マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

ある日突然大切なモノが全部消えたとしたら

2020-01-05 | 日々の暮らし
またもや体調不良で、ブログの更新ができませんでした。
頭痛がひどいと、パソコンの画面の明るさが辛いのと、文章構成能力がガクンと落ちてしまうため、ブログの更新ができなくなってしまいます。
少し早めに薬でも飲めば、かなり楽なはずなのですが、飲むタイミングを逃しがち。
自分の体調と向き合うのは、なかなか難しいですね。

体調の話はさておき、今回は大切なモノが突然消えたらどうしよう、というお話を綴ります。

大切にしているモノはどうやって保管していますか
日ごろは、あまり意識することがなくても、とても大切なモノってありますよね。
大切なモノは、飾るようなインテリアではない限り、保管している人がほとんどだと思いますが、どこにどのように保管していますか?

例えば、日焼けによる劣化を避けたい場合は、暗くて温度が比較的安定している場所へ保管する人が多いと思います。
湿気に弱いモノであれば、乾燥した場所に保管します。
逆に乾燥しすぎたらいけないモノは、適度な湿気が保たれる場所へ保管します。

大切にしているモノの種類によって、保管方法は違います。
頑丈な金庫へは、お金のほか、大切な書類や本物の宝石を入れますが、金庫の中は、温度が保たれる、紫外線から守ることができる、外部からの衝撃に強いなどの理由から、大事なモノを保管するのに適しています。

でも、金庫に入れるほどでもないモノ、もしくは金庫に入れることが物理的に無理なモノは、違う方法で保管するしかありません。
金属製の箱、木製の箱、紙製の頑丈な箱などに入れて、タンスの引き出し、クローゼットや押し入れの奥などに保管する人が多いかもしれません。

実物があるモノは、自分が安心できる場所へ保管できますが、デジタルデータ(画像、動画、音楽ファイルなど)は、どうしていますか?
専用の保存ファイルを作って、そこに保存したら、クラウドへ預けたり、他の記録媒体へコピーしたりして、バックアップをとる方がほとんどだと思いますが、まれに、バックアップをとるのが面倒で、サボっていませんか?

ある日突然消えたデータ
大切なデジタルデータを、ある日突然すべて失ってしまった経験がある人は、結構多いと思います。
私も、20年ぐらい前に一度、大切な画像データの半分を失ったことがあります。

その時は、バックアップを取ろうとしていた最中でしたが、機器の不具合で半分以上が消えました。
正直、ショックでした。
気に入っていたが画像がたくさんあったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう?と、機器の不具合に対して、そして自分に対して、憤り、怒り、情けなさ、悔しさと、それはもうこれでもか、っていうくらいの負の感情が湧いてきたことを覚えています(苦笑)

その後、もう失ったデータは戻らないし、業者に頼めばある程度は復活するかもしれないけれど、費用がかかりすぎるので、あきらめることしかできませんでしたが、大切な画像は、撮影したらすぐにバックアップをとるように習慣付けました。
今は、スマホとパソコンを同期させているので、スマホで撮影した画像や動画は、自動的にバックアップがとれますが、さらにそのあと、クラウドサービスに預けるようにしています。
画像や動画以外のデジタルデータは、今まで失った経験はないのですが、定期的にUSBにバックアップをとるようにしています。

数日前に、ツイッターを見ていたら、スマホに保存していたデータをすべて失ってしまった、という人がいました。
原因は、正規店でのバッテリー交換の最中に不具合が発生。
所有者には責任がないのですが、その方はバックアップを取っていなかった画像をすべて失ってしまいました。
正規店側の責任なので、新しい機種と無料交換はしてくれたようですが、失った画像は二度と戻りません。

パソコンは調子が悪くて、最近のデータは同期などもしていなかったようで、かなりショックを受けていた印象です。
クラウドサービスも、利用していない感じでしたので、本当にもう二度と復活できない状態になってしまったようでした。

大切にしているつもりでも突然失うこともある
デジタルデータは、たった一つの動作ですべてを失ってしまうことがあります。
バックアップをとっていたとしても、バックアップ先が100%安全とは言えません。
クラウドサービスも、預け先にトラブルが発生したら、すべてを失います。
もし、絶対に失いたくないデータであれば、いくつもの記録媒体へコピーをし、さらに紙印刷をして印字が劣化しないファイルなどにいれておくことが、一番確実な保管方法です。

デジタルデータではなくても、大切にしていたモノを突然失うことはあります。
例えば、厳重に保管しようと、いろいろな包みや箱で何重にもしておいたら、家族がごみと間違えて捨ててしまったり、ときには自分がうっかり捨ててしまったり。
そういうことを防ぐためには、保管方法を工夫していくしかないのですが、災害などによって、すべてを失うこともあり、パーフェクトな保管方法は、存在していないのかもしれません。
災害などで大切なモノを失ったときの、喪失感や絶望感は、経験のない私には、ただただ想像するしかありませんが、大切なモノを失ったときの感情は、誰しも同じではないかと思います。

不可抗力により失ったモノに対する思いは、とてつもなく大きくて、何にも替え難い存在です。
それまで、一番大切ではなかったモノでも、失うことで大切に思っていた気持ちが膨らむこともあります。
そして、後悔します。
どうしてもっと、きちんと保管しておかなかったのかな、と。

失ってしまったらどうすればいいのか
気持ちの回復は、時が経つのを待つしかありません。
誰かに慰められても、新しい別のモノを買いなおしても、気持ちの上で失ったことを納得するのはとても難しく、あきらめる気持ちになるのにも、時間がかかります。

例えば、大切に使っていたモノを失ったとします。
それは、日常的に使っていた愛用品と言われるものです。
愛用品は、無くなってしまうと、とても不便を感じます。
不便を感じるからには、新しいモノ、代替品が必要になります。

これが、もし壊れてしまって修理不可能な状態になってしまったのなら、あきらめて処分することも納得がいきます。
しかし、ある日突然なくしてしまったとしたら、かなりのショックを受けることは想像できますが、代替品を購入したら、案外愛用品より使い心地がよくなって、まあ、こちらでも構わないか、と気持ちを切り替えることもあります。

自分が納得した形で、手元からなくなることと、ある日突然失うことの差は、この気持ちの切り替えです。
失うという事実は、どちらも変わりません。
物質として、目の前からなくなる、あるいは、修復不可能な形状になってしまう。
ただ、それだけの事でしょう。

であるにも関わらず、自分が納得いく形以外でモノを失ってしまうと、実質のダメージよりも精神的ダメージがとても大きくなります。
この精神的ダメージを防ぐ方法は、今の私には思いつきません。

ただ、このダメージを少なくする暮らし方は、思い付きます。
それは、必要以上に大切なモノを作らずに暮らす、ということです。

大切にしたいモノの価値を考え直す
人が大切だと思うモノに、決まりはありません。
所有者が、そのモノの価値を決めます。
収集家は、収集したモノがとても大切なモノですし、作家の方は作品が大切なモノになるでしょう。
大好きな人からの贈り物を大切にしている方もいますし、初めて買った高価なモノを大切にしている方もいます。

テレビや動画配信で、家や部屋を片付ける企画がありますが、たまに「それを手放すのは、勿体ない」と思えるモノを、捨てたり売ったりするシチュエーションがあります。
その価値観は、あくまでも視聴しているこちら側の感覚なので、片付けをしている家主や部屋の主は、お構いなしに処分していきます(笑)
逆に、執着する必要性がないようなモノを、大切にとっておくという場面も見かけます。
詳しく話を聞くと、一見なんでもないようなモノでも、その人の大切な思い出が詰まっていることがほとんどですが、本気の執着だったりすることもあります(苦笑)
大切な思い出であれば、捨てろとは言えませんが、単なる執着であれば、むしろ手放してしまった方がいいのではないか?と感じます。

私は、今まで、そして現在進行形で、あらゆる雑貨を徐々に処分しています。
一度に処分できないのは、気持ちの上で躊躇していることも原因のひとつではありますが、ほとんどのモノは一度に処分すると、重たくて重労働になってしまうからです。

雑貨類を処分し始めたとき、自分の中で処分する順番を決めていました。
順番としては、いただき物+自分好みではないモノ→気に入っているけれど今でも同じモノが手に入るもの→汚れや破損が見つかったモノ→モノへの思いが薄れてきたモノ→他人に処分されたくないモノ、といった感じです。
現在は、モノへの思いが薄れてきたモノと他人に処分されたくないモノを、積極的に処分しています。

他人に処分されたくないモノは、主に収集したモノです。
使用するかしないかではなく、好きで集めた嗜好品なので、いわゆる「ときめく」モノに当たるかと思います。
その「ときめく」モノを、あえて処分しているのは、他人に処分されたくないのなら、私が処分するしかない、という思いが強くなったから。
そして、今回、不測の事態で失って絶望するくらいなら、自分を納得させた上で手放せば、気持ちのダメージも最小限で済むと思ったから。

もちろん、失うことなく一生過ごす可能性は十分あるのですが、それでも、それを残して自分が永遠の旅に出てしまうことを考えると、この世に残す未練が多くなってしまいます。
それは、私としては本意ではありません。
自分の気持ちを満たすために所有しているモノが、自分の天寿を全うするときに未練を残してしまうモノになってしまうのは、とてもつらくて悲しいことのように、最近感じるのです。

であれば、スッキリした気持ちで天寿を全うするためにも、大切に持ち続けるモノも最小限でいいのでは、という考えに至りました。
理想としては、生活必需品以外に、たった一つだけの大切なモノを残せたらいいのかな、という気持ちです。
たった一つだけなら、私が旅立った後に誰かが捨てても、そんなに悲しくはなりませんし、たった一つだけなら、私と同じタイミングで天寿を全うしてくれたら、と思います。

変化する価値観
ところが、よくよく思い返してみたら、今までずっと大切にしてきたモノが思い当たりません(苦笑)
長年ずっと大切にしてきたモノ、そしてこれから一生大切にしたいモノが、ないのです。

現在、手放せないモノはあります。
それは、使い勝手の関係で代替品が見つからない財布です。
しかし、大切なモノかと言われたら、もっと使い勝手が上の財布が見つかれば、今使っているモノは手放しても構いません。
ただ、きちんとしたブランド品で、かなり丈夫で長持ちしていますので、破損による処分は当分ないでしょうね。

一生大切にしていきたいモノがないということは、早めに処分をしても大丈夫なモノしか持っていないということですよね。
おそらく、これまで大切だと思ってきたモノに対する価値観が、いつの間にか変わってしまったのでしょうね。
逆に、その価値観の変化がなければ、今でも処分できずにいつまでも所有しているモノで、部屋が溢れていたはずです。

一生大切にしたいと思えるモノは思いつきませんが、一番最後に処分するモノをどれにしようか、という悩みはあります。
年を重ねる度に、価値観が変化していく中、最後まで手放したくないと思えるモノも変化していくはずです。
今はまだ、最後まで持っていたいと思えるモノを確定できないでいます。
しかし、それは結局のところ、最後まで大切にしたいモノがないことの裏付けです。

今までの暮らしの中で、私が必死になって集めてきたモノは、結局集める必要もなかったモノだったのかもしれませんね。

身軽になるために
ふと、思い浮かんだのは、このまま一番大切なモノがなくても、私は十分楽しく生きていけるのではないか、ということです。
また、大切なモノは形あるモノである必要はない、ということも、今感じています。

私は、終活を始めようと決めた日から、理想の暮らしの最終形を、必要最小限のモノで暮らすということに決めています。
実際は、いろいろなモノを他のことでカバーする必要があるのですが、何度かこのブログでも書いたように、お金さえあれば、持っておく必要のあるモノは、ほとんどないと思います。
あるとしたら、レンタルが難しい下着と私は視力が悪いので、眼鏡くらいでしょうか?
他のモノは、私が考える限りレンタルでカバーできるので、それで十分かと。
住居も、家具付き物件か、ウィークリーマンションか、あるいはホテル暮らしをすれば、モノを所有する必要がありません。
まあ、あくまでもお金があれば、ということが大前提ですが。

先ほど、最後まで大切にしたいモノが、思い浮かばないと綴りましたが、処分に悩んでいるモノはあります。
それは、家族や親族の古い写真と、父が残した絵画作品。
特に、父の作品の中でキャンバスに描いて額縁に入っている油絵は、処分の仕方が全く分かりません。
一度、全部解体して、家庭ごみに出してしまおうかとも思いましたが、額縁が割と立派なので解体するのは諦めた経緯があります。

あと、もうひとつありました。
それは、大きな仏壇。
仏壇は、粗大ごみで出せるそうなのですが、気持ちの上で粗大ごみに出していいものかどうか、迷うところですよね(苦笑)

これらの処分方法が解決したら、私の理想の老後にかなり近づくかと思います。
逆に、これらのモノがいつまでも残ってしまうと、私が目指す身軽な老後は、いつまでも実現しません。
かなり厄介なモノです(苦笑)
しかし、頑張って処分の方法を考えて、手放すと決めています。


新しい年が明けて、すでに5日。
今年は、お菓子の詰め合わせ福袋しか買いませんでした。
初売りも行っていませんし、2日以降はいつもと変わらない暮らしです。
今年は、昨年よりも不要なモノを買わないことを徹底する年にしたいです。
モノが増えれば、管理するモノが増えて、手入れする手間も増えます。
特に大切なモノでもないのに、管理する手間とスペースを割くと、本当に大切なモノにかける手間が減ってしまいます。
本当に大切なモノを守るためにも、余計なモノは手に入れないこと。
それが、本当にモノを大切にすることなのかもしれません。