マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

モノが溢れる人は実は几帳面でセンシティブなのかも

2020-01-31 | 日々の暮らし
いつも、お片付け動画や、ミニマリストの方の配信動画を見ています。
ミニマリストの方たちは、コミュニティが広がりやすいのか、お互いがインタビューをする「コラボ動画」が多く、数珠繋ぎのようにいろいろなミニマリストの方を知ることができるので、結構興味深く視聴しています。

私はミニマリストではないのですが、片付けやモノの処分と言った側面では、有用な情報を発信してくださっているので、最近はかなりのミニマリスト動画を視聴したと思います。
視聴していて、ふと感じたことがあったので、今回はそのことについて綴っていきたいと思います。

ミニマリストユーチューバーのとある共通点
動画配信をしているミニマリストユーチューバーの皆さんは、ほぼ最初はマキシマリストだったりモノが溢れる汚部屋住人だったりします。
また、ご本人は特にモノを多く持っていなくても、ご家族が溜め込む性質だという方も多いです。
モノが多い、溢れている、汚部屋になっている方が、何かをきっかけにモノを減らすというメンタルが膨らんだ結果、生活が変化していた、あるいはそこを目指した、という方が思った以上に多い印象です。

もともと、ほとんどモノを持たないで過ごしてきた、生まれつきのミニマリストの方も存在はしますが、ユーチューバーとしては稀です。
まあ、生まれつきのミニマリストでしたら、自分がミニマリストだという自覚がないまま人生を楽しんでいらっしゃるはずなので、わざわざ名乗って動画を配信することすら思いつかないというのが、本当のところだと思います。

モノが増えて減らせない人のとある共通点
一概には言えませんが、モノが増えて減らすことができない人には、とある共通点があるように感じています。
私が感じている共通点は、

 ・几帳面
 ・心配性
 ・少し生真面目

この3点です。

とあるユーチューバーの方の動画で、現在進行形でミニマリストを目指している方へのインタビューがありました。
ロケーションは、そのインタビューを受けている方の部屋(賃貸物件)
すでに、かなりの量のモノを処分した形跡があり、現在進行形でモノを減らしている方で、もともとはいろいろな収納を工夫して、片付けていらっしゃった様子が伺えました。
モノを減らす前の部屋の状態を見る限り、この方はマキシマリストだったのかな、という印象を受けました。

収集癖があるけれど、モノはとても大事に保管するという方にも共通するのですが、マキシマリストの方は所有物は多いけれど、整理整頓はきちんとしている印象が強いです。
このミニマリストへ移行中の方は、モノが多かったときに、アイテムごとに収納を用意していたようで、〇〇用の箱、〇〇を入れるカゴ、〇〇専用、など、細かいカテゴリーに分けて収納していて、モノが減りつつある現在も、同じように収納していました。

この様子を視聴していて、強く感じたのが、先ほど挙げた「几帳面」「心配性」「少し生真面目」の3点です。
そして、思い返してみると、今まで視聴してきたミニマリストの方たちも、そんな印象が強く残っています。

ある方は、ミニマリストは基本的に面倒くさがりで効率重視だ、とおっしゃっていましたが、それは全て、几帳面で心配性で生真面目である故の結果で、だからこそ、モノを減らし不要なモノを処分してこれたのだと思っています。

几帳面
モノが増えて減らせないのに、几帳面とはどういうことか。

私が感じるのは、几帳面な人は、モノを減らす意識よりもモノの活用方法や収納方法にフォーカスしがちだということです。
几帳面だということは、見た目が揃っていることや、規則正しい配置を好むはず。
そこに意識が集中すると、おそらく片付けや整理整頓をしている最中も、モノが多いから減らそうとか、これは不要品だから処分しようということに向ける意識がなくなるのだろうと推測されます。
そして、モノが増えた時点でも、配置や収納に意識が集中してしまうため、モノが減らずに増えていくばかりになってるのかも、と思います。

また、几帳面な人は、カテゴリーを細かく分けて収納したり、収納している中身も順番が決まっていたりします。
クローゼットを例に挙げると、使うアイテムごとに分けているのはもちろん、シチュエーション別や色別にも分けているような感じです。
これだと、モノが多ければ多いほど、きっと整理整頓や片付けがしんどくなってくることもしばしばあると思います。

結果、片付けや整理整頓に疲弊して、最後にミニマリストへ転じるパターンがあるのだと感じました。

心配性
心配性の人は、不安要素を解決してくれるモノがあったら、揃えておきたいと思いがちです。
なくても困らないモノも、いつか必要になるときがくるかもしれない、という気持ちは、誰しもが持ちますが、過剰になるとモノが溢れます。

私の母を例に挙げると、日用品のストックは無くなる前に十分に補充したがります。
母がそういう思考になる原因は、戦中生まれだということと、私が幼いころに住んでいた場所が、とても不便なところにあり、日用品や食料は週末のまとめ買いが当たり前という環境だったから。
とにかく、いつも使っているモノが全てなくなってしまうと、とても困ると思い込んでいるのです。

実際は、そこまで心配しなくても、数日間は大丈夫だし、私がストックなしでガチ困るのは、トイレットペーパーだけです(笑)
他のモノは、すっかり無くなってから買い足しても、十分間に合います。

洋服や靴、文房具や雑貨も、無くなったら困るかも、という心配をしがちな人は、モノを減らせません。
新しいモノを買ったり、手に入れたりしたら、古いモノは処分しても困らないはずなのですが、その新しいモノがダメになったときに、古いモノで代用するから取っておく、という思考も、心配性の特徴です。
また、モノが多いと安心するという人も、裏を返せば心配性ですね。

しかし、こういった心配をする人は、実は心配ないのだという根拠に納得した時点で、モノを減らすことができるようになります。
ミニマリストへ移行していった多くの人たちは、実は心配性な部分も強かったのではないかな、と感じています。
それに、モノが少なければ、心配の種も少なくなりますから、心配性の人がミニマリストになることは必然だったのかもしれませんね。

少し生真面目
生真面目な人は、決められたことをきちんと守ります。
まあ、決められたことを守るのは当たり前ですが、私が言いたいのは、生真面目な人は決められたことを守ることにフォーカスしすぎて、モノを処分する基準が見えなくなっている場合がある、ということです。

ごみの分別は、決まりどおりにしなければいけません。
しかし、目の前にあるモノがごみだと決める基準は、自分軸になります。
今、目の前に半分だけ使ったまま放置されているノートがあるとします。
書かれているのは、特に保管しておかなくてもいいような内容です。
半分残っているので、何かのメモに使えそうです。

ここで、生真面目な人は、この残り半分のノートを使い切ることにフォーカスしがちです。
それは、モノを最後まで使わなければならない、というしつけや言いつけがあり、それを守ろうとするから。
実際は、もう半分の使い道が思いつかないノートは、ごみと判断してもいいはずです。

もちろん、勿体ないという視点で考えると、なるべくなら最後まで使い切った方がいいですが、それはあくまでも「努力目標」です。
半分しか使っていないノートは、ごみにしてはいけない、という決まりは一切ありません。
生真面目な人は、このような思考になりにくいため、モノが減らせないし、新しく増えたモノは、大切にしながら最後まで使わなくてはいけない、という固定観念があるのでしょう。

しかし、生真面目であることで、ミニマリストに移行しやすいという側面もあると思います。
なぜなら、モノが多すぎることのデメリットや、モノを処分する基準をレクチャーした場合に、素直にそれを受け止めてくれる可能性が高いから。
モノを減らすメリットを理解しさえすれば、きっと生真面目にモノを処分していき、着地点がミニマリストというパターンもあるかと思います。

いい加減、面倒くさがり、効率重視のミニマリスト
先ほども少し書きましたが、とあるミニまりストの方は、自分がいい加減で面倒くさがりで、効率重視で行動するとおっしゃっていました。
それが仇となり、今までモノが増えても片付けられなかったり、整理整頓ができなかったり、不要品を溜め込んだりしていた、と言う方もいらっしゃいます。

何かのきっかけがあり、いい加減で面倒くさがりで、効率重視の自分には、モノが少ない暮らしが合っている、と知った結果がミニマリストでした、というパターンは、私にも納得できます。

いい加減な性格は、手順が多い行動を嫌っているだけで、手順が少なく単純であれば、不要品やごみは溜まらない。
面倒くさがりも、面倒になってしまう根本を改善すれば、やるべきことを最後まできちんと成し遂げるはず。
効率重視は、その二つを融合した形。

裏を返せば、もともと几帳面な側面、心配性な側面、生真面目な側面があるからこそ、少ない手順で、きちんとした分別ができて、モノのカテゴリー分けもシンプルにした結果、表面的にはいい加減でめんどくさがりで効率重視に映る、そんな気がします。
そして、部屋が片付いていて、整理整頓されていて、余計なモノを削ぎ落した空間は、その3つの側面を満足させてくれる。
その最たる形が、ミニマリストなのかもしれないな、と最近感じるようになりました。


今回は、私が思うミニマリストと、モノが溢れてしまう人のとある共通点について綴ってみました。
いや、そうじゃない、本当はそういうことじゃない、と思われる方もいらっしゃるでしょうけれど、多くのミニマリストの方が、最初はマキシマリストであったり、汚部屋の住民であったりする事実を鑑みて、そこから見えてきたことが、今回の内容になりました。
とはいえ、人の性格は十人十色。
まだ、私が出会ってない思考や暮らし方をしている方もいるはずですから、この件に関しては、もっといろいろな情報を知りたいと思います。

私はミニマリストではありませんが、私が目指す人生において、参考になる考え方や工夫がミニマリズムにあります。
これからも、たまにミニマリズムやミニマリストの話をするときがあると思いますが、ゆるーい感じで読んでいただければ、と思います。

アラフィフニートの一日を振り返ってみた話

2020-01-30 | 日々の暮らし
今回は、自分の一日(ルーティン)を振り返って、いろいろ考えてみます。
現在無職。
母の体調が万全ではないため、ニート状態で母のフォローをする日々。
改善点だらけだという自覚があるので、そのことも考えながら、メモのつもりで書き出します。

起床~朝の過ごし方
起床時間は、7:00です。
スマートフォンがiosなので、ベッドタイムなる機能を設定してアラームが鳴るようにしています。

7:00 起床
   トイレ、洗顔を済ませてから、朝食の準備。
   母には朝食と一緒に、薬も用意。
   食後、食器を洗った後に、朝のティータイム。

8:00 部屋を整える(ベッドの布団、机の上など)
   風呂に入るかシャワーを浴びる(一日おき)
   ※母はシャワーしか使わない派で、私と時間帯がズレます。
   風呂掃除(お風呂から上がるタイミングでします)

9:00 洗濯を始める(二日おきくらい)
   メールチェック。
   ブックマークしているブログやYouTubeを見る。
   自分のブログの内容を考えながら、入力を始める(最近これくらいの時間に変更した)

10:00 2度目のティータイム。ブログを入力しながらいただきます。

11:00 この時間までにブログをアップ(正確には午前中のアップを心がけています)

11:30 昼食の準備に取り掛かる。

昼~夕食までの過ごし方
お昼は、以前は適当で13:00くらいになるときもありましたが、母の入院を機に、入院時と同じ時間に食事の準備をするようになりました。

12:00 昼食。母には薬も用意。
   食器を洗った後、3度目のティータイム。

13:00~17:00 
   気分次第で以下のことをします。順番も決まっていません。
   
   テレビを見る。
   YouTubeを見る。
   読書をする。
   買い物へ出かける。
   掃除機をかける(週に1回)
   片付けをする(モノの処分も同時進行)
   4度目のティータイムとおやつタイム。

   ※月に1度、母を病院に連れていくのも、午後の時間が多いです。

17:30 夕食の準備

18:00 夕食。母には薬も用意。
   食器を洗った後、5度目のティータイム。

夜の過ごし方
夕食の後片付けが終わったら、大体ダラダラと過ごしています。

19:00~就寝するまで
   昼間と一緒で、以下のことを気分次第でしています。

   テレビを見る。
   YouTubeを見る。
   本を読む。
   録画した番組を見る。
   ティータイムもあり。

就寝前 部屋をある程度整えてからベッドへ。

ベッドに入ってからは、スマホを数分見たり、本を読んで、眠たくなったら電気を消して寝ます。

時間を決めていいないルーティン
隙間時間にしているルーティンもあります。

 ・掃除機を使わない掃除
 ・トイレ掃除(用を足すついで)
 ・洗面台の掃除(手を洗うついでや洗濯するタイミングなど)

普段の掃除は、手が空いたときにクイックルワ〇パーやカーペットクリーナーを、ササっとかけています。
テレビや棚などの埃も、気が付いたときにササっと掃います。

我ながらユルい一日です
仕事をしていないため、一日の過ごし方は自由です。
辞めた直後は、もっとルーズな過ごし方をしていたのですが、母の食事の用意と薬の時間を意識すると、自然とルーティンが決まっていきました。

もともと、予定をきっちり立てることが嫌いなので(仕事は別)、家にいるときは自由にさせてもらっています。
母も、基本的にはルーティンがないので、食事と薬の時間以外は自由に過ごしています。

仕事を辞めてから、ずっとやる気が出ないまま、体調を崩したりすることも多かったので、本当にダラダラと過ごす日が続きました。
今でも、ダラダラしていますが、最低限の家事だけはサボらないようにしています(特に衛生面)
ただし、体調が悪い日に限っては、食事の支度と後片付け以外、全て中止です(苦笑)
無理をすると、その後何日もスッキリしない日が続いてしまうので、思い切って一日中休んだりします。

無職になって感じていること
仕事をしているときは、多少の疲れや不調があっても、通勤して退社時間まで仕事をしていました。
ただし、パフォーマンスはひどく鈍かったですね。
仕事効率が悪いだけではなく、何か考えなければならない場面でも、頭がろくに働かず、会議内容がまったく入ってこなかったこともしばしば。

無職になり、1年と4か月になりますが、今の状態はさほど嫌いではありません。
まあ、収入がないことは、後々大変だという自覚はありますが、まだ貯金が少しだけ残っているので、その貯金が底をつくまでは、ゆっくり自分の今後について考えようかな、と。

実を言うと、以前も無職状態だったことがあります。
まだ、20代のころでしたから、収入がない状態に焦りがあり、バイトをしながら次の職を探したりもしました。
そのころの心境と、今の心境はかなり違います。
今は、無職で無収入の状態でも、焦りはありません。
むしろ、ゆっくり考える時間が貰えて、ありがたいとさえ感じていますし、なんならもっと早くに仕事を見切るべきだったと思っています。

無職になって、一番感じていることは、仕事をしているときは、自分の体調と向き合う心の余裕がなかったということです。
今は、少しでも体調が悪ければ、すぐに横になることができますが、仕事をしていたらそうはいきませんでした。
出社したからには、多少の体調不良は我慢して、仕事に取り組まなければいけないと思い込んでいたので、同僚や上司に体調の悪さを訴えるのは、我慢の限界の一歩手前になってからでした。

今考えると、自分の体調に責任感と義務感というフィルターをかけて、自分はまだ大丈夫、という暗示をかけていたように思います。
しかし、本当に必要だったことは、一度体調をリセットする時間をしっかり取っておくべきだったのですね。
若いころは、それでも一晩寝てしまえば、体力は回復していました。
ただ、精神的なところまでは自分でもケアが行き届いておらず、40代半ばで就業した派遣先が合わなかったことがきっかけで、それまでに積もり積もっていた気持ちの疲れが、一気に噴き出したのだと思います。

その合わない派遣先との契約を終了してもらい、その後すこしユルめの職場で半年間の就業を経て、今の無職状態になったわけですが、不思議と不幸だとは感じていません。
むしろ、自分がずっと気になっていた不要品の処分を思いっきりできる時間が増えたし、読む暇がなかった本(いわゆる積読本)も、現在読み進めることができているし、何よりも今後の自分のことをゆっくり考える時間が増えたことがありがたいと思っています。

もっとも、無職でいられるのは、父と母のおかげ。
父の遺族年金と、母自身の年金が入ってこなければ、50代の娘と80手前の母親の2人で普通の生活をすることは、到底無理でした。
今は、そのことに感謝しながら、今まで育ててもらったお返しではないですが、母のフォローを中心に生活しています。
本当は、もっと自分が稼げる仕事をして、外注でのフォローができたらいいのですが、自分の能力がそこまでないので、今は母が受け取る年金を、ありがたく使わせてもらっています。

今後の改善点を考える
しかしながら、今の状態を長く続けるわけにはいきません。
いつかは、私も収入を得るような生活をしなければなりません。

現在、毎日のルーティンには学びの時間がありません。
学びの時間というのは、仕事をするための資格を取るとか、セミナーを受けるとか、そういったことです。
しかし、家の片付け、不要品の処分に集中したい思いが強く、学びの時間はあえて作らないようにしていました。
また、自分が何をしたいのか、どうありたいのか、というビジョンも見えていない状態なので、学びは一時休止状態にしています。

年齢的なことも、理由のひとつです。
更年期による体調の変化のほかに、マルチタスクが苦手になってきました。
記憶力の衰え、体力の衰え、集中力の低下、どれをとってもマルチタスクを熟すには適さない状態なので、学びと片付けと母のフォローを全部同時に考えることに、疲弊してしまうのです。

ただ、最近になって大きな家具を立て続けに処分できたことで、少し気持ちの余裕が出てきましたので、今後のことについて考える時間を、少しずつ増やして、学びの時間を作りたいと思っています。
仕事については、母のフォローを優先的に考えると、どういった形で就業するのがベストなのか、迷うところです。
今はまだ、情報収集をひたすらしていく時期なのだと思っているので、毎日インターネットでいろいろ検索しているところです。
本当は外に出て、もっと違った側面から情報収集すべきなのかもしれませんが、今はとりあえずインドアでの活動を優先します。


今回は、自分の一日を振り返りながら、考えていることをザっと綴りました。
おそらく、他者から見たら、いい加減でだらしがない印象を受けると思います。
でも、気にしません。
せっかく、好きにしていい、自由にしていい時間を確保できた今、ゆっくりとした時間を過ごしたい。
そして、そのゆっくりとした時間の中で、ベストな選択をしていきたい。
焦ったり、他人の目を気にするのは、もうやめましたから、これからも自分がいちばん過ごしやすい一日を確保できるようにしたいです。

我が家のおたすけ食材

2020-01-29 | 日々の暮らし
月曜日、火曜日と、お天気が悪く寒くもあったので、買い物をサボりました。
2日間くらいなら、買い物をしなくても全く問題ありませんでしたが、朝食のパンがなくなったので、本日は買い物へ行きます。

都度買いを強化中
前回、まとめ買いをやめて都度買いを続けてみることにしました。

もともと、都度買いとまとめ買いを併用(?)していたのですが、二人暮らしで外に働きに出る者がいないと、まとめ買いよりも都度買いの方が節約になるのではないか、と考えるようになったことが理由のひとつです。
とはいえ、これまでにしたまとめ買いのストックがあるので、もう数日間は買い物をしなくても大丈夫ではあります。
本日は、朝食用のパンが底をついたので買い物をしますが、他のモノはまだ家にある食材で十分なので、あとはフルーツと豆乳を買い足す程度です。

都度買いをすると言っても、スーパーで買い物をすると、食材がパックや袋詰めやいくつかの束になって売っているので、1つ100円前後で購入したとしても、数日間はもちます。
冷凍食材も、業務スーパーほどは分量が入っていませんが、数日間食べていくには十分な量です。
我が家は、オーバー50の2人暮らしですから、1回の食事量も大したことはありません。
あとは、同じ食材でも工夫していろいろな料理を作れば、完璧です(が、レパートリーが少ないという難点が...)

我が家のおたすけ食材
2日間の間、時短と手抜きをするために、我が家の定番おたすけ食材を使いました。

我が家のおたすけ食材は

 ・おでんパック(2人分、ツユ入り)
 ・冷凍ほうれん草
 ・冷凍フレンチポテト
 ・冷凍インゲン
 ・冷凍ブロッコリー
 ・冷凍カボチャ
 ・パン
 ・インスタントスープ
 ・インスタントみそ汁
 ・レンジで加熱するレトルトごはん
 ・レトルトカレー(マシュマロ専用)
 ・魚系の缶詰

これらは、食事の品数が少ないときに、とても助かるアイテムです。

冷凍シリーズのほうれん草とインゲンは、加熱しなくても使え、1回分ずつ解凍して使えばいいので、白和え、胡麻和え、おかか和えなどの和え物を作るのに、とてもありがたい存在。

おでんパックは、ツユごと袋に入っていて、ありがたいことに牛すじやウィンナー巻きなどの肉系具材が入っていません。
母が肉系を食べられないので、このおでんパックは冬場にとても重宝します。
もし、このおでんパックがなかったら、おでんを食べたくなったとき、具材をひとつずつ調達する必要があり、二人暮らしの我が家では割高になってしまうので、製造中止になったり、肉入りへ変更にならないことを祈るばかりです。

インスタントやレトルトや缶詰は、どのご家庭でも重宝するおたすけ食材だと思います。
我が家の場合は、あまりアレンジをすることなく、そのまま食べることが多いです。
たまにアレンジ料理を作ってみるのですが、母がアレンジ料理があまりお好みではないようで、無言で残すので(苦笑)最近はそのままを出すようにしています。
よく、インスタントやレトルトでも少し手を加えて出すべきだと考える人がいますが、我が家の場合は「余計な手を加えるな」となります(笑)
そういえば、父もそのまま食べることの方が好きだったので、我が家は単純な見た目と味が好きな家族なのかもしれませんね。

おたすけ食材の中に、パンがあります。
普段は、主食として食べるのですが、我が家の場合はおたすけ食材でもあります。
母は、おやつを食べるのが好きなのですが、糖尿病と心臓病があり、糖分と塩分はなるべく控える必要があるので、市販のお菓子は買い控えています。
しかし、1日1回はおやつがあった方が楽しいですから、1回で食べ切るようなおやつを用意することにしています。
ただ、今回のように2日間買い物へ行かないと、食事の用意はできても、おやつの用意がなかなか難しい。
そんな時に、パンがあると助かります。
フレンチトーストは定番ですが、ジャムやバターを付けるだけのシンプルな食べ方の方が多いですね。

おやつの話
おやつの話が出たついでに、我が家のおやつ事情について、少し綴ります。

おやつのほとんどは、都度買ってきています。
フルーツ、小分けパックの詰め合わせ、お饅頭やケーキのような食べ切りサイズと、毎回買うモノは違いますが、糖質と脂質と塩分を毎回確認してから買います。
結構、面倒くさいです(苦笑)

糖質ゼロの食品が、最近増えてきましたが、積極的に買っていません。
理由は、おいしくないから(笑)
積極的に買うのは、麺類だけです。
おやつ系やパンは、正直我が家の味覚では「おいしくない」です(商品開発した方、ごめんなさい)
普通の市販菓子は、どうしても塩分や糖分が多めに入っているので、全般的に買い控えている状態です。

先日、親戚がお土産に小分けパックになっている、あられせんべいを持ってきてくれたので、この数日間はそれがおやつになっています。
また、今の時期は、冬限定で取り寄せる青森りんごがあるので、そのまま食べるのはもちろん、適当なレシピで焼きリンゴにして食べています。

おやつに関しては、使われている成分にフォーカスしていませんね。
それよりも、まず量を減らすことの方が先決と思っています。
母が食べすぎる傾向があり、それをやめさせたいので、現在試行錯誤中です。


今回は、誰の役にも立たない、我が家のおたすけ食材について綴りました(笑)
おたすけ食材として、1番ありがたいのは「半調理済み」です。
すでに料理として出来上がっているモノもありがたいのですが、ほんの少しだけ何かが欲しいときには、半調理済みだと味付けに変化を出せます。
手抜きと時短に、とても適していると思います(笑)
1から丁寧に調理することもいいのですが、私は今後も、おたすけ料理に助けてもらいながら、暮らしていこうと思います(笑)

まとめ買いと都度買いに悩んでいる話

2020-01-28 | 日々の暮らし
情報バラエティー番組を見ていると、賢いお買い物の方法のような内容が放送されます。
最近は、業務スーパーを利用している人が増えて、週末にまとめ買いをすることが多いそうです。

対して、私はまとめ買いをするのは特売日に限定しています。
特売されない消耗品や食料は、無くなってから、あるいは無くなる直前に都度買いしているので、時には毎日買い物へ出かける日もあります。

ただ、最近は、まとめ買いをするよりは、必要になったタイミングで都度買いをする方が経済的なのではないか、と考えるようになってきました。

今回は、日ごろ意識をしていなかった、まとめ買いと都度買いのメリットとデメリットを考えて、自分のライフスタイルにはどちらが合うのか、考えてみました。

まとめ買いのメリット
まとめ買いのメリットは、毎日買い物へ行かなくて済むことと、余計なモノを毎日買わずに済むという点でしょうか。
1週間分、と決めて買うべきモノと量を把握して、それだけを買えば、次の買い物のタイミングまでは買い物の時間を他の時間に宛てられますし、日替わりの特売品に、なんとなく手を出してしまうことも、防ぐことができますね。
また、買い物1回の予算も決めておけば、お財布の中身(最近はpayの残高でしょうか?)を気にしながら買い物をする手間も省けそうです。

家族が多いと、毎日買い物へ行って、毎日食事の支度をするよりも、週末にまとめ買いをして、平日は食事の用意だけで済ませる方が効率的に時間を使うことができそうです。

こう考えると、まとめ買いの主なメリットは、毎日の時間を有効に使える点が大きいと感じます。

まとめ買いのデメリット
まとめ買いのデメリットは、過剰に買ってしまった食料を次回の買い物までに使い切れずに傷めてしまったり、腐らせてしまったりすることがあげられますでしょうか。
また、足りると思っていた食料や消耗品が、途中で足りなくなり、どうしても買い足さないといけなくなる可能性もありますね。
毎日考えるメニューにも、影響が出そうです。
1週間分のメニューを考えてまとめ買いをしたけれど、途中で違うモノが食べたくなった、などという場合は、新たに食料を買い足す可能性もありますからね。

金銭面で言うと、特売日などにお得な値段で購入できない点と、食料が不足しないようにと多めに買ってしまうことで、予算オーバーしてしまう点かな、と思います。

また、日用品もまとめて買うとなると、荷物が多くなり運ぶ手間がかかることと、家に着いてから買ったモノを整理する時間がかかる点も、デメリットとして考えていいかもしれません。

都度買いのメリット
都度買いのメリットは、必要なモノを必要な分だけ買えばいいので、1回に使う予算は少なくて済みますし、特売日に決まったモノだけを買うこともできるので、お得に買うことができる機会が増えます。
購入後の荷物も少ないので、持ち運びも負担にはならないし、家に着いてからの整理もすぐに終わります。

都度買いの場合だと、ストックも多く持つ必要がないので、食料や日用品の消耗状況が把握しやすく、さらにストックで収納場所を占領されることもありません。
仕事に行っておらず、なおかつ毎日外出することが可能な私のような人だったら、都度買いの方がストック収納場所がスッキリするのではないでしょうか。

家族が少ない場合も、都度買いの方がいいかもしれません。
食料も消耗品も、家族が少ないと消費スピードが遅いので、まとめ買いのデメリットと思われる、食品を傷めたり腐らせたりすることが、都度買いならば防ぐことができそうです。

都度買いのデメリット
都度買いのデメリットは、長期の予算を大幅にオーバーしてしまいがちなことでしょうか。
買い物へ行った際に、チラシに載っていない特売品があったりすると、買う予定がなかったのに、つい購入してしまうことがあります。
特売品なので、お得に買うことはできますが、それを繰り返していると、チリも積もれば状態で、出費がいつの間にか嵩んでいることも。

また、まとめ買いと違って、毎日あるいは一日おきなどで買い物へ出かけると、そのための時間を割かなければなりません。
時間を有効に使いたいと思っている人には、都度買いは向いていないと思われますし、特に仕事帰りしか買い物ができないライフスタイルの人には、ストレスが溜まってしまうかもしれませんね。
毎日、買い物と食事の支度に時間を割いていたら、他のことをする時間が削られてしまいますからね。

私のライフスタイルの場合
仕事をしていた当時は、仕事帰りに都度買いをしていました。
本当は、まとめ買いの方が楽だったと思うのですが、土日はあまり外出する気になれず、まとめ買いに行く気力がありませんでした。

母の体力がなくなり、食事の支度が難しくなってきたころから、私が買い物も食事の支度もするようになりましたが、そのころはデリカテッセンを中心に購入していたので、食費がかなり嵩む結果に。
かといって、まとめ買いをしていたら食費が節約できたか、といえば、料理をする手間を省くためにデリカテッセンを買っていたようなところがあったので、購入した食料を使わない日もあり、何度も傷めたり腐らせたりして、最終的には食料は買い控えるようになりましたね。

現在、私の立場としては家事手伝いという肩書が最も近いと思います。
要するに、仕事をしていないので、一日中家事ができる状態です。

今の買い物の仕方は、都度買いとまとめ買いを混ぜたような形です。
毎日、あるいは一日おきか二日おきに、食料だけを買うようにしています。
とはいっても、週に一度の特売日や肉の安い日、鮮魚の安い日などは、特売品に限ってまとめ買いをするときもあります。

まとめて買うのは、月に2度ある全商品の特売日です。
その日は、ストックも含めた日用品を中心に、食料も一緒にまとめ買いをしています。
ただし、この特売日はそこまで安くなるわけではないので、違う日にイレギュラーで特売価格になる商品は購入せずに、常に定価でしか売られていない商品に絞って購入しています。
ティッシュやトイレットペーパー、ラップ、洗剤系は、不定期で価格が下がるので、底値になった日に買うようにしています。

ちなみに、特売日を狙って、複数のスーパーで買い回ることはしません。
食料と日用品は、全て近所のスーパーでしています。

私に合う買い物方法はどっち?
最近になって、まとめ買いはやめた方がいいかもしれない、と考えるようになりました。
きっかけは、月に2度ある全商品の特売日にまとめ買いをしたときです。

いつものように、ストックがなくなりそうな日用品を中心に買い物をしていました。
特売日は、必ず米も買っています。
私が買う無洗米は、特売をしないので、少しでも安く買うために特売日に購入するのです。
また、他の特売をしない食料品も、この日に買うようにしていました。
例えば、スパイス類や菓子類、保存食(非常食)などです。

ところが、いつもより少し安くなるということに執着しすぎて、普段食べない菓子や食品までも買ってしまう自分に気が付きました。
いつもの買い物では、普段食べないようなモノはムダ遣いになる、という意識があり、購入しないのですが、特売日だといつもよりはお手頃な価格になるから、試しに買ってみよう、となるのです。
しかし、特売日であろうとなかろうと、余計な出費であることに変わりはありません。
問題の根本は、買わなくていいモノであるにも関わらず、特売日に買ってしまうということ。
であれば、日用品はさておき、食料に関しては米以外のモノは買わない方がいいのではないだろうか、という思いが大きくなってきました。

日用品も、ストックがある限りは、特売日にも買わないようにした方が、いいかもしれないと思っています。
そうした場合、ストックも使用中のモノもなくなってしまったときに、定価で買いに行く必要が出てきますが、かなり先のことを考えてストックを購入しておくよりも、無くなる直前に買うようにした方が、収納スペースもスッキリします。
私の性格上、モノがごちゃごちゃとあるよりは、一目見て何がいくつあるのか、を把握できる方が望ましいので、意地になって特売日にまとめ買いをする必要はないのでは、という気持ちもあり、試しにしばらくまとめ買いをやめてみようと思っています。


まとめ買いをする人は、メリットの方が大きいと感じて実行していると思うので、それを否定する気持ちはありません。
ただ、今の我が家では、まとめ買いをして節約や時間の効率化を図るよりは、余計なモノを買わない、余計な家事を増やさない、という点にフォーカスした暮らしの方が合うかもしれない、ということですので、しばらくトライしてから、再度考えてみます。

着物の処分方法を考えるのは難しいという話

2020-01-27 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
いつも、深夜にブログを更新するのですが、今回は疲れてパソコンもスリープのまま寝てしまい、朝からの更新になりました。
電気代、勿体なかったな(苦笑)
これを機に、午前中に更新してみようかな、と考えるマシュマロです。

土曜日に引き続き、日曜日も親戚と会って晩餐会?を開いていました。
ブッフェ形式だったので、食べすぎてしまったことが、早い時間に眠くなった原因かも(苦笑)
おかげで、朝はスッキリ目覚められました。

その親戚と、着物を処分する話になったので、今回はそのことを少し考えてみます。

着物は持っていますか?
我が家には、過去に着物が20枚前後ありました。
しかし、着用したことがあるのは、私の振袖とセパレートになっている着物、私が子どものころに父と母が着たことがあると思われる着物が数枚。
昔の写真を見ると、家族で着物を着て正月を過ごしたと思われる写真が存在するので、その時の着物だと思います(モノクロ写真なのではっきりしない)
それ以外では、母が祖母からもらったお下がりの着物と、買ったのに一度も袖を通していない着物と浴衣が数枚ありました。

祖母と母の時代は、着物は持っておくべきアイテムのひとつという価値観です。
結婚するときも、結納や婚礼道具のひとつとして用意されることが当たり前でした。
最近は、結納式も洋服ですることが多いと思いますが、私が若かったころは、結納式に着物を着る家庭が多かったです。
母の世代の価値観では、かわいい娘のために着物を持たせることが親の務めだったのですね。

今でも、一部の人の間では着物の需要は大きいと思いますが、普段から着物を着ている人は少数派です。
若い人の中では、成人式用の振袖と浴衣を持っている程度ではないでしょうか。
最近では、民族衣装の「和服」として、その価値が見直されてきているようで、外国からの旅行者が購入したりレンタルして街歩きをするなどの光景は、頻繁に目にしますが、所有するとなると、おそらく私の世代でたくさんの着物を所有している人は少ないのではないでしょうか。

私が着物を着た回数
私が51年ほど生きてきて、着物を着た記憶があるのは数回です。

 ・三歳のときの七五三で1度
 ・子どものころの正月に1度
 ・高校生のときの正月に1度
 ・成人式のときに2度(写真撮影時と当日)
 ・友人の結婚披露宴で2度
 ・浴衣を数回

以上です。
着物を着る頻度として、これが平均的な回数なのか、少なすぎるのか、私の世代としては多い方なのか、よくわかりません。
ただ、我が家の着物所有数から判断すると、着物に申し訳ないと思える回数のような気がします(苦笑)

高校生のときは、なぜか着物を着たいと思う時期があり、正月に着たのは単純に着たかっただけです(笑)
夏祭りのときは、私が仲良くしていた友人たちとの間で、浴衣ブームが来ました。
友人の1人が服飾系の学科で、毎年夏には浴衣の早縫い大会があり、その練習として友人たちの浴衣を縫ってくれていたので、せっかくだから夏祭りで着て行きましょう、という流れになったと記憶しています。

成人式の振袖は、今でも用意して着る方は多いですが、レンタルが多いように見受けられます。
私が20代のころは、振袖を買うことが当たり前のような雰囲気があり、レンタルは少数派だったような気がします。
今思えば、私の周りがそういう考え方の家庭が多かったのでしょう。

振袖は、購入金額も高かったので、成人式だけでは勿体ないと思ったことと、年齢的に友人の結婚ラッシュだったことで、数回着る機会があり、よかったな、と思っています。
最近のように、ラフなスタイルの披露宴や会費制パーティーが増えていたら、着る機会がなかったかもしれません。

母の買い物癖で着物が増えた
高校生のときに、個人的な着物ブームがあり、成人してからも振袖に数回袖を通したことで、私は着物を着る機会があると判断したのか、母はいつの間にか数枚の訪問着を作っていました。

そのころ、バブル景気の最終期だったこともあり、母は自分の服も少し高額なモノを買い集めていました。
ここからが、母の価値観と考え方の悪いところというか、厄介なところだったのですが、自分ばかり高額な服を買ったら不公平だから、娘にも良質の服を買ってあげよう、と思ってしまう性質だったのですね。
私の趣味や意向は完全無視の状態で、母が思うままに私の服も購入していたこともあり、服が溢れてしまいました。
着物も例外ではなく、私の意向は全く確認することもなく、母の独断で仕立ててもらったので、気が付いたときには「マシュマロ用の着物」が増えていた状態。
おまけに、母が昔から所有している着物と、祖母からのお下がりと、父の着物も数枚ありましたから、最終的な枚数が20枚前後となったわけです。

着物の処分をどうするか
私が20代後半くらいになると、全く着物を着る機会もなくなり、私自身もお正月などに着物を着たいという気持ちにならず、母も父も着物を着る機会がなく、我が家の着物は桐の衣装箱の中にずっと眠っていました。

私が家の不要品を処分し始めてから、数年経ったころに、やっと着物の処分をどうするか、という段階までこぎつけました。
しかし、着物はリサイクルショップでも買い取り不可な場合が多く、誰かに譲るにしても、着物を頻繁に着るような知人友人は、ひとりも思いつきませんでしたので、いつまでも処分できない状態が続きました。

ある日、なんでも買い取ってくれるリサイクルショップがあると聞き、調べてみました。
そこは、持ち込んだ着物の総重量に対して買い取り額が決定する査定方法(1グラム〇円のような)で、二束三文という言葉がぴったり嵌るリサイクルショップ(笑)
しかし、調べる限り着物を買い取ってくれるようなリサイクルショップが他に見当たらなかったので、かなり悩みましたが何度か袖を通した古い着物だけ、そのリサイクルショップへ売ることにしました。
買い取り価格は憶えていないのですが、数千円だったような気がします。
おそらく、購入した時は何十万もした着物もあったでしょうが、査定方法が重さで買い取る方法ですから、購入した価格や着物の素材は全く関係なかったので、仕方ありません。
ただ、売った後にやはりモヤモヤが残り、それ以降は着物をリサイクルショップへ持ち込むことはやめました。

これは、私の価値観なのですが、着物は大事に着てくれる人の手に渡ってほしい気持ちがあります。
グラムで買い取るリサイクルショップは、着物の陳列も雑な印象で、着物を大事にしてくれる人が購入してくれるようには見えませんでした。
無料でいいから、着物は本当に欲しいと思ってくれる人に譲りたい。
そんな気持ちになったので、売らずに残しておいた着物数枚(素人判断で少しいい生地のモノ)は、欲しい人が見つかるか、丁寧に扱ってくれるリサイクルショップが見つかるまでは、持っておこうと思いました。

お茶を習っている親戚に相談した結果
今回会っていた親戚がお茶を習っていて、彼女は着物を着る機会がたくさんあります。
昨年会ったときに、我が家に残っている着物は要らないか、と相談してみたところ、引き取ってくれるということになりました。

その時点で、まだ十数枚残っていて、私の振袖や袖を通していない訪問着も残っていたので、全て貰ってもらうことで話がまとまりました。
一応、着物も年齢に合わせた柄や模様があるので、中には親戚が着るには少しデザインが若すぎるモノもありましたが、お茶の教室には若い人も来るということで、その方にでも譲ってくれと頼みました。

今回の親戚との晩餐会で、着物のことが話題にあがったので、譲った着物がどうなったのか聞くことができました。
私の振袖は、親戚の知り合いの娘さんに譲ったところ、非常に喜んでくれたとのこと。
そして、親戚が着てもおかしくないデザインのモノは、順番に着ているという話でした。

私のお古の振袖を、喜んで貰ってくれたことは、とてもうれしく思っています。
リサイクルショップへ持ち込まずにいて、本当によかったです。

そして最後の1枚
数か月前に、和ダンスを処分するために中に入っているモノを片付けていたところ、全て処分していたと思っていた着物が、まだ残っていました。
1枚は手を通していない喪服。
もう1枚は、色無地の着物でした。

見つけたときは、少し放心状態になりましたね。
まだ、着物が残っていたのか、と(苦笑)
しかし、今回は譲ることができる着物は色無地の1枚だけ。
ですから、最後の1枚として親戚に引き取ってもらいました。

残るは、喪服の1枚だけ。
さて、どうしたらいいものか。

親戚が言うには、喪服はコートなどにリメイクする人も多いのだとか。
へえ、と思う反面、そのリメイクしてくれるお店が見つかるかどうか、という点と、リメイク料金はいかほどか?という点。
あまりにも高いのであれば、少し悩みます。
何故なら、私はあまりコートを着ないから。

リメイクしてくれるお店に関しては、1軒だけ当てがありますので、一度機会を見て相談してみようと思いますが、果たして私は喪服をリメイクするのでしょうか?
こうご期待?です(苦笑)


今回は、着物の処分について綴りましたが、ひとつわかったことがあります。
それは、着物はむやみに買っていいモノではない、ということです。
まあ、当たり前かもしれませんが、ファストファッションの洋服を買うのとはわけが違います。
私の母のように、欲望の赴くままに購入してはいけないモノです。
自分のライフスタイルを考えれば、着物はそんなにたくさんは要らない、ということはわかるはずなのですが、母にはその感覚はなかったようですね。
私は、自分のライフスタイルをしっかり決めているので、今後着物を購入することはないですし、もし着ることがあるとすれば、それは自分の葬儀の時ですね。
最後の着物姿は、自分で確認できないことになりそうですが、私はそれでいいと思います。

所有物のリセットを考えてみた

2020-01-25 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
日々、終活に向けてモノを処分し続けていると、いろいろ考えることが出てきます。
本日は、趣味のモノをいくつか処分している最中に、親戚2人が訪ねてきたので、作業を中断しておしゃべりに華を咲かせていました。
私を含めて、みんな現在おひとり様状態(私は母と同居なのでおひとり様予備軍)
1人は配偶者と死別し、子どもが授かりませんでした。
もう一人と私は、未婚で子どももいません。

3人とも、この先誰とも結婚再婚をせずに旅立った場合、それぞれが所有している相続手続きすべきモノは、手続きから相続完了までを、生きているうちに誰かに託さなければなりません。
動産不動産から趣味のモノまで、一体だれがどのようにして手配処分するのか?
そんな話になりました。

集まれば同じ話
いつも、同じメンバーが顔を合わせると、必ず私の母と兄弟姉妹とが共同名義で所有している不動産の話になります。
その話は、先に進まないままなので、必ず堂々巡りになってしまいます。
結局、今回顔を合わせたメンバー3人は、同じ意見なのですが、相続権利を持つ他の親戚の意向をはっきり確認が取れないままなので、細かい部分での話し合いができない状態。

みんな面倒くさい手続きが嫌なのだろうとは思うのですが、自分や自分の親が残したモノは、例え面倒であってもきちんと手続きをしておかないと、後の世代が大変な思いをしてしまうので、我々が生きているうちに、何とか決着をつけたい案件です。

そんな話をしているうちに、今度は自分たちが旅立った後のことへと、話が変わっていきました。

不動産のこと
私は、まだ母が健在(健康ではないな...)ですが、いずれ母が所有している不動産を相続する可能性が高い状態です。
配偶者に先立たれた親戚は、不動産をそのまま相続しています。
独身の親戚は、つい最近、親の不動産を相続する手続きが完了しました。

この3人は、全部とは言いませんが、自分が所有する不動産を相続させる者がいない、という点です。
厳密に言うと、独身の親戚と配偶者に旅立たれた親戚は、姪と甥がいる状態です。

話は、もし我々がそれぞれ旅立ったら、所有している不動産は誰に相続して貰えばいいのか、という悩みに。
姪と甥がいる親戚2人は、その姪や甥の誰かに、もしくは全員に均等に相続することになるわけですが、現在は現金を残せる可能性は低く、相続するのは不動産だけになるので、均等に分配するのが難しいですよね。

私も、もし母が旅立ち、今の住まいを相続したとして、私が旅立った後に相続してもらう人がいません(厳密にはいとこ達やその子どもに権利が発生するかと思いますが)
もっとも、マンションに暮らす私の場合は、いずれ経年劣化で建物全体を立て直す日が来ますから、そのときに私が元気でいれば、売却した後に賃貸物件に入り、病死や孤独死をした場合に備えて、連絡や後始末を請け負ってくれる者を決めておくことになるでしょう。
しかし、母が先立ち、今住んでいるマンションでおひとり様生活をしている最中に、私が旅立った場合は、一度誰かにマンションの権利を渡す必要があります。
さて、それを生前に成年後見人を立てておくか、親戚の誰かに相続してもらうよう話をつけて、関連する手続きや手配をお願いしておくか。
それとも、もっと他の方法があるのか。
考え出したら、キリがありません。

趣味のモノ
不動産の相続については、結局ベストな方法が思いつかないまま、今度は3人が住んでいる家の中にあるモノの話へと移りました。

私は、ご存じのとおり終活に精を出しているので、現在モノの処分を頑張って進めている状態で、徐々にモノが減っています。

独身の親戚は、不動産を持ってはいますが住んでいるのは賃貸で、不動産は妹家族が使っています。
賃貸暮らしなので、その賃貸物件に収まる量のモノを所有していることになります。
おそらく、平均的な雑貨類と洋服、趣味のモノがあると思われます。

配偶者に先立たれた親戚は、私の母同様に、モノを溜め込む性質。
しかも、絵画、お茶、着付けと、趣味が幅広く、確か学生時代は服飾デザイン系の短大に通っていたので、アクセサリーなどの造形品もたくさん持っているはずです。
家具、洋服、服飾品、食器などは、かなりたくさん持っています。
また、絵画作品やお茶に使う道具、お茶の際に着用する和服もたくさん所有していて、もしこの人が旅立ったら、どうやってこの人の家の中を片付けようかと、今から心配しています。
片付けるとしたら、私を含めた親戚一同で請け負うことになるはずです。

この親戚の家、片付けに一番困るものは、おそらく絵画作品です。
他のモノは、ある程度の処分方法が想像できますが、絵画作品は私も絵を描いていた時期があるので、かかった時間や費用を考えると、簡単には処分できません。
安価で構わないから、売却できたらいいなと、本人は言うのですが、絵画を売却するのは結構大変なことです。
それなりの環境を整えた上で、誰かに買い取ってもらう必要があります。
個人が描いた絵画の場合は、リサイクルショップへ持ち込むこともできません。
もし、捨てるのだとしたら、自治体の分別に合わせて処理することになるのですが、おそらく一番後回しになるでしょうね。

私の父が残した絵画も、正直どうしようか困っています。
処分する場合、私の自治体だと粗大ごみになるのですが、ごみ置き場に絵画を出すのは、少し躊躇します。
誰が描いたかわからない絵画が、ごみとして捨てられているのを見かけたら、なんとなくもやっとした気持ちになりませんか?
私は、なります(笑)
ですから、捨てるにしても、父の絵画作品だけは持ち込みで捨てる方法がベストかな、と考えています。

本当は、誰かが遺品として持っていてくれることが望ましいのですが、引き取ってくれる人は思いつきません。
最終手段は、ごみとして処分ですね。

所有物をリセットする
親戚と話をしながら、やはり遺品処分は簡単にはいかないな、と思う反面、遺品整理の必要がほとんどないくらいの状態にしておくには、現在の自分の暮らしに、どうやってアプローチしていけばいいのだろう?と考えました。

ふと浮かんだのは、一度すべての所有物をリセットしてみたら、最後まで必要なモノを知ることができるのではないか、ということ。
現金や生涯に関わる書類、住んでいる家は手放しませんが、その他のモノは一度リセット、つまり手放してみるのです。
まあ、下着や最低限の衣服はさすがに手放しませんが、それ以外のモノは、一度手放してもおそらく再度手に入れられるか、手に入らなくても生活に困らないモノばかりだと思うのです。

現金は手放さないと言いましたが、銀行口座はなくても暮らしてはいけます。
家具、食器と調理器具、布団(掛と敷)、家電全部、放送局の契約(テレビを手放したら支払い義務はなくなります)、インテリアファブリックも、再度手に入れることができるモノばかりですから、一度手放しても心配はないと思われます。

手放してしまうと、二度と手に入らないモノもあります。
数量限定や1点物の高級品、レアで付加価値が付いた趣味のグッズ、大切な人からのプレゼント、廃版になってしまったモノ、フィルムで撮影した写真のネガなど、結構思いつきます。
これらは、例え暮らしに必要なモノではなくとも、心に必要なモノである可能性が高いので、無理に手放すことは難しいのですが、必要最小限のモノで暮らすことを優先したら、むしろ二度と手に入らないモノを手放すことが、一番重要かもしれないのでは、と思いました。

二度と手に入らないと思うと、人は執着し始めます。
執着が始まると、手放すことが非常に難しくなっていきます。
しかし、その執着を振り切って、二度と手に入らないモノを手放したら、後には何が残るでしょうか?

物質的には、二度と手に入らないモノを手放したわけですから、そこには何も残りません。
そして、再度同じモノを手に入れることも不可能なので、買いなおすこともできず、結果的にはモノが減った状態になります。
しかし、私が求める老後には、その方が好都合なのではないか、と。

モノが手に入らないのであれば、それはもう諦めるしかありません。
まあ、手放す判断を下すのは所有者のみですが、モノが手に入らないということは、購入や譲り受ける行動ができないということ。
二度と手に入らないモノは、モノを新たに入れるという行動自体をやめることになるので、モノが増えるということもありません。
これは、もうこれ以上モノが増えないという確約。
増えないモノが決まっていれば、モノを買いなおす際に、余計な選択肢が減ることに繋がりますし、気持ちや執着にとらわれてモノを処分できない、ということも起きません。

不要なモノを処分すると、気持ちがスッキリしますが、執着していたモノを処分すると、その執着していた心も同時に処分できます。
自分の旅立ちのとき、執着する気持ちも物質的なモノも、すっかりなくなっていたら、きっと清々しくいられる、そう思うのです。


モノの処分は、大変です。
体力も気持ちも削られていきます。
それでも最後は、この世にも残すモノにも執着せずに、旅立てたらいいな、と思う一日の終わりなのでした。

追加でポイポイ処分

2020-01-24 | 日々の暮らし
本日が家庭ごみの日なので、昨日、いろいろなモノを処分したのですが、今朝も追加でポイポイとごみ袋へ。
家庭ごみの日は、8時半までにごみステーションへ出すルールではありますが、家庭ごみがいちばん量が多いため、我が家周辺エリアのごみ収集時間は、大体いつも午後になります。
おかげで、追加で捨てることができます。

追加処分したモノ
今朝、ごみ袋へ入れたモノです。

 ・皿2枚
 ・紙製のファイルボックス
 ・小物入れに使っていた何かの紙箱
 ・自分の写真数枚
 ・ダストシート?多量
 ・サイズが合わないゴム手袋

上記プラス、他のごみも一緒にして、小サイズのごみ袋に収まりました。

それぞれ処分した理由
皿2枚は、実を言うと昨日処分するときも、少し処分を悩んだモノです。
サイズ的には、ちょうどいい使い勝手なのですが、天使の絵が描かれていて、ちょっとしたおもてなしや、パーティーなどに使用するような雰囲気だったのと、濃いめのくすんだブルーの皿だったので、料理を盛り付けると美味しそうに見えないという欠点が(苦笑)
どちらかというと、アフタヌーンティーなどでお菓子やケーキを飾る目的の絵柄でした。
さんざん悩んだ挙句、皿は白っぽいモノに統一しよう、と今朝思い立ち、やっと処分することになりました。

紙製のファイルボックスは、入れておいた取扱説明書や契約書の類が、別の場所に収まるのではないか、と思い試してみたらピッタリはまったので、ファイルボックスの方を処分することにしました。
ちなみに、移動先はスツールボックスです。
グッズ系のモノを入れていたのですが、思い切って中身を処分したので空いていました。
ふと、幅がファイルなどを収めるのにちょうどいいのでは?と思い付き、入れてみたら上手くいったのでラッキーです。
この処分したファイルボックスは、他のファイルを入れた棚からはみ出ていて、クローゼットの上段(押し入れで言うと天袋)に仮置きしておいたモノです。

小物入れに使用していた箱は、母のモノが入っていました。
母の使っている収納棚に、結構な枚数の古い写真が入っていたことを思い出し、それを私が管理している他の写真と一緒に保管するつもりで取り出していたら、この小物入れに使用していた箱が目についた次第です。
中に入っていたのは、何も付いていないキーホルダー。
まあ、正直キーホルダーも要らないと思うのですが、母のモノですから他の入れ物へ移動させて、箱は小さくちぎってごみ袋へinです。

自分の写真ですが、これは終活の一環。
母の収納棚から出てきた古い写真の中に、私が子どもの頃の写真が混ざっていたのですが、自分としてはこれが誰かの目に触れるのはかなり嫌だな、と思ったので、見えないようにしてごみ袋へ。
おそらく、私が管理していた写真の中にも、私的には気に入らないモノがあるはずなので、また日を改めて仕分けしようと思っています。
本当は、全部処分しても問題はないのですが、写真類は母がときどき思い出して見たがるので、今は一部残しておきます。

ダストシートは、商品名がはっきりしません。
母が通販で購入したモノです。
確か、クイックル〇イパーが少し頑丈になったようなモップ型ダスターの、取り換え用のシートで、洗って繰り返し使います。
このシート、もふもふしたボアのような素材で濡らしても使えるモノや、マイクロファイバーが付いているモノがセットになっており、それぞれ素材違いのシートが5~10枚くらいあった気がします。
ただ、モップ本体は長いし、ダスターをセットする部分が大きすぎて、狭い隙間に入らなかったので、使い勝手が物凄く悪かったため、早々に処分していました。
その後、その取り換え用のダスターがもふもふと出てきたので、玄関のたたきでも拭いてから捨てようかな、と考えていたのですが、本体を外してなお、使い勝手が悪かったので、今回処分しました。
もふもふしていたため、収納場所の半分以上を占めていたらしく、処分したら入れていた箱がスカスカに(笑)
もっと早く処分しておけばよかった、と反省しました。

サイズが合わないゴム手袋は、そのままです。
サイズが合わないので、処分しました(笑)
これも、母が購入して存在を忘れていたモノです。
母は、ゴム手袋をはめたときに、少し余裕がある方が好きなので、Lサイズを購入していたのですが、私はどちらかというとピッタリサイズが好きなので、Sサイズです(体はデブだが手のひらは小さい)

時間がない割に処分できた方です
朝、急に思い立って処分したモノもあるので、じっくり考える暇もなくごみ袋へ吸い込まれていきましたが、逆に、昨日のうちになぜ思いつかなかったかな、と自分に説教案件です(笑)

時間がないと、割と決断も早まりますね。
まあ、もともと

「どうしようかなあ」

くらいに思っていた不要品ですから、決断を迫られたら

「じゃあ、処分で!」

という気持ちになりやすい心理状態ではありますよね(苦笑)
処分に迷っているモノは、あえて時間がない状態のときに着手した方が、作業が捗るのかな。
だとしたら、処分を迷っているモノを玄関先にでも集めておいて、出かけるときに1つか2つ手に取って、そのまま処分してしまうのも、不要品を減らすひとつの方法として成り立ちますね。

そういえば、片付けのコツをアドバイスしてくださる方は、時間を決めて片付けることを勧める方がほとんどですね。
何分間だけ片付ける、とか、聴いている音楽が1曲終わるまで、とか、片付けの苦手な方はゲーム感覚でするといいらしいです。
私は、しないのですけどね(笑)

捗る片付け方法は自己流
以前もブログ記事に書きましたが、私の片付けが捗る方法は、

 イライラしたときに片付ける

です(苦笑)
私以外の人には、絶対にお勧めできない方法ですね。

これ、おそらくモノに八つ当たりしているのです。
よく、イライラしてモノを壊す人がいますよね。
それの、処分するバージョンです。
最終的には、どちらもごみ箱行きになるのですが、私は壊すことが嫌なので、ダイレクトにごみ袋へ入れてしまうのだと思います。

普通の精神状態のときに片付けを始めて、要不要を仕分けしているときでも、疲れてだんだんとイライラしてくるときがあります。
その瞬間は、私にとってモノを処分する大チャンスです(笑)
それまで、迷っていた気持ちが、一気に「要らない!」という気持ちにシフトしますから、この瞬間にどんどん処分していくと、精神的にも部屋の中もスッキリします。

その後、処分したことを後悔したことは一度もないので、その程度のモノを大事に持っていたとも言えますね。
人は、割とどうでもいいモノを、大事に持っていたりするのだな、と思うのと同時に、どうでもいいモノを全て処分し終わって、そのときに残っているモノが、自分にとって必要なモノになるのかもしれない、とも思いました。


今回は、追加で処分したモノの話でした。
なんだかんだと、日々何かしらの不要品を処分している私ですが、所有物の数については、まだまだ納得できていません。
明日以降も、頑張ってモノを処分していこうと思います。

食器と調理器具と小物の間引き

2020-01-23 | 日々の暮らし
炊事をしていて、ずっと使っていない食器と調理器具を間引いて、処分することにしました。

和の小鉢的な器を2つ
似たような器で、柄違いのモノが2つずつあったのですが、ほとんど使わなくなった柄の方を処分しました。
一回り小さめの、洋風(というかカフェ風)の器もあるので、和のテイストはこれから徐々に処分していくつもりです。
最終的に、和の器は丼、大きめの汁椀、ごはん茶碗、湯飲みの4アイテムに絞ろうと思っています。
理由は、和食の基本的な盛り付けを意識すると、どうしても食器を多く使ってしまうため、洗い物が増えるからです。

丼や大きめの汁椀は、それひとつで1食を盛り付けることも可能ですし、深くて大きい器に適さないおかずは、洋皿へカフェ風に全部のおかずと主食を盛り付ければ十分です。
和食器を下手に持ち続けていると、なんとなく、主食、汁物、主菜、副菜、箸休めと、それぞれ盛り付けなければいけないような気持ちになりがちです。
それで、洗い物が増えるのはストレスになってしまうので、意識を器に向けない対策として処分を選びました。

シリコン製の刷毛
調理のときに、たれやシロップを食材の上に塗るための刷毛です。
使ったのは、ほんの数回。
数年前までは、お菓子を作ったり凝った料理を作ったりしていたので、たまに出番がありましたが、出番が少ないということは、使うような料理やお菓子は、今後作らなければいいのでは?ということに気が付いたので、処分です。
たまにしか作らない料理は、外食か内食の方がおいしくて形のいいものを食べられますしね(笑)

フライ返しを処分
タイプの違うモノを、2つ持っていました。
片方しか使わないので、使っていない方を処分します。
使っている方が破損したら、買いなおししたらいいだけですし、菜箸や木ベラでいけそうな料理だったら、それでひっくり返しますから、なくなっても不便はないと思います。

食事用のナイフを2本
ほとんど使うことはないのですが、一応家族2人分と肉料理用のナイフを1本、残していました。
やはり、ほとんど出番がないし、たまに柔らかい食材(豆腐やバナナなど)を切るのに使っていただけで、絶対に必要なモノでもありません。
肉はたまに食べますが、私だけなので、肉料理用のナイフを1本残して、処分します。

繰り返し使えるナイロン製の落とし蓋
ナイロン製のペラペラした、落し蓋シートとでも言いましょうか、ペーパーのような使い捨てではないけれど、劣化するまでは繰り返し使えるシートで、いわゆる便利グッズです。
しかし、落し蓋代わりについ癖でペーパーを使ってしまうので、もう要りません(笑)
あること自体を忘れているなら、不要品ですから。

菜箸を2膳
いちばん長いサイズの菜箸が、2膳あったのですが、一度使って使いにくかったので、今回2膳とも処分します。
もう少し短めの菜箸がありますが、それしか使わない傾向があるので、そちらを残します。

調理のレパートリーも関係してくるのかもしれませんが、私自身の調理癖のようなモノがあるのでしょうね。
同じ調理器具ばかり使います。
使い勝手がいいというよりは、それで十分間に合ってる、という感覚が強いです。

ステンレスのザルを1つ
中くらいの大きさのモノで、あまり使わないので目につかないところへしまっておいたのですが、ふと思い出し、全く使ってないし、なくても困っていないので、処分しました。
ザルは、他のサイズもあるのですが、最近よく使うのは小さいサイズのモノ(豆腐が1丁入るくらい)が中心なので、それより大きいサイズのザルは要らないかもしれないな、と思い始めています。
他のザルは、様子をみながら間引く予定です。
家族2人になり、大皿料理も作り置きもお菓子も作らなくなってしまったので、ザルもボウルも大きいモノは不要なのかもしれません。

飾ってあった小物1つ
まあ、なんとなく飽きたので処分です(笑)
ディスプレイしている小物系は、毎日眺めながら
「アレは、もう要らないかな」
と感じたモノを外し、それがなくなった状態で全体を見て、問題なさそうであれば処分しています。

話が変わって今夜の夕食の話
前回、ステーキ(肉料理)を作ると手間が増えてしまう、という話をしたのですが、本日はできるだけ洗い物が少なく済むような食事を用意し、夜は創作丼物にしました。
創作と言っても、ただご飯の上におかずを乗せただけです(笑)
ただ、母はその方が食べやすい様子です。
おかずが何皿もあると、食べ残しが多くなってしまいますが(少なめに盛り付けても残します)、いろいろな食材を一緒に煮炊きしたおかずをご飯の上へ盛り付ければ、食べる意識がそこだけに向くので、最後まで食べ切れるみたいです。
器がたくさん並んでいると、視覚で満腹になっているのかもしれません。


毎日の暮らしの中で、ふと違和感を感じるときがあります。
いつもどおりに過ごしていても、それが快適な過ごし方かどうかがはっきりしない行動だったり習慣だったりするのでしょうね。
今回は、日ごろからそこにあるのが当たり前だったけれど、本当は違和感があったモノを集めて処分しました。
かといって、明日から過ごしやすくなるのかといえば、そこまでは実感しないと思います。
結局、あまり使っていないモノばかりを処分しましたからね。
最初からないモノとして、明日からも過ごすのだと思います(笑)

肉料理は外食がいいのかもしれない話

2020-01-22 | 日々の暮らし
今回は、ちょっとくだらないテーマを割と真剣に綴ります(笑)

自宅でステーキを焼く
私は肉料理が好きですが、例えばステーキが食べたくなったら、肉を買ってきて家で焼くのか、レストランなどで外食するか、デリカテッセンで購入して内食にするかで、毎回迷います。

他の肉料理でも、同じように迷います。
本日の夕食は、昨日買っておいたステーキ肉を焼いて食べましたが、実は我が家で肉料理を食べるのは、結構いろいろな手間がかかるのです。

肉料理を食べるのは私だけ
肉料理なんて、手の込んだビーフシチューやローストビーフを作るのでなければ、簡単に作れるレシピがたくさんあります。
家計的にも、肉の特売日にある程度買っておいて冷凍保存などしておけば、食べたいときに取り出して、さっと調理できます(解凍する時間が必要な時もありますが)

しかし、我が家の場合、母が肉全般食べることができません。
肉料理を作るとなると、私ひとり分だけ。
そして、母には別の料理を作る必要があります。

そう、私が家で肉料理を手作りする場合は、おかずを余計に1品作らなければならないのです。
おかず1品程度、そこまで手間じゃないし、ステーキなら焼くだけだから楽だろう、と誰しもが思うでしょう。
ところが、我が家の場合、物凄く気を遣いながら肉料理を作らなければいけないのです。

肉料理を我が家で作る場合
母が肉を食べられない理由は、アレルギーだとかドクターストップだとかは全く関係ありません。
あるトラウマがあって、食べられないのです。
このような表現だと、いろいろ想像させてしまうので、はっきり書きますが、母のトラウマは幼いときに肉の解体現場を見てしまったことです。
物心つく前だったら、記憶に残らなかったかもしれないのですが、ある程度大きくなってからの出来事だったので、それ以来食べられなくなってしまったとのこと。
そして、少しでも肉が入っていることがわかると、どんなに好きなメニューでも、食べることができなくなってしまいます。

日本は、肉エキスを使った食品が、割と多いですよね。
最近になって、やっとハラル料理などを意識した食品が出てくるようになりましたが、例えばカレーのルウなどは、ほとんどの商品に肉エキスが使われています。
母は、カレーは好きですが、肉エキス入りのルウは絶対に使えません。
ですから、一からルウを手作りするか、肉エキスを使用していないルウを探す必要があります。

ただ、今まで肉エキスが入っていなかった商品が、改良されて肉エキス入りになることがあるので、母のような人も、アレルギーの人も、宗教の関係で食べてはいけない人も、いきなり食べられなくなる食品って、意外と多いのです。

と、まあ、それはそれで、別の問題なのですが、我が家で母に肉料理や肉エキス入りの料理を食べさせないために、私は買い物の段階からかなり気を遣わなければなりません。
そして、調理するときも、かなりの気遣いが必要になるのです。

まず、肉を煮たり焼いたりしたナベやフライパンを、母が食べる料理に使いまわしたらダメです。
使う場合は、しっかり洗剤で洗ってからにするか、先に母のおかずを作る必要があります。
洗い物を少なくしたいので、母のおかずを作ってから肉料理を作るようにしていますが、本気で時短をするときは、ガスコンロは同時に2口使いますし、どちらかの料理をレンジで温めて、手抜き料理をするときもあります。

また、肉を扱っている最中に、母が食べる料理の材料を同じ調理台に置けません。
それを見られてしまったら最後、母はその料理には手を付けてくれなくなります。
そして、盛り付ける際の菜箸や杓子などの調理器具も、別々にしなければいけません。

料理の内容によっては、鍋やフライパンは2つ以上使う必要がありますし、箸や杓子も2倍必要です。
そして、そうなった場合は、洗い物も当然増えます。

もう、ここまで説明したら、どれだけ面倒かがお解りいただけたかと思います(苦笑)

肉を我慢する日々
調理行程や片付けのことを考えると、肉料理を諦める日も少なくありません。
しかし、どうしても肉料理が食べたい日もあります。

家計を優先させてしまうと自宅で作らなくてはなりませんが、調理から片付けまでの全工程を考えると、自分の負担が増えます。
自分の負担を減らしたいならば、デリカテッセンや肉がおかずの弁当を買いに行く必要があります。
外食でも負担は少なくなるのですが、母の料理を作ってから食べに行くことになるので、返って時間がかかりますし、お金もかかります。

このように、いつも肉料理が食べたくなったら、考えてしまうのです。
今回は、家で作るのか、調理済みのモノを買ってくるのか、外食するのか。
そして、考えることそのものに疲れて、最終的には肉を我慢して、母と同じモノを食べることに落ち着く日がほとんどです。

肉を食べずとも、死にはしませんし健康のことを考えると、食べる回数は少なくてもいいと思うのですが、好きなのでどうしても食べたくなってしまうのです。
いっそ、肉が食べたくなる欲が無くなってしまえば楽なのに、とさえ思います。

肉料理を自宅で作るのはやめることにする
実は、本日肉を焼いて後片付けをするまでの間、本気で疲れている自分に気が付きまして、もしかしたら、自宅で肉料理を作るのはストレスになっているのでは?と考えました。
そして、今後は肉料理を自宅で作ることをやめようと、本気で考えています。

そんな、大したことでもないのに、決意表明のようなことを言う自分もどうかと思いますが、小さな負担や不満は、思い切って取り除いた方が楽しいと思うのですよね。
たかが肉料理ですが、ストレスを感じながら自宅で調理していたら、たぶん出来上がった料理も美味しくないでしょうから、美味しくいただくためにも肉料理は、調理済みのデリカテッセンや、肉が入ったお弁当か、外食で徹底してみます。

ただ、私の好きな牛肉料理は、近所のスーパーのデリカテッセンコーナーでは売られていないのですよね。
牛肉弁当は見かけますが、牛肉のデリカテッセンは、ローストビーフの薄切りくらいしか見かけません。
あとは、牛肉巻きおにぎりくらいです。
豚や鶏を使ったデリカテッセンは、たくさんあるのに、どうして牛肉は少ないのでしょうね。
脂が凝固しやすいからでしょうか?
理由は何にせよ、デリカテッセンで牛肉を食べるのは、結構ハードルが高いです。

肉料理で自分の暮らしも見えてきた
肉料理を手作りする際に、調理器具が増えて、洗い物も増える、と言いましたが、工夫次第では調理器具も洗い物も少なくて済むはずです。
なのに、そのアイデアが浮かばないのは、もしかしたら調理器具の数が多いからなのかもしれません。
また、食器もまだまだ多いのでしょう。
私と母のおかずを別々に作る際に、いくつもの調理器具を使ってしまうのは、そういうことなのかな、と。

もし、食器の数もギリギリで、調理器具も最小限しかなかったら、もっと効率の良い調理方法を工夫すると思うのですが、今の私は調理器具が余っている状態なので、つい余っている調理器具に頼ってしまう傾向があるのでしょうね。
作ろうとしている料理も、もっと他に思いつくものがあるはずなのに、考える努力をしないのは、おそらく調理器具を見て作れる料理を考えているからだと思います。
これは、調理器具の間引きをするべきときが来た合図かもしれませんね。

調理に限らず、実はモノに頼って余計なことをするときは、割とあります。
クリアファイルは、書類を汚さず、かつ見やすく保管するのに適していますが、実はクリアファイルには入れない方が保管しやすい書類も存在します。
バスマットは、専用のモノを買わなくても、ヘタってきたバスタオルで代用できます。
飲み物は、マグカップひとつあれば、冷たい飲み物も熱い飲み物も入れられます。
丼飯は、少し深さがあるお皿に盛りつけても、何の問題もありません。

本当は、ひとつで何通りも使えるアイテムはあるのに、シーンに合わせてモノを選ぶことができるのは、アイテム数が多いからですよね。
しかし、たくさんのアイテムをシーンごとや目的ごとに、あるいは自分の自己満足に使用してしたら、いつまでもアイテムが減ることはないし、うっかりすると増やしてしまいます。

モノが多いということは、ひと手間ふた手間を増やすことにも直結しているのだということを、今回改めて感じたような気がしましたし、それがストレスとして表に出てしまった気がします。
モノを減らしたつもりでも、まだまだ、私の周りにあるモノは多すぎるのかもしれません。


たった1枚のステーキを焼いただけだったのですが、食べて気分を上げるはずが、逆に下がってしまったので、味をよく覚えていません(苦笑)
もっと、不要品を減らして、もう少し自分が暮らしやすい環境に近づいたら、ステーキも美味しく食べられるのかな。
環境ってとても大切な要素だなと、しみじみ思います。

家具と本の処分完了

2020-01-21 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
準備が整っていた、家具と本の処分が、本日完了しました。

処分した家具
処分した家具は、以下のとおりです。

 ・ハイチェスト①
 ・ハイチェスト②
 ・棚(本棚)
 ・扉と背板を外したキャビネット

これで、廃棄を予定していた家具は、全て家の中からなくなりました。

処分した本
以前、ブックオフへ持ち込むためにまとめておいた本です。
記念出版系の本、雑誌社の特集本、漫画が4冊、コラムをまとめた書籍やエッセイ、写真集、パンフレット、小説など。
数えていませんが、20冊ほど出したと思います。
買取金額は、800円とちょっと。
まあ、そんなものですよね(笑)
本を売るのは、お金が欲しいというよりは、本を読みたいと思っている人の手に渡ってほしい気持ちが強いので、買い取り額が安くてもあまり気にしていません。

ハイチェストがなくなったスペース
ハイチェスト2台は、和室に並べて置いていました。
もともとは、両親の服や靴下などの小物、下着類、タオルなどがぎっしり入っていましたが、母の協力を得てローチェストに収まるくらいまで服を減らしてもらい、頑張って空にしたハイチェスト。

140センチ程度の高さではありましたが、横幅があったため、2台も並んでいると結構圧迫感があったのだな、と改めて感じました。
和室だったので、ハイチェストがなくなったスペースの畳は他の場所と色が違っていました。
本来のい草の色ですね。
住み始めて30年以上経ちましたので、畳を取り替えてもいいのかもしれません。

ハイチェストがあった場所は、掃除機をかけて壁の埃を落として、今は何も置いていません。
この先、母が自宅介護になった場合には、ハイチェストがあった場所にベッドを置きたいと考えているので、それ以外は何も置かないつもりです。

本棚の運命と空いたスペース
本棚ですが、もともと本棚はシステムデスクの名残でした。
机部分は、私が社会人になったときに廃棄し、本棚部分だけを残していました。

この本棚、実にいろいろな使い方をされた家具でした(笑)
最初は、システムデスクの本棚として、私が使っている教科書や書籍、ノートなどが置かれ、次に普通の本棚として私が引き続き使い、次に父の書籍類でいっぱいになり、父が亡くなり書籍を処分した後は、母の雑貨類が入り、最後はキッチンでパントリー代わりに使われました。

キッチンの小物や雑貨を整理し、不要なモノを処分した結果、この本棚を空にする目途が立った時点で、ハイチェストと一緒に処分することを決めたのですが、この本棚の運命なのでしょうか?
引き取ってくれた業者さんが、本来はごみ処理場へ持って行ってくれるのですが、その本棚だけは使いたいと(笑)
なんでも、会社の改装か何かをしているため、モノを一時置きしたいのだとか。
最後の最後まで、何かの役に立っている本棚なのでした。

空いたスペースには、別の場所で使いづらい状態で使っていたキッチンワゴンを置きました。
このキッチンワゴン、ずっと電気湯沸かしポットを置いていたのですが、動線の都合上、妙な場所へ置いていました。
お茶も入れにくく、水を足すときも注ぎにくく、ずっとどうにかしたいと思っていたのですが、今回本棚があった場所へ移したら、見た目もスッキリしたし、ポットも使いやすくなりました。
やはり、本棚は処分してよかったです。

本棚には、家具を引き取ってくれた業者さんのところで、最後の華を咲かせてほしいですね(笑)

キャビネットのスペース
このキャビネット、もともとガラスが入った扉が付いていて、ずっと私の部屋で使っていました。
小物雑貨を飾ったり、本を入れたりしていたのですが、途中からテレビ台の代わりに使うことにしたので、録画機器やケーブルテレビのセットトップボックスを置くために、扉を外して、背面にケーブルを通す穴を開けました。

その後、穴が小さいしケーブル類を接続するときに手間がかかるな、と感じて、大胆にも背板を全部外し、棚のような使い方をしようとしたのですが、背板がなくなったために、ぐらぐらするように(苦笑)
以来、どうにかして、しっかりした棚にしようと、いろいろ努力してみましたが、自分の力量ではかなわず。
数年前からずっと、買い替えたいと思っていました。

ところが、気に入るテレビ台的な家具には出会えず、ずっとモヤモヤしながら使っていましたが、先日ついに、家にある別の家具を活用することを思い付き、さっそくキャビネットからテレビと録画機器とセットトップボックスを移動させ、処分できる状態にできました。
もっとも、現在の家具に満足しているわけではありません。
ありませんが、ぐらぐらのキャビネットを使い続けるよりはマシなので、しばらくは今の状態で過ごします。
今後、もう少しマシな設置方法を思いついたら、またチェンジします。

家の空間は気持ちの余裕
ずっと、不要品と家具を処分し続けて感じたのは、家に空間が多いと気持ちの余裕が生まれてくる、ということ。

モノに溢れ、モノに占領され、モノに圧迫され、空間がわずかしかない家にずっと暮らしていたので、広い家に対する憧れを常に持っていました。
私が暮らしに満足できないのは、家が部屋が狭いからだ、と広い家に住んでいる人を羨み、自分を卑下していたのですが、不要なモノを潔く処分し、家具も思い切って処分したことで、自分の勘違いと八つ当たりに気が付くことができました。

家具を処分して思ったのですが、平米が狭くても家具やインテリアを最小限にしておきさえすれば、その家は広く快適に過ごすことができるのですね。
我が家は、まだ改善の余地があるのですが、キッチンの使い勝手はかなり改善しましたし、和室はくつろげる空間が広がり、いつまでも過ごしていたい部屋に変わりました。

以前、和ダンスや洋服ダンスを処分して、ほとんど何もなくなった部屋は、母が普段着る服だけがあり、他は掃除機が置いてあるだけ。
その部屋のクローゼットも、モノは4分の1程度しか入れていません。
その部屋で過ごすことはないのですが、何かあったら活用しようと空けています。
なんなら、ずっと活用できなくても構わないとさえ考えていますが、これも気持ちの余裕が生まれたからだと思います。

家の中の空間が多いと、暮らしている人の動きもスムーズです。
まだ、快適な動線が確立していない我が家ではありますが、それでも空間が広くなっただけで、かなり使い勝手がよくなりました。
快適に動けるということは、家事効率も上がります。
効率が上がれば、時短になります。
時短になれば、自分時間に余裕ができ、いろいろな事ができるようになります。

モノや家具が減ることで、何か損をするのではないか、と思うこともありますが、自分にとって不要なモノをいつまでも所有することで、気持ちがモヤモヤしたり、不満に思う気持ちが拭えなかったりするのならば、一度手放してみた方がいいのだと、今回改めて感じました。
何でもかんでも処分してしまうと、後悔してしまう可能性もありますが、私個人は処分してしまったモノを思い出すことは、ほぼありません。
思い出したとしても、もう一度手に入れようと思ったこともありません。
二度と手に入らないモノもありましたが、思い返してみても、この先の人生で使わないし活用できないことがわかるので、後悔はしていません。

現在は、家の中の不要品を探しつつ、自分が趣味で集めたモノなどを、少しずつ処分している状態です。
好きで集めたモノ、見ていると気持ちが癒されるモノ、手に取ると愛おしく思えてくるモノなどは、なかなかごみ袋へ入れることができないのですが、最近は、これを処分しても私は私、変わることなく暮らしていける、と思うと、モノはそんなに重要ではないな、と思えるようになりました。
きっと、気持ちに余裕ができたから、このような考え方ができるようになったのでしょうね。


さて、今日は朝から業者の方が来て、午後は本をブックオフまで運んだので、結構疲れましたね。
明日から、天気の悪い日が続くそうなので、今日中に2つの処分が完了してホッとしました。
さて、明日からは何を処分しようかな(笑)