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Darwish 氏の詩に含まれる政治思想って?

2008-08-18 13:14:15 | パレスチナかイスラエルか
(この記事は、2008年8月17日に公開したもの・・・)


今回は一風変わった Mahmoud Darwish 氏追悼記事の紹介・・・。
・What Did You Do To Them, Ya Mahmoud?(2008年8月11日 Alternative Information Center)

実は、今回紹介する記事ってのは、8年前に AIC の雑誌で公開された奴らしい。
ただし、原文はヘブライ語で、今回紹介する記事自体が英訳っつーややこしいブツ
で、この日本語訳をでっち上げてみた(一部強調も追加)。
例によって、訳文の正確性は一切保証しな(略
---- 以下訳文 ----
一体何をやったんだ、Mahmoud?
Written by Michael Warschawski, Alternative Information Center (AIC)
2008年8月11日


2008年8月9日にこの世を去った Mahmoud Darwish は、穏やかな人物じゃなかった。
ある日、俺が彼を現在最も偉大なパレスチナ詩人として紹介したら、彼は「アラブ詩人」だと俺に指摘した。
それは、アラブ諸国におけるアラビア語を使う詩人というだけでなく、現在生きてるアラブ詩人の中で最も偉大という意味でもあった。
そして、実際そうだった。
偉大なアラブ詩人というだけでなく、この時代における最も偉大な知識人の1人でもあった。

彼が人生でやった一番の事は、彼が持つ本当の価値を見出さず今後もそうであるイスラエルに含まれる、生まれ故郷から離れたことだ。
せいぜい、彼は「イスラエルの知識人」と主張する小物達から支援を受けていた;
さらに、彼の詩作は、シオニスト達の基準と政治的に合ってなかったとすら言われた。

Mahmoud Darwish 氏への1つのオマージュとして、そしてこれから数週間イスラエルのメディアで見受けられるであろう偽善的反応を見越した反応として、Darwish 氏とイスラエルの左派知識人達について20年前に書いた論説を俺は再公開したい。
(以下論稿は、AIC のヘブライ語版雑誌『Mitsad Sheni』の2000年版で最初に公開された。AIC で公開された英語版は AIC の英訳)



10年ごとに、イスラエルの人々は Mahmoud Darwish 氏の話について耳にし、彼への憎悪・無知・嫉妬・畏敬が入り混じった感情を積み上げる。
1987年には、[イスラエルの]左派を激怒させた『Passers Between the Passing Words』という詩によってそれが起きた。
2000年に偉大なアラブ詩人 Nizar Kabani 氏(訳注1)の死去後、後釜だと見なされてる Darwish 氏の作品を教育省が[高校での]カリキュラムに加えるという決定に抗議していたのは[イスラエルの]右派だった。

何が過去10年で変わったのか?
1つ目は、オスロ合意だ:
人類の文化にて貴重な一部分だと世界中で見なされてたパレスチナ詩人が存在する事実の認識といった「相互認識」が、和平を求める側に持ち込まれたことだ。
2つ目は、イスラエルのエリート層が昔の 2世代に表現される考えから離れていったこと。
Meir Shalev 氏(訳注2)のような教育を受けた -- 限られた人達は、Rainer Maria Rilke の作品こそイスラエルの学校で教えられる究極の文化であり、アンダルシア音楽(訳注3)はバス停で放置されるものだと未だに信じている。
この2つの現象により、イスラエルで Darwish 氏の詩作への期待が増し、後には彼の作品は21世紀におけるイスラエルの少女少年の教育において基本要素になるという認識をもたらした。

そして、この10年間、イスラエルのリベラルな知識人の多数で変わらなかったことは?
Darwish 氏自身と彼の詩への理解と、理解する意思の欠如だ。
Yossi Sarid 氏(訳注4)から Amnon Rubenstein 氏(訳注5)に至るまで、詩人と自由を求める戦士を切り離すのと同じく創作と人格を切り離せるかのように -- Darwish 氏の詩を天が禁じてる政治的な見解ではなく表現そのものに価値があるとみんな言いふらす。
Darwish 氏の詩は、パレスチナの人達の経験と戦いから導かれたもので、詩は彼らを支えてもいるし支えられてもいる。
ほんの数回彼の詩を読んだ人ですらこれを知ってる、そして Darwish 氏と彼の詩について Simone Biton 氏が制作した印象深い映画『 As the Land is the Language(訳注6)』を観ることをイスラエルの偽善者連中に勧めたい。

そして今、「相互認識」が進んだにも関わらず、過去10年間で[イスラエル国内の Darwish 氏理解は]さほど変わってなかった。
以下の段落で示す 1988年5月に Matzpen(訳注7)で刊行された記事は、その証明である。

Darwish 氏の最新作にあたる詩『Passers Between the Passing Words(訳注8)』の公開は、イスラエルの批評家の1人が主張したパレスチナ詩人の「隠された地位」以上にイスラエル左派のモロさを浮き彫りにしている。
この詩では、詩の世界において政治の世界とたいして違わない、[イスラエルで]左派にあたる数多くの人達の立場を無常にも照らし出している。



詩作について・・・

Darwish 氏の詩は、イスラエルの詩と文学の批評分野における興味深い革命で注目を集めた:
芸術と詩の自由に関する後継者達は突然(!)Zhdanov(訳注9)に習いはじめ、政治宣言のように詩の韻律を批判した;
詩に表現されたような Darwish 氏の「並べ方」は、批判した人達の好みではなかったのだ。
Amos Keinan 氏(訳注10)と友人達の目には、Stalin の暗黒の日々における[恐怖政治のさなかの]社会主義的現実主義の学校に支持されてたように、芸術的創造は明らかな政治的立場を持ってるに違いなかったのだ。
別の面では、Stalin に習った学生達が芸術の自由と、「詩は政治宣言でもなく、交渉や国際会合の計画でもない」と Zu Haderech の編集者 Tamar Gozansky 氏(訳注11)が記したような事実を発見したとも言える。
イスラエル共産党の雑誌 Gershon Kanispal(訳注12)は、強調している:
「違う!詩は新聞の社説じゃないんだ」

なんて革命的なんだ!
Zhdanov を賛美し社会主義者のリアリズムを芸術の高みと芸術批評における最高の権威と見ていた人達が、今や情感的な詩句と非現実的な一般化という「詩的誇張の形成」を賛美してるのだ。
ある人が学んできたことや何年も続けてきたことから完全に自由であるのは難しい、そして Shula Hanin 氏は、Zu Haderech の同じ号で、硬い表現でこう繰り返す:
「直ちに明らかにしないことは禁止されてる!
パレスチナ国家をイスラエルという国家の傍に建国したいという全ての人達は・・・運動に貢献せず我々に後ろを振り向かせるような太陽と同じくらい明白でわかりやすく「霧に包まれ」ていない詩を必要としてるのだ」


そして政治面・・・

こうした批判が政治的理解を抜きにしてる限り、Gozansky と Hanin、ましてや Amos Keinan 氏の文学的批評に対して Matzpen のコラムに文句を言うつもりは無い。
イスラエルの左派はイスラエル国民の愛国心を誇りにしてるし、イスラエルという国家と隣り合うパレスチナ国家[という幻想]に基づいた解決案を出している。
これは確かに彼らの権利だ。
しかし、イスラエルの世論を喚起するため、多くのパレスチナの語り口を自らの立場と意見として口に出している:
そして最後には、パレスチナの指導者の多くはシオニストなり、イスラエル国民の愛国心に対するあらゆる面でのファンだとすら納得してしまう。

イスラエル左派の一部は、[自らの意見とパレスチナの人達の意見を]区別しない真っ当な人を信じることができないほど自ら持つ愛国心で盲目になってる。
別の人達は、あまり単純ではなく、イスラエルの世論に嘘をつき、偽物の商品[自らの考え]を売りつけている。
素直な人やひねくれ者たちも、お互いイスラエルの人達を騙し、自らの失敗を成功と偽っている。

純粋な人達は、Darwish 氏の詩に怒りながら文句を言う:
イスラエル右派から敵の友を隠してる一方で、アラブの人達を二度と信じないと誓っているのだ。
「君がどのように考えてるかを示してるなら、私は君との友人関係を切る」と。
パレスチナの人達に自らの意見を問わない社会主義者的排他的伝統が最も含まれるイスラエル左派で、パレスチナの人達がイスラエル左派に利益をもたらす遊びをやらなかったので、あまり純粋じゃない人達も怒っている。
Tova Hanin 氏は何を書いたのか?
「平和を望んでる我々に立ち向かう義務を持ってるという意見を持つあの男(Darwish)は、そこから逃れることができない・・・。
Darwish の詩は多くの人達(平和を望む作家に芸術家)にとって痛い一撃であり、[Darwish 氏の]正当化と説明は救いにならないだろう・・・。
イスラエルという国家の側にパレスチナ国家を望む人達には・・・、太陽のように明白でわかりやすい詩が必要なのだ」
(Zu Haderech、1988年4月6日号?)

Darwish 氏の詩には「詩としての資格」がなく、パレスチナの人達には何を望むかを決める自由はなく、パレスチナの人という詩人には自らの痛みを表現する権利が無い。
イスラエル左派は、彼が何を書き・考え・感じるか、そして彼に支持してもらいたい[パレスチナ問題の]解決策を決め続けるだろう。
一体彼らに何をやったんだ、Mahmoud?
自分の作品に立ちはだかるものをどのように書いたんだ?
もしそれを知らなかったら、君の生まれ故郷 -- 本当の生まれ故郷から脱出する前にイスラエル共産党を讃えるのを拒絶したかのように口と心を塞ぎ、イスラエルという国家の隣に建てるパレスチナ国家に賛成する多数派とともに訴え続けるなら、パレスチナの国家的闘争に基づかず、イスラエルの和平を求める側の姿勢と、世話される側であるという条件で君のために国家を用意してくれるであろうイスラエルの思想家・芸術家・作家達の姿勢を優先させる態度に基づく詩人だ。
そして、人々の怒りと住んでた場所への憧れを表現し続けて、パレスチナの土地をほんの1インチも手に入れられない人達と共に決して妥協しないけど、イスラエルの隣にあるパレスチナ国家に賛成すると見込んでる多くの人々に賛同するなら、イスラエルの友人の多数を含む「私たち」というパレスチナの人とともに最新作の詩に現れる「彼ら」という表現を知る事になる。
イスラエルの左派は、君が疲れ果て負けた時だけ友人だし、自らの意図とパレスチナの人々の正当な目的を隠さないパレスチナの人であるのを誇りに思うなら宿敵となる。



訳注1:シリアの外交官・詩人・編集者(1923-1988)。
Nizar Tawfiq Qabbani と表記するのが正しいみたい。
Qabbani 氏の著作については↓参照。
・Icarus3 Project

訳注2:イスラエルの作家。
ノンフィクションから子供向けの本まで広く手がけてるとか・・・。

訳注3:主にアフリカ北部やイベリア半島で広まった音楽の形式。
リュートやギターとかを良く使う(らしい)。
ちなみに、アンダルシア音楽の普及にはユダヤ系の人達も関わってたとかなんとか・・・。

訳注4:2006年4月まで Knesset(イスラエルの国会)議員をやってた人。
また、1999-2000年にかけて、イスラエル教育相も務めていた。
・Yossi Sarid(Jewish Virtual Library)

訳注5:イスラエルの法学者、某政党党首。
1992-1996年に、教育相・文化相を兼任した。
現在も Knesset の議員。
・Amnon Rubinstein(answer.com)

訳注6:1997年公開の映画。
時間としては約60分という割と短い映画らしいが・・・。
・Mahmoud Darwich - As the Land is the Language
(Palestine Online Store)

訳注7:Alternative Information Center の前身ともいえる団体。
反シオニズム・反資本主義を掲げて活動してたが、1970年代前半に、団体の活動方針やパレスチナの人達との共闘における方針のズレから複数団体に分裂。
その後も、メンバーの離脱が相次ぎ1983年に活動停止。
AIC は、Matzpen から分裂した団体を元にして1984年に結成された。

訳注8:この作品は、イスラエルの首相が誤訳して引用されたとか。
この辺りについては↓参照。
・Palestinian's Poem Unnerves Israelis(1988年4月5日? New York Times)

訳注9:
Andrei Aleksandrovich Zhdanov のこと。
ソ連の初期に活躍してた政治家で、スターリン主義にしたがって文学批判をやってたとか。
Darwish 氏の作品批判に関する皮肉として引用した?

訳注10:イスラエルの批評家。
イスラエルという国家のあり方を色々批判してるらしい・・・。
カナーン主義(シオニズムの変形版)の影響も多分にある。
・Mideast & N. Africa Encyclopedia: Amos Keinan(answers.com)
・Two Brief Introductions to Hebrew Canaanism(Alabaster's Archive)

訳注11:イスラエル共産党所属の元イスラエル国会議員。
本職は経済学者らしい・・・。
ちなみに、『Zu Haderech』は、イスラエル共産党が発行してる(多分)雑誌。
元ネタでは、『Zo Haderech』となってたので修正した。

訳注11:英語で "This Is the Way" という意味を持つ週刊誌。
詳しいことは不明・・・。
---- 訳文以上 ----

なんだろうな。
イスラエルの場合、パレスチナ側を「敵」と見なす政策をとってるからな~。
その意味だと、教育のレベルで相互理解云々といっても限界も出てくるだろうし・・・。

また、Darwish 氏の詩作理解に関しては、イスラエル左派の弱みってのがこっそり出てるんだよな。
要は、シオニズムに基づいて Darwish 氏の詩作を解読することで、Darwish 氏の詩作が持ってる意味が伝わらなかったとか。
ま、シオニズム自体が色々問題含みの考えなんだけどね。
その辺については、ネタにする気力も無いのでパス・・・。

それはともかく。
俺は最初これを『~Darwish 氏の追悼記事』と書いてたけど、この表現で本当に良かったのか?
でも、イスラエル国内における Darwish 氏への理解状況を伝える、という意味ではこれも追悼記事の1つなのかも。


ってか、後で俺も Darwish 氏の詩を読まないといかんな(馬鹿)。


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