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靖国神社の問題点について何も触れてない3K新聞(Aug 6, 2011)

2011-08-06 20:42:05 | おかしな人たち
今回は簡易更新(手抜き)

昔から、8月15日に日本国首相が靖国神社に参拝するかどうかで紛糾するのが恒例行事。
で、この件についてアレな論説を書きまくってきた 3K新聞が、今年もアレな論説を書いていた模様。
・靖国神社参拝の義務(2011年8月5日 MSN産経ニュース)

すでにタイトルでオチが見えてる気がしないでもないこの論説。
当然というか、この論説は序盤から謎論理を展開していた。
以下、2011年8月5日分 MSN産経ニュース『靖国神社参拝の義務』から序盤部分を(略

---- 以下引用 ----
8月15日の終戦の日が近づいてきた。
ことしも閣僚の靖国神社参拝は期待できそうもない。
だが、中国や韓国が何と言おうと、首相をはじめ、閣僚や国会議員は靖国神社に参拝する義務がある。

 なぜか。
戦死をしたら靖国神社に祀(まつ)るというのは、法律などに規定があるわけではない。
だが、それは戦死するかもしれない人々と、残された人々との黙契(もっけい)[注]であるからだ。
黙契であるからこそ、万が一にも戦死をしたら生き残った人々、すなわち大臣から一般庶民に至るまで、自分に感謝と慰霊の参拝をしてくれると信じて、命を的(まと)に戦うことができたのである。
(以下略)


引用者注:黙契(もっ - けい)
・もっ‐けい〔モク‐〕【黙契】(goo辞書@デジタル大辞泉)

[名](スル)無言のうちに合意が成り立つこと。また、その合意。
「互に―する処があるらしく」〈荷風・つゆのあとさき〉

---- 引用以上 ----

最初の段落は 3K新聞が昔から繰り返してる主張であるが、論外なのは言うまでもない。
そして、その後の段落についても、何を考えてるのかと言いたくなるレベルだ。

だいたい、『戦死するかもしれない人々と、残された人々との黙契(もっけい)』は存在したのか?
単に、この論説を書いた人(大野 敏明 氏)の想像の産物でしかないのでは?
仮に、その通りだとしても、誰でもいいから(靖国神社に)参拝して欲しいんなんて思ってた人がいたかどうか正直怪しいと思うぜ。


だが、大野氏の論説はこれで終わるわけもなく・・・。

この後、大野氏は(靖国神社において)国家が祭祀(さいし)を行うことの重要性を述べていた。
しかし、大野氏は知ってか知らずか、靖国神社自体の問題点を記していた。
以下、2011年8月5日分 MSN産経ニュース『靖国神社参拝の義務』から中盤部分を(略

---- 以下引用 ----
(中略)
 また、自分の家族が戦死しても、大臣から一般の人々までが、参拝をしてくれることで、遺族も心を癒やされるという一面があった。
そして何よりも大事なのは、国家が祭祀(さいし)を行うということなのだ。
靖国神社に祀られている英霊は約250万柱。
そのほとんどは男性である。
統計があるわけではないが、そのまた多くが若者であり、独身者であった。

彼らは結婚もしたかったであろうし、子孫も残したかったに違いない。
しかし、国家のため、郷土のため、家族のため、それらの希望を断ち切って戦死せざるを得なかったのである。
(以下略)
---- 引用以上 ----

簡単に書くと、靖国神社は主に戦争(侵略戦争含む)における戦死者を祀っている・・・。
で、済まされないのがこの話の厄介な所。
つーのも、靖国神社に祀られるかどうかについての基準は、政治的意向が強く反映してたらしいのよね。
実際、捕虜になってから亡くなった人は祀られなかったらしいし。
この辺は、『靖国神社の祭神たち』(秦 郁彦著)に関する以下2つの記事(転載モノもあるけど)を参照(手抜き)。
・靖国神社の祭神たち  秦 郁彦  新潮選書(2011年1月30日 読書日記)
・【著者に聞きたい】秦 郁彦さん『靖国神社の祭神たち』(産経新聞)(2011年3月19日 こう見えても、秘書なんです。)

要は、靖国神社に祀られた(祀られてしまった)人達ってのは、日本政府によって「認められた」人達という意味もあるってこと。
この問題点について大野氏は認識していたのだろうか?


そして、この論説のオチで、大野氏は壮絶な論をブチかましていた。
2011年8月5日分 MSN産経ニュース『靖国神社参拝の義務』から最後の2段落分を(略

---- 以下引用 ----
(中略)
 国家、国民のために、自己のあらゆる可能性を放棄せざるを得なかった戦死者に対して、国家が何もしないのならば、今後、国家、国民のために命を捧(ささ)げようという人は出てこないであろう。
戦犯とされた人が合祀(ごうし)されているとか、神道形式だとかというのは、些末(さまつ)な問題にすぎない。
これからの日本の平和を守るためにも、閣僚、国民みながこぞって公式に感謝し慰霊する義務があるのである。

 8月は全国各地で戦死者への慰霊祭が行われるが、戦死者は交通事故や災害の死者とは異なる。
単なる慰霊だけではない。
感謝の気持ちを併せ持たなければ、本当の慰霊にはならない。
ことしこそ、国家は戦死者に対する黙契を果たそうではないか。
(編集委員 大野 敏明)
---- 引用以上 ----

は?
神道形式で合祀されてることが些末な問題、だと?
一体、この人は何を考えてるのか?
合祀された人の中には、神道を信仰してない人や植民地出身で日本軍に参加して心ならず祀られた人もいるってのに・・・。
これに加え靖国神社の抱えてる問題点も踏まえれば、大野氏みたいなことを書くのを躊躇うのがまっとうな論説委員じゃね?
ま、今さら言っても遅いが・・・。


それにしても。
この論説を読んでると、大野氏が国家ってのを絶対視してる気がしてならないのは俺だけか?


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4 コメント

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なぜ恨む方向を向かないのかが、どうしてもわからない。 (猫が好き♪)
2011-08-07 00:14:42
 や、どーもー。

 国が国のための死者に敬意を表して何が悪いという意見はやたら目にするのですが、じゃあ千鳥が淵ではどうしていけないんだ、という疑問に対する答えって聞いたことがないような気がするんですよねえ。千鳥が淵にしとけば宗教がどーのみたいなツッコミは全面的に避けることができるんじゃないでしょーかとか思うし。てのはさておき。

 元々は、おれが「神社は死穢を嫌うので、境内に墓地を作らない」という説明をどっかで聞いて信じていたせいだったんです。ところが神社の境内に墓地があるところなんて珍しくないし、それどころか樟蔭神社なんて吉田松陰の墓地でしょ、死穢を嫌うとかって誰が言い始めたんだよ、とか思いはじめてしまって(ちなみにコレ、まだ突き止められてません。そもそもどこで読んだのかの記憶もないしな)。
 んで日本の宗教の系譜図とかを調べ始めると、そもそも神道が独立した存在であったことなんて飛鳥時代以前と明治時代以降にしかなくて間が1200年くらいあいてたりするのがわかったりして。靖国神社をはじめとする国家神道なんて新興宗教だしな。事実上「独立した存在だったことなどない神道」が「日本の古来からの伝統宗教」であるなんて、いったい誰が言い始めたことなんであるかと(これはわかっている。明治政府だ)。
 まあここらへんはおいおい自分のところにでも簡単にメモ書きしておくつもり。

 で、この「伝統でもなんでもないものを伝統だと言い張る」という図式って、なんかどっかで見たことありませんか。ていうか、おれがこういうことを書くんだから他のネタではあり得ません、そうです捕鯨問題です(ってしかしそこにつなげるのかよ(=^_^;=)>おれ)。
 いやあなんだ、伝統だとか文化だとかいうと思考を停止しちゃうひとがそんなに多いんだろうかとか思うと、しょーじき眩暈が止まりません。

 おれパワースポットとかそういうのにはまったく興味がなく感じることもほとんどないんですが、靖国神社は数少ない例外。怖いもの見たさで一回だけ行ってみたんだけど、なんかそこにいるだけで内側からふつふつと強烈な不快感が湧き出してきて、こんだけ不愉快な空間が世の中にあるのかとか思った。明治神宮とかではまったく感じなかったんだけどね。
 靖国神社は、どっちかっつーと「馬鹿政府に踊らされ犬死させられた恨み」の集約点として、敗戦直後に焼き討ちにでもあって滅びておくのが相当だったような気がしてならない。なんであんだけ無駄死に余儀なくされたのに、恨まないんだろうか。たぶんそのあたりから、産経系のしとたちあたりとは、まったくもって折り合う余地がないというか会話の糸口すら相互につかめないままなのだろうなあ、とか思うわけですが。理性とか言葉とかってむなしいなあと思うのはそういうときだったりします。
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猫が好き♪ さんへ (flagburner)
2011-08-07 20:22:11

>いやあなんだ、伝統だとか文化だとかいうと思考を停止しちゃうひとがそんなに多いんだろうかとか思うと、しょーじき眩暈が止まりません
う~ん。
本来なら、伝統とか文化についても何らかの疑問を持つ必要があると思うのですが・・・。
伝統や文化を「確かなもの」とみなすことで自分自身の不安を取り除きたいという願望の表れ、と考えないとやってられないくらいです。

というか、伝統と文化を尊重しろ、と言い張る人達の問題点の1つとしては、こういう伝統や文化から「除外された」あるいは「除外される」人達の存在を無視してるのが考えられます。
本来、伝統や文化について語るなら、こうした人達の存在を無視できないはずなのですが・・・。
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Unknown (えまのん)
2011-08-17 14:27:42
千鳥ヶ淵は、身元不明者のため だからでは?
身元が判明したら靖国行きになるかと。

千鳥ヶ淵と靖国と両方行くのが慰霊の儀礼的にはベストなんでしょう。

千鳥ヶ淵に献花するのは公的行事なのか、宗教行為ではないのか?
こっち問題にする人はいませんね。
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えまのん さんへ (flagburner)
2011-08-18 20:13:09
コメントありがとうございます。

>千鳥ヶ淵は、身元不明者のため だからでは?
>身元が判明したら靖国行きになるかと。
ただ、身元が判明しても、軍人じゃない人達は靖国神社に合祀されないわけで・・・。
例の戦争の性格を踏まえれば、(民族・宗教に配慮しつつ)戦没者を弔うために1つの施設に戦没者慰霊の役割を与えるのが無難な線かもしれません。

>千鳥ヶ淵に献花するのは公的行事なのか、宗教行為ではないのか?
う~ん。
この辺りは、慰霊行事がどれだけ特定宗教の影響を受けてるかによって判断を変える必要があるかもしれませんね。
もっとも、慰霊行事自体行ってない宗教なんてのもあると、話がややこしくなりそうですが・・・。
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