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Yasun's Such A Feeling

やあさんのこんなかんじ。

19時には誰も通らないから・・・・・。

2006-08-21 22:58:58 | 黒壁
どうやら今日の夕食は「ゴーヤーちゃんぷるー」になりそうです。
というのもご近所からたくさんいろいろ夏野菜をいただき、その中にゴーヤーがあたからで・・・・。

わが奥様も「これはゴーヤーちゃんぷるーやな!!。」と張り切っておりましたが“島ドーフ”は近くでは手に入らないし、スパムも手に入りませんでしたから代用品となり、どうやら“なんちゃってゴーヤーちゃんぷるー”になりそうです。
さて、お味はいかがでしょうか?

おいしいゴーヤーちゃんぷるーを食べたければやはり沖縄に行けばいいのでしょうが、長浜の沖縄料理のお店は、以前書いたように沖縄の方をご案内しても「おいしいですね。」といってもらえるほどおいしいのです。



そのお店が長浜の商店街のど真ん中にお店を出してほしいとお願いされていました。

お店を出される前、ふーちゃんぷるーを食べた帰りに・・、
「商店街にお店をだされるんですね?。」と聞いたとき、
「あの通りは19時になったら誰も通らないでしょう。やめようかと思っているんです。」
と答えられました。

もちろん、今は長浜の沖縄の物産のお店の2階にお店を出され、定期的に沖縄民謡のライブをされたり、このお店を目指して足を運ばれる人たちもたくさんいて、僕は出店されてよかったなぁと思っていますが、その話を聞いたときは“なるほどなぁ”と思ったものです。

18時、19時になると人通りが極端に少なくなり、お店は早くに閉まり・・・・。
それでも“がんばる商店街”の77分の1に選ばれ、年間200万人の方が訪問してくださる“街”。

子供の頃、にぎわっていた頃の商店街の記憶があり、今はいろんなお店と変っていった民家で“やんちゃ”をしていたり、今は黒壁となったカトリック教会の中をこっそり覗いていたりした頃の“街”とは違う“街”となったのでしょうか?。

「いやぁ、長浜といえば立派な観光地ですよ!!。」と県外からこられたお客様から言われたりすると、
「でも、何かが違う・・・・。」鈴木ヒロミツさんの歌を口ずさんでしまいそうになる僕が今ここにいる。

長浜の商店街は、この“道”でよかったのでしょうか?。

「それじゃぁどうすればよかったんや?。批判なら誰でも出来る。今まで誰もやらなかったじゃないか!!。」
現実にそうお叱りを受けたこともある僕は、その通りだと思うが・・・・。

何日か前のこのLOGのタイトルどおり、
「感じ方は人それぞれ・・・・黒壁のある街角。」
の気分なのです。


この記事を書き上げる途中で夕食となりました。
“なんちゃってゴーヤーちゃんぷるー”はおいしゅうございました。
なじみのある食材を使ったのもよかったのでしょう。
たまには“なんちゃって”もいいもんです。










沖縄の人に沖縄料理でおもてなし??

2006-07-04 22:41:52 | 黒壁
沖縄料理の居酒屋さんのお話の続きです。

沖縄料理を出す居酒屋さんなのに、沖縄からのお客様をお迎えしたときも、なぜかこのお店にご案内することがしばしばあります。
普通はそんな事は考えませんよね!。
逆を考えれば、僕たちが沖縄へ行ったとき、沖縄の居酒屋さんで「“日本酒”に“鮒寿司”を食べろ・・・。」といわれているようなものですから。

たぶんそんなことになったら、きっと
“???なんで???”と思うでしょう。
そんな事わかっていながらあえて連れて行く私たちって・・・・、“強引だなぁ”と思いながらご案内します。

ところが、お迎えしたお客様も、お店の人も結構喜んでくれるのです。
お客様も、ここの料理はとてもおいしいと喜んでくださいます。
これは、本当にお世辞じゃなく沖縄から来た人が本当においしいと喜んでくれるのです!!。

お店の人も、沖縄のお客様とすぐにとても仲良くなられて、親しそうにお話されています。
僕もきっと、沖縄で滋賀県人に会うととってもうれしいうだろうなぁと思うと、それと同じ感覚なのでしょうか?。


ちょっと前に長浜の商店街の大手通りに沖縄の物産を売るお店が出来ました。
ここも僕はよく行きます。
かめせん、シクヮーサー、ゴーヤー茶やブルーシーズアイスクリームを買いに行き、地元にいながらちょっとだけ沖縄を感じていました。

少し前から泡盛も売られるようになり、新酒の泡盛を何年か預かってくれるサービスもやられているようです。
つまり、今から“古酒”の予約みたいなものですね。

沖縄ではよく鍾乳洞で古酒にするための“古酒蔵”を見ることが出来ますが、(沖縄旅行記の中で書いている金武観音や、玉泉洞が有名ですね。)ここでは昔の商家の蔵を使っている・・・。
と聞いたようなそんなような・・・。

確かな話ではなくて申し訳ありませんが、どこで預かってくれるのか?、カメで預かってくれるのか?、「仕次ぎ」とかもされているんでしょうか?。
今度、ちゃんと聞いてこようと思います。



またまた、本当に書きたいことは次の機会となりました・・・・。

画像は“古宇利大橋”です。
今の季節、泳いでいる人もいるんでしょうね・・・・。





商店街のネタのような・・・ ”めんそ~れ” 編???

2006-07-03 20:54:05 | 黒壁
ここで、早く閉まってしまう商店街のエピソードをご紹介します。


長浜の豊国神社の近くに沖縄料理の居酒屋さんがあります。
僕もわが奥様も大ファンで結構行きます。

行きかけたきっかけというのも僕が仕事で沖縄に行くようになってからで、沖縄で食べた料理が地元でも味わえるので・・・・、ということで行くようになりました。

お店に入ると元気のよく“めんそ~れ~”と挨拶してもらえます。
ちょっとだけ豆知識ですが、方言のシリーズで調べていた「うちなーぐち」、“めんそ~れ”の語源は、大和言葉の“参り召しおわれ”だといわれます。

たまにですが、“めんそ~れ”と挨拶されて“めんそ~れ”とお返しの挨拶をしている人がいます。
“そんなやつおらんやろ~”と“ちっちきちー”で有名な方に突っ込まれそうですが、僕は本当に何度か聞いたことがあるんです。

これは、ハワイの“アロハ”と勘違いされているのか?。
とも思いますが、もともと“めんそ~れ”は今では“いらっしゃいませ”の意味で使われていますから、このような間違いをすると、“いらっしゃいませ”と歓迎されているのに“いらっしゃいませ”と答えている。という事になってしまいます。

“ちゃーびらさい”と言うのがいいらしく、これも大和言葉の“来侍ら(きはべら)”を語源としているということで、「ごめんください」という意味だと聞きます。
“ハイサイ”を女性は“ハイタイ”と言うのと同じく、“ちゃーびらさい”も女性は“ちゃーびらたい”と言うのだそうです。

ただし、僕の場合は沖縄でも、東京でも、北海道に行っても、海外でも、ごめんくださいとは言わず、

“まいど~”

と言い、帰るときは

“おおきに。すんませんな。”と言っていますが・・・。

旅先の人たちは、「関西芸人みたい」と馬鹿にしたりしますが、
地元の言葉をそのままどこでも使える事こそ、「真の国際人」になれる第一歩だと・・・・・・・・・。

っていったい何を書いているんだろう・・・・・・・・・。
「真の国際人」の事はまたの機会に書きましょう。

という事で、本文は次の機会に・・・・。

商店街はどうなった?。

2006-07-02 23:07:55 | 黒壁
僕が長浜を離れる前までは、確かに19時までお店は開いていた。
商店街が18時で閉まるようになったのは、いつからなんだろう?。

そこに人が住んでいないわけではない。と思う。
確かに“街が”変わり、商店街にはお店だけ。住居は郊外に・・・。
という人がたくさんいるんだと思う。

なぜなら僕が子供の頃は、確かに商店街のど真ん中に住んでいた同級生たちがいた。
ところが、彼(彼女)たちは、今そこに住んでいない。
それは、彼(彼女)たちだけではなく、彼(彼女)のご家族もそこに住んでいないのです。
それでも商店街の近辺に住んでいる人たちはいるはずなのです。

僕が子供の頃は長浜の商店街で、生活するすべての商品が揃った。
衣食住に必要な、一般に“買まわり品”と呼ばれるものは全て商店街で買っていたはずだった。
商店街は、近くに住む人の「生活」のためのご商売をされていたと思う。

ライフスタイルの変革と共に、生活の時間帯が深夜に向けて長くなり、買い物に出られる時間もどんどん遅くなった。
以前は、自前の買い物カゴを持って、食料品店に毎日お昼前か夕方の16時や17時頃に買い物に行っていたお母さんたちは、今は、自分たちの仕事が終わってからの時間にしか買い物にいけない。
当然その時間はどんどん遅くなって来ています。

それでも、長浜の黒壁近辺の商店街は18時で閉まります。
そして、その商店街は、がんばる商店街77選に選ばれているのです。

・・・・つづく

画像は、昭和41年頃の宮前町の商店街です。八幡さんから少し西に行ったところで、中央やや左の電柱の向こうが旧国道8号線。まだ信号がついていません。
たまたま家にあった写真です。


やあさんのこんなかんじです。

2006-06-28 22:26:43 | 黒壁
突然ですがタイトルを変えました。

どうも“やあさん”が、あまりいい印象をもたれないとのご指摘があるため、気に入ったタイトルでしたが変更しました。

でも、直訳すると「やあさんのこんなかんじ」なわけで・・・・。
やぱっり昨日のつづきです。



引きの早い長浜の中心商店街をゆっくりと歩いていました。
ほとんどのお店が閉店されています。

最近はライフスタイルが変わり、コンビニなんか本当は“7時から11時まで営業してます。”だったことから名前が決まったところも、だいぶん前からは24時間営業です。

そういえば、黒壁スクエア近辺にはコンビニがありません。
曳山博物館なんかは僕が物心ついた時分からスーパーだったし、夕方も必ずお店は19時まではお店を明けていたと思う。

18時で閉まる商店街って・・・。
ひょっとして日本でも長浜だけじゃないでしょうか・・・。




話は突然変わりますが、今日のBGMは“ERIC CLAPTON”のDVD “LIVE IN HYDE PARK”
ちょうど今、大好きな「I SHOT THE SHERIFF」を聞きながら書いています。

日本でLIVEがあったときも大阪城ホールに行って、夫婦二人でスタンディングオベーション!!。大感激して家に帰ってきた記憶があります。

今、ワールドツアーの真最中。
日本に来るのはどうやら来年らしい・・・と、うわさに聞きます。

今回はバンドメンバーがだいぶん変わり、また前回と違った音を聞きに行きたいと・・・。
夫婦二人で“また聞きに行こな!!”と言っております。

今日はDVDで我慢して・・・・。

皆さんが帰られたあとの街角・・・。

2006-06-27 22:27:58 | 黒壁
少し街角の画像を並べます。
長浜の商店街そして黒壁スクエア近辺の画像です。



撮影日は6月25日、撮った時刻は18時20分から40分の間です。


北国街道。南から黒壁を撮ってます。


ここは祝町。西から東を向いてます。


大手通。曳山博物館を少し東に行った所、東から西を向いています。


金屋公園から見たながはま御坊表参道。“どんつき”がもちろん“ご坊さん”。


ゆう壱番街商店街。東から西を見ています。

撮影の合間に何人か、10年以上お会いしていない人と出会い、
「毎度!!。」
「おおきに、すんません!!。」と声を掛けあい、そして別れていきました。

気がつかれた方もいらっしゃるでしょう。
そうです。人の姿が、あまり映っていません。
僕には技術がありませんから、わざと人を消したレタッチをしたわけではありません。
(「そんな事言って、以前ここに貼り付けてある画像はわざと電線を消したり、人の姿を消したり、
いろんなレタッチしてあるじゃないか!!。」とお気づきのあなた。あなたは長浜市民の方か、
そうとう黒壁フリークですね?)

昼間、人の多いときにしかいらっしゃったことがない、“観光”でこられた方は
「こんなに人のいない街角になるんだ。」と思われる方も多いと思います。
ほんの1時間~30分位前までは人が、それは昼どきとは比べられないのだけれど
それでも見た目、たくさんの人が往来していらっしゃったのに・・・・。


駐車場もこんなかんじ。
昼間はとても苦労して、駐車場を探した方もいらしただろうに・・・・。

通りもまさにシャッター通りみたいで(もちろん違うけれど)、昼間の賑わいはいったいどこへ・・・。
と思えるほど。
たまたま出会う人は犬の散歩をされている方で、買い物客ではありません。


曳山博物館前です。ここは塾の送り迎えの車がたくさん往来しますが・・・。

確かに、日曜日は人の“引き”が早いのだけれど、それにしても・・・・・。

つづく・・・かな?。


かわった街・かわらない人

2006-06-25 22:22:06 | 黒壁
相変わらず黒壁スクエアーにはたくさんの人々がいらっしゃいます。
駐車場は早くから満車となり、道路は観光をされる方たちでいっぱいになります。
食べ物やさんには早くから並ばれる店があり、通りやお店は人々でいっぱいになります。

ところで、有識者が選んだ商店街の集客成功事例集「がんばる商店街77選」を経済産業省・中小企業庁が約1ヶ月前に取りまとめました。
「“がんばる商店街77選”は、全国の商店街におけるアイデアや成功事例を紹介することにより、他の商店街の活性化に向けた取り組みやにぎわいあふれるまちづくりの参考にし、励みにしていただくという観点から、とりまとめたもの」ということです。

リンクをはりました。
“がんばる商店街 77選”

見ていると、各地のアイデアが結構参考になりますし、面白いもんです。
もちろん、長浜市の黒壁も選ばれています。
                                    
だからというわけではないのですが、6月25日の夕方、黒壁スクエアの通りを歩くこととしました。
実のところを言うと、僕は昭和62年の5月に長浜を離れ、長い間長浜の商店街に行く機会がありませんでした。
たまたまお客様を黒壁スクエアにご案内するときくらいにしか、黒壁スクエアには行きません。それもほんのわずかな時間で、ゆっくり商店街を回ることはここ17・8年無かったのです。

以前のままのお店もあることにはありましたが、その頃とはえらく変わった商店街を歩き、驚き、
“変わっちゃたなぁ”と感じてしまいました。

昼間には会えない、以前からそこでご商売をされている方に、本当に偶然に、久々に会い、
「まいど~!!。」と、10年以上会っていないのに、なにが“まいど~”なのかわからないけれど、以前のように声を掛け合い、
「久々やな~。」とか「今はどうしてるの?。」とかの会話を交わしながら最後はやっぱり以前のように、
「おおきに、すんません。」と別れていく・・・・。

なにが“おおきに。”なのか、“なにに対して”すんません。“なのかはわからないけれど、そこには変わらない挨拶と、年をとられたけれど(これはお互い様ですな)変わらない人がいてくれたのです。

「街の姿は変わったけれど、人は以前のままだ。」と、
久々に会えたこと。以前と変わらない会話が出来たこと。とてもうれしかったのです。

ところが少し歩くうちに、”変わったのは街の姿だけ・・・・。”
と、願っていたけれど今まで少し“心の中”で思っていたことが、だんだん大きくなっていったのです・・・・・・。



感じ方は人それぞれ 黒壁のある街

2006-06-23 22:53:44 | 黒壁
ガラスの文化を徹底的に追求しながら商売していく“黒壁”と、古い町並みを残して、それを活かしながらいい“町の文化”を守る長浜の商店街が残っていたから、“黒壁”は徹底的にガラスの文化を追求し事業化することにし、「売ること」、「作ること」、「見せること」、この三つを核にされました。

そして、ガラス文化の追究をする古い町並みと新旧対比というガラス街道を真剣に作ろうとされました。



街角はみるみるうちに変わっていったのです。
一般に“シャッター通り”と呼ばれて、衰退した中心商店街が変わっていったのです。





そして北国街道がガラス街道となると、周りの商店街にもどんどん人が流れるようになり今、皆さんがご覧になるような街が出来ました。













黒壁の前に立ち、通り過ぎる人たちの声を注意して聞いていると、いろんな声が聞き取れます。
「黒壁はいろんな店があって楽しいから好き。」
「ガラスはきれいだし、万華鏡もきれい。にぎやかな通りだね。」とか、

「こんなもんどこにでもあるじゃないか。」
「この街はここだけでおしまいなの。」

人の感じ方はその人の価値観で皆さん違います。
何度も来ていただける方。通り過ぎるだけの方。いろんな感じ方をされているでしょう。
でも、“黒壁”に今まで書いてきたような“事実”が隠されているのもまた“黒壁”なのです。

長浜は黒壁のおかげでとても有名になり “街つくり”の成功例とされていますが、本当にそうなのかどうなのか僕にはわかりません。
そもそも、“街つくり”とは何なのでしょう。
成功とか失敗という言葉でくくれるものなのでしょうか?・・・・・。


画像をご提供いただいた“Sさま”に大変感謝しております。ありがとうございます。

OPEN後4ヶ月次のテーマは・・・?

2006-06-20 22:45:08 | 黒壁
さて、予想外だったにせよ、お客様も順調に黒壁に来てくださるようになり皆さんが、
「何とかなるかも知れんな。」と思いかけてこられたとき、当時の社長がこういわれたと・・・。

「土日祭日に1号館、2号館、3号館の三つでどっと人が来ると、風情も何もあったものではない。もうちょっとスクェアを広げられんか?」

そこで本当にタイミングというか、そうなるべくしてか“長浜市”は、もうぼろぼろだけれども江戸から明治にかけての古い家が120軒ぐらい、1.5kmぐらい市を縦断する北国街道に残っているというデータを調べ上げていました。
これは長浜市の策定した“博物館都市構想”のおかげだったのでしょう。

10軒に1軒ぐらいしかお店が残っていなくて、あとは空き家かお年寄りだけが住んでいるぼろぼろの北国街道があったのです。

この北国街道をガラス街道にしよう。

と、そう考えられたのです。社長がスクェアを広げようと言った時に、古い建物はリニューアルし、その中に新しいガラスの文化事業を入れて、新しいガラスと古い建物を新旧対比させるガラス街道を考えられました。

その時に、ガラスが最初のコンセプトにぴったりだったとわかったと聞きました。歴史も深いし、文化・芸術性も高いし、国際性も豊かである。お金の力でできないこの三つのコンセプトを、街の中で黒壁や北国街道、そしてそれ以外にもどんどん広げていこう。と考えられました。

黒壁はOPENしてすぐに次のテーマに向かっていったのです。
北国街道に古い民家が残っていて、それに新しいガラスの文化を新旧対比をさせる。
北国街道は、ガラスの土産を並べたガラス街道ではなしに、売ること、作ること、見せることを、みんなで勉強しながら、グレードを高めながら、ガラス街道にしていこう。
これが次のテーマとなりました。


平成元年 黒壁OPEN さて、お客様は?

2006-06-18 23:25:28 | 黒壁
そんなこんなで、まったく長浜には縁が無かった“ガラス”が事業化されることとなり、明治の建物の保存のためのランニングコストの心配も無くなった・・・・、
わけではなかったのです。

黒壁ガラス館が開館する(“ガラス”が事業化される)までには、それなりの計画が必要になります。

なんせ日曜日に4人と1匹しか通らない街角ですし、1ヵ月の買い物客数が4,000人しか来ない商店街のど真ん中。
中心商店街に何とか人を呼び戻すために事業をするのはいいけれど、どれくいの売り上げがあればやっていけるのか?。
おそらく事業に必要な売り上げは約800万円と予想されました。
4,000人の人数で割ると、客単価は2,000円になります。

本当に1人当たり2,000円売れるだろうか?

不安と期待いっぱいで、平成元年7月1日に、黒壁ガラス館、スタジオ黒壁(オリジナルの吹きガラスを制作・販売している工房ショップ。)、フランス料理のビストロミュルノワール(現イタリア料理オステリア・ヴェリータ)がOPENしました。

ところが、黒壁の皆さんにはうれしいことに、7、8、9月は月に2万人ぐらいの人が来られました。
3ヵ月ぐらいはオープン景気で何とかなるだろう、けれど10月、11月に入ったらまた元の寂しい4千人の街に戻るということを覚悟していましたが、秋のは観光シーズンを迎え逆に訪問客が増え、黒壁の方たちも「これは何とかなるかもしれない。」と思われたと聞きます。

その頃のことで思い出すエピソードはとても個人的なことなのですが、当時の黒壁の館長(専務)と話したこと。

人が来てくれるかどうか不安だったのが、予想外に事業が好調だったからか、
「やあさん(もちろん、この方は僕のことを“やあさん”とは言いませんが)、物を売る商売は面白いもんやなぁ。」と、話かけられたことがあります。
僕はといえばその時になぜ“ガラス”を事業化したのかを教えてもらったので、
「館長も相当“押しの強い”人やのに、ガラスの事業化については社長に“押し切られた”みたいなもんですね。上には上がいてはりますなぁ。」
と親子ほど年の違う人に、今考えればとても失礼なそんなことを言った記憶があります。

館長は大笑いしていましたが・・・・。