我が家には、これでもか、というくらいモノがありました。
ところが、メディアで取り上げられるような「汚部屋」には、かろうじてなっていなかった気がします。
そこで、我が家がかろうじて「汚部屋」にならなかった理由を、私なりに考えてみました。
汚部屋の定義?
ところで「汚部屋」とは、どういった部屋や家のこというのでしょうか?
私の個人的なイメージでは、
・部屋中、家中に、モノとごみがあふれかえっている
・人が暮らすスペースがほとんどない
・全く掃除がなされおらず、あちこちに汚れが付いている
といった印象です。
モノが多くても、ごみがなく、家の中の汚れも生活していて普通に汚れる範囲に収まっていれば、ギリギリで汚部屋にはなっていないと思っています。
ある人は、ごみがあふれかえっている家は「ごみ屋敷」と呼ぶかもしれませんが、私の中では「汚部屋」と「ごみ屋敷」は、かなり近い状態だと思っています。
また、ある人は、ごみがなくともモノが溢れていて片付けや掃除ができない状態ならば「汚部屋」と呼んでいるかもしれませんね。
以前の我が家
ここでは、今の住居であるマンションへ越してきた時期まで、話がさかのぼります。
まず、兄が遠方から我が家に戻ってくる前の、現在の住まいがどのような状況だったのか、綴っていきます。
今の住まいは分譲マンションですが、その前は小さな戸建てに住んでいました。
小さい平屋だったので、住んでいる私たち(この時は私と両親の3人暮らし)は、そんなに家具や荷物を持っていた感覚はなかったのですが、今のマンションへ越してくる時に、家具が大きすぎることや、多いこと、モノもやたらとたくさんあることを実感しました。
しかし、当時はある程度の不要品は処分したものの、結局アレもコレもすぐには買いに行けないから、持っていこう、ということになりました。
おまけに、新居になるのだから、と家具を新調したりもしました。
越してきてすぐは、まあ家具が多い状態ではありましたが、モノは全て収納できていました。
しかし、その後です。
母のエリア
母が、病的にモノを買うようになり、使いもしないストックを際限なく通販で購入していました。
洋服も、出かける度に数万円の服を買っていたといっても、過言ではありません。
今思えば、当時そこまでお金があったのかしら?と、とても不思議なのですが、途中で支払いが難しくなったときには、持っていた宝石などを買い取ってもらい、現金に変えていた時期もあったようです。
たまたま、サラ金などには手を出さなかったので、今無事に過ごせていますが、もし本気で歯止めがきかない状態になっていたら、と思うと恐ろしいですね。
そのような状態が続くうちに、母が購入した生活用品や洋服が、家具の中に納まらない状態になっていきました。
タンスや棚の上は、ぎちぎちの状態で段ボールが置かれ、4部屋あるうちの1部屋は、母の服と未開封の生活用品のストックで、あっという間に埋まりました。
いわゆる、足の踏み場がない状態になっていたのは、今でもはっきり覚えています。
最終的には、物置部屋になっていた部屋からもモノが溢れだし、とうとうその溢れたモノに躓いて、母が転んで頭を打って出血、救急搬送されました。
そのことがあって、私がかなり厳しめに、命とモノとどっちが大切か、と叱ってからは、少しずつ不要な服やモノをリサイクルショップへ持ち込むようになりました。
もっとも、結局買ったモノに未練がたっぷりあったので、当時は売るか好きな人に譲る以外の方法では、モノを処分していなかったですが(苦笑)
最近になって、やっと不要品を「ごみ」として処分してくれるようになったことは、今までにもブログに綴ってきました。
父のエリア
父は、とにかく趣味と特技が広範囲にわたっていたので、それぞれに関係があるモノを、お小遣いの予算が許す限り、集めていましたね。
父のエリアは、絵を描く道具とその作品、大工道具と材料、カメラ、気まぐれに集める記念コインや記念切手、便利グッズ、そして小説や趣味のことに関する本も、山ほどありました。
以前、大きな本棚を処分した話をしましたが、その本棚には父が購入したり譲ってもらったりして集めた書籍で、いっぱいになっていました。
加えて、リビングテーブルの下にも、書籍が積み重ねてあり、寝室のそばにも書籍を積み上げている状態で、日々過ごしていました。
大工道具はベランダへ、絵の道具と描いた絵、カメラと写真は押し入れや自分が使っていた収納家具へ、とにかくあちこちに収納していました。
父は、とにかくリユースやリサイクルが好きで、家の中で壊れたモノは、必ず一度は修理するし、修理が無理なモノは、別のモノに作り替えて使うような人でしたので、いつまでも古いモノが残った状態で、新しいモノを手に入れてしまう、いわゆるタメコミアン。
おまけに、ちょっとした雑貨も気に入ると購入してしまうので、私や母も「お父さんは、なんでこれを買ったんだろうね」と言ってしまうようなモノも購入していて、亡くなった後、父の遺品を整理した時は、少し途方に暮れるくらいにモノが溢れていました。
兄のエリア
今から10年くらい前でしょうか、兄が仕事を失い、我が家に同居することになりました。
マンションは、もともと兄が戻ってくるとは想定していなかったことと、母や父のモノで溢れていたので、兄だけのエリアはありませんでした。
仕方なく、父が使っている部屋に兄が居候する形で、なんとか寝る場所だけは確保できました。
この兄も、収集癖が酷くて、自分の趣味のモノを次から次へと、お金が許す限り購入してしまう性質でした。
仕事がなくなり、住んでいた部屋も引き払い、戻ってきたときは何も持っていなかったのですが、数か月もすると、父の部屋は父のモノと兄のモノで溢れかえりました。
この状況になると、布団は敷きっぱなしになりますし、掃除機もかけられないような状態です。
床もほとんど見えないし、かろうじて歩けるスペースがあるくらい。
2人が使っている部屋だけは、ほんの数か月で汚部屋寸前の状態までいっていました。
後に、父も兄も亡くなったので、ほとんどのモノを私が躊躇なくごみ袋へ放り込んで、汚部屋も終息を迎えました(笑)
マシュマロのエリア
私の部屋は、もともと引っ越してきたときからひと部屋与えられていたので、家具や持ち物は多かったのですが、自分の所有物はきちんと把握して、保管と収納をしていました。
ある程度モノが増えると、不要になったモノを捨てるということも、昔からできていました。
なんなら、クローゼットに余裕があったため、母が溜め込んだ日用品なども入っていました。
思い返せば、私の部屋は汚部屋どころか、普通の部屋よりもモノが少なかったかもしれません(笑)
私の性格上、見えている範囲は整然としておきたいので、視覚的に不要だと思うモノは全て収納家具へ収めていました。
引っ越ししてきた当時は、システムデスクと本棚代わりのアンティーク風食器棚(母が勝手に買っていました)、AVラック、小さいテレビとテレビ台などがあったと思います。
ベッドは、部屋を見てから購入しようと考え、最初はマットレスを床に敷いて寝ていて、使わないときは折りたたんでソファ代わりにしていました。
30代に入る前に、自室の不要な家具とモノを処分し始めたのですが、ちょうどそのころに腰痛も発症した関係で、30代に入ってからベッドを購入。
それから、20年ほどかけて、不要品を処分しつつ、必要だと思うモノは買い足し、ということを繰り返し、現在は必需品以外は買い足さず、ひたすら不要品を処分する毎日になりました。
越してきてから、今まで、モノがある程度整理整頓されていて、モノが溢れることがなかったのは、私の部屋と共有部分のダイニングキッチン、バス、トイレくらいだと思います。
ちなみに、廊下には日用品のストックが積まれていましたが、今は私が片付けたので、何も置かれていません。
汚部屋にならなかった理由
結論から先に言いますと、
・家族全員がモノを大切に扱う性格だったので、モノは汚れなかった
・家族全員が、足の踏み場だけは残していた(母の衣裳部屋は除く)
・共有部分に自分のモノは置かなかった
・ダイニングキッチンはモノが多かったが、食事をする場所は常にきれいにしていた
・家族全員が、ごみを床へ放置することがなかった(ただし、ごみ袋は毎回特大を使用していた)
・家族全員が、脱いだ服は洗濯カゴへ入れるというルールを守っていた
・衣類の洗濯と共有部分の掃除は、きちんとしていた
・共有部分を汚したら、使った人がきれいにしていた(特にルールはなかったが)
お解りいただけますでしょうか?
家族全員きれい好きで、掃除ができない場所(モノや家具に阻まれた場所)は汚れていましたが、自分たちが使っているエリアとモノは清潔にしていたし、ごみを放置するという行動も一切なかったので、汚部屋になりそうでならなかったのです。
また、家族全員が、自分なりのルールでディスプレイや収納方法、整理整頓をしていたので、たしかにモノはたくさんありましたが、あちこちに散らかっているという状態にはなりませんでした。
我が家の人間が、なぜそういう性格なのかは、わかりません。
ただ、父も母も整理整頓や清潔にする意識は高かったので、その両親に躾けられ育てられた子ども(私と兄)も、その性質を素直に受け継いだのだろうか、とは思います。
一番わかりやすい例で言うと、我が家にあったたくさんの書籍、兄が独立する前は、父、兄、私の3人分の書籍が、本棚を埋め尽くしていましたが、何年たっても新書に見えるくらいの状態を保っていました。
それは、家族全員が、本を読むときは手をきれいにして、折り目などは絶対つけず、ページのめくり方も静かにゆっくり、という扱い方をしていたからだと思います。
私が小さいころ、本を乱暴に扱うと注意されていたような気はしますが、そのうち本は汚さないように読むことが当たり前になっていました。
他のモノも、結局おなじで、乱暴に使ったり汚したりしないように扱う、という暗黙のルールというか、習慣が染みついていたのだと思います。
結論
我が家が、かろうじて汚部屋にならなかったのは、もともときれい好きだったことが影響したのだと思います。
しかし、きれい好きだからと言って、汚部屋には絶対にならない、とは言い切れませんよね。
おそらくですが、我が家の場合は、お互いがお互いのモノを「汚すな、壊すな、なくすな」とけん制しあっていたからかな、と考えています(笑)
自分のモノを大切にしたいなら、他の家族のモノも大切にしろよ、という心理が、知らず知らずのうちに働いていたのでしょうね。
そういった感じだったので、共有部分もお互いが目を光らせていたので、散らかりもせず汚れもせずに済んでいたと思います。
もし、何かのきっかけで、家族4人が全員バラバラに一人暮らしをしていたら、もしかしたら汚部屋になっていた人がいたかもしれません。
ただ、兄は何度か一人暮らしでの引っ越しをしていますが、住む先々で汚部屋を形成していたようです。
私は兄が嫌いだったので(初めて言いました?)、部屋を訪ねることなど考えたこともなかったのですが、聞くところによると、大変な状態だったようです。
母も、心理状態によっては、汚部屋になっていた可能性が高いですね。
理由は、母は卑屈な考え方をする人だからです。
何も悪くないのに、いつも自分が損ばかりしている、嫌な目に遭う、と思い込む癖があります。
そういった心理状態に落ち込んだ時に、買い物併存したり、家事を放棄したりする可能性は十分にありました。
実際、一部屋が母の服と雑貨で埋まってしまった経緯がありますから、汚部屋住人の素質はあったはずです。
父は、一人暮らしをしても、汚部屋の住人にはならなかったと推測します。
理由は、父がお金に対してシビアだったから。
趣味のモノを購入するにしても、必ず価格検討してからですし、欲しいモノの優先順位もはっきりしていたので、一定数以上のモノを買うことはしなかったと思います。
また、今あるモノで工夫しようと考える人だったので、そういった点でも、汚部屋になる前にモノをどうにかしていたのではないかと思います。
最後に私ですが、一人暮らしをしようが家族と同居しようが、要らないモノはさっさと処分する性格なので、センスのない部屋にはなっても、汚部屋になることはないです。
モノを持ちすぎていた時期もありますが、単純に処分の仕方がわからなかっただけ。
あきらかなごみと不要品は、躊躇せずにごみ袋へ入れられますが、不要であってもごみではない(新品、未使用、新古品レベルのモノ)場合は、どうしていいかわからず、抱え込んでいましたから。
後に、リサイクルショップがあちこちにできたおかげで、ようやく処分することができるようになりましたので、今の時代が来てくれてありがたいとも思います。
今回は、我が家が汚部屋にならなかった理由を考えてみましたが、家族が減り、母の意識も変わり、私が終活を意識するようになった現在は、シンプルな部屋になりつつあると思います。
しかし、どこかで違う価値観を持っていたら、あるいは今頃汚部屋になっていたかもしれません。
ですから、正直好きになれない部分も多いのですが、けん制し合える家族がいたことには、感謝します(苦笑)
今後は、よりシンプルでモノが少ない部屋に住んでいる人を参考にして、終活の励みにします。
ところが、メディアで取り上げられるような「汚部屋」には、かろうじてなっていなかった気がします。
そこで、我が家がかろうじて「汚部屋」にならなかった理由を、私なりに考えてみました。
汚部屋の定義?
ところで「汚部屋」とは、どういった部屋や家のこというのでしょうか?
私の個人的なイメージでは、
・部屋中、家中に、モノとごみがあふれかえっている
・人が暮らすスペースがほとんどない
・全く掃除がなされおらず、あちこちに汚れが付いている
といった印象です。
モノが多くても、ごみがなく、家の中の汚れも生活していて普通に汚れる範囲に収まっていれば、ギリギリで汚部屋にはなっていないと思っています。
ある人は、ごみがあふれかえっている家は「ごみ屋敷」と呼ぶかもしれませんが、私の中では「汚部屋」と「ごみ屋敷」は、かなり近い状態だと思っています。
また、ある人は、ごみがなくともモノが溢れていて片付けや掃除ができない状態ならば「汚部屋」と呼んでいるかもしれませんね。
以前の我が家
ここでは、今の住居であるマンションへ越してきた時期まで、話がさかのぼります。
まず、兄が遠方から我が家に戻ってくる前の、現在の住まいがどのような状況だったのか、綴っていきます。
今の住まいは分譲マンションですが、その前は小さな戸建てに住んでいました。
小さい平屋だったので、住んでいる私たち(この時は私と両親の3人暮らし)は、そんなに家具や荷物を持っていた感覚はなかったのですが、今のマンションへ越してくる時に、家具が大きすぎることや、多いこと、モノもやたらとたくさんあることを実感しました。
しかし、当時はある程度の不要品は処分したものの、結局アレもコレもすぐには買いに行けないから、持っていこう、ということになりました。
おまけに、新居になるのだから、と家具を新調したりもしました。
越してきてすぐは、まあ家具が多い状態ではありましたが、モノは全て収納できていました。
しかし、その後です。
母のエリア
母が、病的にモノを買うようになり、使いもしないストックを際限なく通販で購入していました。
洋服も、出かける度に数万円の服を買っていたといっても、過言ではありません。
今思えば、当時そこまでお金があったのかしら?と、とても不思議なのですが、途中で支払いが難しくなったときには、持っていた宝石などを買い取ってもらい、現金に変えていた時期もあったようです。
たまたま、サラ金などには手を出さなかったので、今無事に過ごせていますが、もし本気で歯止めがきかない状態になっていたら、と思うと恐ろしいですね。
そのような状態が続くうちに、母が購入した生活用品や洋服が、家具の中に納まらない状態になっていきました。
タンスや棚の上は、ぎちぎちの状態で段ボールが置かれ、4部屋あるうちの1部屋は、母の服と未開封の生活用品のストックで、あっという間に埋まりました。
いわゆる、足の踏み場がない状態になっていたのは、今でもはっきり覚えています。
最終的には、物置部屋になっていた部屋からもモノが溢れだし、とうとうその溢れたモノに躓いて、母が転んで頭を打って出血、救急搬送されました。
そのことがあって、私がかなり厳しめに、命とモノとどっちが大切か、と叱ってからは、少しずつ不要な服やモノをリサイクルショップへ持ち込むようになりました。
もっとも、結局買ったモノに未練がたっぷりあったので、当時は売るか好きな人に譲る以外の方法では、モノを処分していなかったですが(苦笑)
最近になって、やっと不要品を「ごみ」として処分してくれるようになったことは、今までにもブログに綴ってきました。
父のエリア
父は、とにかく趣味と特技が広範囲にわたっていたので、それぞれに関係があるモノを、お小遣いの予算が許す限り、集めていましたね。
父のエリアは、絵を描く道具とその作品、大工道具と材料、カメラ、気まぐれに集める記念コインや記念切手、便利グッズ、そして小説や趣味のことに関する本も、山ほどありました。
以前、大きな本棚を処分した話をしましたが、その本棚には父が購入したり譲ってもらったりして集めた書籍で、いっぱいになっていました。
加えて、リビングテーブルの下にも、書籍が積み重ねてあり、寝室のそばにも書籍を積み上げている状態で、日々過ごしていました。
大工道具はベランダへ、絵の道具と描いた絵、カメラと写真は押し入れや自分が使っていた収納家具へ、とにかくあちこちに収納していました。
父は、とにかくリユースやリサイクルが好きで、家の中で壊れたモノは、必ず一度は修理するし、修理が無理なモノは、別のモノに作り替えて使うような人でしたので、いつまでも古いモノが残った状態で、新しいモノを手に入れてしまう、いわゆるタメコミアン。
おまけに、ちょっとした雑貨も気に入ると購入してしまうので、私や母も「お父さんは、なんでこれを買ったんだろうね」と言ってしまうようなモノも購入していて、亡くなった後、父の遺品を整理した時は、少し途方に暮れるくらいにモノが溢れていました。
兄のエリア
今から10年くらい前でしょうか、兄が仕事を失い、我が家に同居することになりました。
マンションは、もともと兄が戻ってくるとは想定していなかったことと、母や父のモノで溢れていたので、兄だけのエリアはありませんでした。
仕方なく、父が使っている部屋に兄が居候する形で、なんとか寝る場所だけは確保できました。
この兄も、収集癖が酷くて、自分の趣味のモノを次から次へと、お金が許す限り購入してしまう性質でした。
仕事がなくなり、住んでいた部屋も引き払い、戻ってきたときは何も持っていなかったのですが、数か月もすると、父の部屋は父のモノと兄のモノで溢れかえりました。
この状況になると、布団は敷きっぱなしになりますし、掃除機もかけられないような状態です。
床もほとんど見えないし、かろうじて歩けるスペースがあるくらい。
2人が使っている部屋だけは、ほんの数か月で汚部屋寸前の状態までいっていました。
後に、父も兄も亡くなったので、ほとんどのモノを私が躊躇なくごみ袋へ放り込んで、汚部屋も終息を迎えました(笑)
マシュマロのエリア
私の部屋は、もともと引っ越してきたときからひと部屋与えられていたので、家具や持ち物は多かったのですが、自分の所有物はきちんと把握して、保管と収納をしていました。
ある程度モノが増えると、不要になったモノを捨てるということも、昔からできていました。
なんなら、クローゼットに余裕があったため、母が溜め込んだ日用品なども入っていました。
思い返せば、私の部屋は汚部屋どころか、普通の部屋よりもモノが少なかったかもしれません(笑)
私の性格上、見えている範囲は整然としておきたいので、視覚的に不要だと思うモノは全て収納家具へ収めていました。
引っ越ししてきた当時は、システムデスクと本棚代わりのアンティーク風食器棚(母が勝手に買っていました)、AVラック、小さいテレビとテレビ台などがあったと思います。
ベッドは、部屋を見てから購入しようと考え、最初はマットレスを床に敷いて寝ていて、使わないときは折りたたんでソファ代わりにしていました。
30代に入る前に、自室の不要な家具とモノを処分し始めたのですが、ちょうどそのころに腰痛も発症した関係で、30代に入ってからベッドを購入。
それから、20年ほどかけて、不要品を処分しつつ、必要だと思うモノは買い足し、ということを繰り返し、現在は必需品以外は買い足さず、ひたすら不要品を処分する毎日になりました。
越してきてから、今まで、モノがある程度整理整頓されていて、モノが溢れることがなかったのは、私の部屋と共有部分のダイニングキッチン、バス、トイレくらいだと思います。
ちなみに、廊下には日用品のストックが積まれていましたが、今は私が片付けたので、何も置かれていません。
汚部屋にならなかった理由
結論から先に言いますと、
・家族全員がモノを大切に扱う性格だったので、モノは汚れなかった
・家族全員が、足の踏み場だけは残していた(母の衣裳部屋は除く)
・共有部分に自分のモノは置かなかった
・ダイニングキッチンはモノが多かったが、食事をする場所は常にきれいにしていた
・家族全員が、ごみを床へ放置することがなかった(ただし、ごみ袋は毎回特大を使用していた)
・家族全員が、脱いだ服は洗濯カゴへ入れるというルールを守っていた
・衣類の洗濯と共有部分の掃除は、きちんとしていた
・共有部分を汚したら、使った人がきれいにしていた(特にルールはなかったが)
お解りいただけますでしょうか?
家族全員きれい好きで、掃除ができない場所(モノや家具に阻まれた場所)は汚れていましたが、自分たちが使っているエリアとモノは清潔にしていたし、ごみを放置するという行動も一切なかったので、汚部屋になりそうでならなかったのです。
また、家族全員が、自分なりのルールでディスプレイや収納方法、整理整頓をしていたので、たしかにモノはたくさんありましたが、あちこちに散らかっているという状態にはなりませんでした。
我が家の人間が、なぜそういう性格なのかは、わかりません。
ただ、父も母も整理整頓や清潔にする意識は高かったので、その両親に躾けられ育てられた子ども(私と兄)も、その性質を素直に受け継いだのだろうか、とは思います。
一番わかりやすい例で言うと、我が家にあったたくさんの書籍、兄が独立する前は、父、兄、私の3人分の書籍が、本棚を埋め尽くしていましたが、何年たっても新書に見えるくらいの状態を保っていました。
それは、家族全員が、本を読むときは手をきれいにして、折り目などは絶対つけず、ページのめくり方も静かにゆっくり、という扱い方をしていたからだと思います。
私が小さいころ、本を乱暴に扱うと注意されていたような気はしますが、そのうち本は汚さないように読むことが当たり前になっていました。
他のモノも、結局おなじで、乱暴に使ったり汚したりしないように扱う、という暗黙のルールというか、習慣が染みついていたのだと思います。
結論
我が家が、かろうじて汚部屋にならなかったのは、もともときれい好きだったことが影響したのだと思います。
しかし、きれい好きだからと言って、汚部屋には絶対にならない、とは言い切れませんよね。
おそらくですが、我が家の場合は、お互いがお互いのモノを「汚すな、壊すな、なくすな」とけん制しあっていたからかな、と考えています(笑)
自分のモノを大切にしたいなら、他の家族のモノも大切にしろよ、という心理が、知らず知らずのうちに働いていたのでしょうね。
そういった感じだったので、共有部分もお互いが目を光らせていたので、散らかりもせず汚れもせずに済んでいたと思います。
もし、何かのきっかけで、家族4人が全員バラバラに一人暮らしをしていたら、もしかしたら汚部屋になっていた人がいたかもしれません。
ただ、兄は何度か一人暮らしでの引っ越しをしていますが、住む先々で汚部屋を形成していたようです。
私は兄が嫌いだったので(初めて言いました?)、部屋を訪ねることなど考えたこともなかったのですが、聞くところによると、大変な状態だったようです。
母も、心理状態によっては、汚部屋になっていた可能性が高いですね。
理由は、母は卑屈な考え方をする人だからです。
何も悪くないのに、いつも自分が損ばかりしている、嫌な目に遭う、と思い込む癖があります。
そういった心理状態に落ち込んだ時に、買い物併存したり、家事を放棄したりする可能性は十分にありました。
実際、一部屋が母の服と雑貨で埋まってしまった経緯がありますから、汚部屋住人の素質はあったはずです。
父は、一人暮らしをしても、汚部屋の住人にはならなかったと推測します。
理由は、父がお金に対してシビアだったから。
趣味のモノを購入するにしても、必ず価格検討してからですし、欲しいモノの優先順位もはっきりしていたので、一定数以上のモノを買うことはしなかったと思います。
また、今あるモノで工夫しようと考える人だったので、そういった点でも、汚部屋になる前にモノをどうにかしていたのではないかと思います。
最後に私ですが、一人暮らしをしようが家族と同居しようが、要らないモノはさっさと処分する性格なので、センスのない部屋にはなっても、汚部屋になることはないです。
モノを持ちすぎていた時期もありますが、単純に処分の仕方がわからなかっただけ。
あきらかなごみと不要品は、躊躇せずにごみ袋へ入れられますが、不要であってもごみではない(新品、未使用、新古品レベルのモノ)場合は、どうしていいかわからず、抱え込んでいましたから。
後に、リサイクルショップがあちこちにできたおかげで、ようやく処分することができるようになりましたので、今の時代が来てくれてありがたいとも思います。
今回は、我が家が汚部屋にならなかった理由を考えてみましたが、家族が減り、母の意識も変わり、私が終活を意識するようになった現在は、シンプルな部屋になりつつあると思います。
しかし、どこかで違う価値観を持っていたら、あるいは今頃汚部屋になっていたかもしれません。
ですから、正直好きになれない部分も多いのですが、けん制し合える家族がいたことには、感謝します(苦笑)
今後は、よりシンプルでモノが少ない部屋に住んでいる人を参考にして、終活の励みにします。