、母が溜め込んだ日用品なども入っていました。
思い返せば、私の部屋は汚部屋どころか、普通の部屋よりもモノが少なかったかもしれません(笑)

私の性格上、見えている範囲は整然としておきたいので、視覚的に不要だと思うモノは全て収納家具へ収めていました。
引っ越ししてきた当時は、システムデスクと本棚代わりのアンティーク風食器棚(母が勝手に買っていました)、AVラック、小さいテレビとテレビ台などがあったと思います。
ベッドは、部屋を見てから購入しようと考え、最初はマットレスを床に敷いて寝ていて、使わないときは折りたたんでソファ代わりにしていました。

30代に入る前に、自室の不要な家具とモノを処分し始めたのですが、ちょうどそのころに腰痛も発症した関係で、30代に入ってからベッドを購入。
それから、20年ほどかけて、不要品を処分しつつ、必要だと思うモノは買い足し、ということを繰り返し、現在は必需品以外は買い足さず、ひたすら不要品を処分する毎日になりました。

越してきてから、今まで、モノがある程度整理整頓されていて、モノが溢れることがなかったのは、私の部屋と共有部分のダイニングキッチン、バス、トイレくらいだと思います。
ちなみに、廊下には日用品のストックが積まれていましたが、今は私が片付けたので、何も置かれていません。

汚部屋にならなかった理由
結論から先に言いますと、

 ・家族全員がモノを大切に扱う性格だったので、モノは汚れなかった
 ・家族全員が、足の踏み場だけは残していた(母の衣裳部屋は除く)
 ・共有部分に自分のモノは置かなかった
 ・ダイニングキッチンはモノが多かったが、食事をする場所は常にきれいにしていた
 ・家族全員が、ごみを床へ放置することがなかった(ただし、ごみ袋は毎回特大を使用していた)
 ・家族全員が、脱いだ服は洗濯カゴへ入れるというルールを守っていた
 ・衣類の洗濯と共有部分の掃除は、きちんとしていた
 ・共有部分を汚したら、使った人がきれいにしていた(特にルールはなかったが)

お解りいただけますでしょうか?
家族全員きれい好きで、掃除ができない場所(モノや家具に阻まれた場所)は汚れていましたが、自分たちが使っているエリアとモノは清潔にしていたし、ごみを放置するという行動も一切なかったので、汚部屋になりそうでならなかったのです。

また、家族全員が、自分なりのルールでディスプレイや収納方法、整理整頓をしていたので、たしかにモノはたくさんありましたが、あちこちに散らかっているという状態にはなりませんでした。

我が家の人間が、なぜそういう性格なのかは、わかりません。
ただ、父も母も整理整頓や清潔にする意識は高かったので、その両親に躾けられ育てられた子ども(私と兄)も、その性質を素直に受け継いだのだろうか、とは思います。

一番わかりやすい例で言うと、我が家にあったたくさんの書籍、兄が独立する前は、父、兄、私の3人分の書籍が、本棚を埋め尽くしていましたが、何年たっても新書に見えるくらいの状態を保っていました。
それは、家族全員が、本を読むときは手をきれいにして、折り目などは絶対つけず、ページのめくり方も静かにゆっくり、という扱い方をしていたからだと思います。
私が小さいころ、本を乱暴に扱うと注意されていたような気はしますが、そのうち本は汚さないように読むことが当たり前になっていました。

他のモノも、結局おなじで、乱暴に使ったり汚したりしないように扱う、という暗黙のルールというか、習慣が染みついていたのだと思います。

結論
我が家が、かろうじて汚部屋にならなかったのは、もともときれい好きだったことが影響したのだと思います。
しかし、きれい好きだからと言って、汚部屋には絶対にならない、とは言い切れませんよね。

おそらくですが、我が家の場合は、お互いがお互いのモノを「汚すな、壊すな、なくすな」とけん制しあっていたからかな、と考えています(笑)
自分のモノを大切にしたいなら、他の家族のモノも大切にしろよ、という心理が、知らず知らずのうちに働いていたのでしょうね。
そういった感じだったので、共有部分もお互いが目を光らせていたので、散らかりもせず汚れもせずに済んでいたと思います。

もし、何かのきっかけで、家族4人が全員バラバラに一人暮らしをしていたら、もしかしたら汚部屋になっていた人がいたかもしれません。
ただ、兄は何度か一人暮らしでの引っ越しをしていますが、住む先々で汚部屋を形成していたようです。
私は兄が嫌いだったので(初めて言いました?)、部屋を訪ねることなど考えたこともなかったのですが、聞くところによると、大変な状態だったようです。

母も、心理状態によっては、汚部屋になっていた可能性が高いですね。
理由は、母は卑屈な考え方をする人だからです。
何も悪くないのに、いつも自分が損ばかりしている、嫌な目に遭う、と思い込む癖があります。
そういった心理状態に落ち込んだ時に、買い物併存したり、家事を放棄したりする可能性は十分にありました。
実際、一部屋が母の服と雑貨で埋まってしまった経緯がありますから、汚部屋住人の素質はあったはずです。

父は、一人暮らしをしても、汚部屋の住人にはならなかったと推測します。
理由は、父がお金に対してシビアだったから。
趣味のモノを購入するにしても、必ず価格検討してからですし、欲しいモノの優先順位もはっきりしていたので、一定数以上のモノを買うことはしなかったと思います。
また、今あるモノで工夫しようと考える人だったので、そういった点でも、汚部屋になる前にモノをどうにかしていたのではないかと思います。

最後に私ですが、一人暮らしをしようが家族と同居しようが、要らないモノはさっさと処分する性格なので、センスのない部屋にはなっても、汚部屋になることはないです。
モノを持ちすぎていた時期もありますが、単純に処分の仕方がわからなかっただけ。
あきらかなごみと不要品は、躊躇せずにごみ袋へ入れられますが、不要であってもごみではない(新品、未使用、新古品レベルのモノ)場合は、どうしていいかわからず、抱え込んでいましたから。
後に、リサイクルショップがあちこちにできたおかげで、ようやく処分することができるようになりましたので、今の時代が来てくれてありがたいとも思います。


今回は、我が家が汚部屋にならなかった理由を考えてみましたが、家族が減り、母の意識も変わり、私が終活を意識するようになった現在は、シンプルな部屋になりつつあると思います。
しかし、どこかで違う価値観を持っていたら、あるいは今頃汚部屋になっていたかもしれません。
ですから、正直好きになれない部分も多いのですが、けん制し合える家族がいたことには、感謝します(苦笑)
今後は、よりシンプルでモノが少ない部屋に住んでいる人を参考にして、終活の励みにします。

母、退院後の経過について

2020-01-18 | 母のこと
母が極度の貧血で入院し、原因ははっきりしませんでしたが、胃にできたポリープから出血していることがわかり、内視鏡で切除したのち、通常の生活に戻ってもよいということで、退院をしたのが12月17日。
その後の母について、少し綴ります。

退院直後
ポリープを切除してから、1週間で退院となった母。
院内では、一人で歩くと貧血で倒れる可能性が高いので、看護師が常に注意しておかなければならない患者として入院していたためか、リハビリが思うように進んでいなかった様子でした。
リハビリは、入院しているとどうしても運動量が減り、そのため筋力等が衰えて、日常生活に戻るときに支障が出てしまう可能性があるので、それを防ぐために行われます。
また、ずっとベッドに寝たままの状態だと、静脈血栓塞栓症(エコノミークラス症候群と呼ばれていた時期もありました)になる可能性もあるため、それを防ぐためにも、リハビリ(運動)が必要になります。

ポリープ切除後も、母の体調が劇的に回復している様子はありませんでしたが、一応歩いてトイレへ行くことは許可されました。
この、回復している様子が見られない状況について、少し補足すると、もともと母は日常的に夜型生活をしており、日中の体調は悪いときが多いので、おそらく入院中も昼間は起きることができずに、リハビリを中止した日が多くあったと思います。
毎日見舞いに行っていたのですが、リハビリの担当職員の方が、調子のいい状態の母を見て驚いていました。
母は、調子のいいときと悪いときの差が、かなり激しい人です。
家族である私は慣れているので「またか」と思う程度。
もっとも、それが仇となり極度の貧血状態に気が付かなかったので、救急搬送という結果になったのかな、とも思います。

それくらい、母の体調は普通の人の状態に当てはめることが難しいのです。

さて、退院直前も調子がとことん悪かったり、逆に散歩に行きたいなどというくらい元気だったりしましたが、帰宅してからは調子が悪い状態が、ずっと続いていました。

母の体調(12月半ば)
母のもともとの体調(夜型)もあり、計画通りにリハビリが進まないまま退院したので、帰宅してからしばらくは、家の中の移動も私の補助が必要な状態でした。

足が思うように動かせないことに加え、貧血状態もまだ改善していないように見えました。
眼がうつろになっていて、歩いている最中に目をつぶってしまい、そのまま動けなくなります。
おそらく、この時は貧血による一時的な意識消失状態だったのだと思います。
一瞬のことなので、話しかければ返事はしますし、母自身も動こうと頑張りますが、私から見たら全く歩けていない状態ですし、立っていることすら辛い状態だということは、明らかでした。
しかし、母は自分では大丈夫だと思い込んでいて、さらに歩こうとしますが、とても1人で歩かせられる状態ではなかったのが、毎日のように続いていました。

このため、私は長時間の外出を控え、買い物は徒歩5分で行けるスーパーに限定し、買い物もさっさと済ませるような毎日でした。

母の体調(年末から年始)
正直、まだ貧血がまったく改善されていないのだな、と感じながら、しかし何もできない状態で、ただ安静にさせて薬を飲み忘れないように言い聞かせ、食事も病院と同じくらいの時間に摂らせるようにしました。
病院と同じタイミングの食事時間にしておけば、夜型の母でも少しくらいは体調がよくなるのではないか、という淡い期待があったからです。

また、母はもともと糖尿病なので、糖質の過剰摂取はNG。
糖尿による合併症で心臓も悪く、高血圧でもあったので、塩分の過剰摂取もNG。
退院時は、食事制限なしと言われましたが、私にはどうも、食事の内容で母の日中の体調が決まってくるように感じていたので、主食はごはんをメインにし、母が好きな麺類は極力控えました。
麺類は、糖質が多いことに加えて、つゆの塩分と麺に練りこまれている塩分もあるので、塩分摂取が増えます。
どうしても食べたがるときは、分量を半分にし、野菜を多く入れて、つゆはだし汁のみにして、醤油などの味付けはしないようにすることにしました。
焼きそばのように、炒めて食べる場合は、ソースや醤油などの調味料の量を減らしました。
ごはんは、糖質は高い食品ですが、ミネラルや食物繊維があるので、小麦粉を使ったパンや麺類よりは、母の現在の体調には適していると思っています。

おかずも、なるべく塩分を使わない調理を考えて、砂糖は使わずにみりん風調味料の糖分で味付けするようにしました。
ただ、みりん風調味料は、食塩も入っているので、実は味付け時に気を付けなくてはいけないのですよね。
みりん風調味料を使う場合は、塩分もかなり減らすように努力しました。

食材には、鉄分が含まれている葉物野菜やカボチャをメインに、たんぱく質は魚と大豆製品を使うようにしました。
そして、筋力が酷く落ち込んでいるので、気休めではあるのですが、退院直後からプロテイン入り飲料を毎朝飲ませるようにしました。
朝の摂取が正しいのかどうかは、不明ですが、母はそもそも朝食を少ししか食べないので、プロテイン入り飲料で喉を潤しつつ、栄養補給をしている感じです。

おやつも、塩分と糖質の少ない菓子を選ぶようにしていたのですが、どうにも難しく、最終的にはナッツとキャンディーを頻繁に買うようにし、たまにケーキや和菓子を買う程度にしていました。
菓子類は、大袋を買ってしまうとあるだけ食べてしまうので、甘いものを買ってくる際は、必ず食べ切れる量を買い、一日一度だけ食べるような状況にしました。
もし、数個入りの菓子を買った場合は、残りを隠して毎日1個ずつ出すようにしていたのですが、振り返ると、菓子の味を覚えた子どもが、過剰に菓子を食べないように、手の届かないところへ置いておくママのようでしたね(笑)

そんな努力が実ったのか、ただ薬の効能が現れただけなのか、母はいつの間にかふらつくこともなく、一人で家の中を歩けるようになっていました。
貧血状態になることも、少しずつ減っていったので、母を1人にして外出する時間も取れるようになり、クリスマスや年末にはケーキを買いに行ったり、おせちを買いに行ったりできるようになりましたし、少しの時間ですが、私のための外出時間も取れるようになりました。

母の体調(1月になって)
現在の母ですが、一人で出歩くのはまだ怖いとのこと。
足が、思うように動かせないようです。
ただ、外の空気を吸いに、玄関の外までは出られるようになりました。
たまに、家の中を意味もなく歩き回っているので、何をしているのか聞くと、少しでも歩いて足腰が弱らないようにしたいと言っています。
自分で、なんとかしようとする意識も出てきたので、完全な回復はムリでも、今の状態よりは改善してくれるといいな、と思っています。

金曜日に、定期健診にかかりつけ医の内科と白内障の手術をした眼科を受診しました。
この日は、朝から起きていて(当たり前のことですが、母には珍しいことです)、歩くのも私の支えは不要だった様子でした。
もし、体調が悪く一人では歩けない状態ならば、内科だけ受診して薬を貰ったら帰宅しようと考えていましたが、大丈夫そうだったのでそのまま眼科へ連れて行きました。

途中で、疲れて具合がわるくなるかな、と心配していましたが、家に帰るまで一人で歩けていたので、退院直後からしたら、かなり回復しているとみていいかもしれません。
ただし、外出時間が長かったためか、帰宅してからの昼寝がかなり長かったです(苦笑)

再び認知症疑惑
認知症の検査のため、MRI検査をしたのは10月のこと。
検査結果としては、認知症に見られる疾患や脳の状態は一切ないとのことでした。
ただ、脳の血管が驚くほど細いという指摘があったので、脳梗塞などの危険性は高いです。

認知症に見られる疾患はなかったのですが、口頭での問診では、おそらく認知症の疑いが高いとの結果になっています。
実際、母は数分前にした自分の行動や、私が言ったことを忘れます。
日付も、よくわかっていない状態。
部屋を暖房で暖かくしていることも原因かもしれないのですが、ときどき「今は、何月?冬?」と質問してきます。
家の中では薄着で十分なので、冬であるという感覚になっていない様子です。
最近になって、やっと玄関先に出るようになったため、今が寒い季節だということを自覚し始めている状態です。

今、インスタントコーヒーをスティック入りのモノに替えているのですが、数日前に母がそれを手に取って、これは何?と聞いてきました。
コーヒーだと答えると、
「どうやって入れるの?」
と言います。
母は、スティックコーヒーを見るのは、初めてではありません。
ですが、入れ方がわからないと言いました。
少しびっくりして
「スティックコーヒーの入れ方も忘れた?」
と、私の口調も少しきつくなってしまいました。
ただ、ビンや袋に入った粉状のコーヒーやココアは、入れ方を忘れることなく、勝手に自分で入れて飲んでいます。
どうも、あまり習慣付いていない行動(スティックコーヒーはめったに買わないので)に関して、忘れてしまっている様子が伺えます。

また、自分で作ったルールを実行できずに、私に確認してくることがあります。
ルールと言っても、大したことではないのですが、母は自分が過ごす部屋のテーブルに、白湯の入ったティーポットを置いて、常に飲める状態にしています。
ティーポットが空になったら、キッチンの電気ポットからお湯を入れて、部屋に戻るのがルーティン。
ですが、最近になって、空のティーポットを持ったまま、キッチンで戸惑っていることが、何度かありました。
どうしたのか聞くと、
「私はコレ(ティーポット)に何を入れたらいいんだっけ」
と言ってきました。
スティックコーヒーのときと同じように、最初はびっくりしたのですが、最近は好きなモノを入れたらどうか、と返すようにしました。

そもそも、ティーポットへ入れる飲み物など、好きなモノを入れたらいいのです。
それを、母は白湯を入れると決めていただけのこと。
水を入れたいのならそうすればいいし、お茶をいれたいのなら、そうすればいい。
ですが、母は自由に選ぶことに戸惑ったようで「わからない」という言葉を、数回連呼していました。

ふと、夫婦でうつ病になってしまった漫画家のドラマを思い出しました。
ドラマの内容は、こうです。
最初に、漫画家である妻がうつ病と診断されるのですが、そのうちサラリーマンの夫もうつ病と診断されるようになります。
その夫は、とても貴重面な性格で、毎日のお弁当を自分で作っていて、曜日ごとに入れるおかずを決めていました。
きれい好きなので、お掃除もきちんとするし、几帳面なので部屋にあるモノの配置にも気を配ります。
ところが、ある日、お弁当を作ろうとして、今日は何を入れていいのか突然わからなくなります。
毎日のおかずは、表にしてキッチンに貼り付けています。
それでも、その日にお弁当へ入れるおかずが解らなくなってしまった夫。
また、掃除も手順が解らなくなり、パニックになるシーンもありました。

私は、このドラマを見て、うつ症状には一時的な健忘症状が出ることもあると、知りました。
そして、今の母はもしかしたら、うつ症状に近いのかもしれない、と思いはじめています。
認知症とうつ症状による健忘は、見分けがつかないとも聞きます。
また、認知症の人には、うつ症状が出てくることもあるそうです。
だから、問診と検査で判断していくわけですが、さて、もし母にうつ症状が出ているのだとして、どのタイミングで何科を受診させたらいいのか。
ちょっと、今は手探り状態になっています。

ただ、母はもともといろいろな事を、わざわざ面倒くさくする人ではありました。
例えば、電気ポットへ水を足すときは、やかんを使わないといけない、と言いますし、そのやかんには常に浄水を入れておけと言います。
考えてもみてください。
ポットに水を足す道具など、ミルクパンでもピッチャーでも、水分を入れられる容器であれば、なんでもいいじゃないですか?
水も、常に入れておく必要はなく、入れるときに汲んだらいいですよね。
このように「こうでなければいけない」という母独自のルールが我が家には山ほどあり、それは大概アクションが多くて面倒で遠回りな方法です。

私は、母が決めた面倒くさいルールを、自分が家事を任されるようになってから、こっそりやめてきました(苦笑)
少しでも時短をしたい、なおかつ効率化もしたい私にとって、母のやり方は全部面倒に見えています。
この、面倒くさいやり方、アクションが多い行動が、今の母にとって、覚えきれないルールと化してしまっている可能性はあると思います。

この面倒なルールを少しずつ改善させて、行動をシンプルに過ごしやすい状態に誘導していけば、もしかしたら自分の行動が解らなくなる、といったことが減るかもしれない、と考えています。
例えば、視界に入ってくるモノを厳選する方法。
飲み物は、ビンか袋に入った粉状のモノだけに厳選するとか、そういったことですね。

ただ、今のところ、この忘れる行動は飲みモノだけに限定されているようにも思えます。
なぜなら、食品については、袋の開け方がわからないとか、食べ方がわからないとか、そういったことは言ってきません。
眼が悪いので、容器を見ただけでは何が入っているのかわからないときはありますが、中身が何かを教えれば、普通に開けて食べています。
曜日、日付、季節はいまいちわからない、数分前や少し以前の出来事は忘れる(かなり昔のことは思い出せる)、しかし、服はきちんと着ることができるし、女優や俳優の名前は憶えているし、簡単な暗算もできる。
このような状態ですから、どうも認知症状とは少し異なっている印象が拭えず、病院を受診させるかどうか、迷ってしまうわけです。

結局は経過観察するしかない
今は、私もいろいろ考える気持ちの余裕がない状態です。
自分の体調が、毎日のように上下しますし、体調が悪いときは何もする気になれません。
母の症状を、自分なりに調べようとしても滞ってしまう状態ですので、とりあえず異変を感じる母の行動があれば、メモしていくことにしました。

この先、どうなっていくのか、全く見当もつきませんが、今は母の体調(貧血)が改善されたように感じるので、それだけで良しとしておくことにしました。
今思うことは、母と私が快適に過ごすことができる環境づくりを、していかないといけないな、ということ。
来週には、中身が空になった家具を業者に頼んで廃棄するので、母の視界に入るモノがかなり減ることになります。
余計なモノがない部屋で、余計なことを考えずに行動できる環境になれば、私も母も、シンプルで快適な暮らしができるようになる、そんな気がしています。


今回は、母の退院後のことを綴ってみました。
もう少し、簡潔にまとめるつもりでいましたが、またダラダラと綴ってしまいました。
この週末はお天気が悪いみたいなので、外出はできなさそうですが、来週、天気の良い日に母の体調がよければ、ちょっと外に連れ出してみようかな、と思っています。

派遣社員時代の書類を処分した話

2020-01-17 | 仕事・労働
いつも片付けや不要品の処分をしているときに、扱いに困ってしまっていたのが、書類。
重要な書類はもちろん、何かしらの申請や申告に添付できそうな書類も、捨てるわけにはいきません。
ただ、もうどこかに提出したり、なにかの申請や申告にも使わない書類は、1年を目途に処分するほうが片付け効率がいいですよね。

私が保管している書類
私が永遠の旅に出るまで、ずっと保管しておくべき書類があります。

 ・両親のお墓に関する権利書や領収書
 ・不動産関連書類(母が世帯主であり所有者ですが書類は私が保管)
 ・国民保険や国民年金の保管すべき書類
 ・保険証書
 ・家族の死亡時手続き時に発行された書類

また、解約や解除まで、あるいは保管期限が満了になるまで保管しておくべき書類もあります。

 ・生活に密着した契約書類関係(通信費、光熱費、水道、NHK、自家用車など)
 ・運転免許証(カードですが書類としてカウント)
 ・葬儀社の共済関連書類
 ・確定申告書類(申告から5年間)
 ・病院関係の領収書や診療明細など
 ・失業保険関係の書類(2年間の保管が必要です)
 ・金融機関やクレジットカードの契約関係書類

大切な書類関係は、以上のような感じでしょうか。
まだ、書き漏らした書類もあるかもしれません。

これらの書類は、項目ごとにクリアファイルを用意して、関係書類がすぐに見つけられるように保管しています。

旅立つまで保管しておく必要がある書類は、さまざまな手続きをする上で、必要だったり参考になりそうな書類です。
解約や解除、保管期限付きの書類も、解約や解除前、保管期限内に私が旅立った場合に必要になるので、保管しています。

大切だったけれど必要がなくなった書類
以前は、保管しておくべき書類だったモノも、環境や状況が変わると不要になる書類があります。
それが、仕事関係の書類や学び関係の書類。

私は、長く派遣社員をしていたので、それぞれの派遣先での就労についての雇用通知書兼就労条件明示書が発行されます。
また、会社勤めの人に一般的に配付される個人書類も受け取っていました。
会社勤めでも、年末調整ができない状況の場合は、確定申告する必要があります。
年末調整ができても、医療費控除や薬代の控除は、確定申告で手続きしますし、する人が少ないかもしれませんが、通勤費(交通費)の控除も、確定申告で申告できます。
そんなこともあり、控除関係の書類、雇用契約関係の書類、社会保険関係の書類、健康診断の結果、雇用保険証などは、大事な書類でした。

しかし、今は派遣社員もやめて、就労自体していませんが、まだ手元にいくつかの書類があったので、社員時代に保管していた書類を、処分することにしました。

処分した書類
処分した書類です。

 ・就労規則(冊子ですが書類としてカウント)
 ・保険料や年金額変更のお知らせ
 ・給与明細
 ・手当等の通知
 ・福利厚生に関する書類
 ・派遣元からの重要なお知らせ

派遣に限らず、会社を辞めた時点で、手元には勤めていた会社からの書類が、結構多く残ります。
特に私は、何かがあった際に書類を頼りに記憶を呼び起こしたり、手続きの参考にしたりしていたので、割とどうでもいい書類でも、取っておくことが多かったです。

それでも、辞めてから1ヶ月以内に、明らかに不要だとわかる書類を捨てました。
本日捨てた書類は、年末調整前にやめてしまった関係で、昨年確定申告する必要があり、源泉徴収票の内容確認のために残しておいた書類が主です。
また、就労規則や福利厚生に関する書類などは、再度派遣の仕事をする可能性があったため、残しておいたのですが、もう派遣就労はやめることに決めたので、処分することにしました。

自分が、会社関係の書類を多く取っておくタイプかどうかはわかりませんが、多すぎるということはなかったと思います。
特に、給与関連や保険料などの通知は、新しいモノを貰ったら、古いモノを捨てていたので、溜まるということはありませんでした。
給与明細は、一応1年を目途にして保管していましたが、それは控除金額などの内訳を把握しておきたかったからなのと、時給就労で毎月違う手取り額だったため、月ごとの差を把握しておきたくて、毎年1年分だけ保管していました。
手取額の管理だけでしたら、受取口座の記帳をしておけばすむ話ですから、お金の管理をどのようにするかで、給与明細の保管状況は変わっていたと思います。
割と細かく把握しておきたいタイプの私は、給与明細は大事なツールではありました。

それももう、今となっては不要なので、もっと早くに処分していたらよかったのですが、他のモノを処分することに集中していたため、本日まで放置していました。

ファイル類を減らしたかった
ブックオフへ持ち込む書籍を整理しているときに、趣味のモノを入れたファイル類も整理して、結構な数のファイルを処分しました。
その際、重要な書類を入れたファイル類は後回しにしたのですが、もっとファイル類を減らしたくなり、派遣関係の書類を入れたファイルを、いちばん先に整理しました。

会社勤めのときは、ファイリングすると見た目も整うし、タグ付けしておけば管理しやすいと思ったので、自宅でも実践していました。
実際、重要な書類はそれがベストな保管方法でしたが、それ以外の書類はクリアホルダーにまとめておいて、頻繁に確認をして不要になったら捨てるようにした方が、整理しやすいことに気が付き、今までの保管方法はただ場所をとってただけだな、と反省。

今回、整理した結果、ファイルも減りましたし、ファイルでスペースが取られていた場所が空きました。
ここのところ、家の中に空間がたくさん出現しています(笑)
書類1枚は、ペラペラの紙ですが、視野に入ってくると、結構邪魔に感じます。
ファイルは、紙の邪魔な感じをまとめて、視覚的な不快感を和らげてくれる効果があります。
ただ、それがいけない(笑)
すでに不要な書類や、そもそも不要な書類を隠してしまう効果もあるので、いつまでも片付かない書類が溜まってしまう一因にもなってしまいます。

書類が溜まりがちな母は、ファイリングすることはしませんでしたが、とにかく引き出しへ入れる癖がありました。
その癖のおかげで、あちこちの引き出しに、さまざまな書類(紙類)が入っていて、不要品の処分が滞る原因にもなりました。
今、やっと一か所に書類を集めることができたので、いざというときに探すこともなくなりましたし、あちこちの収納が整理できたのも、書類を一か所にまとめた効果が大きいと思います。

書類が溜まる原因
書類が溜まる原因は「とりあえず保管」にあると思います。
私の場合は、ファイリングで、母の場合は、引き出し。
片付け動画などを見ていると、その「とりあえず保管」の場所が、テーブルの上、キャビネット類の上、タンスの上、下駄箱の上と、とにかく目視できる平らな空間であることが多いような気がします。
また、菓子などの空箱に入れている人も多いですね。
菓子50個入りなどの箱は、面積が広いので、書類が収まりやすいですからね。

私たち母娘は、たまたま書類を目につくところへ置くことが嫌な性質だったため、ファイリングや引き出し収納になったのですが、溜まっていく経緯は同じ「とりあえず保管」だと思います。
とりあえず、どんどん置いていくので、定期的に見直しをしないと、山になったり溢れたりします。
そうなると、新たに「とりあえず保管」できるように、場所を探したり箱やファイルを増やしたりしてしまいます。

こうなってしまうと、そもそも部屋をすっきりさせる目的で、ファイルや箱や引き出しを使っていることに、意味がなくなってきますよね。
見える場所へ置いてしまう人は、おそらく見えない場所へ保管すること自体が面倒なのでしょうから、見た目にスッキリさせることは、最優先事項ではないだけだと思いますが、箱やファイルや引き出しを使う人は、いずれ収納スペースが占領されてしまう事態になり、本末転倒。
きちんと整理しているつもりでも、書類を「とりあえず保管」している場合は、意識して定期的に書類を処分しないと、部屋が雑然としてしまいますから、気を付けたいですよね。

ただ、気を付けると言っても、やはりなかなか実行できませんよね。
書類に限りませんが、決めたスペースからモノがはみ出す場合は、見直して捨てなさい、というアドバイスをよく聞きます。
それは、もっともなアドバイスですが、そのはみ出すときでさえ、無理に入れてしまったりするので、問題は割と深刻かもしれませんよ?(笑)

書類が溜まらないようにする対処方法
私は、不要な書類と紙類を手にした瞬間に、ごみ箱へ入れています。
これも、アドバイスとしてよく耳にしますが、書類や紙類を溜めない対策としては、かなり効果があります。

しかし、一瞬見ただけでは、不要かどうかが判断できない人も、少なからず居ると思います。
そういう方は、書類や紙類を大まかに分けて「とりあえず保管」する場所を作る方法が、いちばん取り組みやすいかもしれません。
分類は「その他大勢向けの書類(紙)」と「自分や家族に直接関係する書類(紙)」の2種類にしたら、分けやすいのではないでしょうか。
「その他大勢向け」は、チラシやダイレクトメールやフリーペーパーなど、ターゲットが決まっていない書類(紙)です。
「自分や家族に直接関係する」は、具体的には子どもの学校関係のお知らせ、会社から社員に宛てた通知や明細、なにかしら契約したことの請求書や重要なお知らせなどですが、「その他大勢向け」ではないモノ以外、という認識でいいかと思います。

2種類に分ける場合、入れ物は色違いにするなど、目視で瞬時に判断できるように工夫しておきます。
あとは、分類したとおりに入れ物へ「とりあえず保管」をします。
机やテーブル、棚などの上に置いてしまう人は、そこに入れ物を設置してみてください。

さて、そうしたらどうなるか。
私の予想だと、そのまま入れ物の中の書類(紙)が、いずれ溢れると思います(笑)
でも、溢れていよいよ片付けないといけないな、と思った瞬間で構わないですから「その他大勢向けの書類(紙)」を古紙回収か、ごみ箱へ入れてください。
リサイクルごみだとか、裏が白い紙はメモ紙にするだとかは、考えない方がいいです。
それが、おそらく書類(紙)が溜まる原因の2つ目だから。
不要な書類は、いくら再利用しても、最終的には捨てるのですから、もう早めに引導を渡してあげてください。

次は「自分や家族に直接関係する書類(紙)」です。
こちらも、分類した入れ物から溢れた時点で、着手しなければなりませんが、少しハードルが高いかもしれません。
なぜなら、絶対に捨ててはいけない書類を見分ける眼が必要だから。
とはいえ、絶対に捨ててはいけない書類って、案外少ないと思うのです。

私が捨ててはいけないな、と思う書類は、契約書、クレジットカードやキャッシュカード、督促状、請求書、税金関係の払込書などでしょうか。
もっと簡単な思考でいくと「お金が絡む書類」ですね。
お金が絡む書類は、自分の家計を把握するために必要ですから、そういった意味では給与明細や控除関係の書類も絶対に捨ててはいけない書類です。

それから「なにかの約束やルールが書かれた書類」と「健康に関する書類」も、捨ててはいけない書類ですね。
具体的には、子どもの学校からのお知らせで、お金の支払いに関する書類(給食費や学級費)と健康に関係する書類(予防接種や健康診断など)、会社からの通知で、お金に関する内容の書類(補助金や支援金、減給や昇給など)、異動に関する書類、待遇に関する書類、健康診断の結果などです。
会社からの通知は、いざ何かが起きたときに「証拠」になるので、なるべく保管しておいた方がいいと思っています。
ただし、業務などに直接関係がない行事へのお誘い程度なら、即座に捨てても問題ありません。
それは社内の「その他大勢」に宛てた内容ですから、捨てたところで誰かが同じ書類を持っています。
いざとなったら、他の人から見せてもらってください(笑)

捨ててはいけない書類が、なんとなくわかった時点で、そうではないと思われる書類は処分候補にしましょう。
ただ、個人情報が入っている可能性があるので「その他大勢向けの書類(紙)」に混ぜてはいけません。
こちらの書類は、シュレッダーにかけるか、外から中が見えない状態にしてごみ箱へ入れましょう。

何でも重要だと思ってしまうと、書類(紙)はなかなか捨てられません。
しかし、分類を大まかにしてしまえば、今まで捨てられなかった書類も、捨てていいかも、と思えるようになりますよ。
実際、私がそうでしたから。
そして、今の時代は、ほとんどの書類がパソコンで作成されていますから、必ずデータが残っています。
本人確認などの手続きが複雑な場合を除いて、大体は再発行してもらうことができますし、他の人が受け取った書類を見せてもらうだけで解決できる場合も多いです。

私が「絶対に捨ててはいけない」と思う書類をまとめますと

 ・お金の収支に関係する内容
 ・二度と再発行してもらえないか、再発行に時間と手間がかかる個人書類
 ・重要なルールや約束が書かれている(契約書などもコレですね)
 ・個人の健康に関する内容(健康診断や検査の結果)
 ・上記の内容で保存期限内の書類

ですね。
上記の内容でも、効力がなくなったり、適用期限が過ぎていれば、捨てても大丈夫です。
もしも心配ならば、書類をスキャンして電子ファイルとして保存してから処分すれば問題はないはず。
電子ファイルさえあれば、コピーとしての印刷はできますから。
それに、私は今まで書類を捨てたことで、解決できない事態に陥ったことは、一度もありません。
間違って、結構大切な書類をなくしたこともありますが(個人的な書類)、なんだかんだで再発行して貰えたり、他の書類で代用できたりしました。

ですから、捨てたらいけない書類は案外少ない、と言えるのです。

要提出の書類
捨ててはいけない書類の中で、記入して提出するモノは、少し特別扱いをしてください。
少し面倒くさいかもしれませんが「記入して提出」という入れ物を作って、そこに一時保管しましょう。
その入れ物の中は、書類が提出された時点で、中身が減ります。
書類が溜まってしまうことは、ないはずです。
もし、提出期限を過ぎてもそこに残ってしまうようならば、付箋紙などを使って提出締め切り日をわかりやすく記入しておきましょう。
これは、重要な約束やルールのカテゴリーに入る書類ですが、いずれ出ていく書類ですから、視覚的なストレスは多くないはずです。

それでも書類が溜まってしまう人へ
何をどうやっても、書類が捨てられない、溜まっていくばかりだ、という人は、一度処分することを諦めましょうか(笑)
なぜなら、それにばかり気を向け続けることはできませんからね。
ただ、溜め込む場所は1ヶ所にしましょう。
あちこちに「とりあえず保管」することだけは、やめてください。

私は、ずっと片付けを続けてきて、不要品を次々と処分してきましたが、もし何もしてこなかったら、母が旅立った後に、重要な書類を探せずにおろおろしていただろうと思います。
今は、なんとかすべての書類を、私が管理できる場所へ集めることができているので、母が先に旅立っても書類はすぐに取り出せます。

分類やタグ付けが苦手な人でも、書類が1ヶ所にまとまっているだけで、いざ必要な時に取り出す時間が少なくて済みますから、ランダムでもいいから書類は全て同じ場所へ集めてください。
それが、不要な書類や紙でも、同じ場所に置いて構いません。
大事なことは「書類を保管している場所」が、はっきりわかっていることです。
分類ができなくても、要不要が判断できなくても、保管している場所さえ決まっていたら、探す場所も1ヶ所だけになります。
それに、散乱して片付かない書類でも、1ヶ所に集まっていれば、なんとなく整った印象になりますから、部屋を片付けたいと思っている人は、まず書類を1ヶ所へ集めることから始めたらいいかもしれません。


私が今回捨てた書類は、派遣社員時代に保管していた書類でしたが、派遣社員には二度とならないという決心に基づいた行動でした。
未練などはもちろんなかったのですが、いつまでも書類を持っていたことで、結果的には自分のストレスに繋がっていました(モノが多いというストレスですね)
モノから貰ってしまうストレスは、気が付かずに過ごすことも多いです。
私の周りには、まだまだ気が付かないストレスの元(モノ)が潜んでいるからでしょうか、なんとなく落ち着かない日があったり、よく眠れない日があります。
まあ、不要品がどれか、というのはわかっているのですが、結局は処分することを躊躇したり、面倒に思ったり、未練が残っていたりしているから、なおさら落ち着かないのかもしれません。
潔く、サクッと処分できる日は、果たしていつになるのやら(苦笑)

壁の上と洗面台下の収納を整理

2020-01-16 | 日々の暮らし
今日は、壁のディスプレイと洗面台下の収納の整理をしました。

壁のディスプレイ
少しずつ、壁のディスプレイを減らしながら、変更しています。
本日は、壁の上(天井に近い場所)にディスプレイしていた額を、全て撤去しました。

額の内容は、直筆サインと記念パネルです。
どれも、大事な記念品ですが、壁に飾っていることで、色褪せたり埃が被ったりしますので、よくよく考えると衛生面で悪環境です。
眺めて楽しみたい気持ちがあったので、壁の上にずらっと並べてディスプレイしていたのですが、表面の劣化と埃のことが気になり、外して別の場所に移動することにしました。

壁の上は、高めの脚立が必要です。
脚立を使うには、目的の壁際にある家具を移動させる手間があります。

家具を移動→脚立の設置→ディスプレイしていたモノを外す→おろす→掛け具を外す→脚立を片付ける→家具を元に戻す

この一連の流れ、かなり手間がかかります。
最初に飾ったモノは、もう20年くらい前だったかもしれません。
そこから、次々と増えていき、ときどき違うモノと交換したり、減らしたりしていましたが、最終的には7つのモノが残っていました。
飾った当初は、飾ることが楽しかったので、家具の移動や脚立の設置や取り付け作業に、何の疑問も持たずに取り組んでいましたが、この年齢になって取り外すことを決めて、いざ作業に入ると、まあ面倒くさいし、終わったらドッと疲れました(苦笑)

若いころは、壁のあちこちや天井にポスターや写真、雑貨などを、自由自在に飾っていた人は多いのではないかと思いますが、片付けている私から一言アドバイスがあるとしたら、なるべく早い時期、なるべく年齢が若いうちに、無理に飾っているモノは取り外した方がいい、ということ。
天井に近い壁のディスプレイは、脚立を使ったり家具を移動させたりという「無理」をしながら飾ったモノ。
この無理が、のちのち足腰に祟ります(本日の私です)

そして、現在、壁のディスプレイを増やし続けている方、脚立や踏み台を使わなくても手が届く範囲だけに、ディスプレイすることをお勧めします。
それ以上、範囲を広げてディスプレイすると、マイナーチェンジも手間がかかりますし、いざ全て取り外すときに、飾った当初の何十倍も面倒がかかって、体力が必要になることだけは、覚えておいてください。

これ、遺品整理だと仮定すると、もっと手間と体力を使うと思うのですよね。
本当に、自分が満足したまま旅立ってはいけないな、と思いました。
壁のディスプレイを減らす前の状態で、もし遺品整理して貰っていたと想像したら、全部取り外すのに小一時間くらいはかかったかもしれません。
外すだけではなく、掛け具や留め具も外す必要がありますし、テープで貼っている場合はテープの剥がし残しなどもきれいにする必要があるので、考えただけでも大変ですし、実際大変でした(苦笑)

壁のディスプレイは、手が届く範囲にまだ残っていますが、少しペースを上げて処分したり移動したりしようと思いました。

洗面台の下
キッチンの片付けをしているときに、古紙を入れていたカゴがひとつ空きました。
古紙を溜めることをやめてしまった結果なのですが、また再開するかもしれないので、カゴは捨てずに取っておこうと思っていました。

ふと頭の中で、空いているカゴを洗面台下の収納に利用したらどうだろうか、という考えが過り、さっそく試してみることに。
洗面台下の収納は、自分なりに整理はしていたのですが、いまいち使い勝手が悪かったので、カゴを利用することによって改善できるなら、そちらの方がいいかな、と。

洗面台下には以下のモノが入っています。

 ・掃除用の消耗品(お掃除シート類、粘着式カーペットクリーナー、洗剤など)
 ・洗濯用洗剤や柔軟剤
 ・シャンプーとコンディショナーのストック
 ・固形石鹸2個(貰い物)
 ・フェイスタオルの替え
 ・使い捨てゴム手袋
 ・ハサミ
 ・取扱説明書(ユニットバス、トイレ、洗面台)
 ・ドライヤー
 ・小さいデジタル体重計
 ・エチケットシェーバー

洗面台周辺、洗濯機周辺、浴室周辺で使うモノを入れています。

この中で、いちばん厄介なのが、シャンプーとコンディショナーのストックと、洗濯用洗剤類です。
理由は、ボトルのサイズが微妙に大きいため、上下収納ができないから。
シャンプーとコンディショナーのストックは、業務用の紙容器に入っているために大きいし、洗濯用洗剤はほんの数ミリの高さがネックになっていて、上下収納ができない状態です。

今回は、この上下収納ができない、シャンプーとコンディショナーのストックと洗濯用洗剤をカゴに入れることにし、その他のモノは段ボール紙製の収納ボックスとワイヤーネットを使って、なんとか整理しました。
まだ、満足のいく状態ではありませんが、シャンプーとコンディショナーに関しては、今のストックが全てなくなったら、全身シャンプーにシフトする予定で、そうなるとストックも袋容器になるので、おそらく上下収納ができる状態になるはず。
洗濯用洗剤については、現在いろいろ試している最中で、最終的には容器のサイズも考慮して、ひとつに決めたいと思っています。

ちなみに、現在試用中なのは、CMでよく流れているプッシュ式ボトルのモノです。
以前は、ジェルボール式の洗剤を使っていたのですが、プッシュ式の口コミが割とよかったので、お試し中です。
これまでの使い心地は、たしかに洗剤投入口に入れるときに、外にこぼれないという点では優秀です。
香りも、そんなに気になりません。
私は柔軟剤を使うのですが、柔軟剤の香りに混ざって変な香りになることもないので、今のところは、今後使う洗剤候補です。

ただ、ジェルボールしかり、プッシュ式洗剤しかり、コストパフォーマンスはあまりよくないような気がします。
洗濯量に対して、適量に誤差があるので、使いすぎている可能性もありますし、少なめに入れると洗浄力や消臭力が劣る可能性があります。
どの洗剤でも、似たような疑問はあるかもしれませんが、ジェルボールもプッシュ式も元の値段が他の洗剤よりも割高なので、家計的には悩ましいところですね。
時短や効率化を狙うと、経費が割高になってしまうのは、ある程度仕方がないのかもしれません。

今回の教訓
教訓的なことは、今回初めて綴りますが、

 壁に飾ったり貼ったりしているモノは、できる限り少なくし、
手の届く範囲にとどめるべし!


ということでした(笑)
壁に限りませんが、趣味のモノをディスプレイする場合は、なるべく厳選した上で、脚立や取り外し用の器具を使わなくても済む取り付け方にしておいた方が、自分で外す場合も楽ですし、他人が片付ける場合も迷惑を最小限に留められますから、是非実践してみてください。

私の場合は、掃除や片付け、整理整頓をする際は、終活を意識しながら取り組んでいますから、なおさら気になるのでしょうが、手間がかかることはとにかく排除しておいた方が、暮らしやすいということです。
壁に取り付けたディスプレイを外す作業にしても、少しでも時短できれば、他のことをする時間が確保できます。
他の収納や、家具インテリアの数、配置、収納しているモノ、全部取り出して処分することを想定したときに、どれくらいの時間を要するか、を想像できるようになれば、おのずと所有物の数は減るでしょうし、家具インテリアの配置や数も見直すきっかけになります。

よく、お年を召した方のお宅がごみ屋敷になっていることがありますが、どこかで必ずごみ屋敷の始まるきっかけがあったはずです。
配偶者との別れや、ケガ、病気など、ご本人がごみを片付けようとしてもできなかったとき、すでにかなりの年齢を経ていたら、現在の私よりもずっと体力も気力も弱っていると想像できます。
そのような状態で、思うような片付けやごみの処分は、おそらくできないことの方が多いでしょう。
そんなときに、誰かしらからのフォローがあればいいのですが、何かの事情でフォローを頼むことができなかったら、厳しい状態になっても仕方ないと思いました。

ただ、もともとの状態がモノの少ない状態だったら、もしかしたらごみ屋敷になってしまうことを防げたのかもしれません。
モノが少なければ、捨てるモノも即座にわかります。
誰かに、一度だけごみ捨てを頼むとしても
「そこにあるごみ袋を1袋、出しておいてください」
と頼むだけで済みます。

モノを少なくして暮らしていたら、おそらく出るごみも少ないと思われます。
モノが少ないということは、余計な買い物もしていないということ。
買い物が少ないということは、出るごみもそれなりにしか増えないということ。
モノが少ない家は、もしごみを捨てる機会を数回逃したとしても、もとに戻すまでの時間と手間はかからないはず。
所有物が少ないということは、そういう面でもメリットがあるのだと思います。

幸せに暮らす方法のひとつ
若い人は、それなりに好きなモノを集めて暮らすことも幸せだと思うのですが、私のように人生の半分を終えているような人間は、モノによって得る幸せよりも、モノに煩わせられるような状態をやめる方が、暮らしの質は上がると思います。
高価なモノもありますし、ひとつひとつは大した金額ではなくても、大好きで集めたモノもたくさんあります。
いざ、処分するとなると、かなりの決断を迫られる場合もあります。
しかし、それでも、モノが少ない暮らしの方が、多くのモノを抱えて暮らすよりも、開放感もあって気持ちも楽になると思います。

モノを処分すれば、そのモノに対する責任も処分できます。
責任が多ければ多いほど、人はストレスを溜めてしまうし、心身も疲れます。
これ、仕事では誰しもが感じることだと思うのですが、なぜか家の中にある多くのモノに対しては、その意識を持つことはありません。
でも、本当は、所有物全てに責任を持つ必要があり、無意識にモノから圧力を与えられている可能性はかなり高いです。
実際、私はモノが減っていくにつれて、ストレスが少しずつなくなってきたように思います。

生活していると、自分ではどうしようもないことでストレスを溜めてしまうことがあります。
そういうストレスには、上手に付き合っていく以外に、解決方法はありません。
特に、家族間の問題は、簡単には処分できない場合がほとんどです。
しかし、所有物から受けるストレスは、自分次第でいつでも処分できます。
モノから受け取るストレスは、なければない方が絶対にいいですよね。

ストレスが減れば、自分が何をしているときに幸せか、何を使っているときが幸せか、はっきり感じることができます。
でも、モノが多すぎてストレスを感じていたら、自分が本当に幸せを感じる行動やモノは、ぼやけて感じにくいかもしれません。
なぜなら、幸せの到達点がストレスの減少に終わってしまうから。
本当の幸せは、ストレスが減ることではなくて、今の自分がもっと楽しめたり喜べたりする状態だと思いますから、本当に幸せを感じられる自分になるには、所有物を少なくすることが、大切なのだと思います。


さて、壁のディスプレイと洗面台下の収納を整理した話から、少し話が大きくなった気がしますが、さらに我が家はモノが減ることになります。
前々からブログでお伝えしていましたが、空っぽのチェストとつい昨日に空にしたキッチンの棚、加えて、ずっと自室でテレビ台代わりにしていたキャビネット(自分でカスタマイズして原型をとどめていない)を処分する日が決まりました。
これらがなくなったら、我が家の生活スペースも広がります。
何かがあっても、カスタマイズする余裕もできます(今までは家具が多すぎてカスタマイズが難しかった)
モノを買うと、包みを開けて使い始めることが楽しみになります。
歳を重ねて、モノがなくなることが楽しみになる日が来ようとは、想像もしていませんでした(笑)
人は、変わるものですね。

寒かったので買い物へ行くのをやめました

2020-01-15 | 日々の暮らし
寒い日は、なんとなく身体も頭も重たくなり、外出が嫌になります。
これが、仕事を持っているときでしたら、無理してでも出勤していたのですが、職場でもなんとなく仕事が捗らないことが多かった気がします。

買い物へ行かない
いつも、スーパーのWEBチラシをチェックして、いつも買っている食品が安くなっていたら都度買いに行っています。
しかし、寒いとどうも活動する気力が湧かず、本日は魚を買いに行くつもりでいたのですが、とうとう買い物へは行きませんでした。

買いたいモノがあっても、寒いという理由で中止するのなら、特段困った状態にはなっていないということ。
いつもは意識しませんが、実は少し買いすぎなのかもしれないな、と思います。
ちなみに、現在の冷蔵庫には魚は入っていません。
まあ、魚を食べない日があっても、すぐに健康面で影響が出ることはないですし、缶詰があるので、どうしても魚が食べたくなったら缶詰でカバーです。

野菜も、先週買っておいた冷凍野菜がまだありますし、玉ねぎとにんじんもあるので、しばらくは買い足さなくても何とかなります。
あとは、私の少ないレパートリーを、どうやって駆使するか、の問題だけです(笑)

米も、まだありますし、パンも冷凍が少し残っています。
足りなくなりそうなのは、おやつくらいでしょうか。
おやつは、母があまり空腹になりすぎると、低血糖状態になってしまう恐れがあるので、少しだけ常備しています。

そういえば、昨日青森から直送のリンゴが届いたので、しばらくはそれをおやつにします。
このリンゴは、贔屓にしているリンゴ園から、毎年買っています。
スーパーで買うよりは割高になってしまいますが、甘み酸味が全然違うので、いつも冬の時期にネット購入しています。
話が逸れていますが、このリンゴ園で作ったリンゴジュース(100%果汁で濃厚)も、とてもおいしいです。

外出も先延ばし
用事があって外出を予定していても、寒いと延期します。
まあ、延期しても問題ない用事だからいいのですが、私は本当に寒さが苦手。
どうしても、その日に片付けなければならない用事であれば、頑張って外出しますが、自分的にはとても辛いです。

寒い時に外出すると、なぜか疲労が倍以上になります。
寒さが苦手ということもあるのですが、重ね着が昔から少し苦手なところもあるので、それも面倒くさいのかもしれません。

家に閉じこもりがちなのは、ダメだとはわかるのですが、それ以上に寒さが苦手なので、なかなか克服できません。
昔、働き始めたころに、同僚や先輩からスキーに誘われたのですが、きっぱり断りました。
雪山に行くことも嫌でしたし、スキー板を持ち歩くことやウェアに着替える手間を想像すると、時短と手抜きが好きな私には、チャレンジする気も起きないスポーツでした(今でもそうです)
同じように、着替えが必要なジム通いやスイミングは、寒くはないので、少しだけ通ったことがありますが、結局通うこと自体と着替えなどの準備が面倒になって、やめてしまいましたね。
要するに、長続きしないということだと思いますが、テニスだけは15年ぐらい続けられました(25歳くらいから始めました)
理由は、ウェアのまま往復しても大丈夫だったから。
ジムでの服装や水着は、どうしても着替える必要がありますが、テニスウェアは着たままウロウロできますので、種目が好きだったこともありますが、着替える手間はかけなくても大丈夫だったので、長続きしたのだと思います(笑)

寒い日のひきこもり方
いつもの家事を除いて、隙間時間に何をしているかというと、テレビや録画した番組の視聴、小説を読む、漫画を読む、ネットでいろいろな情報をチェックする、など、本当にひきこもりらしい生活をしています(苦笑)
ただ、ゲームはしませんね。
飽きっぽい性格なので、ゲームのステージを上げていく、ということができません。
大体、ファーストステージでやめてしまいますので、ゲームは1回ごとに終了できるモノを選んでやっています。

思い描くひきこもり方
ひきこもり方も、できたらアクティブに行動していたいのですが、なかなかそのようにはできません。
アクティブというのは、例えば室内でできるストレッチやヨガや筋トレをするとか、創作活動をするとか、そういったことなのですが、創作活動は作品が増えてしまうので、取り組むとしたらストレッチや筋トレでしょうか。

普段の行動は、時短、手抜き、効率化を目指していますが、時間の使い方は、非常に下手ですね。
隙間時間があると、つい昼寝をしたり、漫画を読んだり、テレビを見たりしてしまうので、もう少し大人としてきちんとしないと、とも思います。
健康面でも、少し生活を変えた方がいいでしょうから、ちゃんと考えないといけませんね。


寒い日は、とにかく行動がネガティブになりがちです。
こういう日は、実を言うと片付けや不要品の処分も、あまり捗りません。
冬は、本当に苦手です。
はやく春にならないかな、と思いながら、この時期は過ごしています。

新年になって試しにやめている習慣

2020-01-14 | 日々の暮らし
年末から新年にかけて、たまたまやめる流れになった習慣があります。
今回は、そのお話を少し。

紙ごみ回収への協力を一時やめています
昨年12月に入ってから、チラシや不要な紙ごみのリサイクル回収への協力をやめてみました。

我が自治体では、分別する資源ごみの中に「紙ごみ」というカテゴリーがあります。
新聞やチラシ、雑誌や冊子、段ボールに加えて、特殊な加工が一切されていない紙も、リサイクルをしています。
汚れや、特殊な加工がされていない紙ごみならば、全て出せます。

この新聞やチラシ、雑誌や冊子、紙ごみは、例えば子供会が集めたり、地域の市民センターが集めたり、古紙と紙ごみ専用の回収ボックスへ入れに行ったりして、リサイクルします。
子供会や市民センターなどでは、集めた重量によって奨励金が貰える仕組みで、回収ボックスへの持ち込みに関しては、重量に応じてポイントが付与される専用ポイントカードが、個人に発行されます。
ポイントカードは、500ポイント貯まったら500円の買い物券に引き換えることができます。

私は、雑紙と古紙回収に関しては、自分で回収ボックスへ持ち込んで、ポイントを貰うようにしていたのですが、昨年ポイントが250くらい貯まった時点で、ポイントカードをなくしてしまいました。
その時点で、またゼロからポイントを集めるのが嫌になり、子供会の雑紙回収への協力に切り替えました。

ただ、回収日が毎週日曜日なのですが、汚れていない紙ごみは、集まるようで意外と集まらず、子供会に出すのも月に一度程度。
1ヶ月の間、チラシや雑誌、紙ごみを溜めておかねばならないことが、数か月前くらいからストレスになっていて、12月に入るタイミングで、紙ごみも雑誌もチラシも、回収に出すことをやめています。

一部のフリーペーパーは、何かに包んで捨てなければいけないごみ用に、少しだけ置いていますが、基本的には紙ごみ全部、家庭ごみとして捨てるようにしました。
最初のうちは、少し罪悪感がありました。
その罪悪感は、資源をムダにしている意識と、子供会の収入に協力していないことに対して抱いていました。
私は子どもがいませんから、子供会にお世話になることがありません。
しかし、今は少子化で子供会も運営が苦しいようなので、せめて古紙回収くらいは協力しよう、と善人ぶっていました。

ところが、ムダにモノを買わなくなってから、紙ごみを始めとして、ごみ自体があまり出なくなりました。
古紙や紙ごみは、ちまちま出すと返って迷惑がかかるので、ある程度まとめて出す必要がありますが、そこまでの量がなかなか集まりません。
新聞も契約していないし、フリーペーパーも月に数回しか入らない、チラシも最近減ってきたようで、1ヶ月経ってもリサイクルできる紙は長編小説程度の厚みにしかなりません(苦笑)

こうなってしまうと、少しだけ集まった古紙や紙ごみが、普段の暮らしの中で邪魔に感じるようになってしまいました。
置き場所を工夫すれば、もしかしたらストレスが軽減されるかもしれませんが、どうも集めているボックスへ古紙や紙ごみを入れるという行動自体も面倒に感じ始めたので、思い切って善人をやめて、古紙も紙ごみもポストから取り出したら、即ごみ箱へ入れるようにしました。

そして、現在に至るわけですが、まだ多少の罪悪感は残るものの、古紙や紙ごみをまとめておくことをやめたら、生活動線が少しだけシンプルになり、ストレスも少し減った気がします。
このストレスは、見えない誰か(子供会所属の子どもや運営側)に忖度していたことと、善人ぶって行動していたために出ていたのか、と最近になって気が付きました。

環境問題について真剣に考えると、リサイクルに協力すべきだと思うのですが、今はストレスの原因と思われる行動やモノを排除していきたいので、もうしばらくは、古紙も紙ごみも家庭ごみに出すことにします。
いずれ、また、リサイクルに協力する気持ちが湧いてきたら、再開します。

スケジュール帳をやめています
12月に、スケジュール帳を新調するタイミングを失い、スケジュール帳を持たない状態で過ごしています。
単純に買いそびれただけなので、初売りに行って購入しようかと思っていたのですが、結局買い物へ行かないまま、今に至ります。

スケジュール帳がないと、いろいろ不便になりそうだから、早く買いに行かなければ、と思っていても、なかなか腰を上げることができません。
理由は、そもそもスケジュール帳が要るかな?という気持ちになっているからだと思います。
現在は無職で、仕事に関するスケジュールは埋まらないし、私生活だけなら、家のカレンダーやメモ帳に記しておけば十分ですし、忘れたらいけないスケジュールは、スマホとパソコンを連携させているスケジュールアプリに入れて、リマインダー設定をしておく方が、忘れずに済みます。
まだ、1月を半分しか経過していませんが、このままスケジュール帳なしで、今年は過ごしてみようかな、という気持ちになりかけているので、もう少し様子をみようと思います。

ちなみに、大事なスケジュールは、普通の手帳にメモして管理していますが、今のところ不便はありません。
もしかしたら、今までもスケジュール帳は、私には必要ないモノだったかもしれませんね。
何故なら、必ずと言っていいほど、最期の3~2ヶ月はスケジュール帳への記入をしなくなっていたから。
これは、スケジュール帳を持つようになってから、ずっと続く悪い癖です。
ですが、3ヶ月ほどのスケジュールを書き留めておかなくても、生活に支障がないのなら、やはり私にとっては要らないモノなのかもしれないです。

これを機に、スケジュール帳の存在も考え直してみようかな、と思っています。

長年の習慣を見直すことは大事なのかもしれない
長年、良かれと思って続けてきた習慣が、実は自分の行動に規制をかけていたり、ストレスになっていたかもしれないと考えると、モノを処分してスッキリしていくことと同じように、習慣も定期的に見直して、一度きっぱりやめるか、全く別の習慣に切り替えた方がいいのかもしれません。

私が今、やめている習慣は、古紙や紙ごみのリサイクルとスケジュール帳ですが、実を言うとテレビ番組の録画も、なるべくしないようにしはじめました。
これは、録画した番組を見る時間が、意外と取れないためです。
録画を見る時間がないのであれば、最初からタイムリーで見る時間もなかったわけですから、結局はその番組は見られない番組だったということだな、ということに、少し前に気付きました。
ですから、見たい番組が重なった場合は、再放送がなさそうな番組を優先して視聴し、もう一方の番組は再放送のときに見られればラッキーかな、という程度に考えるようにしています。

現在は大好きな番組3つを、自動録画予約に設定しているので、その3番組だけは録画が溜まっていきます。
ただ、1番組だけは再放送があるので、その番組の自動録画予約は解除してみようと思います。
録画をやめて、やはりどうしても見たいと思ったら、録画を再開すれば済む話ですし、その番組を見なかったからと言って、暮らしに支障があるわけではありませんから、やめていい習慣ではあると思います。


今回は、やめている習慣について綴りましたが、習慣が身に付くとやめることが難しかったりします。
本当は、どうでもいい習慣なのに、いつの間にか執着している習慣もあります。
もしかしたら、人生において、絶対に守らなければいけない習慣は、ほんの少ししかないのかもしれません。
特にしなくても大丈夫な習慣をやめてみたら、もう少し暮らしに余裕が生まれる気がするので、今年は自分がやっている習慣も、少し処分してみようかと思います。

印鑑がたくさん出てきた話

2020-01-13 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
印鑑の必要最小限って、何個が適正個数でしょうね?
と思わせるほど、たくさんの認印が出てきました。

今回は、そのお話です。

処分したい棚を整理していたら印鑑がたくさん
前回の記事の終わりで、キッチンで使っている棚を処分する予定だと、少し触れました。

その棚、食品やキッチン消耗品の他に、印鑑や拡大鏡(母のモノ)やはさみといった雑貨も、入れ物に入れて置いていました。
今回、棚を空にするために、収納していたモノを別の場所へ移している最中なのですが、印鑑や他のモノが入った入れ物は、一番最後に着手したところ、まあ、とりあえずそこに入る小さいものはいれておけ、と言わんばかりに、小さいものがたくさん出てきました(笑)
そして、印鑑がざっと見て数十個程度出てきました。

もともとの家族は、兄を除いて3人。
あとから兄も同居し始めて、4人。
登録印(実印)各1個、認印1個、シャチハタ1個の、計3種類を持っていたら十分だと思うのですが、それをはるかに超える数がありました。

印鑑が増えた原因を考える
印鑑の適正個数について、まずは、私の考えを綴っておきますね。

まず、成人したら1人に付き実印1個は、作っておくべきだと思います。
実印って、普段はまったく出番がありませんが、突然必要になることがありますから、手間がかかりますが作っておくことをお勧めします。
ちなみに、実印は1人1個までしか作れないので、これですべてをカバーするかしないかは所有者次第ですが、セキュリティ面から言って、実印とは別に、認印1個は持っておくべきだと思います。

ということは、これで実印1個、認印1個が適正数かな、と思いますが、働いていて何かと簡易な押印が必要な場合は、シャチハタ印も持っていたら便利ですし、宅配便などの押印は朱肉の要らないシャチハタがベストです。
となると、働いている人であれば、実印1個、認印(シャチハタではないモノ)1個、シャチハタ印1個の、計3種類がベストだと思います。

もしも、家族が3人いた場合を想定すると

 実印3個(各自1個ずつ)
 家に来る宅配便など用にシャチハタ印1個
 シャチハタ印が使えない場合に備えた認印1個
 家族それぞれの職場にシャチハタ印1個ずつで計3個
 シャチハタ印以外の認印も職場に置くなら家族3人分で計3個

全部足したら、3人家族で11個になりました。
結構多いですね。

さて、この3人家族、もしも両親と独身の子どもという構成だったとしたら、子どもが結婚して姓が変わると、持っていた印鑑が不要になります。
少なくとも、必要だと想定した子どもの印鑑3種類(実印、シャチハタ印、認印)のうち、1種類は結婚後も必要な場面がありますから、子どもが持っていくと考えられますが、最低でも2個は不要になります。
でも、この不要な印鑑、なかなか捨てられないご家庭は多いのではないかと思います。

また、職場に置いておく印鑑(シャチハタ印とシャチハタ以外の印鑑)は、例えば会社の用事で外出した際に必要なのに会社へ置き忘れたら、文具店や雑貨店などで購入する羽目になり、増えてしまいがちです。
気が付くと、職場のデスクに自分の印鑑がたくさん入っている状態になっている人、結構見かけます。
今は、100円(税抜き)あれば印鑑が購入できる時代で、買う方も気軽に購入するでしょうから、増えていくことまでは考えていないことが多いかもしれません。
そして、新しく買った後、古い印鑑を捨てずにそのままの人が多いから、印鑑が溜まっていくのでしょうね。

印鑑が増える原因は、案外単純でシンプルな行動ですが、複雑な心境が印鑑を増やしているケースもあります。
それが、遺品。
印鑑は、日本人にとって大事なアイテムのひとつ。
例え認印であっても、故人の所有していたモノだと思うと、処分に踏み切れない人は多いと思います。
また、シャチハタ印などは正式な書類には使えない場合が多いですが、持っていたら便利だと思うと、ストックとして故人が使用していたモノを取っておくパターンもあります。

このように、家族が外で働いる場合、子どもの姓が結婚などによって変わった場合、家族が亡くなった場合などが重なると、印鑑が増えていきます。

実を言うと、私が考えた印鑑が増えるパターン、結婚以外は全部我が家に当てはまります(笑)

故人の印鑑はどうしたらいいの?
もしも、子どもがいて結婚して姓が変わり、今まで使っていた印鑑を実家に置いている状態ならば、一度子どもに渡すか、捨ててもいいか確認したほうがいいでしょうね。
それは、電話をしたりSNSで連絡を取れば済む話ですので、印鑑が増える原因をひとつ取り除けます。

しかし、故人の印鑑はデリケートな問題を含んでいる場合があります。
それは、もしかしたら重要な契約をした際に押印した印鑑かもしれない、という問題がひとつと、故人の遺品がそれしかない場合がひとつと、印鑑自体が高級な品物である場合です。

実印の効力は、所有者の死亡届が確認されたら無効になるので(手続きが必要ですが)、重要な書類の押印をしていたとしても、契約が完了していたら問題はありませんが、万が一契約途中の何かがあれば、契約取り消しの際に、使用した印鑑が必要になる場合があります。
また、故人の金融機関口座の解約に届出印を求められる場合もあるようです。
この問題は、故人が押印しているであろう重要な手続きや契約を、生前から把握しておけば解決できますが、なかなかそうはいかないと思いますから、故人が所有していた印鑑は、シャチハタ印以外はしばらく持っておき、役割が済んだら処分したほうがいいかと思います

遺品として取っておきたい場合は、致し方ないですが、もしもたくさんある場合は、よく使っていた印鑑を1個だけとか、一番きれいな状態の印鑑を1個だけ、というように選んで、あとは捨てたほうがいいでしょうね。

一番厄介なのは、高級な素材で作った印鑑(だいたいが実印)です。
これが実印の場合、使用する場面があるかもしれませんから、さまざまな手続きが済むまでは持っておいた方がいいですが、役割も済んで二度と使用しないとなっても、素材によっては簡単に捨てられませんよね。
その場合は、認印として残された家族が使うか、残された家族が実印を持っていなければ、掘りなおして実印登録するとかしてもいいのかもしれません。

ちなみに、実印としての効力は所有者が死亡した時点でなくなりますので、故人の実印が新たに必要になる場面は、基本的にはないそうです。

印鑑、捨てます
ということで、我が家には現在、今は亡き父と兄の使用していた印鑑がどっさりあります(笑)
父は、少し高級な印鑑を作っていたので(実印登録用)、それだけ残してあとは捨てます。
兄は、認印ばかりたくさん持っていたので、それは全部捨てます。

所有者不明の印鑑もあります。
もしかしたら、祖父や曽祖父のモノではないかと思っていますが、今となっては確かめようもないので、捨てます。

現在、私と母の2人家族で、それぞれが実印を持っていますが、私が仕事をしていない間は、家に認印とシャチハタ印がひとつずつあれば、十分です。
最近は、宅配便も電子署名が増えてきていますから、シャチハタ印ももしかしたら要らないかな、と思っているので、インクがなくなったら捨てます。

実を言うと、私が働き始めたときのことを考えて、職場用のシャチハタ印と認印を捨てずに持っているのですが、これも一度捨てます。


印鑑は、必要ないとわかっていても、なぜか捨てられないモノのひとつです。
でも、冷静に考えたら、捨てたところで何の問題もありません。
実印は、捨てたらだめですが、もし万が一紛失した際は早急に新しい印鑑証明を取得したらいいそうですよ。
新しく印鑑登録されたモノが上書きされて、紛失した印鑑は無効になるそうです。
そう考えると、印鑑の価値って、いったいどれほどのモノなのか、わからなくなりますね。
志賀島で発見された金印のように、歴史的価値があるのならば、大切に保存していく必要もありますが、一般人の印鑑は、1代限りの消耗品と捉えていいのかもしれないな、と思いました。

和風小物収納とコルクボードを処分

2020-01-12 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
毎日、小物を少しずつ処分していたところ、あちこちに隙間や空間ができたので、収納していたモノやディスプレイをまとめてみたら、和風小物収納とコルクボードが不要になりました。

和風小物収納
もともと、母の裁縫道具が入っていたのですが、母も目が悪くなり手元がよく見えていないため、私が知る限りでは、もう7~8年は裁縫していません。
そのため、母の持ち物を整理する際に、中身を全て処分して、私のモノを入れることにしました。

私のモノを入れた理由は、私が使っていたローチェストへ入れていたモノを移動させ、ローチェストは母に譲ったから。
なんだか、複雑ないきさつです(笑)
要するに

 私のローチェスト→中身を出す→母へ譲る
 母の和風小物収納→中身を処分→私のローチェストから出た小物を入れる

という、流れです。
ちなみに、ローチェストはもともと中身をほとんど処分していたので、小物が少しだけ入っていただけでしたから、母の和風小物収納でも収まりました。
そして、現在ローチェストには、母が着る洋服とハンカチや靴下などを収納しています。

さて、その私が譲り受けた和風小物収納も、あちこちの引き出しから、毎日少しずつ不要品を出して処分していたところ、もしかしたら中身をひとまとめにできるかもしれないと思い付き、本日試しに移動させてみたら、何とか中身を空にすることができました。

これで、和風小物収納は処分できます。
割としっかりした造りなので、和風の古物風なインテリアが好きな方なら、欲しいと言ってくださるかもしれませんが、私の知人友人には和風テイストなインテリアを好む方が見当たらないので、家庭ごみに出します。

一応、補足しておきますと、私が住んでいる自治体は、家庭ごみ用の指定袋に入るインテリアであれば、家庭ごみとして出すことができます。
寛容というよりは、その程度の大きさは、粗大ごみには出してくれるな、ということだと思います(笑)

コルクボード
実は、コルクボードは2種類所有していまして、そのうち小さいコルクボードが不要になったので、処分します。

大きいコルクボードは、B1サイズで現在の家に越してきた際に、どうしても欲しくて購入しました。
壁にポストカードやミニポスターを直接貼らずに済むように、と思って購入したのですが、後々になって壁紙は張り替えればいいや、という感覚になり、壁に直接ディスプレイするようになってしまいました(苦笑)

結局、終活を始めた最近になって、何もない壁が懐かしくなり、ポストカードやミニポスターは剥がし、一部好きなポストカードは両面テープで貼り、いつでも剥がせる状態にしていましたが、それも、つい数日前に全部剥がしました。

とはいえ、まだ壁にディスプレイしているモノはたくさんあり、主に好きなキーホルダーや額に入った写真などですが、それらは全て、B1サイズのコルクボードにディスプレイしています。

小さいコルクボードは、A3サイズくらいで、MAMAIKUKOという雑貨ブランドの福袋に入っていたモノですが、これもB1サイズのコルクボードを購入した時期に、初売りで購入しました。
福袋なので、中身がわからない状態で家に持ち帰り、コルクボードが袋から出てきたときは、正直がっくりしました(苦笑)
サイズは小さいですが、コルクボードはすでにB1サイズを持っていたので、これ以上要らないのに、という気持ちになりましたね。
ただ、このころは重複したモノを処分するというアイデアが全く浮かばなかったので、時間をかけてディスプレイするモノを考えて、壁に掛けた記憶があります。

今考えたら、わざわざディスプレイするモノを考えるくらいなら、新品のうちに手放しておけばよかったのに、と思います。
まあ、若気の至りとはこういうことです(笑)

今回は、この小さいコルクボードにディスプレイしていたモノの3分の2を処分して、残りを大きいコルクボードへ移しました。
現在、大きいコルクボードは満杯状態です。

実を言うと、この小さなコルクボードを処分しようと決めるまでに、小一時間かかりました。
それは、ここにディスプレイしたいモノが、出てくるかもしれないと考えたからです。
あちこちを、不定期に片付けているため、陽の目をみなかった飾り小物が出てくる時があります。
そういったモノが出てきたら、ひとまずコルクボードにディスプレイしたらいいのでは、という考えが過ったのですね。

しかし、1時間かけてよく考えてみたら、ディスプレイするモノ自体がほとんど残っていないことに気が付きました(笑)
そして、今後はコルクボードに飾るような小物は買わないと決めていることも思い出し、ごみ袋へ入れました。

それぞれの空間の現在
和風小物収納は、父が作った棚にぴったり収まるサイズだったので、そこに入れて使っていたのですが、和風小物収納がなくなると、かなり広くスペースが空きました。
今は、読みかけの書籍と、今から読む予定の書籍を収納しています。
すべて読破したら、ブックオフに持ち込むので、いずれまた空間ができる予定です。

小さいコルクボードがあった壁の空間には、なにもディスプレイしないつもりで、空けています。
以前も、ブログに書いたような気がしますが、ディスプレイする壁を一か所にしたいと思っているので、コルクボードをひとつ処分出来たおかげで、また一歩、理想のディスプレイに近づきました。

たかだか、A3サイズ分の空間ができただけなのですが、壁にモノがないと部屋が急に広くなったような錯覚を起こします。
もし、部屋が狭くて窮屈な感じがしたら、一度壁にディスプレイしてあるモノを全て取り払ってみてください。
平米は変わらないのに、開放感があってスッキリしますよ。

起こりがちな重複現象
先にコルクボードを購入していたのに、福袋にもサイズ違いのコルクボードが入っていた件ですが、似たような現象は結構な頻度で起きます。

以前少し触れたかと思いますが、応援しているアーティストのFC継続特典で、小物収納トレイが重複したことがあります。
この時も、後から届いたトレイを見て、冗談抜きで苦笑いをしました。
そして、モノが重複すると、なぜかむりやりに使い始めてしまう癖がある私。
ひとつで十分なのに、なぜ使い始めてしまうのか、自分でもわかりません。
そして、結局は後々ごみ箱行きになるので、時間と行動をムダに使っています。
無意識な部分もあるので、この癖、本気でやめないといけませんね。

他にも、購入した直後にプレゼントや懸賞で同じモノを貰うことは、もう数えきれないくらいあります。
福袋もそうですね。
好きなブランドで、気に入った服を定価かもしくはバーゲンで購入した翌年の福袋に、全く同じものが入っていた経験もあります。

どうしても欲しいと思ったモノを、自力で手に入れると、同じモノが格安かあるいは無料で手に入ってしまい、結局同じモノが2つ以上になってしまうというこの現象、なぜ起きるのでしょうね?
もう、偶然が重なったでは済まされないくらい、何かの力が作用しているとしか思えません。

ここ数年は、店頭で気に入っても衝動買いは絶対せずに、1週間後にもう一度店頭へ行き、まだ欲しいか、自問自答します。
欲しい気持ちが勝っていたら、今度はバーゲン期間まで待つことにします。
そこまで待つと、欲しいモノが売れ残っている確率はかなり低いので、逆に買わずに済む確率が上がります。

このようにすれば、同じモノをうっかり手に入れてしまうリスクが減ります。
しかし、バーゲンセール期間まで待っていると、いつの間にか、もう欲しくなくなってくるので、不思議なものです。
買わなければ、重複することもほぼありませんから、重複を防止する行動としては間違っていないですね。

ただ、購入していなくても、入ってくるモノが重複してしまうことがあります。
特に、プレゼント(お土産含む)やノベルティは、同じものが重複する傾向にありますね。
これは、そのときに流行しているモノが重複しやすいので、申し訳ないのですが、プレゼントやノベルティを選ぶ人のセンスを恨みます(笑)

私が今まで重複してきたプレゼントやノベルティは、

 ・トートバッグ
 ・バックパック
 ・マイバッグ(エコバッグ)
 ・傘(折り畳み、長傘の両方)
 ・保存容器
 ・宝石箱(小物入れ)
 ・小物収納トレイ
 ・財布
 ・パスポートケース(保険証ケースも)
 ・ポーチ類
 ・マグカップ
 ・ハンカチやタオルの布類
 ・スケジュール帳
 ・カレンダー
 ・オルゴール
 ・スカーフやストール

挙げたらきりがないので、この辺りでやめておきます(笑)
でも、これらの共通点は、手軽に渡せて、その時期に流行っているか必要になるモノ、ということですよね。

もう、全部処分したのですが、結婚式の引き出物で、電磁調理器と鍋のセットを立て続けにいただいたときは、めまいがしましたね(笑)
大家族でもない限り、電磁調理器2台も要らないです。
あのころ、電磁調理器と鍋のセットが人気商品だったのかな?
あと、ブランド物のサラダボウルもたくさんいただいたな(苦笑)

たしかに、ひとつひとつは必要なモノだったり、あったら便利なモノなのですが、2つ以上は絶対に要らないでしょ!というモノでもあるのですよね。
結婚式の引き出物は、カタログから選ぶモノが一番うれしかったことだけは、確かですね。

この経験が、結構今になってトラウマになっているので、私は人に贈るモノは、食品関係に絞るようにしています。
よほどのリクエストがない限りは、地域のお菓子、ごはんのお供、少し高級なお茶類やコーヒーを差し上げていますね。
無難だし、現物が残らないから思い出にも残らないし、好みはあるかもしれませんが、そういう場合は人にあげやすいモノでもありますから、やはり食品関係が贈り物として最適です。


今回、すこし大きめのモノ(ごみ袋大に入る大きさ)を処分できましたので、今までの地道な努力が実を結んだ結果だと受け止めています(大げさ)
実を言うと、もうひとつ、大物を処分できるかもしれません。
それは、キッチンで使用している棚です。
食品やキッチンで使う道具を収納していたのですが、頑張ってモノを処分したり、収納場所をまとめたりした結果、もうあとわずかなモノしか残っていません。
残ったわずかなモノの移動先が決まったら、前々から処分を計画していた2台のハイチェストと一緒に処分するつもりです。
ハイチェストとキッチンの棚がなくなったら、床面積が広がるので、きっと気持ちいいでしょうね。
考えるだけで、ワクワクしてきます(笑)

汚部屋の遺品整理に思うこと

2020-01-11 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
ここ数日、遺品整理や汚部屋を片付ける動画を、毎日数本視聴していました。

いろいろな事情や、さまざまな環境の中での片付け動画があるのですが、特に気になったのは、お年を召した一人暮らしの男性が住んでいた賃貸物件の遺品整理と、家中の部屋すべてがごみで埋まり、足の踏み場もなく天井もやっと見えるくらいのレベルに達した汚部屋の片付けです(住人の方はご存命)

この2つの動画は、それぞれ別々の方が公開している動画なのですが、私なりに思うこともあり、今回はそのことを少し綴ります。

部屋(家)丸ごと遺品整理をする
私が視聴した動画は、年配男性が住んでいた賃貸物件を引き払うこともあり、部屋にあるすべてのモノを撤去して、掃除して引き渡すまでの流れでした。
片付けたのは、お孫さん(男性)が体力を必要とする部分をメインで担当し、お子さん(お孫さんの母親)が小物や雑貨の要不要を判断して仕分けたようです(映っていたのは、お孫さんの作業だけでした)

遺品整理は、通常の片付けのように不要品と判断して次々と処分していく工程を、そのまま当てはめるわけにはいきません。
一見、不要品に見えても、遺族にとっては遺品であり形見になりうるものです。
また、貴重品や金品、重要な書類が必ず出てきますので、ただ部屋(家)の中を空にすればいいということではありません。

動画では、まずお孫さんがほとんどのモノを、自治体の分別ルールに沿って仕分けながら、母親(家主のお子さん)が見て判断するモノと貴重品、金品、大事だと思われる書類と、リサイクルできそうな本や靴は、処分せずにまとめていました。
母親が要不要を判断するモノの種類は決まっていて、それ以外のモノは、お孫さんの判断で次々とごみ袋へ入れられていきました。

亡くなった年配の男性、おひとりで暮らしておられた割には、広い物件に住んでおられたのがよくわかる動画でした。
想像ですが、配偶者と暮らしておられて、先立たれた後ずっとおひとりで暮らしていたのかもしれません。

この亡くなった年配男性は、モノは多くお持ちでしたが、ごみが溜まっている様子は見られなかったので、毎週の家庭ごみや資源ごみはきちんと捨てておられたようです。
ただし、ありがちですが、消費期限切れの保存食などはありました。
そして、ご年齢のことやご自身の健康のこともあったのか、サプリメントや健康食品が山のようにあり、中には匂いが強烈なモノもあったようです。

この、消費期限切れ食品などは、ついうっかり捨て忘れてしまいますよね。
そして、ストックが多すぎると、所有している量が解らなくなり、奥に追いやられたものは存在自体を忘れてしまいがちです。
おそらく、片付けが得意な方でも、何度もご経験があるかと思いますし、私も経験があります(苦笑)

その他は、お洋服やファッション小物雑貨がとても多く、収納するべく洋服ダンスやチェストも、一人暮らしの方が所有する数より多かったです。
この方は、きっとファッションにこだわりがある方だったのでしょうね。

この遺品整理の様子をみていて、私が強く感じたのは、戦中戦後生まれの年代の方や、その年代の方から家庭でしつけや教育を受けた方は、モノをたくさん持つことで、暮らしの格を上げたいと望み、失うと二度と手に入らなくなる不安から、手放すことができない方が多い、ということ。

私も、戦中生まれの両親を持ちましたから、私自身がいろいろなモノを処分しようと決心するきっかけにもなった、阪神淡路大震災が起こる前後くらいまでは、少しでも良質のモノを数多く所有し、身に付けることがステイタスだと思い込んでいました。
一度手に入れたモノは、大事に持っておかなければならないという意識を、両親から刷り込まれていたので、手放す手段も思いつかず、ただただきれいな状態で保管していました。

もし、私が意識改革をしなければ、今でも我が家には家具もたくさんあったでしょうし、服も雑貨もインテリアも、書籍も趣味のモノも山積みになっていたでしょう。
そして、その状態のまま、母も私も旅立ってしまったら、きっと遺品整理する人は、とてつもない負担を強いられていたことでしょう。

遺品整理の場合、まず遺品となるモノは、全て相続したとみなした状態で行う必要があるそうです。
それがたとえ、どんなガラクタであっても、処分する(捨てる、売る、形見分けするなど)時点で、相続を承認したことになるようです(詳細は、法律の専門家にご確認を)

今から、おそらく数十年は、独居の年配者が住んでいた住居の遺品整理は、モノが多すぎて大変なパターンが多いかもしれません。
最近は、少しでもモノを減らして暮らしたいと思う人も増えてきたので、私よりも下の世代は、天寿を迎えたときに、遺品整理がしやすいすっきりとした部屋(家)が多いかもしれません。

汚部屋(汚家)ではなくても、モノが多い部屋(家)は、片付ける際の体力も精神力も、消耗が大きいです。
少しずつ片付けて、たまに粗大ごみを出す程度でも、はっきり実感できます。
これが、部屋(家)丸ごと片付けるとなると、一日では終わらないことは目に見えていて、仕事や家事を休んで取り組んでも、かなりの時間を必要とするでしょう。

ふと考えたことは、将来私が独居老人になったとき、今の家にそのまま住むのではなく、1LDKや1DKの部屋に越して、いずれ訪れる私の遺品整理をする際に、少しでも片付ける範囲を少なくしておいて、そのうえで所有しておくモノも必要最小限にしておきたい、ということ。
終活とは、自分が旅立った後のことを託す準備でもありますが、託す必要のないモノは極力排除していくことでもあります。

今の私は、もし母が旅立った際に、整理しなければいけない遺品がかなりあります。
今のうちに処分できるモノは、頑張って処分していくつもりですが、モノを捨てられない母に納得してもらいながらですから、何年もかかってしまうことも覚悟しています。
そうこうしているうちに、そのとき(遺品整理)を迎えるのかもしれませんが、自分が今できる最大のことは、とりあえず自分のモノだけは最小限にしておくことかな、と思います。

自分のモノさえ、とりあえず必要最小限にしておけば、母のモノの心配だけをして置けば済みます。
母のモノも多い、自分のモノも多いのでは、モノに気を割く時間が増えて、しなくてもいい心配や、嫌な思いをすることも増えるでしょう。
無機物であるモノに、気持ちを乱されるような暮らしを、私は望んでいないので、今のうちに気持ちがモヤモヤしたりザワザワするようなモノは、積極的に処分していこうと、動画を見ながら思いました。

不要品やごみで埋まっている汚部屋(汚家)を片付ける
この動画は、片付けを請け負う業者が配信している動画です。
アップされた家は、査定時には天井まで不要品とごみで埋まっていて、部屋の間にある扉の開閉もできない状態だったようです。
最近アップされた動画のようで、まだ最後まで片付いた動画はみていません。

家主の方はご存命なので、遺品整理とは違い必要なモノはピックアップする必要があります。
遺品整理の場合は、遺族が不要だと判断すれば処分できますが、片付けの依頼を受けている業者が作業する場合は、顧客のご希望を守りながら作業する必要があるので、遺品整理よりも大変かもしれません。

この動画が流れている最中に、この業者が依頼を受けた汚部屋(汚家)の片付けに関する、簡易なデータが紹介されていました。
興味深かったのは、汚部屋に住んでいる独身の方の男女比が、男性の方が多い、という点です。
独身で、しかも50代より上の世代の男性からのご依頼が、多いそうなのです。

汚部屋(汚家)になる原因は、人それぞれ違いますし、中には障がいがあるために片付けられない人もいるので、はっきりと男女で分けられることではないのですが、そのデータから考えるに、年配の男性には、ある特徴があるのではないか、と思いました。

思い浮かんだ特徴は、

 ・年配であるため自分で片付ける体力がない(男女関係なく想像できる特徴)
 ・片付け方がわからない
 ・自分でするという意識をこれまでの人生で一度も持ったことがない(母親や奥様に全て任せていた)

以上ですが、どうでしょうか?

そういえば、かなり以前にテレビで取り上げられていた汚家の住人は、配偶者に先立たれてから、家の中のごみが増えていったと言っていました。
それは、男性の場合もありましたし、女性の場合もありましたが、共通していたのは、片付けや不要品の処分は、全て配偶者が担っていた点です。
女性の場合は、配偶者であった旦那様が、片付けや不要品の処分に関するノウハウをしっかり持っていらっしゃったのだと思うのですが、男性の場合は、昔の風習や習慣による弊害も考えられました。

それは、

 「家の中のこと(炊事、洗濯、掃除、子育てなど)は、女性がするべきことであり、男性がするのはよろしくない」

という、風習や習慣です。

子どものころは、母親が片付けと掃除をしてくれていて、一人暮らしをする間もなく結婚したら、今度は配偶者が片付けも掃除もしてくれて、それが当たり前だし、自分がする必要はないと、無意識に思い込んで長年暮らしていたのなら、ごみの分別すらできないのは、割と想像できる事態です。
もっとも、親の姿を見て学習している人は、男女関係なく片付けも掃除もできているはずですが、残念なことに、私が想像するような理由で、汚部屋を作ってしまう人は、ある程度存在すると思っています。

若い方でも、同じ理由で汚部屋を作ってしまう人はいるかもしれません。
それは、親が異常なくらい子どもの世話を焼いてしまっているご家庭です。
もう立派な大人なのに、親が全部してあげている家庭、多いとは言いませんが、ありますよね。
そういった家庭で育った人は、片付けや掃除、ごみ捨てのルールなどが身についておらず、もし突然一人暮らしを始めたら、汚部屋にしてしまう確率も高いかもしれません。

障がいや病気で、片付ける体力や気持ちを持てない人は、専門的なフォローも必要ですが、もしこれまでの暮らし方に問題があっての汚部屋(汚家)という結果ならば、まず最初にすべきなのは、きっと意識改革なのでしょうね。
片付けや掃除、モノを精選して持つということに対して、意識を変えていかないと、おそらくいくら業者に依頼して片付いた部屋(家)になったとしても、必ずリバウンドすると思います。

よくSNSなどで目にすることがあり、私の知人でも数人が同じことを言っていたのですが、

「私はあなた(配偶者)の母親じゃないのよ!」

と言ってキレたことがあると(苦笑)

話を聞けば、脱いだ靴下をその辺に放置して洗濯カゴへ入れないとか、食べ終わった食器を片付けないとか、落ちているごみを拾おうとしないとか、人としてもきちんとしてほしいことなのですが、なぜ妻の前では平気でそのようなことができるのでしょうね?
やはり、家の中にいる女性はみんな母親と同じことをする人だという、思い込みがそうさせているのでしょうか?

ここで、夫婦の在り方や、家庭での家事分担について語る気は全くないのですが、このように妻に母親代わりをさせるような男性は、将来妻に先立たれて一人になったときに、汚部屋(汚家)暮らしになってしまうかもしれませんから、今から対策をしておいた方がいいかもしれないです(笑)

でも、まあ、汚部屋(汚家)を作る年配男性が全員、片付けや掃除を母親任せや妻任せにしてきたとは、言いきれませんから、このような想像をしている人間もいるよ、くらいの気持ちで、今回の内容を受け止めてもらえたら、と思います。

最期を迎えるときに持っておきたい意識
老後は、自分の好きなことや好きなモノに、気持ちと時間を思いきり割きたいと思っていますが、その後、私の遺品を整理してくれる人の時間を奪ったり、気持ちと身体に負担をかけたりするような状況は、残したくないと思っています。

人に気を遣いながら暮らすのは、一見窮屈な気がします。
しかし、モノが少なければ、自分の暮らしもシンプルでスッキリしますから、結果気持ちよく暮らせるはずです。
そうやって、自分が気持ちよく暮らした結果、旅立った後の世話をしてくれる人も、気持ちよく行動してくれるのであれば、それが理想的です。

終活を意識してから、ずっと考えていることなのですが、シンプルでモノが少ない暮らしをしていたら、自分だけではなく周りの人も、共感はしてくれなくとも、迷惑だと感じる人は現れないはず。
逆に、モノを多く所有して、挙句の果てに汚部屋(汚家)を完成させてしまったら、おそらく嫌悪感を抱かれるでしょうし、自分が意識していないところで迷惑をかけることにもなっていくでしょう。
やはり、不要品はできるだけ排除し、誰が見てもスッキリした状態で暮らしていくほうが、お互いが幸せになれる、そう思うようになりました。

まずは、とにかく自分のモノを最小限にすること。
それを常に意識して、老後に備えたいです。


片付け動画は、客観的な視点で視聴できるので、自分が陥っている迷宮から出られることも多いです。
自分一人で片付けをしていると、身体的にも精神的にも疲労が蓄積して、判断力と処分するマイルールを見失いがちになるので、定期的にまとめて数本、動画を見ることで、自分を取り戻しています(笑)
今、この時代に個人が動画配信をできるようになったおかげで、私も助かっています。
これからも、しばらくは片付け動画を探しては、自分の片付けに反映させていくことが続くと思います。
動画を配信してくださっている方々には、本当に感謝しかないです。