先日、大村崑さんがラジオの番組に出ていました。
“大村崑”コンちゃん、は私にとってはかけがえのない、私の子供の時の思い出の人です。
もう50年前になります。
当時、私は小学校3年生でした。
テレビ番組に「ちびっこのど自慢」という子供ののど自慢番組がありました。
(東京のフジテレビ)
この番組は当時としは子供の為ののど自慢番組のハシリで、子どもたちにとっては憧れの番組でした。
この番組には、天童よしみや野口五郎、山田隆夫などなど、後に芸能界で活躍するたくさんの人が出場しました。
小学校3年の私はもちろんこの番組に出たくて出たくて仕方ありませんでした。
何度も予選会参加への手紙を出して、やっと予選会に出ることが出来ました。
予選会場は(当時の)東京市ヶ谷のフジテレビでした。
母と一緒に行きました。
予選会場にはそれこそたくさんの子供達が集まっていました。
出場希望者2000名が集まったそうです。
一次予選で私は残り、最終予選でも私は選ばれました。
テレビに出ることになりました!
2000名の中の10名に入ることが出来たのです。
出演(収録)当日は父と会場に行きました。
会場は東京の北区公会堂でした。
本番前に司会の“コンちゃん”大村崑さんとの打ち合わせの時間がありました。
コンちゃんに「○田アキラちゃーん」と呼ばれたのが、今でも耳の奥に残っています。
本番でステージに出たときのドキドキ感、臨場感は今でも言い表すことは出来ないくらいの緊張でした。
因みに、その時私が歌った歌は
「手のひらを太陽に」です。
作詞はやなせたかしさん です。
私の孫が「アンパンマン」が大好きでいてくれて、チョット嬉しいです。
こんなことで孫との繋がりを感じるのは
“ジジ馬鹿”でしょうか?


“大村崑”コンちゃん、は私にとってはかけがえのない、私の子供の時の思い出の人です。
もう50年前になります。
当時、私は小学校3年生でした。
テレビ番組に「ちびっこのど自慢」という子供ののど自慢番組がありました。
(東京のフジテレビ)
この番組は当時としは子供の為ののど自慢番組のハシリで、子どもたちにとっては憧れの番組でした。
この番組には、天童よしみや野口五郎、山田隆夫などなど、後に芸能界で活躍するたくさんの人が出場しました。
小学校3年の私はもちろんこの番組に出たくて出たくて仕方ありませんでした。
何度も予選会参加への手紙を出して、やっと予選会に出ることが出来ました。
予選会場は(当時の)東京市ヶ谷のフジテレビでした。
母と一緒に行きました。
予選会場にはそれこそたくさんの子供達が集まっていました。
出場希望者2000名が集まったそうです。
一次予選で私は残り、最終予選でも私は選ばれました。
テレビに出ることになりました!
2000名の中の10名に入ることが出来たのです。
出演(収録)当日は父と会場に行きました。
会場は東京の北区公会堂でした。
本番前に司会の“コンちゃん”大村崑さんとの打ち合わせの時間がありました。
コンちゃんに「○田アキラちゃーん」と呼ばれたのが、今でも耳の奥に残っています。
本番でステージに出たときのドキドキ感、臨場感は今でも言い表すことは出来ないくらいの緊張でした。
因みに、その時私が歌った歌は
「手のひらを太陽に」です。
作詞はやなせたかしさん です。
私の孫が「アンパンマン」が大好きでいてくれて、チョット嬉しいです。
こんなことで孫との繋がりを感じるのは
“ジジ馬鹿”でしょうか?

