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マイナーな話題を扱うことが多いかもしれません。

DId Ayako Sono and The Sankei Shimbun contempt Nelson Mandela?(Feb 14, 2015)

2015-02-14 21:22:50 | おかしな人たち
今回は予定を変更した更新(謎)。


今週水曜日のことになるが、3K新聞に曽野 綾子(三浦 知壽子(Chizuko MIURA))氏による移民政策に関してぶっ飛んだコラムが掲載されていた。
↓参照(宣伝)
・Ayako Sono:(Un)expected mouthpiece of the Japanese government(Feb 11, 2015)(2015年2月11日 flagburner's blog(仮))

曽野氏のコラムに関しては、内容な内容だけに各方面から非難が飛んでいた。
そんな中、アフリカ日本協議会(Africa Japan Forum:AJF)がそのコラムと3K新聞に対し抗議文を送っていた・・・。
・産経新聞 曽野 綾子さんのコラムへの抗議文(2015年2月13日 ajf.gr.jp)

AJFの抗議文では、2月11日が南アフリカでどういう意味を持つかについて触れ、曽野氏のコラムと3K新聞を非難していた。
以下、2015年2月13日分 ajf.gr.jp『産経新聞~』から中盤部分を(略)

---- 以下引用 ----
(中略)
曽野氏はコラムのなかで、高齢者介護を担う労働力不足を緩和するための移民労働者受入れについて述べるなかで、「外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業」であり、「もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」との持論を展開しています。

 「アパルトヘイト」は現地の言葉で「隔離」を意味し、人種ごとに居住区を分けることがすべてのアパルトヘイト政策の根幹にありました。
また、アパルトヘイトは、特権をもつ一部の集団が、権利を剥奪された他の集団を、必要なぶんだけ労働力として利用しつつ、居住区は別に指定して自分たちの生活空間から排除するという、労働力管理システムでもありました。
移民労働者の導入にからめて「居住区を分ける」ことを提案する曽野氏の主張は、アパルトヘイトの労働力管理システムと同じです。
国際社会から「人道に対する罪」と強く非難されてきたアパルトヘイトを擁護し、さらにそれを日本でも導入せよとの曽野氏の主張は言語道断であり、強く抗議いたします。
このような考え方は国際社会の一員としても恥ずべきものです。

 おりしも、このコラムが掲載された2015年2月11日は、故ネルソン・マンデラ氏が釈放されて、ちょうど25年目にあたる日でした。
その記念すべき日に、南アフリカの人びとが命をかけて勝ち取ったアパルトヘイトの終焉と人種差別のない社会の価値を否定するような文章が社会の公器たる新聞紙上に掲載されたことを、私たちはとても残念に思います。
(以下略)
---- 引用以上 ----

例のコラムが掲載された日が2月11日じゃなくても相当ヤバいが、結果としてアパルトヘイト肯定というメッセージを強くしたのは否定できないかと。
無論、曽野氏と3K新聞がそこまで考えてるとは思えないが・・・。


もっとも、AJFの抗議を3K新聞と曽野氏がまともに受け取るつもりはないようだが。

実は、例のコラムについて天下の NYTやReutersが紹介していた。
その後、Wall Street Journal などは3K新聞と曽野氏にこの件について(おそらく電話かメールで)質問したのだが・・・。
・Author Causes Row With Remarks on Immigration, Segregation(2015年2月13日 blogs.wsj.com)

以下、2015年2月13日分 blogs.wsj.com『Author Causes~』からその部分を(略)

---- 以下引用 ----
(中略)
Ms. Sono told The Wall Street Journal on Friday that she wouldn’t discuss the column. “If there is an error in the article, I would correct it. I am a human and I make errors. But that piece doesn’t have any errors,” she said.

Katsunori Murakumo, a Sankei spokesman, said in a statement that the newspaper published Ms. Sono’s column as her personal view.
“We think it’s only natural that there are various views on that column,” he said.
(以下略)
---- 引用以上 ----

一方、dailybeast.comに対しては妙な姿勢を・・・。
・The Newspaper Columnist Who Wants to Bring Apartheid to Japan(2015年2月12日 thedailybeast.com)

以下、2015年2月12日分 thedailybeast.com『The Newspaper Columnist~』からその部分を(略)

---- 以下引用 ----
(中略)
The Daily Beast attempted to contact the author, for clarification, through Sankei, the publishers of her works, and the Cabinet Public Relations Office, Cabinet Secretariat.
No reply was forthcoming and Sankei refused to provide any contact details or pass on the questions.
(以下略)
---- 引用以上 ----

この手の逃げ口上はよくあることとはいえ・・・。
3K新聞としては、「個人の見解であり3K新聞の(略)」を貫くしかないんだろうな。
っていうか、曽野氏の「(コラムの内容に)間違いはない」という発言って相当ヤバいような・・・。


・・・とここまで書いていたら、とうとう南アフリカのモハウ・ペコ(Mohau PHEKO)駐日大使が3K新聞に抗議したという展開に。
・曽野氏コラムで南ア駐日大使が本紙に抗議(2015年2月14日 sankei.com)

そして、この抗議への3K新聞と曽野氏の回答が凄まじいものだった。
以下、2015年2月14日分 sankei.com『曽野氏コラムで~』を全文(略)
読んだ後でQUEENの曲を6時間連続で歌いたくなっても、当方は一切責任を負わな(略)

---- 以下引用 ----
産経新聞に掲載された作家、曽野 綾子氏のコラムをめぐり、南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使は14日までに、産経新聞社宛てに抗議文を送付した。

 ペコ大使が問題視しているのは、2月11日付で掲載されたコラム「曽野 綾子の透明な歳月の光」。
「労働力不足と移民」と題した中で、介護の労働移民について条件付きでの受け入れを提示したほか、南アフリカで人種差別が廃止されても生活習慣の違いから分かれて住むようになった例を挙げ、住まいは別にした方がいいとの考えを述べた。

 これについてペコ大使は「アパルトヘイト(人種隔離)を許容し、美化した。行き過ぎた、恥ずべき提案」と指摘。
アパルトヘイトの歴史をひもとき、「政策は人道に対する犯罪。21世紀において正当化されるべきではなく、世界中のどの国でも、肌の色やほかの分類基準によって他者を差別してはならない」としている。

 NPO法人「アフリカ日本協議会」も産経新聞社と曽野氏に抗議している。

 曽野 綾子氏「私は文章の中でアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません。生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい、という個人の経験を書いているだけです


 小林 毅産経新聞執行役員東京編集局長 「当該記事は曽野綾子氏の常設コラムで、曽野氏ご本人の意見として掲載しました。コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えております。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」
---- 引用以上 ----

良くも悪くも、日本社会が人種差別に関して無関心ってのを示した回答というか・・・(汗)


2015年2月28日追記:
AJCからの抗議に対し、3K新聞と曽野氏がそれぞれ返答を行っていた。
参考までに、2015年2月13日分 ajf.gr.jp『産経新聞~』から、曽野氏の返答部分の前半を(略)

---- 以下引用 ----
(中略)
戦前の日本にさえ、出自や学歴に関係なく、有能な人材に働いてもらいたいという希望は色濃くありました。
日本にはそれほど強固な能力主義の歴史があります。
もちろん一つの国は一枚岩ではありません。
しかし多くの企業家も学者も作家も、個性豊かな人物が、近代の日本を創りあげて来たことを、感動をもって認めて来ました。
こうした個人判別は差別ではなく区別です。
私もまた作家として、常に区別なしには書くべきテーマの発見もできません。
区別は学問、芸術、政治、哲学などのすべての分野の基礎の大地です。
差別などで人や現象を分けていたら、一篇のまともな小説も書けないでしょう。

 しかし文化には、自然に特微があります。アジア系の人々は米と魚を多く食べます。
ヨーロッパに住む人たちは、小麦のパンと、牧畜の成果による肉を食べます。歴史的に、中東には一神教が生まれ、アジアには多神教の世界が出現しました。
私はこうしたきわめて自然で人間的な習慣や嗜好を、その人たちのために存続したい、という素朴な願いはずっと持っています。

 私は小説家です。小説は日本語では小なる説という意味です。
つまり一人一人の思いを掬いあげて、優劣や善悪を単純に考えて裁かず、大切に書き留める仕事です。
その内容は私―人の考えで、他者や他の団体を代表するものではありません。
アパルトヘイトを私は推奨したことは一度もありません。
南アフリカで不幸な結果をもたらしたその制度は、日本には幸いなことにありませんでしたから、推奨する理由が全くありません。

しかし違う生活習慣の人たちの幸福を増す目的のために、異なった暮らし方がその人の社会生活の一部で許されていいと、今も考えていますが、それが南アで行われたようなアパルトヘイトを認めることだ、などという飛躍した発想になるのは、むしろそう考える人たちの悪意です。
(以下略)
---- 引用以上 ----

往生際が悪いというかなんというか・・・(呆)。


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