Yasun's Such A Feeling

やあさんのこんなかんじ。

山口へと ~でんきランダに乗って-3~

2015-07-31 22:39:08 | でんきランダに乗って
駐車場のおばさまの熱烈歓迎をうけた後、
後ろに並ばれた方に大変申し訳ない思いをしながら
おばさまに説明いただいた地図を見ながら秋芳洞の入り口へと歩き始める。


握りしめていたのでくしゃくしゃになってしまった地図。
赤鉛筆・青鉛筆はおばさまが熱烈筆記してくださったもの。
今見返すと教えていただいたコースと違うコースを私たちは見て回っていることに気がついた。

秋芳洞正面入り口までは道路がカラーになっていて、道の両側にお店が並ぶ。
そのまま道を進んでいくと秋芳洞正面入口に到着。

大人1人 1200円を払い秋芳洞正面ゲートをくぐる。
ゲートをくぐると秋芳洞の入口まで少し川沿いを歩く。
勢いよく川が流れている。

この日は台風12号が近づいていて南からの暖かい湿った空気が入り込んでいたためか
とてもむし暑かったが、川の流れで急に気温が下がったためか少しガスっているような感じ。
まだ洞内に入っていないのに、気温がぐっと下がる。
涼しい。

洞内に入るとなお気温が下がる。
洞内の気温は四季を通じて17℃で一定しているらしく、外気温が30度を超えていたので
洞内に入ったときは寒いくらいである。
洞内はさすがに日本屈指の大鍾乳洞。思った以上に空間が広い。蝙蝠がとびかっている。



洞内を進み、青天井の探検コースがあった。
とても魅力的なネーミングに達成意欲をそそられるが、もう年も年なのでスルーする。
子供たち(といってももう二人とももう立派?な大人なのだが・・)と一緒に来ていたら
きっとコースに挑戦していただろう。

夫婦二人で先へ進むと駐車場のおばさまの押しである「百枚皿」にたどり着く。



なかなかの景観である。
周りの皆さんも
「これこれ。よく写真で見るやつ。」
と口々に話していらっしゃる。

そのあとは

広庭⇒洞内富士⇒南瓜岩⇒大マッタケ⇒すぼ柿⇒縮緬岩⇒千町田⇒
傘づくし⇒大黒柱⇒空滝⇒幽霊滝⇒千畳敷⇒岩屋観音⇒黄金柱

と、次々に名前の付いた鍾乳石に出会っていく。
洞内には自動音声ガイドが流れていて、言語も何か国語かがあったみたいだが、
「ゆっくり聞いていると2時間くらいかかるよ~」と駐車場のおばさまがおっしゃっていたので
もっぱら見るのみ。

傘づくし


大黒柱


黄金柱はさすがに人気。これだけになるには幾年月かかったのだろう。
まさに自然と時間が織りなす絶景である。



黄金柱をあとにして、黒谷入口方向へと進む。

大仏岩⇒岩窟王⇒くらげの滝登り⇒龍の抜穴⇒五月雨御殿⇒マリア観音

くらげの滝登り


と続き、黒谷入口の手前に駐車場のおばさまの押しの「3億年のタイムトンネル」
へとたどり着く。
駐車場のおばさまの押しということで「3億年のタイムトンネル」も最後までみてまわったあと
このあとどうしようか?と考える。

このまま黒谷入口を出ると、
歩いて駐車場へ帰るか、バスに乗るか、タクシーに乗るか、の選択肢。
このまま引き返すことも可能。

ここで時間は12:00くらい。
駐車場についたのが11:00ちょうどだったから、その後のあれこれを差し引いても
秋吉洞に入ってからここまで小一時間はかかっている。

ふたりで首脳会談の結果、
「暑い外はさけたい」というしょうもない理由で、蝙蝠のとびかう洞内を引き返すことにした。

来るときに小一時間かかった道程も、帰りは基本みどころスルーだし、
黒谷入口からだと若干の下り(高低差40メートルですと・・)、
観光コース約1キロメートルの道程は、帰り15分ほどで秋芳洞正面入口に戻ってきた。



そのまま駐車場まで歩き、駐車場のおばさまの満面の笑顔にご挨拶して、でんきランダは次の目的地へと・・。

山口へと ~でんきランダに乗って-2~

2015-07-28 21:49:00 | でんきランダに乗って
倉敷を出発したのが7:30ころ。
いまだ道程は半分。
一番最初の目的地、秋芳洞まではまだ300kmほど走らなければならない。
*TOPの画像は走りながら奥さんがとった宮島

途中、宮島SA・美東SAで休憩をして秋芳洞に到着したのは 11:00ちょうど。
予定通りの運行である。
秋芳洞第1駐車場へ入場して料金を払いに行ったら・・・・

料金所のおばさまに熱烈歓迎を受けてしまった。
まず、第一声が
「滋賀県からこられた!!。遠いところを・・・」
どうやら入場したときナンバープレートをご覧になったようだ。

この「滋賀県・・」がおばさまのスイッチだったようだ。
というのもこのおばさま、ボランティアでガイドもされていらっしゃるらしく
秋芳洞への思い入れは半端ないのがお話しぶりから感じられる。
「秋芳洞の観光化をされたのが滋賀のかたで・・・・・・」からはじまり滔々と
秋芳洞のことをお話しくださった。

知らなかったのでWEBで調べてみた。
以下WEBから引用

かつては雨乞いのときにしか近づく人がいなかった「滝穴」、現在の「秋芳洞(あきよしどう)」が
広く知られるようになったのは、滋賀県出身の鉱山師、梅原文次郎(うめはら ぶんじろう)の功績が多大。
梅原は1904(明治37)年、美東(みとう)町の大田鉱山を経営するため山口県いり。
「滝穴」の話を聞いて好奇心に駆られ、足を踏み入れた彼はその神秘の世界にとりつかれ、
観光化を思い立つ。
英国王立地学協会会員であり山口高等商業学校(現在の山口大学)の英語教師だったエドワード・ガントレットや、
広島高等師範学校(現在の広島大学)の地理学の中目覚(なかのめ さとる)教授に学術調査を依頼、
「滝穴」が世界に誇る鍾乳洞であると確信する。
洞内に桟橋や渡し舟などを設けて訪れやすくし、1909(明治42)年には洞内の景観を宣伝するため大金を投じ、
「滝穴開窟式(かいくつしき)」を挙行します。
「滝穴」は1922(大正11)年、「我が国鍾乳洞中最大で、特に学術上の価値が高い」
と国の天然記念物に指定された。

とのこと。
豪快な滋賀県人が秋芳洞の観光化に一躍かっていたため、たまたま私たちが滋賀県人というだけで
料金所おばさまに熱烈歓迎されてしまった。

後ろに料金を支払いに来られた方が待たれているのにお構いなく滔々とお話しくださる。
私たちは、後ろに並ばれた方に申し訳ない思いでいっぱいである。

秋芳洞のお話を教えてもらい、見どころを教えてもらい、見方を教えてもらい、
トイレの最終場所を教えてもらい、撮影ポイントを教えてもらい、お土産について教えてもらい
もうありとあらゆる秋芳洞観光のすべてを教えてもらい、秋芳洞へと向かった。

長くなったのでつづく・・・



山口へと ~でんきランダに乗って~

2015-07-27 21:13:38 | でんきランダに乗って
奥様は1年に2回ある5連休の休暇。その休暇を利用して山口まで観光。
車を乗り換えたので、その名も
「でんきランダに乗って。」しー太郎と息子はお留守番。

今回の旅行は宿泊先が一番に決まり、そこから観光を組み立てたという具合。
というのも山口には前々から一度宿泊したいと思っていた宿があり
「この機会にぜひ泊まろう」ということで計画。
お宿の名前は
「小天狗 さんろじ」さん
山口県下関市豊浦町川棚というところにあり、自宅からの距離は650kmほど。
高速利用でまっすぐ目指しても7時間~8時間かかる。
今回の旅のネックはこの距離。

ということで、1日目はいったん中間地点で泊まろうということで
倉敷美観地区の近くでホテルをとり、2日かけて観光しがてら
「小天狗 さんろじ」さんへ行く計画をたてた。

家を13:30くらいに出発
途中で昼食をとり、17:30くらいには倉敷にたどり着いた。
倉敷で泊まったホテルは
「ドーミーイン倉敷」さん
倉敷美観地区のすぐ近く。



チェックイン後、18:00頃から美観地区を散歩。
美観地区のお店はほとんどがもう営業をされていなかったが、
その分風情のある街並みを満喫できた。



ぶらぶら散策し19:00過ぎに夕食をとる。
旅の初日の夕食は、
たかきびめんと郷土料理のお店「冨來屋本舗」さん。
予約もせず飛び込み。でもすぐに席を用意していただけた。

せっかく倉敷に来たのだからと
・たかきびめん
・千屋牛
・ままかり
・黄ニラ
なんかがすべてぎゅーと詰まったセットを注文する。
あまりなじみのない食べ物ばかりだが、岡山の郷土料理を味わうことができた。
あとで食べたものをWEBで調べて
「そーやったんや。」と妙な納得。
本当は調べてから食べるもんですね。

ままかりは
「飯が進み、家で炊いた分を食べ切ってしまってもまだ足らず、隣の家から
 飯を借りてこなければならないほど旨い」に由来する。
なんて聞いたことはあったが、きれいな銀白色の魚、ままかりは初めて食べた。
標準和名は、サッパという魚でニシンの仲間。
そういえばそんな感じの味覚でした。

黄ニラは岡山県が主産地でニラ特有の臭みがなく柔らかく甘みがあるとのこと。
知らなかった。初めて見て、初めて食べたのかもしれない???。

たかきびめんもこんにゃくのような外見ではあるがそばの味覚。

体育会系のお約束、
「出されたものはすべておいしくいただく。」
を、二人とも見事に実践いたしました。
とってもおいしゅうございました。

夕食の後はホテルに帰って翌日に備え早めに就寝。
あまり観光はできなかったが、いい街。
今度は、いろんなお店の開いているときにしっかり観光したい街となった。
「もう一度ここに戻ってきましょう。」
夫婦で意見が一致した。

岡山にはまたゆっくり来ます。その時にまた・・・・・。


三番目の星 にくきゅうがむける!!

2015-07-06 20:57:00 | 黒柴日記
しー太郎を迎えて約3か月半。
家に来たときはすでに生まれて3ヵ月半たっていたので
家に迎えた翌日から、外へ散歩に連れて行く。
最初はいやがりました。すぐ家に帰りたがったものです。

いやがる しー太郎 を引っ張りながら無理やり散歩につれだす。
その頃の散歩時間は、朝約40分位、距離にして3~4キロメートルくらい。
夕方は息子の番なのでどれくらい散歩してるのかはわかりませんでしたが
時間にして15分くらいは行っていたようです。
もう、散歩の後半は早く家に帰りたくて引っ張る引っ張る。
「小さいからだでこんなにも引っ張るものか?」と思ったものでした。

家に来て初めての土曜日。
自分が休みだから「ちょっと長めの散歩を・・・」
と思い、8キロくらいの道程を歩いてみた。
その日は普通に家に帰ったのだが、翌、日曜日。
今日も休みだから「ちょっと長めに・・・」と思って土曜日と同じコースを
歩いてみたら、後半、やけに しー太郎 が前足をなめる。

歩くのを嫌がるわけではないが、なぜか前足をなめる。
鈍感な私は
「何をしてるんだろう。」
位にしか思っていなかったが、家に帰りつく少し前。
あまりにも頻繁に自分の前足をなめるのでちょっと見てみたら
なんと前足の肉球がむけてしまっていた。

「こりゃーいたいわな~。」と思ったけれど逆に
「肉球ってむけるんや~。」と新たな発見!!

家に帰って、新たな発見がうれしくてうれしくて、目を輝かせて
「肉球ってむけるんや~。」と奥様にそれを伝えたら叱られました。
「子犬を歩かせすぎ!!肉球むけるまで歩かせたらあかん!!やりすぎ!!」 ですと。
「柴犬だから、筋肉隆々にしたいやん!!かっこええ犬になるやん」 とのんきな僕。
でも、さすがにいたそうでかわいそうでした。
でも、特に何の治療もせず、次の日からまた3~4キロの道程を散歩。
しばらく前足をなめていたけれど、知らないうちに肉球はなおっていました。

今、ちょうど7か月。
私の朝の散歩は、距離にして6~7キロを、歩いたり一緒にかけっこしたりで、
1時間とちょっとくらい。
夕方の散歩は息子の当番なのでわからないが、
私が家に帰って散歩したそうにしている時は、
夕方の散歩が終わっていてもまた散歩に連れて行く。
だからか私は1日に2万歩以上歩く日が少なくない。
朝早くからとても体はしんどいけれど、これも親(?)の役目。
お互いが楽しみにしている日課なのです。

で、筋肉隆々か?というと・・・・
TOPの画像の通り。そうでもないみたい。
体重は10.5kgで7か月にしてはちょっとおおいかなー。
見た目はそんなには見えないけれど・・・・。
個体差があるんでしょうねー。

はよおーきーなれよ。