マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

手抜きおせちと年越しそば

2019-12-31 | 日々の暮らし
毎年、おせちは作らず、立派なお重の予約もせず、食べたい料理のパックや盛り合わせを購入しています。

おせち

 ・黒豆
 ・クルミ入り田作り
 ・からしレンコン
 ・かまぼこ
 ・伊達巻
 ・きんかん甘露煮
 ・煮しめ(写真なし)
 ・厚焼き玉子(写真なし)
 ・オードブルセット(写真なし)
 ・ローストビーフ(写真なし)

煮しめは、カット野菜を買ってきて作りました。
これ以外は、すべて完成された料理を購入。
トータルすると、安価なおせちセットを買った方が安上がりなのかもしれませんが、好きなモノを食べた方が楽しいので、いつも個別のデリカテッセンを購入しています。

年越しそば
今年は、茹でずに電子レンジで作ることができる冷凍そばにしました。

トッピングは、海老天、きざみ青ネギ、かまぼこ。
海老天は、温めなおすだけのデリカテッセンです。

基本的に、揚げ物のデリカテッセンは、油を少しかけてからフライパンで弱火よりやや強めにして、温めています。
この温め方だと、しなしなになっている衣がカリッとして、揚げたての揚げ物とは違った独特の食感が味わえます。
焦がさないように、マメにひっくり返すのがコツですが、揚げ物によっては衣がはがれやすいので、フライ返しを使うといいようです。
衣が吸っている水分がじわじわと出てくるので、油と混ざってパチパチと揚げるときの音がし始めたら、普通の揚げ物と同じように、油吸い取り紙やキッチンペーパーの上にあげて、完了です。
電子レンジで温めるよりも、衣が美味しく仕上がります。



雑煮の準備
元旦の雑煮も、もちろん手抜き(笑)
中に入れる具として、白菜入りのカット野菜パックを購入しました。
市販の顆粒出汁を使って、作ります。

画像を撮り忘れなければ、明日アップします。


今年から、この終活ブログを始めて、最初の年越しです。
毎日の更新は、正直しんどい時もあるのですが、自分に向き合いながら、自身の生活の記録をしていく意味でも、頑張って続けたいと思っています。
たいして面白くもないブログですが、読んでくださっている方がいらっしゃると、やはりうれしいです。
つたない文章と誤字脱字で、読みづらいこともあるかと思いますが、読んでくださってありがとうございます。
来年も、大したことのないことを綴っていきますが、よろしくお願いいたします。

それでは、皆さま、よいお年をお迎えください。

年末大処分その3

2019-12-30 | 日々の暮らし
今年最後の、不要品大処分です(笑)
と言っても、大した数は捨てられなかったです。

31日が最後の家庭ごみの日ですが、年末年始はごみが多すぎて、回収が夕方近くになることもありますので、明日の午前中に、もう少し頑張ってみようかな、と思っています。

追加処分したモノ
数日前に、写真や冊子などをごみ袋へ入れましたが、本日追加して処分したモノがあります。

 ・フック類
 ・母の手袋
 ・ガーゼのマスク(未使用)
 ・熱さましシート(2016年に使用期限切れ)
 ・使い道がなくなった小さなトレイ
 ・小さながま口ポーチ
 ・中途半端な大きさのタオル

フック類は、統一性なく父や母が買ってきていたモノですが、二人で別々に購入するので、数が多すぎました。
プラスチック製は、使っていると割と短期間で破損するので、芯が金属であまり大き過ぎないモノだけ残しました。

母の手袋は、フック類を整理しているときに目について、母に使うかどうか確認しましたところ、いつか使う、と言い出したので、使うときに買ってやるから捨てなさい、と言い返しました。
いままで、何十年も使ってなかったのに、これから先使うはずがありません。
そもそも、母はもう一人で出歩く体力もないので、車移動。
手袋が必要なシチュエーションは、ほぼ訪れませんからね。

ガーゼのマスクは、使った後洗わなくてはいけないので、数枚を残して捨てました。
というか、なぜガーゼのマスクがたくさんあったのか、理解に苦しみます(苦笑)

片付けていると、なぜか必ず1つは発掘してしまうポーチ類。
使いもしないのに、なぜ出てくるのでしょうね?
とはいえ、私もライブグッズなどでポーチが売られていたら、買っていた人間です。
以前は、ライブグッズは普段の生活でも使えるモノを買う、というルールにしていました。
ですから、やたらとTシャツ、ポーチ類、トートバッグ類が増えた時期がありました。
よく考えたら、Tシャツ以外は1つか2つあれば、十分事足りるのに、グッズだからという理由だけで購入していましたが、今はもう、使っているモノがあったら、新しく買うことはやめたため、ライブに行っても何も買わずに帰ってきます。

中途派なタオルですが、おまけでもらったモノや、ライブ会場で売られているタオルが主です。
社名や商品名が入っていたり、ツアータイトルが入っていたりしますが、ツアーグッズのタオルって、なぜ大きさが中途半端なのでしょう?
ライブのタオル投げで有名な、ベテラン男性ロック歌手の方の影響でしょうか?
たしかに、肩にかけるとちょうどいい大きさではあります。
しかし、結局家では使うことはないし、ベテランロック歌手の方は、デザインが統一されているのでいいですが、他のアーティストはツアータイトルが入ったタオルしか販売していませんので、該当ライブでしか使えないので、困ります。
何度か購入しましたが、いつしかタオルは買わなくなりましたね。

タオルを処分していなかった理由
以前、不要品を出して、まだ処分しないモノは、同じカテゴリーごとに一か所に保管するように、片付けをしました。
その際、タオルが山ほどあることは認識していたのですが、思った以上の山になりました(笑)

最初は、ほつれたモノ、使用しすぎてへたっていたモノ、未使用だけどシミが付いてしまったモノを中心に、掃除用の切れ端へ格下げし、比較的キレイなタオル類はいずれ切ろうと、邪魔にならない場所へ保管していました。

しかし、思った以上に私は切れ端を活用できていないことに気が付きました。
使い捨てのペーパー感覚で使うつもりでいたのに、使い終わってつい洗ってしまいます。
酷く汚れれば、一度使って捨てますが、ちょっとした汚れだと「まだ使える」と思ってしまい、面積全部が汚れるまで使ってしまいます。
ペーパーだと、すぐに破けたりびっしょりに濡れてしまったりするので、捨てることに躊躇がないのですが、布だとつい洗ってしまう習慣が染みついてしまっています(苦笑)

タオルを捨てていなかった理由は、もうひとつあります。
それは、母を介護するようになったら、もしかしたら必要になるかもしれない、という考えからでした。
必要になるシチュエーションとしては、トイレに間に合わない場合や、吐いた場合や、食事の食器をひっくり返してしまった場合。
使って、いちいち洗濯するよりは、使い捨てにするタオルを決めて使えば、洗濯の手間、干す手間、たたんでしまう手間がなくなるという考えでした。

しかし、そういうシチュエーションになったら、私のことですから、おそらく市販のおしりふきシートや清拭シートを使ってしまうような気がします。
タオルの方が、水分を吸いやすいという利点はありますが、それも現役で使っているタオルを使えばいいし、酷く汚れたら買いなおせばいいことです。

ですから、今回取っておいたタオルの一部を捨てます。
残りがまだありますが、タオルも布なので一度に大量に捨てると、重たくなるので、数回に分けて捨てることにしました。

ちなみに、きれいなタオル類で今から使おうとしているタオルの数も多いので、私と母と、万が一の来客用として、何枚がベストな所有数なのか、改めて考えるつもりです。

使っていたモノでも処分する理由
小さなトレーは、今まで使ってはいたのですが、引き出しや棚の中をマイナーチェンジしたら、入れるモノがなくなりましたので、処分します。

このトレー、購入したモノではなくて、ファンクラブの継続更新特典でいただいたものです。
いただいてから、10年近く経つと思うのですが、これをいただいたときの自分の心境は、よく覚えています。

これをいただいた当時、実は小さなトレーが欲しいと思っていて、購入を悩んでいました。
ただ、なくても不便はなかったので、買わずにいたら、ある日ファンクラブの特典で、ちょうどよい大きさのトレーが届きました。
買おうと思っていたタイミングで届いたので、その日から喜んで使っていた所、数年後にまた、別素材のトレーが大小セットで届きました。
これも、ファンクラブ特典でした。
私は、思いましたよね。
たしかに欲しいとは思っていたけど、いくつも欲しいとは思っていないのだけれど...と(苦笑)

大きいトレーは今も活躍中ですが、小さいトレーについては、先にいただいていたモノと大きさも似ていて、使い道をすぐには思いつきませんでした。
そこで、ちょうどいい大きさのモノを候補に、わざわざトレーに入れる収納をしていたのですが、どうもしっくりしていなかったのでしょうね。
似たような大きさのモノを、入れ代わり立ち代わり収納していました。

ちなみに、大きさは手のひらにすっぽり収まるくらいで、一時的にアクセサリーなどを置く場合に役立ちます。

昨日、引き出しと棚の中を整理しているときに、いくつかの小さな雑貨も捨てたので、後からいただいた小さいトレーに入れるモノがなくなったわけですが、ずっと使っていたこともあり、すぐにはごみ袋へ入れませんでした。
少し考えて、使い道が思いつかなかったら、きっぱり捨てるつもりで、しばらくは目につく場所へ置きましたが、どうも邪魔で仕方ありませんでした。
もう、このような感情が湧く時点で、処分する時期確定です。
思い切って、ごみ袋へ入れました。

不要品を処分すると不要品が生まれる
要らないとはっきり感じているモノや、使っていない時期が長かったモノは、不要品として処分するのですが、その際に必ずと言っていいほど、追加の不要品が生まれます。

それは、主に収納するための雑貨やインテリア。

モノが入っていると、収納するためのモノは必需品だと感じます。
ところが、入っているモノを処分するために取り除くと、収納に使っていたモノが空になります。
空になり、次に入れるモノがなければ、今度はそれが不要品になります。

モノとは不思議なモノで、役割を果たしている間(というより役割を与えている間?)は必需品に感じられるので、中に入っているモノが不要品である、と認識しない限りは、ずっと活躍してくれているのだと信じて疑いません。
しかし、一度中身を不要品と認識してしまうと、収納に使っていたモノは、実は不要なモノだったということに気が付かされます。
ということは、自分の周りで現役で活躍している収納に使うモノは、本当は不要品の第一候補と言っていいかもしれませんね。

そういえば、母は空になった容器や引き出しに、何かとモノを入れたがります。
そこに収納する場所(モノ)があるから、何かを入れなければならない、と無意識に感じている傾向があります。
しかし、不要品を処分するたびに、引き出しが1段また1段と、空になっていくので、やはり、収納そのものがそもそも要らないモノだったということになりますよね。

もし、なかなかモノを処分できないでいるときは、まず収納に使っているモノから先に、要不要の判断をしていけば、中身の処分も思い切れるのかもしれません。

母が使っていたハイチェスト。
2台が空になっていて、年が明けたら業者を頼んで処分してもらうつもりですが、私が中身を片付けて不要品を処分したのは、元々は、チェスト2台を処分したかったからです。

もし今でも、母のモノが入っているからチェストは必需品だ、と思い込んでいたら、いつまでも中に入っていた不要品を処分できなかったかもしれません。
しかし、空間を少しでも広くしたい一心で、チェストの処分をずっと考えていた私は、母の許可が下りた瞬間から、処分に勢いが付きました(笑)

動線が悪い、この場所にこの収納家具があると圧迫感があって嫌だ、この収納さえなければ模様替えが捗るのに...収納に使っているモノに、少しでも負の気持ちが湧くようなら、まずそれをなくすためには何をすべきか、を考えると、中に入っているモノの不要品認識が進むのかもしれません。


もう、2019年も終わりますが、不要品の出現に終わりはありません。
日々の暮らしの中で出るごみも、不要品です。
年末年始も、不要品が出てきます。
私たちって、一生不要品を処分しながら生活していくのだな、と思うと、空気を吸うように不要品も処分できるようになったら、とても楽なのに、と思ってしまいました(笑)

部屋に余計なモノがない人に共通していること

2019-12-29 | 日々の暮らし
最近、YouTubeやテレビ番組を見ていて、気が付いたことがあります。
自分の理想や目標に向かって集中し、成し遂げてもなお高みを目指し、物事を究め続けている人の部屋には、余計なモノが何もないということに。

物事を究め続けている人とは
物事を究め続けられる人は、職業で括ることもできませんし、究めている物事の内容もさまざまです。
アスリート、職人、オフィスワーカー、セールススタッフ、パティシエ、シェフ、デザイナー、学生などなど、年齢も性別も関係なくて、実にいろいろな方がいます。
また、職業と究めていることが全くリンクしていない人もいます。

一見すると、特に何の特徴もなく、普通に暮らしている方に見えることもあります。
しかし、究めていることに向き合うときの集中力と、終わりなくストイックに取り組む姿勢は、私にはとてもではないけれど真似できない、と思えるレベルです。

そのような方に、スポットを当てる番組が最近増えてきていて、住んでいらっしゃる部屋(家)の中も紹介していたりします。
本日も、そういった方を取材する番組があり、数名の方が紹介されましたが、それぞれの方が究めている(もしくは究めようとしている)ことは、何故そこまでそれを追求するのか?と思えるようなことだったりもします。
しかし、取材が進むうちに、その方たちには、エールを贈りたくなるくらいに、物事に真剣に取り組んでいました。

番組で取材された方々の部屋(家)
密着取材だったので、それぞれの方たちが暮らしている部屋(家)の中(外観と周辺はモザイク)も、テレビに映りましたが、共通していることは、部屋がすっきりしていて、その方が必要としていないモノは、一切置いていないという点でした。

テレビの取材なのだから、掃除や片付けをしていて当たり前だ、と思われるかもしれませんが、おそらくテレビの取材ごときで、慌てて部屋の掃除や片付けをするような方たちではありません。
そこに時間を割くムダを知っているので、自分のやるべきこと(究めたいことや日常のルーティン)に集中することに徹していることは、画面を通してわかりました。

とある方は、究めていることと仕事がリンクしていて、その仕事のために部屋にはイスを置いていないとのこと。
イスだけではなく、映っていたリビングに関しては、テーブルやデスクもなく、収納を兼ねたカウンターがあるのみ。
そのカウンターも、もしかしたら部屋に備え付けられているモノだったかもしれません。
食事やデスクワーク的なことは、すべてそのカウンターで済ませ、部屋全体を鍛錬する空間として使っているようでした。

また、他の方は数年前から嵌っている趣味があり、とことんまで究めようとしている最中で、仕事をしながらオフの日に取り組んでいます。
周りには理解されにくい趣味なのですが、たまに理解を示してくれる方も現れるようです。
結婚されているのですが、パートナーも理解が深く、趣味のことに関しては、応援している様子でした。
二人(あるいはお子様がいたかもしれませんが、映ってはいませんでした)で暮らす部屋(家)の中は、やはり余計なインテリアは見当たらず、家具はそれなりにありましたが、スッキリと片付いた部屋でした。

あるアスリートの話
とあるアスリートは、競技以外の趣味がないという話を聞いたことがあります。
その方は、今はタレント活動をしているのですが、競技の世界でも頂点を取ったことがある方です。
そして、その方は、部屋に観葉植物を置いたり、動物(ペット)を飼うことは、一切しないらしいのです。

生きているモノ(植物やペット)は、命を預かることになり、時には競技に費やす時間を割いて、向き合う必要あります。
その方の優先順位は、競技が一番なので、命を預かる余裕がなく、世話をすることもできないときがあるから、植物は置かないし、ペットは飼わないのだそうです。
命あるモノを育てる時間があったら、競技に向けてのトレーニングに集中したいということも、あるかもしれません。

部屋に余計なモノを置かない方がいい人
これは、風水でもなんでもなく、ただメンタルと集中力のお話になります。

ある日のラジオで、メンタル的な研究者の方か専門家の方がおっしゃっていたのですが、その人にとっての余計なモノが、暮らしている空間に多数存在していると、集中できなくなるということがあるそうです。
まあ、たしかにそうです。
部屋が雑多だと、集中力が継続しづらいですよね。

だから、物事を究め続けている方の部屋(家)は、スッキリ片付いているのだと思うのですが、もし、今、自分が何かを究めよう、頂点を目指してストイックに取り組もう、としているのなら、生活空間から集中力を奪うモノすべてを撤去すると、より高みを目指すことができる、というようなニュアンスのことをおっしゃっていました。

例えば、部活(あるいは地域のクラブ)でスポーツをしていて、他の人に比べて上達が遅いことを気にしているとします。
ある程度まではできるようになったけれど、人より抜きんでたテクニックを身に付けられなかったり、いい成績を修められなかったりする状態からは、どうしても脱したい。
そういう気持ちを持っている人は、暮らしの中から余計なモノを排除すると、効果が表れやすいのだそう。

なんだか、部屋を片付けたり、不要なモノを排除したくらいで、そんなに効果があるわけない、と思いがちですが、これは風水でもなんでもありません。
余計な行動に費やす時間や、余計なモノに集中力を奪われる時間を極限まで排除し、その時間をトレーニングや技術習得に使いましょう、ということです。

逆に言えば、トップを走り続ける人は、余計なモノを身近に置かないから、常に集中できる環境づくりができている、ということなのだと、その時の私は理解しました。

部屋(家)の中の不要品が全部なくなった後の希望
不要品をすべて処分して部屋を片付けたら、運気が上がった、という話は聞きます。
例えば、転職して月収が上がった、今まで縁がなかった物事に触れて新しい発見があった、懸賞や宝くじが当たった、病気が少し改善した、ダイエットに成功した、などなど。

でも、実はきっと心を乱す余計なモノがなくなったおかげで、暮らしの中での集中力や注意力が上がり、その延長線上に、運気が上がったと思われる出来事が起こるのではないでしょうか。

転職などは、一番効果が表れやすいと思うのですが、これから自分が担う仕事を探すのに、余計なことを考えず、効率的に再就職活動をすることは、とても大事なこと。
ですから、家での雑務が減れば、就職活動に時間を費やせます。

新しい発見も、今まで見る余裕がなかった物事に、目を向ける余裕が生まれた、と捉えることができますし、宝くじに至っては、おそらくなのですが、部屋がスッキリ片付いたことで、ムダ使いが減り、宝くじをいつもより多めに買う経済的、心理的余裕が生まれた結果、当選確率が上がったのかな、と。
宝くじは、買ったら買った分だけ当選確率が上がりますからね。

病気の改善や、ダイエットの成功も、それぞれに向き合う気持ちの余裕が生まれたり、集中する環境が整ったりした結果が表れたのだと思います。

ですが、不要なモノをすべて処分して、片付けも整理整頓も完璧にしているはずなのに、転職がうまくいかない、今まで縁がなかった物事に取り組む気持ちになれないしチャレンジする気力もない、懸賞や宝くじは全く当たらないし、病気は悪化してしまうし、ダイエットも失敗する、という方も必ず存在します。
そういう方は、それなりの状況になっている自分を客観的に分析すれば、上手くいかないことの原因が見えてくるかもしれませんよ。

何度も言いますが、不要なモノ、余計なモノを排除する行為そのものは運気を上げるわけではありません。
不要品の処分や、片付けをすることは、物事を良い方向へ進めるための途中経過です。
実際、汚い部屋に住んでいても、不要品に溢れている家に住んでいても、宝くじは買えば買うほど当選確率が上がります。
病気は、医者のアドバイスを受け入れることで改善や完治に向かっていくのであって、不要品を排除して片付けたからと言って治るわけではありません。

どうしてもうまくいかない原因は、さまざまです。
ただ、その原因の中に、もしかしたら普段の暮らしに、集中力を維持する環境が整っていないことも含まれているのかもしれないよ、というお話です。

私はまだ生活改善に向かう途中です
日々、いろいろなモノを処分しているのですが、今は処分することに集中したいので、他のことに取り組もうとは思っていません。
息抜きで、本を読んだりテレビを視聴したりしますが、基本は今までの生活を改善して、心地よく暮らすためにしなければいけないことは何なのか、を考えています。

行動の効率化、簡略化、手抜きも、その一部です。
そうすることで、他のことに集中できて、さらにストレスフリーになるのならば、いくらでも取り入れます。
買い物で疲れない方法を考えているのも、結局のところは自分がしている行動が余計なことだという自覚があるからです。
自分にとってのベストな暮らし方を、毎日の行動から読み取っていく、その作業を具体化しているのが、不要品の処分と片付け、整理整頓なのかな、と思っています。


今回は、部屋に余計なモノを置かない人の共通点の気付きと、不要品を処分して片付けたその先のことを考えてみました。
明日は、今年最後の家庭ごみ回収日(31日)に向けて、少しでも多く、不要品を処分する予定です。
不要品を処分したら、大晦日は掃除機をかけて、買ってきたおせち料理を盛り付けて、煮しめを作って、年越しそばを作って、正月用のお菓子を少し買い足して...
食べモノに関する準備が、ほとんどですね。
どうりで、簡単には痩せられないはずです(笑)
もっと質素な食事の準備を心がけたら、忙しくないし、ダイエットも成功するのでしょうにね(苦笑)

外出で疲れない方法を考えてみる

2019-12-28 | 日々の暮らし
いつからなのかはわかりませんが、最近外出すると必ずと言っていいほど、どっと疲れます。
帰宅すると、しばらくは何もする気になれません。

年齢や健康面で、暮らし方や食事の摂り方などの工夫が必要な時期なのだろうとは思うのですが、まずは外出時の行動を見直してみることにしました。

外出の準備をしているとき
出かける準備をしているときから、すでに疲れ始めていることがあります。
何故なのかな、と振り返ってみると、やるべきことと思っていた行動がどうも多い気がしてきました。

私が外出する際の準備として、今までしていたことは、服を選び、バッグや靴を選び、時にはアクセサリーを選び、バッグの中に必要だと思っているモノを入れ、服やアクセサリーを身に付け、化粧をしていました。
化粧する際には、起床した直後とは別に、洗顔をしてから取り掛かっていましたし、基礎化粧品でのケアからメイクまで、きっちりしていました。

近所のスーパー程度なら、メイクしない日もありましたが、洗顔、基礎化粧品でのケア、日焼け止めと軽くパウダーを顔にはたいてから、買い物へ出かけていたのが、3年くらい前まで。

その後、出かける準備をもっと簡略化したくて、いろいろ考えた結果、化粧をすることをやめました。
理由は、化粧品(ファンデーションや口紅など)の使用感が、いまいちであってことと、化粧してもしなくても、結局は他人からどう見られるか、を気にしているだけの行動なのかな、と思うようになってから、別にどう見られようと関係ないか、という気持ちに切り替えたからです。

現在は、肌がかさついているときだけニベアを塗りますが、基本的には外出前にわざわざ洗顔して化粧をすることは、完全に止めました。
止めた結果、肌がどうなるのかは、少し興味がありましたが、基礎化粧をしメイクをしていたころに比べて、肌トラブルが減りました。

少し話が逸れましたが、現在は面倒くさい化粧をやめているので、外出準備の行動がひとつ減っている状態です。
厳密にいえば、洗顔と基礎化粧とメイクの3つをやめていますが、まだ、自分がやっている行動に面倒くさいと感じる何かがあるような気がしました。

そして、思い付いたのが、持ち歩くバッグです。
以前は、外出の目的によってバッグを変えていたのですが、数か月前からどこに行くにも、基本的には同じバッグ(ショルダー)を持ち歩くことにし、外出目的によってマイバッグの大きさを変えるようにしています。
バッグの中身も、いつも持ち歩いていたモノを、少しだけ減らしてみました。

それでも、やはり何か余計な行動をしている感じがぬぐえないので、次は持ち歩くモノの置き場所を考え直し、外出する際の動線上にまとめて置くようにしました。
これまでは、置ける場所へ置いていた、という感じだったので、置き場所を変えたことで効率化が図れたと思います

しかし、まだ何か余計な行動をしているように思えたので、今度は日常的に着る服を見直しました。
といっても、天気や気温によって重ね着が必要だったり、素材を選ぶ必要があります。
ですから、基本のコーディネートを2パターンほど作って、それで大丈夫かどうか、現在試している最中です。
1つは、カジュアルラインで、Tシャツ(もしくはブラウス)とパンツに、アウターの組み合わせ。
もう1つは、カジュアルでもきちんとして見えるワンピースの重ね着で、外気温によってはアウターをプラスする組み合わせ。
ワンピースは、着ているだけでもきちんとした印象になるので、便利です。

今は冬ですから、服のほかにマフラーや手袋も必要なのですが、2つ持っていたマフラーのうち、1つを先日処分したので、そこの選択肢が減っただけでも、選ぶという行動をやめることに繋がります。
そして、手袋は先日捨てたので、今は持っていません。
新しく買うかどうか、かなり迷っていますが、どうしても我慢できない状況に遭遇したら買おうと思います。
防寒として着るアウターについては、今年はボアパーカーとスタンドカラーコートを準備していますが、いずれもパンツルックのときに着用することにしました。
ワンピースのときは、手持ちのモノを重ね着することで、防寒することにしました。

このように、コーディネートのパターンを徐々に統一し、最終的には1つのルーティンで済むようにすれば、外出前のストレスはもっと減ると思いますが、まだ減らせる行動がありそうな気がしています。

外出中の行動
買い物に関しては、余計な買い物を一切しないことが一番疲れない方法なのですが、実行していても買い物中に疲れが出始めることがあります。
原因のひとつとして、ここ数年、人ごみが苦手になってきていることがあります。
なるべくならば、人の少ない場所で買い物をしたいのですが、それも無理なので、なるべく買い物客の少ない時間帯を選んで、外出するようにしています。

疲れる外出として、買い物以外にはイベントへの参加があります。
私が参加するイベントは、例えば美術館などでの鑑賞、スポーツ観戦、ショーや舞台などの観劇、参加型のワークショップなどがあります。

昨年までは、遠方まで行き、宿泊してまで参加することもありましたが、今年は母の体調のこともあり、日帰りが可能な遠方までしか行かず、宿泊は一度もしていません。
宿泊を伴わないと荷物が少ないので、その点は準備段階で、かなり楽でしたが、スポーツの観戦などは応援グッズを持っていくため、案外荷物が多くなり、そのために疲労を感じてしまうことが何度もありました。
現在は、シーズンオフの状態なので、次のシーズンからは応援スタイルも一考すべきかな、と思っています。

買い物にしろ、イベント参加にしろ、基本的には毎回同じモノだけを持っていけば、もっと効率的に行動できるような気がしていますが、何ヵ所か回る場合には、効率を意識して回る順番を徹底する必要も感じています。

外出中の疲労を減らす方法として、

 ・予定外の行動はしない
 ・必要最小限のモノだけを持ち歩く
 ・立ち寄る順番を徹底する

以上の3つを意識することを、試してみようと思います。
これらを習慣化すれば、少しは疲労が軽減されるような気がしています。

予定外の行動とは、思い付きで予定にない場所へ立ち寄ったり、予定外の買い物をしたりすることです。
これをしてしまうと、時間もかかりますし、効率も悪くなります。

必要最小限のモノを持ち歩くのは、直接的な体への負担を軽減するためです。
理想としては、ポケットに財布(キャッシュレス用のカードと交通系ICカードなど)とスマホだけを入れて外出することなのですが、夏場は服装が薄くなり、ポケットのふくらみが気になるので、なかなか難しいかもしれません。

立ち寄る順番を徹底することは、予定外の行動をしないことと同じに見えますが、私の中では少し違っています。
順番の徹底とは、計画していた順番を守るということなのですが、ときにはその順番で回った場所で、思った以上に時間がかかってしまう場合があります。
そういうときに、なんとなく回る順番を変えて、時間のロスを取り戻そうとしてしまいがちなのですが、それをせずに、最初に計画していた順番を守る、ということです。
予想以上に時間がかかったとしても、立ち寄る予定の順番を徹底することを意識すれば、予定外の行動をしてしまいそうになっても、時間がないからという意識が働いて抑止力にもなりますし、いろいろ考えずに行動できる点でも、脳の疲労が軽減されるかな、と思います。

帰宅してからの行動
ときには、重たいモノやたくさんのモノを持ち帰る場合があります。
そんな時は、外出疲れに加えて、購入してきたモノを整理し片付けることで、さらに疲れが重なってしまいます。
最近では、必要で購入したモノであるにも関わらず、帰宅してから購入したモノを見ると、ウンザリするようになってしまいました(苦笑)

また、スポーツ観戦をしたときには、応援グッズや着用したユニフォームを片付ける手間が、かなり面倒です。
観戦グッズは、ひとまとめにしているので、出かける際には面倒を感じませんが、観戦が終わって帰宅すると、持って行った水筒を洗ったり、持ち帰ったごみを分別して捨てたりするため、ほんの数分ですが時間を取られ、疲弊することがあります。

買い物に関しては、必需品であっても先延ばしにできるモノについては、買わないようにする必要性を感じています。
消費税が増税されてから、日用品やセールにならない商品に関しては、5%オフの日やポイントアップデーなどに買うようにしたのですが、逆に自分で設定したルールに拘り過ぎて、買いだめ状態になってしまうことがわかりました。
ですから、来月から5%オフの日やポイントアップデーには、日用品とセールにならない商品だけを購入するようにしてみることにし、日々の食料品は買い控えることにしました。
デリカテッセンに関しては、パックや食品トレーから他の器や保存容器に移した後、分別して捨てる必要があるのですが、結構時間がかかりますし、ごみの種類を判断することも面倒なので、デリカテッセンは極力買わないように努力しています。

スポーツ観戦時は、飲み物代を節約したくて水筒を持って行っていたのですが、それが帰宅してからの手間を増やしているわけですから、次のシーズンからは食べ物も含めて現地調達にして、節約よりも帰宅後の効率を優先することにします。

外出全体に言えることは、帰宅してからの面倒な手間を、なるべく減らすように努力すること。
出かける準備から、帰宅するまでの間に、知らず知らずのうちに疲労が溜まるような行動がたくさんあったのだろうと思いますので、思い付く限りの疲れる行動を省いていきたいです。


外出で疲れない方法を、自分なりに考えてみましたが、基本的に余計な行動が多いのがわかります。
若いころは、それが逆に楽しくて、思い付きで買い物をしたり、いろいろなところへ立ち寄ったりしていましたが、その感覚のままで過ごしていた結果、ここ数年疲れるようになってしまったような気がします。
長年の習慣と惰性を完全に止めるには、結構な時間がかかりそうですが、少しでも心地よい暮らしがしたいので、これからもいろいろ工夫していきたいです。

年末大処分その2

2019-12-27 | 日々の暮らし
昨日に引き続き、不要なモノの処分をしました。
今回は、写真や記念号といった特別な冊子などと、写真等を保管していたアルバムの処分です。

家族以外の写真を処分(一部保管)
まずは、以前から着手したいと思っていたけれど、枚数が多く一度に捨てると重たすぎるので、先延ばしにしてきた写真を整理しながら、処分です。

処分した写真は、

 ・国内旅行をした際の風景写真
 ・父が残していた風景などの写真
 ・購入した写真(アーティスト、タレント、スポーツ選手など)
 ・自分で撮影したスポーツ選手の写真

家族や親族の写真は、まだ保管しておきます。
理由は、母がいつ思い出して「あの写真はどこへ行った?」と聞いてこないとも限らないから(苦笑)
普段はすっかり忘れているくせに、ある日はっきりと思い出してきますので、用心のために保管しておきます(笑)

また、一部のお気に入り写真は、まだ残すことにしました。
購入した写真については、購入後にサインをいただいたモノだけ。
自分で撮影したスポーツ選手の写真は、よく撮れているモノを。
国内旅行の風景写真は、ネットできれいな画像がたくさん見られるので、わざわざ自分が写した下手くそ写真を見返しませんから、思い切って捨てました。
ただ、海外旅行の写真については、残しておくことにしました。

そして、父が残していた風景などの写真ですが、撮影も趣味のひとつではあったのですが、本格的にやっていたわけではなく、むしろ絵を描くための素材として写真を撮っていたので、形見と言えるほどのモノではありません。
しかも、選ぶ被写体が私とよく似ている上に、いつでも見に行ける風景だったりしたので、サクッと処分しました。

父とは、写真のことで語り合ったことなど、一度もないのですが、別々に同じ場所へ行っているにも関わらず、被写体も撮る角度もそっくりだったのは、思わず笑いましたね。
そういうところに、DNAって引き継がれるのかな?と思ったりました(笑)

半分に減った写真の保管方法
もう、10年以上前に、私は写真の整理をしました。
理由は、アルバムが増えすぎて、保管が難しくなってきたから。
まだ、父がいたころですが、父には内緒ですべての写真をアルバムから抜き取り、箱に保管しました。

アルバムって、一見保存管理がしやすいように見えるのですが、アルバム自体が結構重たいですし、ポケットファイル形式のアルバムは、枚数をたくさん入れられる分、アルバムに負けず劣らず重たくなり、わざわざ出してきて見返すことって、ほとんどないのですよね。
もっとも、箱に入れても同じような状況で、わざわざ箱を取り出して写真を一枚一枚見返すことは、今回のように整理するときくらいです。
保管方法を工夫しても、結局見返すことなんて、本当にごくたまにです。
だったら、重たいアルバムではなく、移動させやすい箱に入れましょう、となったわけです。

今回は、その箱に入れっぱなしになっていた、家族や親族以外の写真を整理したわけですが、思い切って捨ててみたら、半分になりました。
見返しているうちに、ふとこの写真はまだ捨てたくない、と直感的に思うモノがあったので、それらは残していますが、他は見返していても、撮影した情景が浮かんでこなかったので、たいした思い出でもないのかな、と感じましたね。

思い出を残したくて、当時は撮影したのだと思うのですが、今見返すと、たしかに行った記憶、見た記憶はよみがえってくるのですが、特に感動したり印象的なエピソードは全く思い出せないし、下手をすると、当時は感動してみたであろう風景も、今見ると、なぜこの風景を撮影したのだろう?と、まったくシチュエーションを思い出せない始末。
きっと、もう写真本来の役目が私の中で終了したのでしょうね。
ごみ袋へ入れても、全く後悔しませんでした。

冊子類を処分
私は、書籍を読むことが好きです。
特に、紙の本のページをめくりながら読むことが好きなので、電子書籍は漫画しか買いません。
まあ、大好きな漫画は、紙の本を買ってしまいますが。

書籍は好きなのですが、雑誌はあまり好きではありません。
よほど興味を持った内容が特集されていたら別ですが、雑誌は学生のころに漫画雑誌とアイドル雑誌を買っていたくらいで、社会人になってからは、雑誌はほとんど買っていません。

しかし、たまに特集号と銘打って、ひとつのテーマに特化した雑誌が発売されることがあります。
そういう場合は、雑誌独自の取材と情報収集により、レアな情報が満載な上に、読みごたえがあるので、つい購入してしまいます。
私が特に買ってしまうのは、スポーツの特集やどこかのチームを特集した記念号です。

また、舞台や映画、イベントを鑑賞した際に、パンフレットのようなモノも、よく買っていて、行った回数は少ないのですが、結構そういった冊子や雑誌が、結構たくさんありました。
今年の初めごろに一度整理して、ブックオフしてきましたが、今回は、その際に処分を躊躇した雑誌や冊子を見直すことにしました。
見直した結果、一部の舞台パンフレットと一部の雑誌の特集号を処分しました。

残したパンフレットは、いちばんお気に入りの内容のモノを2冊。
また特集号も、一冊の書籍並みの活字数と情報量のモノとムック本のようなモノを残しました。

その他の紙類も処分
その他の紙類とは、アーティストやアイドルやスポーツ選手のポストカードやトレーディングカードです。
これらは、以前から処分しようと決めていたのですが、何度も言うように紙は枚数が嵩むと、とにかく重たくて捨てるのにも覚悟が必要なのです(苦笑)

今回、写真と同じ場所に保管しっぱなしにしていたので、写真整理と一緒に処分することにしました。
こちらに関しては、購入した写真と同様にサイン入りのモノだけ残して、あとはサックリとごみ袋へ。

一応、見返してみたのですが、もうこれらを見て愛でることはないな、と冷静に思えたので、躊躇はありませんでした。
アプリやネットオークションを利用したら、購入してくれる方がいると思われるモノばかりなのですが、こちらも以前から何度も言っているように、手間暇が面倒なので、錬金術(売る方法)は使いません(笑)
それに、私だけが手に入れたレアな品物ではないので、どうせ大した金額にはなりませんしね。

処分するモノは2袋に分けます
今回処分する写真を始めとした紙類は、とにかく重たくなるモノの代表格。
ですから、ごみ回収日に持ち運びしやすいように、分けています。
一部、冊子やパンフレットで古紙回収に出してもよいモノは、そちらに出します。

まだ、今年最後の家庭ごみの日が1回残っていますので、明日以降はまた別のカテゴリーの不要品を探して処分し、今年一年の煤払いといたします(笑)

思い出のモノや趣味のモノを処分する心境
以前、同じようなことを綴った記憶があるのですが、自分が好きで撮りためたり購入した写真やポストカード類、冊子類を処分する際の心境を、改めて今回の覚書として綴っておきます。

好きなモノを処分することは、とても難しいし、つらい気持ちや後悔しそうな不安があり、心の痛みを伴う作業です。
もしも、家族や友人から

「それは不要品だから、さっさと捨てなさい」

と言われたら、とても悲しい気持ちになるし、当然手放したいと思うことはありません。

では、今回私がどうして好きなアーティストやアイドル、スポーツ選手の写真やポストカードやトレーディングカードを処分できる心境になったのか。

まず、処分するモノと、まだ持っておくモノの選別を、とにかく直感的にしていきました。
と言っても、好きか嫌いか、あるいは有名な片付けアドバイザーのように、ときめくかときめかないか、などで決めるわけではありません。
その基準だと、ほぼ全部処分できませんから(苦笑)

直感というのは、久しぶりに出会った知人に、また次も“会いたい”と思う気持ちに似ています。
具体的な言葉では、言い表すことが難しいのですが、例えば好きなスポーツ選手の写真を見たとします。
それが、自分で撮影した写真であれば、もうこの上なく思いが詰まっていますから、当然捨てる気になどならないはずです。
しかし、年月を経て改めて手に取ったり見たりすると、不思議なことに“会いたい(見返したい)”と思える写真と、“もう会えなくても(見返さなくても)大丈夫だな”と思える写真とが存在し始めるのです。

ここまでのこと、理解できない方も多いかと思われますが、もう少し続けますね(笑)

これは、写真に限らず、収集していたグッズなどにも当てはまります。
日用品や洋服は、暮らしていく際に必要なモノなので、抽象的な感情よりも、現実的な感情にフォーカスして処分しますが、グッズや写真、冊子などは、なくても困らないモノの代表格です。
書籍を読むことは、ある程度求められるとは思いますが、収集する必要は全くありませんから、読み終わったら大体古本屋に持ち込むか、古紙回収時に出してしまえばいいモノではあります。
でも、グッズや写真は、いつまでも終わりが来ない好きだという感情に支配されていて、生活必需品では全くありませんが、手放すことを考えると、胸が痛みがちです。

では、なぜそうなってしまうのか。
それは、無機質なモノであるにも関わらず、それに親しみや愛情に似た感情を抱いてしまっているからなのだと思います。
アニメやフィギュアが好きな方には、わかってもらいやすいかもしれませんが、擬人化しているのですね。
特に、姿を映している写真、ポストカード、トレーディングカードは、好きな人の分身のように感じているのではないかと思います。

ですから、好きなアイドルの写真を捨てるなど、とんでもないことだと思うのですが、私の場合は、最近になって写真はあくまで写真でしかない、と割り切れるようになりました。
そもそも、自分が好きになったアイドルやスポーツ選手は、動いている姿を見て好きになりました。
写真やポストカードに写っているのは、動いているその人の一瞬を切り取った姿でしかありませんから、見ていてときめいたり気持ちが穏やかになることはありますが、自分が本当に見たいのは、動いているその人物ではないのかな、と思い始めたのです。

その写真が、古ければ古いほど、当時のその人はたしかにステキだけど、自分が常に心に置いているのは、今活動しているその人だ、と考えると、見返すこともほとんどない写真やポストカードは、もう会わなくても(見なくても)、自分の気持ちに変化は起こらない、と感じるようになりました。

それが、直感的な判断基準の元になっています。

モノでも人でも“ときめき”ではなく“会いたい”気持ちを重視
ときめきはたしかに、モノを処分するときに明確にしやすい基準になると思います。
しかし、ときめきだけに頼ると、処分できないモノが溢れてしまう可能性も高いです。

でも、もしグッズや写真を擬人化している自覚があるのなら、ときめきではなくて、そのモノと長年触れ会えなくても、もう一度会いたいと思えるかどうか、で考えたらどうでしょうか?というのが、私の提案であり、今回の振り返りです(笑)

私は、今回処分した写真や冊子、ポストカードやトレーディングカードの類を見て、もう会えなく(見なく)なっても、後悔はしない、と思えるモノを処分しました。
後悔というより、今ここでそれを失っても、好きな気持ちに変化はない、という達観した気持ちに近かったのかも。

先ほど、久しぶりに会った知人を例に出しましたが、今後もその知人と会いたいと思ったら、きっと連絡先を交換し、何日も開けずに連絡をしたりすると思うのですね。
しかし、もし、会っただけで懐かしい感情を完結したら、きっと連絡先も交換しないだろうし、元気でね、と声をかけて終わりだろうと思います。

写真に対して、元気でね、とは思いませんが、まあ保管しておくけど、見返すことは少ないかもね、という気持ちになったら、それが“会えなくてもいい”という感情だと思っていて、逆に数日以内のもう一度見返したい、という気持ちが“会いたい”という感情です。

この“会いたい”と思える写真やグッズなど、自分の周りにはいくつくらいあるのでしょうね。
私は、思ったよりも少ないかもしれないと思っています。
だから、今、いろいろなモノを処分できるようになってきたのだと思います。


今回は、だらだらと訳の分からないことを書き綴ってしまいました。
でも、言いたかったことは、モノも人も“会いたい(見返したい)”という気持ちに、素直に向き合ったら、きっとモノの処分基準も明確になってくるよ、ということです。
だって、本当に会いたい人は、とても大切な人とも言えますから、モノもきっと、見返したい、再利用したい、と思うモノが、本当に大切なモノなのかもしれません。

年末大処分その1

2019-12-26 | 日々の暮らし
年末の大掃除はしませんが、不要品は処分するマシュマロです。
今回は、今年の年末に処分するモノのお話をします。

年末の家庭ごみ回収は2回を残すのみ
我が自治体の、家庭ごみ回収日は火曜日と金曜日。
明日が金曜日なので、年内に家庭ごみを出せるのは、残すところあと2回です。
リサイクルごみの回収は、すでに年内は終了したので、次回は年明けですね。
実は、かん、ビン、ペットボトル、プラごみが残っていますが、まだ指定袋に余裕があるので、年が明けてから捨てます。

今回処分する不要品
今回は、以下のモノを処分しました。

 ・タオルケット2枚(パイル糸があちこちほつれている)
 ・汗染みの黄ばみが取れない夏用ベッドパッド
 ・使い道がわからないシーツ(パッドかもしれない)
 ・ハンガー
 ・服3着
 ・毛糸の手編みマフラー
 ・ハンカチ数枚
 ・小さい風呂敷1枚
 ・携帯用洗濯ピンチハンガー
 ・グッズ系
 ・使い終わったノート
 ・スケジュール帳
 ・額縁用金属パーツ
 ・折り畳み傘1本

他にも、ちまちまと処分したのですが、何も考えずにポイポイとごみ袋へ入れてしまうので、覚えていません(笑)

処分する基準
モノを処分する基準を、今一度自分で再確認して、処分する作業をしました。
基準は、以下のとおり。

 ・長年使用していないモノ(すべてのモノに共通)
 ・数が多すぎるモノ(主に日用雑貨)
 ・布類は、ほつれ、汚れ、重複しすぎているモノ
 ・服は、ほつれ、汚れ、経年劣化、素材が綿100%ではないモノ
 ・使用済みのモノ

スケジュール帳は、あと数日残っていますが、そこに予定を入れることはもうないので、処分します。
毎年、取っておく方もいらっしゃるようですが、私はほぼメモを書き込む程度ですし、思い出として残すほど、きちんとした記録もしていないので、毎年捨てています。

服は、今回汚れやほつれはありませんでしたが、素材にポリウレタンが少しだけ混ざっていた夏物ワンピースと、かなり長年着ていた、夏用の部屋着ワンピースと、スポーツ観戦用のレプリカユニフォームです。
夏用ワンピースに関しては、買うときに綿100%だと思い込んで購入してしまい、一応シーズン通して着用はしましたが、洗濯時のしわの寄り方が酷いので、捨てることにしました。
部屋用のワンピースは、かれこれ10年くらい着用していて、そろそろ違うアイテムを買いなおした方がいいように思いましたので、捨てることにしました(笑)

ハンガーは、たくさんあったモノを以前処分して、残しておいたモノですが、改めて考えるとまだ減らして大丈夫だと判断したので、さらに処分します。

寝具関連(タオルケットやベッドパッド)は、まだ未使用のきれいなモノがあるので、それを使うことにしました。
そもそも、タオルケットはほとんど使っていないのですよね。
夏場、私の自室はとても暑くなるので、タオルケットすら邪魔になります(笑)
ですが、一応泊り客用に未使用のモノを2枚残しました。
寝具類は、全部出すと重たいので、まだ不要なベッドパッドなどがありますが、今年最後の家庭ごみの日に出します。

ハンカチやハンドタオルは、汚れてはいませんが、経年劣化した薄手のハンカチとデザインに飽きてしまったタオルハンカチを、処分することにしました。
一瞬、雑巾やキッチンの油汚れ用に使うことを考えましたが、予備軍がたくさん控えているので、ダイレクトにごみ袋へ。

額縁用の金属パーツは、以前いろいろなモノをディスプレイしていたころに、100円ショップで購入した額縁の金属パーツが壊れてしまったので、修理用にセットで購入しました。
しかし、もうディスプレイそのものを減らし、額縁類も数個残っているだけなので、要りません。

グッズ系ですが、応援しているスポーツチームの応援グッズです。
ここ半年、母のフォローでスポーツ観戦する回数がめっきり減ってしまったので、応援グッズも宝の持ち腐れ状態。
本当は、それを持って試合を観に行きたいのですが、今後しばらくは観戦に行けるかどうかわかりませんし、そもそもグッズがなくても応援はできるので、まあ処分したところで困らないと判断しました。

あと、かなり古いポスターがあり、私鉄の中刷り広告風のポスターだったので、好きだったのですが、壁のディスプレイを減らすと決めているので、もうそれを飾ることもないと思い処分することにしました。

グッズ系は、まだまだあります。
多いのは、写真やポストカードの類です。
かれこれ、30年以上かけてちまちまと購入していたので、結構な枚数があります(苦笑)
写真やポストカードは、一枚一枚は軽くてバッグに入れても邪魔にならないので、手軽に買えてしまいます。
しかし、それが30年分となると、当然枚数が嵩みますよね。
たまに、間引き作業はするのですが、写真もポストカードも紙でできています。
紙類は、一度に大量に捨てると、とてつもない重量になってしまうので、本当に少しずつしか処分できていません。
来週の今年最後のごみ回収日までに、積極的な間引きを予定しています。

徐々に未練がなくなってきた感じです
これまで、いろいろなモノをたくさん処分してきました。
しかし、どうしても処分することに迷いがあり、先延ばしにしていたモノは数知れません。

ただ、ここのところ「もう、いいか」という気持ちになりやすい精神状態に入っています。
例えば、夜寝る前にふと「あれ、もう捨てよう」と思い付き、翌日にはごみ箱へ入れるモノが増えてきました。

未練があるモノのほとんどは、グッズ系と自分が撮影した一部の写真です。
自分が写っている写真については、もう要らないと思っているのですが、私が被写体として選んで撮影した写真に関しては、もう少し持っていたいと思ってしまいます。
また、グッズ系については、最小限まで減らしたいと思いつつ、最終的にはどこまで残すかということを決めていないため、先延ばしになってしまうことも多いです。

ただ、グッズ系でも冊子はもう読み返すこともないし、せいぜいサインをもらった冊子だけ残して、あとは捨ててもいいかな、と思っています。
また、写真も商品として購入したモノについては、もう処分することに決めました。
見返すと、やはり気持ちが高揚してくるのですが、見返してそういう気分になるのは、こうして処分しようかどうしようか、と手に取るときだけになっています。
それだと、結局置いてあるだけ(しまってあるだけ)になってしまい、購入した本来の目的って、一体何だったのだろう?
と考えたら、見るために(鑑賞するために)購入したのだと思うのですよね。
でも、今はその目的を果たすことなく、ただ保管されているだけ。
だったら、もう役割も終わったことになるのではないかな、という気持ちになりました。

冊子系も写真も、たくさん捨てるとなると、重量が物凄いことになってしまうので、分量を決めて今年最後のごみ回収日で捨てることにします。
ええ、かなりの重量になることは覚悟していますよ(苦笑)


今年の年末最後のごみは、なるべくたくさんの不要品を出したいと思っています。
いつもは、日常出るごみしか出していなかったのですが、今回は少し気合が入っています。
指定袋、買い足しておく必要がありそうですね(笑)

Happy holidays 私の場合

2019-12-25 | 日々の暮らし
クリスマスの今日、人々はさまざまな過ごし方をされていることでしょう。
ただ、日本人はイヴの24日が一番気合が入っていて、25日はあまり盛り上がりませんよね(笑)
スーパーへ買い物へ行ったら、売り場はすっかり年末年始のおせちや正月飾りの陳列に、入れ替わっていました。

少しだけクリスマスを意識した食事
とりあえず、24日もいつもとは違った総菜を食しましたが、25日の本日はいつもは食べないピザを昼食に、ローストビーフを夕食にいただきました。
ちなみに、母には、ピザに付き合わせましたが(母はピザが案外好きです)、夕食は普通の食事を用意しました。

残ったケーキをおやつに
昨日、買っておいたホールケーキ(直径が小さいモノ)を、母と二人で半分食べて、残りの半分は本日のおやつにしました。
クリスマス感は全くない二日間でしたが、この期間は美味しいモノをいろいろ食べるための免罪符だと思っているので、結構楽しめましたよ(笑)

サンタクロースからのプレゼントは要らない
子どものころは、クリスマスのプレゼントは貰って当然だと思っていたので、毎年いろいろ考えた末に欲しいモノを決めておねだりしていました。
ちなみに、私の両親は子どもに夢を与えることが苦手でしたので、サンタクロースの存在は、物心ついたころから架空の人物で、クリスマスプレゼントはすべて両親と一緒に、おもちゃ売り場で購入していました。
サンタクロースに関しては、まったくもって、1ミクロンの夢も見させてもらえませんでした(笑)

ただ、私も実を言うと、クリスマスだからと張り切って毎年買ってもらうモノを決めていたかというと、そうでもなく、逆にプレゼントしてもらうモノを決めることが苦痛だったことが何度かありましたから、夢のない子どもでした。

今思えば、我が家の場合は24日か25日にデパートへ出かけて、レストランで食事をしておもちゃを買ってもらう、という流れが恒例になっていたので、その流れに乗らないといけないような気がしていただけで、クリスマスだからと言って特別なモノが欲しくなる感覚が、幼少の頃の私にはありませんでした。

思春期を過ぎると、クリスマスや誕生日に便乗すれば、多少高価なモノを買ってもらえる、という知恵がついたので、ここぞとばかりに、値段の高いモノを買ってもらっていました(笑)
社会人になってからは、もっぱら自分へのプレゼントが主流でしたから、このころから、行事を免罪符にした散財が始まったのですね(笑)

そして、現在はむやみにモノを増やすことにも疲れてしまったので、もうプレゼントは一切要りませんし、便乗散財も消費ができる食料品だけにしています。
そのうち、便乗して少し豪華な食事をすることにすら、疲れてしまうときが来るような気がしています。

数年後は、もしかしたら行事そのものの存在を、忘れてしまっているかもしれません(笑)

クリスマスが終わったら不要品処分に集中
年末の大掃除はしませんが、クリスマス気分も終わったので、明日から不要品を積極的にごみ袋へ入れていこうと思います。
最近、不要品とする基準がブレ始めているので、処分する自己基準をしっかりと確認して、作業に入りたいと思います。

ターゲットは、「奥にあるモノ」
押し入れ、棚、クローゼット、引き出し、それらの奥を中心に、不要品を探したいと思っています。

なんだか、おかしいですよね(笑)
今までは、使いたいモノ、欲しいモノを探して時間を割いていたのに、いろいろなモノを処分して、必要なモノを探すことが徐々に減っていって、とうとう処分する不要品を探すようになってしまいました(笑)
最終的には、もう「探すべき物」がなくなるのだろうな。
はやく、そういう暮らしに到達したいです。


話は変わりますが、今日はスーパー恒例の割引日だったので、正月用のおせち料理を単品で数種類、元旦の一日をしのげる程度の量を購入しました。
スーパーに売られているおせち料理で、さらに割引になるので、デパートなどの高価な〇段おせちよりは安価ですが、やはり高いな、おせちは(苦笑)
これで、結構出費をしてしまったので、もう年明けまでは買い物をしなくて済むような献立を考えなければ!(笑)

買い物疲れに手抜き家事

2019-12-24 | 日々の暮らし
月曜日に、何とはなしにクリスマス用のケーキとデリカテッセンを、デパートまで買いに行ったのですが、案の定買い物疲れが出て、何もする気が起きませんでした。

最近よく買い物疲れが出る
もともと、冬は大体引きこもり体質になるので、外出すると他の季節よりも疲労が出やすいです。
室外温度と室内温度の差も、私の身体には結構ダメージが大きいので、なるべく外出はしないようにしていますが、今回のように、イベントへ便乗した買い物を、つい体調のことも考えずにしてしまうことも、結構あります(苦笑)

ただ、最近は冬限定ではなく、他の季節でも長時間の買い物に出かけると、翌日にかなりの疲労感があり、無気力が酷いです。
年齢的な原因もあるのでしょうが、もしかしたら、私自身がもう買い物を楽しめない思考になっているのかもしれません。
楽しめないので、余計なモノを買うことは減ったのですが、必要なモノまで買うことが面倒に感じているときも多いです。
必需品でストックが必要なモノについては、メモを持っていくわけですが、そのメモに書いてあったモノすら、買い忘れることが増えました。
とはいえ、結果的に生活するうえで困ったことは一度もないので、本当は必需品でもなかったかな、とは思いますが(笑)

とある漫画を、友人から借りて読了したのですが、その中に描かれたワンシーンに、とても共感しました。
それは、いつも同じようなチープで動きやすさ重視の服を着ていた女性(達)が、ストーリーの流れで価格帯が2~3万円くらいのファッショナブルな服を買いに行くことにしたシーンでした。
女性の一人は、たくさん並ぶテナントとたくさんの服の中から、自分が着たいと思う、気に入る服を選べないというニュアンスのことを、つぶやきます。
また、違うシーンでは、服を買いに行くことが楽しくない、疲れる、といった描写もありました。

この漫画は、ファッションを軸に話が展開していくので、ファッショナブルな服を着ることや買うことに関しての感情が表現されるシーンが多いのですが、読んでいて、服だけではなく、雑貨や家具、家電品、その他もろもろ、家庭には大体ありそうなモノを新しく購入するときも、同じような気持ちになることが多いな、と思いました。

多くの中から選ぶ作業はとても疲れる
服もそうですが、今はどのカテゴリーでも、店内にはたくさんの商品が並んでいて、種類も豊富です。
その中から、自分が必要として買うと決めていたモノですら、仕様や機能性の違いで、選択を迷い、比較検討を始めて、さんざん考えた末に、やっと購入することが多いです。

例えば、私は今年ノートパソコンを買い替えたのですが、選ぶ際に非常に迷いましたし、店頭でいろいろな商品を見たがために、元々決めていたスペックや予算とは違う商品を、最終的に購入しました。
しかし、購入した店とは別の店舗も回っているので、ノートパソコンの購入に費やした時間は長かったと思います。

最終的に、未購入の時点で買い物疲れが出てしまい、もうどれを買っても同じかもしれない、とさえ思いました。
もっとも、プライベートで使うだけなので、それほど高いスペックは必要ありません。
そこをもっと精査すれば、迷う時間も短かったかもしれません。

日々の買い物も、同じようなことが起きます。
買うモノは決めているのですが、店内を回っているうちに、食べたい食品やストックが切れていた日用品を見てしまうと、どうしても買っておこうという気持ちが湧きます。
しかし、本当に食べたいのか?ストックはないが、まだ当分はストックが無くても困らないのではないか、と考え始めると、買う予定のない商品を手に取って、結構長い時間悩むことがあります。

この場合、やはり価格だったり、消費スピードだったりがネックになって、結局買ってしまう場合もあれば、とりあえず今日は買うのはやめておこう、と商品を棚に戻すこともあります。

でも、そういうことが何度か続くと、日々の買い物ですら買い物疲れを引き起こしてしまうのですよね。
買い物疲れの原因は、体力的なことよりも、自分にとってより良い選択をしようとするために、たくさんの商品の中から一番自分に適したモノを考えて、脳が疲労し、それが体調に反映されてるのではないかと考えています。

シンプル思考を鍛えよう
脳の疲労を少しでも楽にすることで、余計な体力を使うことなく、買い物疲れも軽減できるのではないかと思っていますが、それにはやはりシンプルな思考が一番効果的です。
シンプルに「欲しいか、欲しくないか」「必要か、不要か」「金額が適正か、不適正か」など、どの基準でもいいのですが、買い物をする際に、瞬時に当てはめて商品を選択できるように、思考そのものを鍛えることは、大事なことです。

今は、まだ余計なことを考えて買い物をすることが多かったり、先のことを考えすぎたりして、シンプル思考から遠ざかってしまっています。
一応、自分のルールとして

 「迷ったら断つ(やめる)」

というのがあるのですが、これがきちんと実践できているときは、あまり買い物で疲れてしまうことはありません。
選ぶことそのものに、時間を割くことがないですし、不要なモノが家の中で増えることもありません。
しかし、このことを忘れて、先のことを考え始めると、どうしても歯止めが利かない場合があります。

これは、気持ちの上で不安が勝るときが多いです。
不安とは、ざっくりいうと「将来に対する不安」です。
一時間後、一日後、一週間後、一か月後、半年後、一年後と、なぜか先のことを考え始めてしまうのです。
今は必要ないけど、これから必要になるかもしれない、と思うと、迷いが膨らんで選択時間が増えていきます。
そうなると、思考も複雑になってしまうので、脳の疲労が増してきて、最終的には身体的な疲労に結び付くような感じです。

こういった場合は、先のことを考えないで、今を優先する思考が必要になります。
シンプルな基準に加えて、今のこと以外は考えないようにすることを、もっと徹底できるようになれば、もっと楽に買い物ができるようなきがします。

買い物疲れのそのあとは
買い物疲れが出ているときは、家事をする気が全くなくなるわけですが、今回はクリスマス用の総菜を買いに行って疲労したわけですから、食事の用意が楽で助かりました。

もともと、何を買おうか決めていなかったので、あちこちのテナントを回ったことも、疲労の原因のひとつですし、買いたいケーキがなかったことで、購入そのものを諦めたらいいものを、やはり何か買いたいという思いを優先してしまったために、ケーキに時間を割いてしまいました。
もし、もう何も買わなくていい、という思考に慣れていたら、おそらく買い物疲れも最小限で済んでいたでしょうし、そもそも買い物にすら出かけなかったかもしれませんよね。

なぜ、そこに早く気が付けないのか。
まだまだ、シンプルには程遠い行動ばかりです。
効率化が好きなのならば、そこも視野に入れて行動しろよ、と自分自身に言いたいです。


今回、身に染みて感じたことは、長時間の買い物や外出を計画する場合、どれだけ家事を手抜きするかも一緒に計画しておくべき、ということでした(苦笑)
デリカテッセンを買っておく、掃除と洗濯は可能な限りサボる、デリカテッセンを用意できない場合は、デリバリーを頼むか、思い切って外食にする。
シンプルな暮らしをする前に、まずは自分の行動をシンプルにしたい、と考えた一日になりました。

クリスマスの準備をしながら買い物について考える

2019-12-23 | 日々の暮らし
昨日は寝不足がたたって、昼間に何度も寝落ちして、夜も疲れ切っていました。
一夜明けて、体調は戻りまして、午後からクリスマス用のケーキと総菜を買いに、デパートへ行ってきました。

我が家のクリスマス
何度もブログでご紹介してはいるのですが、改めて我が家のクリスマスの過ごし方をご紹介します(笑)

我が家の場合、ツリーもリースも飾りません。
当然、プレゼントもありません。
唯一クリスマスっぽいのは、食事だけ。
といっても、ただただクリスマスに便乗して、普段食べられない総菜や食品を買って食べるだけです(笑)

昨年は、クリスマスっぽいピース売りのケーキを数種類買いました。
食事は、パエリヤとサラダだったと記憶しています。
近所のスーパーと、近所のケーキ屋で調達しました。

今年は、小さなホールケーキ、普段絶対に買わない舌平目のパイ包み(笑)、キッシュ、フライドチキン、地元で有名なオリジナル総菜、ローストビーフを購入し、フライドチキンは消費し、他は明日のランチでいただきます。

洋食が続くと母が食べ飽きる件
クリスマス用の総菜を、少し買いすぎたような気がします。
母は、立て続けに洋食を出すと、食べ飽きる傾向にあります。
ですから、本当は1食分だけ購入するのがベストなのですが、私が食べたいので、つい買いすぎてしまいました。

母の食べたいモノが無いのもかわいそうなので、クリスマス用の総菜のほかに、普通の和食総菜も購入し、さらに久々にパン屋でもたくさんパンを買ってしまったので、ますます買いすぎに(苦笑)
総菜の重さと、ホールケーキの箱にパンが入った袋。
そして、デパートのあとにスーパーで少し買い物をしたので、結構な荷物でしたし、ケーキもあるので持ち歩くときに気を遣いました。

こういう日は、当然車で買い物へ行きますが、それでもなんだか疲れました(苦笑)

車でデパートへ行くと面倒になること
スーパーは、駐車無料のお店へ行きますが、デパートは2,000円以上の買い物で2時間ほど無料になるので、買い物をしたレシートをまとめておく必要があります。
デパートのレシートは、駐車サービスの受付窓口でもたもたしないように、バッグのポケットへ駐車券と一緒にまとめていますが、お店で買い物をしたときに、とても面倒に感じています。

今日は、すべてクレジットカードで支払いをしたので、お釣りをもらう手間は発生しませんが、カードとレシートを返してもらう際に、カードは財布へ、レシートはバッグのポケットへ、と自分が起こすアクションが多すぎるような気がしました。
最近、特にそう感じるようになったのですが、これが駐車サービスのないスーパーでは感じないので、おそらく最後にレシートをサービス受付に出すことを考えての行動が、自分の首を絞めているように思えます。
かといって、サービス受付でもたもたするのも嫌だし、今後対策を考えないと、ちょっとストレスです。

それから、デパートのテナントごとに支払いすることにも、最近ストレスに感じます。
仕方のないことなのですが、それぞれの店舗で買い物をして、最後にすべてを合算して支払うシステムができたらいいのに、と思っています。
ちまちまと支払いをしてレシートを受け取るのが、かなり面倒くさいのですよね。
個人の買い物に限って、電子レシートを発行するような、そんなシステムができたら、このストレスも軽減されるのにな。

スマホ決済だけにしたら解決できるか?
ふと、スマホ決済に支払い方法を統一したら、このストレスも少しは軽減されるのかな、と考えました。

現状、デパートについては3つの方法のいずれかを使います。

 ・友の会の積立金が入ったカードで支払い
 ・クレジットカードで支払い
 ・現金で支払い

このうち、友の会の積立については、満期時にやめることができるのですが、今年積み立てていた分を使い切れるまで、カードは使う必要があります。
現金化ができない“お金”なので、使わないと意味がありません。

現金での支払いについては、現在手元にある小銭を減らしたい一心で使っています。
小銭がないときは、現金払いはしないことにしています。

クレジットカードは、デパートで使えるキャッシュレス決済がクレジットとdポイントと友の会カードしかないため、クレジット払いをしています。
dポイントカードの登録をした方がいいかと思い、しばらく悩んだのですが、すべての支払いとポイントをdポイントカードにしないと、ほぼ何の恩恵も得られないことに気が付き、登録は見送りました。

クレジットカードについては、スマホ決済ができない種類のカードを使っているため、切り替えるかどうしようか迷っているところですが、よくよく考えたらレシート(領収証)を貰う手間は変わらないのですよね。
減る手間と言ったら、財布へカードを戻す動作だけですし、財布を持たずにスマホだけ持ち歩くと、貰ったレシートをどこに入れておいたらいいのでしょう?

となると、もはやレシートの問題ではなく駐車サービスの在り方に改善を求めた方がいいのかもしれませんね。
テナントごとの購入金額が記録されて、最後に合算されるような駐車券だったら、便利でいいと思うのですが。

まあ、私ごときが何をどう言おうと、今の駐車無料サービスの在り方は、そう簡単には変わらないでしょうね。
便利になったころには、私はもう車を手放すような年齢になっているかもしれません。

ということで、結論としてはスマホ決済に統一したところで、駐車サービスの手間は一緒です(苦笑)

少しでも買い物時の手間を減らしたい
年末年始に向けて、何かと支払いをする機会が増えると思うので、少しでも買い物時の手間を減らしたいと思っています。

一番手っ取り早いのは、余計な買い物をしないこと(笑)
デパートでの買い物は、特別なときですから、その特別を我慢するようにすればいいですよね。

それから、キャッシュレス決済を徹底してみようかと思っています。
明日から年末まで、財布の中にはお札を入れず、支払いは小銭、プリペイドカード、クレジットカード、交通系ICカードだけを利用します。
ただし、現金しかチャージできないカードを頻繁に使っているので、チャージの際は現金を持ち出します。
小銭は、今持っている分を消費したら、以降持ち歩きません。

その他に、いつも持ち歩いているショルダーバッグの中身も、もしものときに備えているモノをバッグから出してみます。
バッグの中身が少なくなれば、おそらく財布を出したり、レシートをしまうときに、楽になるような気がするからです。

今年はあと1週間しかありませんが、果たしてどうなるでしょうね。
自分でも、少し楽しみです。


買い物は、心身共に疲れますね。
これも、老化によるものなのでしょうか?
普段の買い物は、そこまで疲れないのですが、特別な買い物は本当に疲れます。
購入するターゲットが決まっていないと、なおさら疲れます。
きっと、選ぶという行動が思っている以上にストレスなのでしょうね。
もっと、シンプルな思考で行動できたら、ここまで疲れないのかもしれませんね。

寝不足です

2019-12-22 | 日々の暮らし
昨夜、母の様子を伺いながら寝ていたので、寝不足です。
母がトイレへ行くたびに付き添うので、一時間おきに起こされる感じでした。

母の熱は、日中少し下がったのですが、また夜になると微熱に。
様子からして、インフルエンザとは違うような気がしてきました。
もしかしたら、まだ貧血が改善されていないのかもしれません。
一日の半分以上は、体が怠いと訴えていますから。

一日のうち、まあまあ調子がいいのは1~2時間程度でしょうか。
また、ほぼ寝ている状態(寝たきりではありません)なので、1時間寝て起きたら、また調子が下がるといったことを、毎日のように繰り返しています。

入院前に倒れたのは、たしかに貧血だったのでしょうが、これまでの身体の不調は、もっと別に原因があるように思えます。
ただ、もう年内はどこか病院で診てもらう気力が、本人にも私にもありません。
どうか、もう一度倒れて救急搬送されるようなことだけは、年内に起きないようにと祈るばかりです。

ああ、それにしても、寝不足は疲れます。
ただでさえ、冬は身体の調子が悪い私です。
寝不足は、かなり堪えます。
はやく、気温が安定する春が来てほしいです。

明日は気晴らしもかねて、クリスマスケーキでも買いに行ってこようと思っています。