
倉敷を出発したのが7:30ころ。
いまだ道程は半分。
一番最初の目的地、秋芳洞まではまだ300kmほど走らなければならない。
*TOPの画像は走りながら奥さんがとった宮島
途中、宮島SA・美東SAで休憩をして秋芳洞に到着したのは 11:00ちょうど。
予定通りの運行である。
秋芳洞第1駐車場へ入場して料金を払いに行ったら・・・・
料金所のおばさまに熱烈歓迎を受けてしまった。
まず、第一声が
「滋賀県からこられた!!。遠いところを・・・」
どうやら入場したときナンバープレートをご覧になったようだ。
この「滋賀県・・」がおばさまのスイッチだったようだ。
というのもこのおばさま、ボランティアでガイドもされていらっしゃるらしく
秋芳洞への思い入れは半端ないのがお話しぶりから感じられる。
「秋芳洞の観光化をされたのが滋賀のかたで・・・・・・」からはじまり滔々と
秋芳洞のことをお話しくださった。
知らなかったのでWEBで調べてみた。
以下WEBから引用
かつては雨乞いのときにしか近づく人がいなかった「滝穴」、現在の「秋芳洞(あきよしどう)」が
広く知られるようになったのは、滋賀県出身の鉱山師、梅原文次郎(うめはら ぶんじろう)の功績が多大。
梅原は1904(明治37)年、美東(みとう)町の大田鉱山を経営するため山口県いり。
「滝穴」の話を聞いて好奇心に駆られ、足を踏み入れた彼はその神秘の世界にとりつかれ、
観光化を思い立つ。
英国王立地学協会会員であり山口高等商業学校(現在の山口大学)の英語教師だったエドワード・ガントレットや、
広島高等師範学校(現在の広島大学)の地理学の中目覚(なかのめ さとる)教授に学術調査を依頼、
「滝穴」が世界に誇る鍾乳洞であると確信する。
洞内に桟橋や渡し舟などを設けて訪れやすくし、1909(明治42)年には洞内の景観を宣伝するため大金を投じ、
「滝穴開窟式(かいくつしき)」を挙行します。
「滝穴」は1922(大正11)年、「我が国鍾乳洞中最大で、特に学術上の価値が高い」
と国の天然記念物に指定された。
とのこと。
豪快な滋賀県人が秋芳洞の観光化に一躍かっていたため、たまたま私たちが滋賀県人というだけで
料金所おばさまに熱烈歓迎されてしまった。
後ろに料金を支払いに来られた方が待たれているのにお構いなく滔々とお話しくださる。
私たちは、後ろに並ばれた方に申し訳ない思いでいっぱいである。
秋芳洞のお話を教えてもらい、見どころを教えてもらい、見方を教えてもらい、
トイレの最終場所を教えてもらい、撮影ポイントを教えてもらい、お土産について教えてもらい
もうありとあらゆる秋芳洞観光のすべてを教えてもらい、秋芳洞へと向かった。
長くなったのでつづく・・・

いまだ道程は半分。
一番最初の目的地、秋芳洞まではまだ300kmほど走らなければならない。
*TOPの画像は走りながら奥さんがとった宮島
途中、宮島SA・美東SAで休憩をして秋芳洞に到着したのは 11:00ちょうど。
予定通りの運行である。
秋芳洞第1駐車場へ入場して料金を払いに行ったら・・・・
料金所のおばさまに熱烈歓迎を受けてしまった。
まず、第一声が
「滋賀県からこられた!!。遠いところを・・・」
どうやら入場したときナンバープレートをご覧になったようだ。
この「滋賀県・・」がおばさまのスイッチだったようだ。
というのもこのおばさま、ボランティアでガイドもされていらっしゃるらしく
秋芳洞への思い入れは半端ないのがお話しぶりから感じられる。
「秋芳洞の観光化をされたのが滋賀のかたで・・・・・・」からはじまり滔々と
秋芳洞のことをお話しくださった。
知らなかったのでWEBで調べてみた。
以下WEBから引用
かつては雨乞いのときにしか近づく人がいなかった「滝穴」、現在の「秋芳洞(あきよしどう)」が
広く知られるようになったのは、滋賀県出身の鉱山師、梅原文次郎(うめはら ぶんじろう)の功績が多大。
梅原は1904(明治37)年、美東(みとう)町の大田鉱山を経営するため山口県いり。
「滝穴」の話を聞いて好奇心に駆られ、足を踏み入れた彼はその神秘の世界にとりつかれ、
観光化を思い立つ。
英国王立地学協会会員であり山口高等商業学校(現在の山口大学)の英語教師だったエドワード・ガントレットや、
広島高等師範学校(現在の広島大学)の地理学の中目覚(なかのめ さとる)教授に学術調査を依頼、
「滝穴」が世界に誇る鍾乳洞であると確信する。
洞内に桟橋や渡し舟などを設けて訪れやすくし、1909(明治42)年には洞内の景観を宣伝するため大金を投じ、
「滝穴開窟式(かいくつしき)」を挙行します。
「滝穴」は1922(大正11)年、「我が国鍾乳洞中最大で、特に学術上の価値が高い」
と国の天然記念物に指定された。
とのこと。
豪快な滋賀県人が秋芳洞の観光化に一躍かっていたため、たまたま私たちが滋賀県人というだけで
料金所おばさまに熱烈歓迎されてしまった。
後ろに料金を支払いに来られた方が待たれているのにお構いなく滔々とお話しくださる。
私たちは、後ろに並ばれた方に申し訳ない思いでいっぱいである。
秋芳洞のお話を教えてもらい、見どころを教えてもらい、見方を教えてもらい、
トイレの最終場所を教えてもらい、撮影ポイントを教えてもらい、お土産について教えてもらい
もうありとあらゆる秋芳洞観光のすべてを教えてもらい、秋芳洞へと向かった。
長くなったのでつづく・・・

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