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マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

レインコートを捨てた話

2020-01-09 | 日々の暮らし
常に、不要品を見つけては、ごみ箱へ放り込んで処分しています。
今日も、首回りがクタクタになったTシャツを3枚と、レインコートを処分しました。

レインコートは必需品か
ここ数年、梅雨時期から夏場にかけて、ゲリラ豪雨と呼ばれる、とにかく激しく強い雨が降ることが多くなりました。
オフィスワーカー時代は、雨が降ろうが雪が降ろうが、会社が休みにならない限りは、出勤しなければなりませんでしたから、レインシューズもレインコートも所有はしていました。
ただ、それが活躍したのは、せいぜい1シーズンに1度あるかないかでした。

幸いなことに、公共交通機関を使った通勤のときは、駅やバス停留所からオフィスまでの距離が短かったり、雨を避けることができる場所が多かったりしたので、あまり濡れることもなく、普通の靴を履いてレインコートも着ませんでした。
自家用車通勤の場合は、レインシューズを履き替えるのも面倒ですし、レインコートを着るまでもない距離しか歩かないので、当然使いません。
小学生の時は、たまにレインコートと長靴で通いましたが、それも高学年になるとどちらも使わなくなった記憶があります。

なぜ、使わなくなったのだろうか?と考えてみたのですが、レインシューズもレインコートも、着脱が面倒に感じるため、多少濡れても対処できると判断したら、全く使わないのですよね(苦笑)

となると、レインコートもレインシューズも、現段階では必需品ではないのでしょうね。

私のレインコート変遷
小学生の時は、レインコートも長靴も使っていたと言いましたが、そのころ使っていたモノは、黄色くていかにも小学生が身に付けそうなデザインのモノでした(笑)
あの頃って、遠くや暗がりで目立つように、黄色いモノを身に付けるよう、学校から指導があったのだと思います。
今考えると、デザインもいまいちだし、年齢が上がっていくとなんだか格好悪く感じるのですよね(苦笑)
ですから、高学年になってある程度自分のセンスが決まり始めると、身に付けなくなってしまうのです。

その後、中学に入ったときに、一応レインコートというか撥水加工のコートを買ってもらったのですが、やはりそこまで雨が激しく降ることもなかったし、何故だかわかりませんが、中学高校のときは誰もコートを着て登校していなかったので、私も着たことがなかったです。
結局、中学のときに買ってもらっていたコートは、一度も袖を通さずに、誰かにあげた記憶があります。
ちなみに、寒い日はどうしていたかというと、制服の下にセーターや温暖下着のようなモノと使い捨てカイロで、防寒していました。

大学時代はどうだったか、思い返してみますが、おそらくレインコートは買っていなかったような気がします。
ただ、レインシューズは持っていました。
ブーツではなく、シューズです。
雨水をはじく、パンプスのようなシューズでした。
ただ、これも一度試しに履いてみただけで、その後は全く使わなかったので、人にあげました。

社会人になると、あるメーカーが、ワンピースのようなデザインのレインコートを発売するようになりました。
そのころの私には、レインコートを着るとファッション性が劣るイメージがあって、どうしてもレインコートを着る気になりませんでしたが、遠目にワンピースに見えるそのデザインが気に入って、買ったのを覚えています。

それでも、やはり着る機会はあまり訪れることはなく、たまには着ないと、という義務感で数回着用しましたが、結局タンスの肥やしに。
数年前に、やっとそのレインコートは処分しました。
数か月前に、母の不要な服を処分している最中に、レインコートが出てきたのですが、デザインも悪くないし、やはり持っていたほうがいいかもしれない、という思いから、私が貰うことにしました。

そして、数か月が経ち、お試しで数回着用しましたが、どうも着脱も面倒くさいし、なにより手入れが面倒だということが、はっきりしました。
これまで、レインコートを買っても着ようと思わなかったのは、使用した後の手入れが面倒くさいためなのでした。
何度買い替えても、結局着ない理由が分かったので、今回レインコートは手放すことにしました。

雨が降っても濡れたらいい
1年くらい前から、雨が降ったところで別に濡れても構わないな、と思うようになりました。
一応、傘は所有しているのですが、基本的には折り畳み傘が1本あれば十分だと思っています。
長傘は持っていますが、母のために所有しているような感じです。

母は、私が車で連れまわさないと外出できないくらい、体力も筋力も衰えています。
その母が、例えば病院へ行った際に、駐車場から病院の入り口まで、ほんの数メートルですが屋根のない場所を歩くので、私が傘をさしてあげていますが、折り畳みだと開くのに面倒なので、長傘を使用します。

しかし、私一人の場合は、よほどひどい雨でもなければ、傘もささずにいます(笑)
小雨は、もう開き直っていますし、酷い雨の場合は折り畳み傘を使いますが、それも、もし時間が経てば止みそうな雨の場合は、どこかで雨宿りをしてしのぎ、傘はなるべく使わないようにしています。
ですから、外出先で急な雨に遭っても、傘を買うことはありません。

傘さえ、あまり必要としていない私ですから、レインコートは完全に不要なモノなのだと思います。

環境が変化したら必需品になる
もし、私が将来、田舎暮らしを始めて自給自足で生活するようになったら、レインコートもレインブーツも必要になると思います。
それが山奥などだったら、なおさら必要になるでしょう。
しかし、今の生活では、レインコートもレインブーツも、なくて困ったことは、ほぼありません。

また、ドレスコードが決まっているような場所へ頻繁に出入りする場合は、雨の日にレインコートとレインブーツが必要になると思います。
なぜなら、洋服や靴が雨や泥で汚れてしまってはみっともないですから。
ただ、今の私の生活では、そういったシチュエーションは、ほぼ訪れません。

もし、私が外回りの仕事をしていたら、あるいは必要になってくるのかもしれませんが、田舎暮らしにしても、ドレスコードを気にするシチュエーションにしても、外回りの仕事にしても、今は単なる想像に過ぎず、現状は必要としていませんから、やはり今の私には不要品なのです。

想像が現実にならないのなら
不要品かもしれない、と思うモノをなかなか処分できないのは、きっと想像が現実になるかもしれないと思っているから。
こういうシチュエーションになったら、絶対に必要だ、という想像をしてしまうと、実際にはその状況にならなくても、所有しておいた方がいいかもしれないという思考にとらわれてしまいます。

でも、冷静に自分が今後どのように暮らしていくのか、そもそも現在の暮らしとそんなに大きな環境の変化が訪れるだろうか、と考えていくと、多少環境が変化しても、私が暮らしそのものを変える気がない限りは、なにも変わらないはず。
ですから、今不要なモノは、数年後も数十年後も、きっと不要です。

もしも、とんでもない変化が訪れて、不要だと思っていたモノが必需品になったら、そのときに新しく調達しても間に合います。
それに、今使わずに持っているモノを、来たるべきときに本当に使いたいと思うかどうか。
きっと、新しく調達したくなるに決まっています(笑)
数年後、数十年後を想像して、不要品を処分できなくなっていたら、まず、数年後の私が使いたいと思っているかどうか、も想像してみたら、おのずと結果は見えてきます。
その結果は「使いたいと思わない」ですね(笑)

将来の自分が使いたいと思わないモノは、今の自分が処分してあげた方が、将来の自分に対しても親切です。
自分を大切にする意味でも、不要品を使うあてがないのなら、すぐにでも処分すべきなのかもしれません。


今回はレインコートについて、考えてみましたが、たまたまレインコートだっただけで、他にも当てはまる不要品候補はたくさんあるはず。
まずは、自分がそのモノを持ち続けていて、気持ちが幸せかどうか、そこをはっきりと想像できることが、不要品を処分するには必要な心の技術なのかもしれませんね。