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武田 邦彦氏に水と砂糖玉(ホメオパシー用)を送りたい(危険)

2010-08-30 20:06:28 | おかしな人たち
まだまだ暑い日々が続く今日この頃。
連日の暑さで疲れ切った体と頭を、一気に極寒世界へと転送してくれるぶっ飛び論説を武田 邦彦氏が届けてくれた。
・歴史と認識 その五 歴史認識は必ず間違っている?(2010年8月30日 takedanet.com)

一応武田氏は、以前にも歴史と認識についてご高説を披露していた。
・歴史と認識 其の1(2010年5月?日 tekedanet.com)
・歴史と認識 其の2(2010年5月20日 takedanet.com)
・歴史と認識 其の三 歴史の時間は「過ぎる」のではない(2010年6月?日 takedanet.com)
・歴史と認識 其の四 己から離れて歴史を見る(2010年6月27日? takedanet.com)

そのいずれも、ゲーデルの神の存在を証明する方程式並に理解不能だが・・・。
今回ネタにする論説でも、凡人には理解不能な論をぶちかましていた。

件の論説で、武田氏は経済学者の唱えた予測とかが豪快に外れることを指摘していた。
その上で、何やら危険なにほひのする発言をしていた。
以下、2010年8月30日分 takedanet.com『歴史と認識 その五~』から、2段落目~5段落目を(略

---- 以下引用 ----
(中略)
たとえば、景気予測やバブル崩壊、金融崩壊のような大きなことは、数年前に経済学者が解析していた事実と結果予測と大きく違うことが多い。
経済学を批判するつもりはないが、もしも工学でこのようなことが起これば航空機が墜落するなどの大惨事が頻繁に起こるだろう。
それを防いでいるのは、大脳皮質の判断が間違うことが多いので、その補正を実験で出来るからである。

そして、我々の社会、つまり「工学」で予想が180度、はずれたりしたら恥ずかしくて世間様に顔向けできないし、仲間内の信用も失墜してしまうのだが、それも文化が違うようで、割合、間違いを言っていた人がテレビに出ていたりすると鼻白んでしまう.

 この関係、つまり不完全な脳活動を信頼して結論まで行くという方法は、人文科学でも同じで、心理学のように若干の実験を伴うものもあるが、哲学や歴史のように実験が不可能であるものについても、大脳皮質の論理処理の間違いをチェックしない。
実に奇妙である.

本来、この論で示してきたように人間の大脳皮質の論理は破綻しているので、何らかの方法でチェックが必要ではないかと思う。
しかし、その学問分野は長い歴史と権威から成り立っていて、他の分野からの批判については極端に敏感であり、なかなか議論にはなりにくいのが現状である。
まして、工学などの分野から歴史を批判しても、まったく問題にもされない。
歴史の仲間はそんなことではまったく打撃を受けないからである.
(以下略)
---- 引用以上 ----

確かに、自称経済学者の池田 信夫氏などが述べる予測とかは外れることが多いが・・・。
経済学者の言うことなんて、結局「信じるも信じないもあなた次第です」レベルのブツだしな~。

しかし、そこで大脳皮質云々を持ち出すってのはどういうことだ?
確かに、『歴史と認識~』シリーズでは脳に関する話も出てきてるが・・・。
まさか、武田氏は自分が学者であると誇張したいがために(専門外である)脳のことを持ち出したんじゃあるめ~な?
そんなん、普通に「人間の判断は間違うことが多いから云々」って書いておけばいいのにさ。

だが、武田氏の論で一番問題なのは、(おそらく)自身の歴史学とかへの批判が受け入れられてないことへの不満を非常にわかりづらい形で表明してる点。
そうなった原因ってのは、武田氏の歴史学とかへの批判が、(分野こそ違えど)学者が行ってるブツとしては検証に値するレベルに達していないだけじゃないかと。
それをさも知識があるように見せかけて、歴史学などの学者に責任を転嫁するってのはどう考えても姑息なのでは?
それとも、まともに歴史学などの学者たちと(武田氏の土俵の上ですら)議論すらできないのか?


だが、武田氏のトンデモ論はここで終わりじゃなかった。

この後、武田氏は大脳の情報処理に関する未解明問題に話を進めた。
そこでは、集団性を持つ生物と細胞レベルでの情報共有を(多分意識しないで)混同して論を展開していた。
その上で、歴史認識について歴史学の学者達を廃業に追い込む勢いの発言をかましていた。
以下、2010年8月30日分 takedanet.com『歴史と認識 その五~』から、最後のオチ三段落を(略

---- 以下引用 ----
(中略)
つまり集団性の動物は、集団の紐帯が強いほど他の生物に対する競争力が高くなる。
従って、何らかの方法で集団の認識を統一しようとするDNAがあっても不思議ではない。
というよりむしろ、身体の特徴から言えば、人間が集団の認識を統一するシステムをもっていないと考える方が困難である。

 この共有操作は、集団の中の自分を守るための操作であるから、それはその個体の刻み込まれた歴史認識に基づいている(この場合の歴史とは人間が認識していないものを含むので、歴史という定義を「人間が大脳皮質で認識している過去の事実の集積」とすれば、歴史というより経験と言うべきかも知れない。)

 この章を終わるに当たって、「大脳皮質を使った人間の脳の論理的判断は基本的な欠陥を含んでいて、それを検討せずに歴史を認識すると、その認識の中に複数個の誤認があることは、論理的に間違いない」という結論に達する.
つまり、歴史認識は必ず間違っているのである.
---- 引用以上 ----






・・・・・・・・・・・・。






一体何のために大脳皮質やら DNA の性質やらを持ち出したのかさっぱりわからない結論だ。
ここまでデタラメな論を偽装するためにそれらを持ち出されたとしたら、脳や遺伝子について研究してる人達は武田氏を訴えてもいいレベルだし(謎)
つーか、さっきも書いたけど、歴史認識について批判するなら、大脳の認識云々を持ち出さなくてもできるだろうに。
「時代背景によって歴史認識は変わる」とか、「(発掘とかの)技術進展で新発見があるので云々」とか・・・。
一体何考えてるんだ?

武田氏の論を読んでると、武田氏にホメオパシー用の水と砂糖玉を贈呈したくなってきたぞ(謎)
すでに使ってるかもしれないけど・・・。


それにしても。
この武田氏の論について池田 信夫氏はどのように感じるのだろうか?


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