マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

所有物のリセットを考えてみた

2020-01-25 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
日々、終活に向けてモノを処分し続けていると、いろいろ考えることが出てきます。
本日は、趣味のモノをいくつか処分している最中に、親戚2人が訪ねてきたので、作業を中断しておしゃべりに華を咲かせていました。
私を含めて、みんな現在おひとり様状態(私は母と同居なのでおひとり様予備軍)
1人は配偶者と死別し、子どもが授かりませんでした。
もう一人と私は、未婚で子どももいません。

3人とも、この先誰とも結婚再婚をせずに旅立った場合、それぞれが所有している相続手続きすべきモノは、手続きから相続完了までを、生きているうちに誰かに託さなければなりません。
動産不動産から趣味のモノまで、一体だれがどのようにして手配処分するのか?
そんな話になりました。

集まれば同じ話
いつも、同じメンバーが顔を合わせると、必ず私の母と兄弟姉妹とが共同名義で所有している不動産の話になります。
その話は、先に進まないままなので、必ず堂々巡りになってしまいます。
結局、今回顔を合わせたメンバー3人は、同じ意見なのですが、相続権利を持つ他の親戚の意向をはっきり確認が取れないままなので、細かい部分での話し合いができない状態。

みんな面倒くさい手続きが嫌なのだろうとは思うのですが、自分や自分の親が残したモノは、例え面倒であってもきちんと手続きをしておかないと、後の世代が大変な思いをしてしまうので、我々が生きているうちに、何とか決着をつけたい案件です。

そんな話をしているうちに、今度は自分たちが旅立った後のことへと、話が変わっていきました。

不動産のこと
私は、まだ母が健在(健康ではないな...)ですが、いずれ母が所有している不動産を相続する可能性が高い状態です。
配偶者に先立たれた親戚は、不動産をそのまま相続しています。
独身の親戚は、つい最近、親の不動産を相続する手続きが完了しました。

この3人は、全部とは言いませんが、自分が所有する不動産を相続させる者がいない、という点です。
厳密に言うと、独身の親戚と配偶者に旅立たれた親戚は、姪と甥がいる状態です。

話は、もし我々がそれぞれ旅立ったら、所有している不動産は誰に相続して貰えばいいのか、という悩みに。
姪と甥がいる親戚2人は、その姪や甥の誰かに、もしくは全員に均等に相続することになるわけですが、現在は現金を残せる可能性は低く、相続するのは不動産だけになるので、均等に分配するのが難しいですよね。

私も、もし母が旅立ち、今の住まいを相続したとして、私が旅立った後に相続してもらう人がいません(厳密にはいとこ達やその子どもに権利が発生するかと思いますが)
もっとも、マンションに暮らす私の場合は、いずれ経年劣化で建物全体を立て直す日が来ますから、そのときに私が元気でいれば、売却した後に賃貸物件に入り、病死や孤独死をした場合に備えて、連絡や後始末を請け負ってくれる者を決めておくことになるでしょう。
しかし、母が先立ち、今住んでいるマンションでおひとり様生活をしている最中に、私が旅立った場合は、一度誰かにマンションの権利を渡す必要があります。
さて、それを生前に成年後見人を立てておくか、親戚の誰かに相続してもらうよう話をつけて、関連する手続きや手配をお願いしておくか。
それとも、もっと他の方法があるのか。
考え出したら、キリがありません。

趣味のモノ
不動産の相続については、結局ベストな方法が思いつかないまま、今度は3人が住んでいる家の中にあるモノの話へと移りました。

私は、ご存じのとおり終活に精を出しているので、現在モノの処分を頑張って進めている状態で、徐々にモノが減っています。

独身の親戚は、不動産を持ってはいますが住んでいるのは賃貸で、不動産は妹家族が使っています。
賃貸暮らしなので、その賃貸物件に収まる量のモノを所有していることになります。
おそらく、平均的な雑貨類と洋服、趣味のモノがあると思われます。

配偶者に先立たれた親戚は、私の母同様に、モノを溜め込む性質。
しかも、絵画、お茶、着付けと、趣味が幅広く、確か学生時代は服飾デザイン系の短大に通っていたので、アクセサリーなどの造形品もたくさん持っているはずです。
家具、洋服、服飾品、食器などは、かなりたくさん持っています。
また、絵画作品やお茶に使う道具、お茶の際に着用する和服もたくさん所有していて、もしこの人が旅立ったら、どうやってこの人の家の中を片付けようかと、今から心配しています。
片付けるとしたら、私を含めた親戚一同で請け負うことになるはずです。

この親戚の家、片付けに一番困るものは、おそらく絵画作品です。
他のモノは、ある程度の処分方法が想像できますが、絵画作品は私も絵を描いていた時期があるので、かかった時間や費用を考えると、簡単には処分できません。
安価で構わないから、売却できたらいいなと、本人は言うのですが、絵画を売却するのは結構大変なことです。
それなりの環境を整えた上で、誰かに買い取ってもらう必要があります。
個人が描いた絵画の場合は、リサイクルショップへ持ち込むこともできません。
もし、捨てるのだとしたら、自治体の分別に合わせて処理することになるのですが、おそらく一番後回しになるでしょうね。

私の父が残した絵画も、正直どうしようか困っています。
処分する場合、私の自治体だと粗大ごみになるのですが、ごみ置き場に絵画を出すのは、少し躊躇します。
誰が描いたかわからない絵画が、ごみとして捨てられているのを見かけたら、なんとなくもやっとした気持ちになりませんか?
私は、なります(笑)
ですから、捨てるにしても、父の絵画作品だけは持ち込みで捨てる方法がベストかな、と考えています。

本当は、誰かが遺品として持っていてくれることが望ましいのですが、引き取ってくれる人は思いつきません。
最終手段は、ごみとして処分ですね。

所有物をリセットする
親戚と話をしながら、やはり遺品処分は簡単にはいかないな、と思う反面、遺品整理の必要がほとんどないくらいの状態にしておくには、現在の自分の暮らしに、どうやってアプローチしていけばいいのだろう?と考えました。

ふと浮かんだのは、一度すべての所有物をリセットしてみたら、最後まで必要なモノを知ることができるのではないか、ということ。
現金や生涯に関わる書類、住んでいる家は手放しませんが、その他のモノは一度リセット、つまり手放してみるのです。
まあ、下着や最低限の衣服はさすがに手放しませんが、それ以外のモノは、一度手放してもおそらく再度手に入れられるか、手に入らなくても生活に困らないモノばかりだと思うのです。

現金は手放さないと言いましたが、銀行口座はなくても暮らしてはいけます。
家具、食器と調理器具、布団(掛と敷)、家電全部、放送局の契約(テレビを手放したら支払い義務はなくなります)、インテリアファブリックも、再度手に入れることができるモノばかりですから、一度手放しても心配はないと思われます。

手放してしまうと、二度と手に入らないモノもあります。
数量限定や1点物の高級品、レアで付加価値が付いた趣味のグッズ、大切な人からのプレゼント、廃版になってしまったモノ、フィルムで撮影した写真のネガなど、結構思いつきます。
これらは、例え暮らしに必要なモノではなくとも、心に必要なモノである可能性が高いので、無理に手放すことは難しいのですが、必要最小限のモノで暮らすことを優先したら、むしろ二度と手に入らないモノを手放すことが、一番重要かもしれないのでは、と思いました。

二度と手に入らないと思うと、人は執着し始めます。
執着が始まると、手放すことが非常に難しくなっていきます。
しかし、その執着を振り切って、二度と手に入らないモノを手放したら、後には何が残るでしょうか?

物質的には、二度と手に入らないモノを手放したわけですから、そこには何も残りません。
そして、再度同じモノを手に入れることも不可能なので、買いなおすこともできず、結果的にはモノが減った状態になります。
しかし、私が求める老後には、その方が好都合なのではないか、と。

モノが手に入らないのであれば、それはもう諦めるしかありません。
まあ、手放す判断を下すのは所有者のみですが、モノが手に入らないということは、購入や譲り受ける行動ができないということ。
二度と手に入らないモノは、モノを新たに入れるという行動自体をやめることになるので、モノが増えるということもありません。
これは、もうこれ以上モノが増えないという確約。
増えないモノが決まっていれば、モノを買いなおす際に、余計な選択肢が減ることに繋がりますし、気持ちや執着にとらわれてモノを処分できない、ということも起きません。

不要なモノを処分すると、気持ちがスッキリしますが、執着していたモノを処分すると、その執着していた心も同時に処分できます。
自分の旅立ちのとき、執着する気持ちも物質的なモノも、すっかりなくなっていたら、きっと清々しくいられる、そう思うのです。


モノの処分は、大変です。
体力も気持ちも削られていきます。
それでも最後は、この世にも残すモノにも執着せずに、旅立てたらいいな、と思う一日の終わりなのでした。