古代から日本人に親しまれてきた野蒜。
すくっと立った立ち姿が好きだ。
他人がどうであろうと、他人にどう思われようと
そんなこと関係ない
とでも宣言しているかのようだ。
(2019-05 神奈川県川崎市 道端)
すくっと立った立ち姿が好きだ。
他人がどうであろうと、他人にどう思われようと
そんなこと関係ない
とでも宣言しているかのようだ。
(2019-05 神奈川県川崎市 道端)
ノビル
ノビル(野蒜、学名: Allium macrostemon)は、ヒガンバナ科ネギ亜科ネギ属の多年草。一部地域では、「ねんびろ、ねんぶり、ののひろ、のびろ、ねびる」とも呼称される。生のネギのようにひりひりと辛いところから、「ひる」の名が付いた。
形態・生態
地下に球根(鱗茎)を持ち、地上に細い葉を伸ばす。
葉は線形で20 - 30cmのものを数本出す。雑草にまぎれて花茎が伸びてきてはじめて気がつくことが多いが、葉の表面に白く粉を噴くので慣れると見つけやすい。タバコ位の太さにしかならず、小さなタマネギのようである。
まっすぐ立ち上がる花茎は60cmに達し、先端に一個だけ花序(散形花序)をつける。花は長さ数mmの楕円形の花被片が6枚、小さいチューリップのように集まったもので、白または薄紫を帯びる。花柄はやや長い。花は開花するが、種子ができる系統はごくまれである。代わりに花序には開花後ないしは開花前から小さな球根のような珠芽(むかご)を着生し、それを散布体とする。珠芽は紫褐色で固く密生する。たくさん集まると表面に突起の出たボールのようになる。むかごの着生が遅れれば通常の花序となるが、開花前からむかごの肥大が始まり、開花がほとんど認められないことがある。これは小型個体より大型個体ではげしい傾向がある。
むかごの散布以外にも分球でも繁殖する。
河川敷に自生するノビル
東アジアに広く分布する。日本では北海道から沖縄までの畦道や堤防上など、丈の低い草が生えているところによく自生する。主として人里近く、畑地周辺や土手でよく見かける。一説によれば、古い時代に作物と共に日本へ入ってきた、いわゆる史前帰化植物ではないかとも言われるが、はっきりしたことはわからない。 北海道ではノビルの群生が簡単には見られないことから、分布に関して再調査が必要である。
人間との関わり
Allium macrostemon - LNDDYL.jpg
葉とともに、地下にできる鱗茎が食用となる。鱗茎は地下5 - 10cmにできるため、スコップなどで掘り起こさなければならない。積極的に栽培されることは少ないが、野草として食用にされ、タマネギに似た香りと辛味があり、アサツキ等よりも鮮烈な香味を持つ。収穫後、時間が経つと辛味が強くなり、香りも悪くなる。休耕地など土壌の養分が十分な場所で育つと、鱗茎がピンポン玉程の大きさになることがある。生食も可だが、軽く茹で酢味噌等の味付けで食されるほか、味噌汁の具や薬味としても用いる。一般的に春が旬であるとされる。
文化
古くは『古事記』にその名が見える。応神天皇の歌として、
いざ子ども 野蒜摘みに 蒜摘みに
また、『万葉集』の長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)の歌に、
醤酢(ひしほす)に
蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて
鯛(たひ)願ふ 吾にな見えそ
水葱(なぎ)の羹(あつもの)
がある。
記紀の東征神話においては、白鹿に化けた地の神をヤマトタケルが蒜で打ち殺すエピソードがあるが、これもノビルである可能性が高い。
野蒜 の例句
いのしゝのやぶほりかへすのびるかな一 野明
さりげなき別れの野蒜摘みゐたり 木村蕪城 寒泉
つひに老い野蒜の門をあけておく 飯島晴子
びんらんの野蒜を愛し一本杉 三橋鷹女
みちのくのひとはかなしや野蒜掘る 山口青邨
やうやくに日が手にとどく野蒜かな 古舘曹人 樹下石上
ゆく雲の幅だけ翳る野蒜摘 能村登四郎
わらんべはすでに一握の野蒜掘る 山口青邨
何もかも野蒜田螺も地獄茄で 高野素十
何掘ると訊くより野蒜さし出しぬ 星野麥丘人
千鈞の王を釣り上ぐ野蒜掘る 山口青邨
名を知りて野蒜を人にをしへけり 右城暮石 句集外 昭和七年
国分寺跡へのびるを摘みながら 細見綾子
摘みたきもの空にもありて野蒜摘 能村登四郎
樋水ます雨に花さく野蒜かな 飯田蛇笏 春蘭
汗ばみて指美しや野蒜籠 石橋秀野
白珠や道も生野の若野蒜 上田五千石『天路』補遺
籠いつぱい野蒜を摘みて才女ならず 鈴木真砂女 夕螢
耳鳴りのうしろ従きくる烏の子 佐藤鬼房
郭公や庭後に摘みし野蒜和 水原秋櫻子 緑雲
野蒜つむ擬宝珠つむただ生きむため 加藤秋邨
野蒜など摘みわが素顔茫々たり 橋閒石 卯
野蒜など生ふる山科こゝに住む 高野素十
野蒜出て須磨子の墓へ夕畷 古舘曹人 樹下石上
野蒜噛み月日いよいよ飛ぶごとし 岡本眸
野蒜噛む旧約悪しき予言満ち 有馬朗人 知命
野蒜噛む是又花鳥諷詠詩 阿波野青畝
野蒜掘り芹摘み己れ遊ばしむ 石塚友二 光塵
野蒜掘るあしたのことは考へず 鈴木真砂女 紫木蓮
野蒜掘る繊々と上ぐ大き球 山口青邨
野蒜掘れば強きにほひや暮の春 松本たかし
野蒜掘ルその根な添そ菫草 仙化
野蒜摘み八岐に別れゆきし日も 赤尾兜子 歳華集
野蒜摘む野に雲垂れぬ湖かけて 木村蕪城 寒泉
野蒜生ふ少年啄木歌つくる 山口青邨
野蒜野に出でて壮気を培はな 上田五千石 天路
雪を削ぐ山風いたし野蒜摘み 能村登四郎
ノビル(野蒜、学名: Allium macrostemon)は、ヒガンバナ科ネギ亜科ネギ属の多年草。一部地域では、「ねんびろ、ねんぶり、ののひろ、のびろ、ねびる」とも呼称される。生のネギのようにひりひりと辛いところから、「ひる」の名が付いた。
形態・生態
地下に球根(鱗茎)を持ち、地上に細い葉を伸ばす。
葉は線形で20 - 30cmのものを数本出す。雑草にまぎれて花茎が伸びてきてはじめて気がつくことが多いが、葉の表面に白く粉を噴くので慣れると見つけやすい。タバコ位の太さにしかならず、小さなタマネギのようである。
まっすぐ立ち上がる花茎は60cmに達し、先端に一個だけ花序(散形花序)をつける。花は長さ数mmの楕円形の花被片が6枚、小さいチューリップのように集まったもので、白または薄紫を帯びる。花柄はやや長い。花は開花するが、種子ができる系統はごくまれである。代わりに花序には開花後ないしは開花前から小さな球根のような珠芽(むかご)を着生し、それを散布体とする。珠芽は紫褐色で固く密生する。たくさん集まると表面に突起の出たボールのようになる。むかごの着生が遅れれば通常の花序となるが、開花前からむかごの肥大が始まり、開花がほとんど認められないことがある。これは小型個体より大型個体ではげしい傾向がある。
むかごの散布以外にも分球でも繁殖する。
河川敷に自生するノビル
東アジアに広く分布する。日本では北海道から沖縄までの畦道や堤防上など、丈の低い草が生えているところによく自生する。主として人里近く、畑地周辺や土手でよく見かける。一説によれば、古い時代に作物と共に日本へ入ってきた、いわゆる史前帰化植物ではないかとも言われるが、はっきりしたことはわからない。 北海道ではノビルの群生が簡単には見られないことから、分布に関して再調査が必要である。
人間との関わり
Allium macrostemon - LNDDYL.jpg
葉とともに、地下にできる鱗茎が食用となる。鱗茎は地下5 - 10cmにできるため、スコップなどで掘り起こさなければならない。積極的に栽培されることは少ないが、野草として食用にされ、タマネギに似た香りと辛味があり、アサツキ等よりも鮮烈な香味を持つ。収穫後、時間が経つと辛味が強くなり、香りも悪くなる。休耕地など土壌の養分が十分な場所で育つと、鱗茎がピンポン玉程の大きさになることがある。生食も可だが、軽く茹で酢味噌等の味付けで食されるほか、味噌汁の具や薬味としても用いる。一般的に春が旬であるとされる。
文化
古くは『古事記』にその名が見える。応神天皇の歌として、
いざ子ども 野蒜摘みに 蒜摘みに
また、『万葉集』の長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)の歌に、
醤酢(ひしほす)に
蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて
鯛(たひ)願ふ 吾にな見えそ
水葱(なぎ)の羹(あつもの)
がある。
記紀の東征神話においては、白鹿に化けた地の神をヤマトタケルが蒜で打ち殺すエピソードがあるが、これもノビルである可能性が高い。
野蒜 の例句
いのしゝのやぶほりかへすのびるかな一 野明
さりげなき別れの野蒜摘みゐたり 木村蕪城 寒泉
つひに老い野蒜の門をあけておく 飯島晴子
びんらんの野蒜を愛し一本杉 三橋鷹女
みちのくのひとはかなしや野蒜掘る 山口青邨
やうやくに日が手にとどく野蒜かな 古舘曹人 樹下石上
ゆく雲の幅だけ翳る野蒜摘 能村登四郎
わらんべはすでに一握の野蒜掘る 山口青邨
何もかも野蒜田螺も地獄茄で 高野素十
何掘ると訊くより野蒜さし出しぬ 星野麥丘人
千鈞の王を釣り上ぐ野蒜掘る 山口青邨
名を知りて野蒜を人にをしへけり 右城暮石 句集外 昭和七年
国分寺跡へのびるを摘みながら 細見綾子
摘みたきもの空にもありて野蒜摘 能村登四郎
樋水ます雨に花さく野蒜かな 飯田蛇笏 春蘭
汗ばみて指美しや野蒜籠 石橋秀野
白珠や道も生野の若野蒜 上田五千石『天路』補遺
籠いつぱい野蒜を摘みて才女ならず 鈴木真砂女 夕螢
耳鳴りのうしろ従きくる烏の子 佐藤鬼房
郭公や庭後に摘みし野蒜和 水原秋櫻子 緑雲
野蒜つむ擬宝珠つむただ生きむため 加藤秋邨
野蒜など摘みわが素顔茫々たり 橋閒石 卯
野蒜など生ふる山科こゝに住む 高野素十
野蒜出て須磨子の墓へ夕畷 古舘曹人 樹下石上
野蒜噛み月日いよいよ飛ぶごとし 岡本眸
野蒜噛む旧約悪しき予言満ち 有馬朗人 知命
野蒜噛む是又花鳥諷詠詩 阿波野青畝
野蒜掘り芹摘み己れ遊ばしむ 石塚友二 光塵
野蒜掘るあしたのことは考へず 鈴木真砂女 紫木蓮
野蒜掘る繊々と上ぐ大き球 山口青邨
野蒜掘れば強きにほひや暮の春 松本たかし
野蒜掘ルその根な添そ菫草 仙化
野蒜摘み八岐に別れゆきし日も 赤尾兜子 歳華集
野蒜摘む野に雲垂れぬ湖かけて 木村蕪城 寒泉
野蒜生ふ少年啄木歌つくる 山口青邨
野蒜野に出でて壮気を培はな 上田五千石 天路
雪を削ぐ山風いたし野蒜摘み 能村登四郎