Yasun's Such A Feeling

やあさんのこんなかんじ。

ランダに乗りっぱなし  東洋のマチュピチュ!? 3

2010-08-20 21:33:32 | ランダに乗って
おやくそくのボケをかましてくれたおっちゃんと別れ、次に現れたのは社宅跡。



画像のように傾いているので、「当時のものか?」と思ったら復元されたものでした。
おまけに危ないからか、近寄れないようになっていました。
まあええか・・・・。

わかれ道には、「娯楽施設跡」「病院跡」と書いた立て札があるが、気乗りがしなかったため、「パス」

『旧インクライン』まで戻り、駐車場まで戻ることにしました。



登るのをせめてちょっとでも楽しくしようと、この石段の数を数えて登り始める・・・・・。
と、100段まで数えたところで、階段に“100段”と書いてある。
がっくりである。
同じ思いをした方もたくさんいるのだろうか・・・・・?。
220段なんだそうな。というか、意地で200段と書いてある所から、20段きっちり数えました。
“意地”以外の何物でもありません。
やっぱり、ちゃんと220段でした。当り前か・・・・。


マイン工房をひやかしてからここを離れることにした。
ところがである。
帰ろうと思ったら、僕のランダのひとつ前の車で、通行止めをされてしまう。
どうやら、登ってこられる車が多くなったから、ちょうど片側通行にしたところでした。
「なんて運がわるいんやろ。」と思っていたんですが・・・・・。

待つこと15分くらい・・・・。
やっと通行止めも解かれ、下りの一方通行となった。
下から車が登ってこないと分かっているから、狭い道も“すいすい”走れる。
これは、どちらか一方通行のほうが、ドライバーのストレスは全然軽くなります。
待たされて「なんて運がわるいんやろ。」と思ったけれど、どうやら一方通行のほうが正解です。

下まで降りきると、来るときに道を教えてくれた「まちゅぴちゅ」(ひらがな)のおじさんが、
東平ゾーンに行こうとする車を止めていらっしゃった。

その数、20台くらい。

こりゃ、この車の列とすれ違うのはちょっとどころか、かなり大変。
一方通行でよかったと思いました。

どんどん人気が出てきている
「東洋のマチュピチュ マイントピア別子 東平ゾーン」
観光地らしくないし、産業遺跡がみれるだけ。(マイン工房と東平歴史資料館はありますが・・。)
飲み物も、自動販売機がメイン。
でも、僕はとても良い経験をしたと思いました。

また、行けるだろうか・・・・?

ランダに乗りっぱなし  東洋のマチュピチュ!? 2

2010-08-18 21:23:02 | ランダに乗って
日差しは強くとても暑い。 が、下りは楽。
馬鹿夫婦二人で楽しく『旧 インクライン』の階段を下りて行きました。

最初に目に入ったのは、上から見えた
『索道停車場跡』のレンガの建造物。



広場に出て、『索道停車場跡』のレンガの建造物の真ん前にど~んと姿を現わしたのが、
『貯鉱庫跡』
鉱石を、一時的に貯蔵したところなんだとか。



ここまで見せられると、さすがに圧巻である。
特に、“何”ということでもないが、巨大なレンガの建造物、それも今は機能していない忘れられた建造物。

確かに本家『マチュピチュ』と相通ずるものがあるかもしれない。
ここで仕事をされていた人々の風景が思い浮かぶようである。

少し坂を下ると先ほどの『索道停車場跡』を今度は下から見上げることとなる。



『索道停車場跡』
東平と端出場を結ぶ主要輸送機関。鉱石運搬から日用生活品・郵便物・新聞もこの索道で運ばれた・・・・。とのこと。



ここで、全然知らないおじさんグループの会話が聞こえてきた。
(だって、大きな声でお話されているんです。)

「いやー、やっぱり“ほんまもん”の『マチュピチュ』のほうがええなぁ。」
とおっしゃる。

馬鹿夫婦はなぜか通ずるものがあり、顔を見合わせる。
僕の頭の中では・・・・、
「おっちゃん、ほんまもんの『マチュピチュ』へ行ったことあんの???」
たぶん、わが奥様も同じように思っていたのでしょう。
二人して目をまん丸にして、そんなことを思っていた時、間髪をいれず、さっきのおじさんが・・・・

「て、言っても、“ほんまもん”の『マチュピチュ』に行ったことはないけれど。」

って、思わず突っ込みを入れたくなるようなそのお言葉を、絶妙のタイミングで言い放たれました。

吉本新喜劇なら、出演者全員がずっこけるような、まさに「おおぼけ」をかましたこのおじさん。
馬鹿夫婦二人で笑いをこらえながら、目は、
「このおっちゃん、ただ者ではない!!」と二人ともがお互いに訴えかけるのでした。
しかし、同じグループの方たちは、何の“つっこみも”入れない。

この、「ただものではないおっちゃん」も、つっこみがなくて、拍子抜けのような感じ・・・がしたかな?
あくまで、僕の感想でした。


もうちょっと続くんです。

ランダに乗りっぱなし  東洋のマチュピチュ!?

2010-08-17 21:59:30 | ランダに乗って
「東洋のマチュピチュ」というとても魅力的なキャッチコピーの場所に立った。

とりあえずどこに行けばいいのかわからない。
わけのわからないまま歩いて行くとどんどん山の中に入っていく。
「これは間違ったかな?」とも思ったけれど、前を歩く人たちがいる。
そのまま歩いていると、
「第三社宅跡」を発見。でもただの石積みの住宅の基礎が残っているだけ。

駐車場から見た産業遺跡にはどうしたら行けるのかわからないまま、山道を進む。
すると、大きく開けた場所にでて、どうやら「子供広場」らしい。
左を見上げると、明治37年完成したという、「第三変電所」を発見。
やっと馬鹿夫婦のテンションも上がってくる。



「第三変電所」
水力発電所から送電されてきた電力の電圧調整と、明治38年に第三通洞に坑内電車が導入されたことに伴い、
設置されたものとらしい。
少し薄気味悪いが、中に入ると“かまど”なんかも残っているのが見える。

「第三変電所」を少し行くと、明治35年完成の長さ1795mの主要運搬坑道の「第三通洞 」を発見。



やっぱり少し薄気味悪い。
誰も人がいなければ、ちょっと遠慮したいようなところかも知れません。

どうやら、ここが行き止まりらしく、もと来た道を戻る。
駐車場まで戻って、そのまま駐車場を通り過ぎてみると上から見た産業遺跡に続く石段を発見!!
220段の長大階段に生まれ代わった「旧インクライン」という長い階段が目の前に。



目的地に行くのに最初に“下り”というのはうまいこと考えているなぁと思う。
いや、考えてそうしたわけではないのだろうけれど、目的地に心奪われ、帰りに登らなければ
ならないのを忘れてしまう。

私たち馬鹿夫婦も、そのわなにまんまと引っかかったわけで、どんどん「旧インクライン」の階段を
降りて行きました。


つづく

ランダに乗りっぱなし  東洋のマチュピチュを目指して

2010-08-15 20:05:30 | ランダに乗って
ランダはマイントピア別子 端出場ゾーンを通り過ぎ、東平ゾーンへとひた走る。
清滝トンネルを抜けたところから注意をしていたのだが、案の上、東平ゾーンへといける道を
通り過ぎてしまう。

東平ゾーンへと続く道は、WEBで調べて、とても狭い道だと知っていたが、まさかこんなに
狭く、わかりにくいところにあるとは思わなかった。

道の入り口には、おじさんが椅子に座っていて、あわててバックしてきたランダを見て、僕たちに

「まちゅぴちゅ?」と声をかけてくださる。
おじさんの言い方が、“マチュピチュ”ではなく、いかにも“ひらがな”の言い方だったのです。

「はい!!」と元気よく答えると、やさしそうに
「こちらです。」と案内してくださった。
やっぱり、わかりにくいから人がいるのかな?。
とも思ったけれど、実は違ったのです。

東洋のマチュピチュ・東平ゾーンへと続く道は、WEBで皆さんが書いていらっしゃる通り、
とても狭い。
車一台分の幅のところが多く、ましてや上り坂のつづら折り。
上から下りて来る車があれば対向車とすれ違うことができない。
(この状態を、離合というらしいが、僕はWEBでこの語彙に出会うまで知らなかった)
対向車の運転手の方に、僕のランダの存在を分かってもらうため、ヘッドライト全点灯で登っていく。

朝、早かったからか、幸運にも上から下りて来る車はあまりなかったが、
それでも、東平ゾーンの駐車場に着くまでに、対向車6台とすれ違い、いずれも僕のランダが
30メートルほどバックしてすれ違うという場面があった。
(坂道は本来、“登り優先”やのに・・・・。)

たくさんの方がいらっしゃると、この道は、登り・下りどちらかの一方通行にされるとのこと。
そのために、道の入り口におじさんが座っていたのです。
僕たちが通った時間はまだその規制がされていない時間だったので、登り・下りどちらも
車が来るという時間帯だったのです。

とりあえず、「ひやひや」もんの運転も終わり、
『東洋のマチュピチュ・東平ゾーン』の駐車場に到着することができました。

目の前には新居浜の町並みと瀬戸内海。



そして、駐車場から少し歩き見下ろすと、突然、東洋のマチュピチュと呼ばれるゆえんとなった、
レンガ造りの『別子銅山の産業遺跡』が姿を現したのです。




つづく

ランダに乗りっぱなし  道後温泉をあとにして

2010-08-10 23:03:03 | ランダに乗って
「アンカサホテル&オリエンタルヴィラ」さんであっけないチェックアウトの後、ランダはすでに松山市を離れておりました。

BGMはベートーベンからモーツァルト交響曲第40番ト短調 K.550にかわって相変わらずクラッシックなのでした。
この短調の調べは、僕が知る限り誰もが一度は聞いたことがある、もっとも有名なモーツァルトの交響曲だと思う。
♪ちゃらら~ちゃらら~ちゃらら~ら♪のメロディに乗りながら、ランダは走っておりました。


すでにわが奥様は、以前書いた「どこでもドア」状態で、助手席でぐっすり・意識不明でいらっしゃる。
本当は松山城や、坂の上の雲ミュージアム、砥部動物園なども行きたかったが、
今回はすべてスルー。
今日中に大阪まで戻りたかったし、それより新居浜にどうしても行きたいところがあったからです。

以前、何かの雑誌かなんかで見たことがある、『別子銅山の産業遺跡』にとても魅力を感じていたのです。

『東洋のマチュピチュ』というキャッチフレーズがとても魅力的なその場所。

このキャッチフレーズのおかげで、とても観光客の方が増えたんだそうな。
いや~しかし、なんて魅力的なキャッチフレーズなんでしょう。
どうやら僕たち馬鹿夫婦も、別子銅山の関係者の方たちの“思うつぼ”にはまったみたいです。

<別子銅山>
愛媛県新居浜市の山麓部にあった銅山。
1690年(元禄3年)に発見され、翌年から1973年(昭和48年)までに約280年間に70万トンを産出し、
日本の貿易や近代化に寄与した。 とのこと。

ランダは、クラッシックの調べにのり、別子銅山・東平ゾーン目指して走っていきました。






ランダに乗りっぱなし  道後温泉 5。

2010-08-09 21:05:21 | ランダに乗って
夕食は、道後温泉本館のすぐ近く、
“伊予のご馳走 おいでん家”さんにしようとしたんです。
時間も7時過ぎていたので、すぐには入れません。
“それなら”ということで、2階の“おいでん家 別館”さんをのぞいてみると、
ちょうど、“まってました”とばかり、席が1卓、空いていました。

いろんなものが食べたかったので、いろんなものを少しずつ注文し、大変満足してお店を出ると、
1階も2階もたくさんの方たちが待っていらっしゃいました。
(料理は大変おいしゅうございました。大満足です。)
ここでも、僕の「大吉」効果は炸裂していたんです。

ハイカラ通りはたくさんの人でにぎわっていました。
お土産屋さんが特に元気がよく、いろいろ声を掛けられます。
でも、タルトも坊っちゃん団子も買ってお土産で買うのではなくて、今、“ひとつ”だけ
食べたかった僕は、タルトも坊っちゃん団子の“ばら売り”を探していたんです。
やっと僕の念願がかなう時が来ました。やっぱり僕のようなことを考える人がいるんでしょう。
タルトは1個売りがあり、坊っちゃん団子もばら売りがありました。

お店のおばちゃんから商品を渡された時は、とてもうれしそうな顔をしていたそうです。
「そんなに“坊っちゃん団子”が食べたかったんか?。」とわが奥様。
「霊の湯 個室に出る団子やから、興味津津よ!!。 やっと念願叶うわ。」と僕。
「そんなんやったら、最初から“霊の湯 個室”」にしたらよかったんや!!。」
と、つっこまれる。
「いやいや、分相応という言葉もある。うん。」とわけのわからん弁解で、ごまかしました。

ともあれ、タルトと坊っちゃん団子を食べ、・・・・・・・・・・・
(どちらも甘かったです。)
今日の長い一日は終わりを告げました。

走行距離は700㎞を超え、ランダに乗っていた時間は8時間以上。
前日の夜はうれしくって寝れていないこともあって、(遠足前の小学生と同じです)
ホテルに帰ると、起きていられませんでした。

明日の予定は全く決めていないのに・・・・・。





ランダに乗りっぱなし  道後温泉から・・・。

2010-08-08 20:58:06 | ランダに乗って
道後温泉の周辺には、たくさんの見どころ・よりどころがあるにもかかわらず、とりあえず時間も迫ってきたので、
全部スルーして、宿に向かいました。

本当は温泉旅館に泊まりたかったのだが、今回は「アンカサホテル&オリエンタルヴィラ 」さんにお世話になることにしたんです。
夕食なしでお願いしていたため、どこかで夕食を取らなければなりません。

「ホテルについて落ち着いたら、どこも出る気にならんやろ。ご飯はホテルでとろか?」と僕。
「それでもええよ~。」とわが奥様。

道後温泉本館から約15分ほどで「アンカサホテル&オリエンタルヴィラ 」さんに到着。
到着するとすぐにお出迎え。私たち馬鹿夫婦にはもったいないくらいのお出迎えでした。

フロントで、
「朝食はお部屋にお持ちしましょうか?。」と、問われる。
夫婦で「???????。」
「旅館じゃないのに、部屋食OKなの?」と素朴な疑問。

元来、部屋食の大嫌いな僕たちは、その申し出をお断りする。
部屋には、誰とも顔を合わさずとも、ルームサービスを受けられるようになっている。

ホテルのコンセプトが、
『お客様にとって何が一番心地よいか、何を最も望んでいられるか、のみにこだわり、
極上の居住空間を作り上げることに専念した新感覚ホテル』
とのこと。
お風呂はブロアバスで、浴室テレビがついているのが良かった。・・・かな。
チェックアウトして帰るときは来た時と違い、あっさりしていました。
“来た時”と“帰る時”のギャップはすごかったです。
馬鹿夫婦には、ちょっと圧倒され続けたホテルでした。(最後もちょっと“がっかり”でしたし・・・・・。)

さて、ホテルのことは良しとして、結局夕食はホテルで取らずに、
(ホテルで食べようという気分にならなかったのです。)
結局、外に出ることにしたんです。

それも、食後にもし気力が残っていたら
『もう一度温泉につかろう』と、
またまた道後温泉本館方面に向かったんです・・・・・。
(『坊っちゃん団子』にも未練があったからなんですが)


馬鹿夫婦の行動はこんなもんです。









ランダに乗りっぱなし  道後温泉にいこう!! ええお湯でした。

2010-08-06 21:39:33 | ランダに乗って
『坊っちゃん団子』に“うしろがみ”をひかれながら道後温泉本館を後にする。
とても良い体験ができたと感慨ひとしおなのです。

道後温泉本館に
「またくるわな~。」とあいさつをして出てみるとびっくり!!
たくさんの人が入浴券を買うために並んでらっしゃる。

「ぼくらはちょうどええ時にきたんやで。」と僕。
「ほんまや、今回の旅行はこんなのばっかりやなぁ。」とわが奥様。

そうなんです。厳島神社からフェリーで宮島口まで着いた時も、フェリー乗り場は長蛇の列。
同じ会話を夫婦でしていたんです。

今回の旅行は、最初からこのパターンが最後まで続いたのです。
運がいい時はこんなものです。

さて、道後温泉本館正面から続く『ハイカラ通り』を夫婦で歩く。
時間は5時過ぎだったので、宿泊されている皆さんが、色浴衣に湯かごをもって、道後温泉本館のほうへ
歩いて行かれる。
いや~、風情があってよいもんです。
老若男女いろんな人が行き交う。お土産屋さんもあり、そぞろ歩きにはぴったりです。

夫婦で同じ物に興味をもったり、
「これ、ええなぁ。」と話しかけると、もうそこにはわが奥様はいなくて、違うものを一生懸命みていたり・・・。



しばらく歩くと「坊っちゃん列車」に巡り合いました。
やはり人気が高いのでしょう。どの時間も“満員”と表示されていました。

ちょうど時間も5時30分に間もなくなろうとするところだったので、
「坊っちゃんカラクリ時計」を見に行きました。
「坊っちゃんカラクリ時計」は、平成6年、道後温泉本館百周年を記念して作られ、
午前8時から午後10時まで、1時間ごと【季節によっては30分ごと】にからくりが動きます。
僕たちが行った日は30分ごとだったので、5時半に見ることができました。



“坊っちゃん”の登場人物が次から次へと出てきます。
いい大人がそろって「坊っちゃんカラクリ時計」にみとれてしまいました。

時間も5時半を過ぎたので、そろそろ宿に向かうことにしました。
『ハイカラ通り』のいたるところで売っていた、『坊っちゃん団子』にすごく“うしろがみ”を惹かれましたが・・・・。

駐車場に帰る途中でとても魅力的な石段を見つけました。



伊佐爾波神社です。
石段は135段あるそうです。

とても魅力的なこの石段。達成意欲がむくむくと湧きあがります。
僕はとても登りたかったのですが、わが奥様の大反対に断念せざるをえませんでした。

次の機会を楽しみに・・・・・・。








ランダに乗りっぱなし  道後温泉にいこう!! 4

2010-08-04 22:14:16 | ランダに乗って
さて、温泉から上がり、元いた休憩室に戻る。

ちょっとの差で、わが奥様のほうが先に帰っていて、
『どや?』顔で僕をお出迎え。

「そんな、『どや?』顔をせんでも、言いたいことはわかったるで!!」
と先々攻撃をしかけました。
「来てよかったやろ。」とわが奥様。
「ほーですな!!」と僕。

そんな話をしていると、係のおねいさんが、お茶とせんべいをもってきてくださる。
僕としては、“坊っちゃん団子”にとても興味をもっていたのだが、“霊の湯2階”では、おせんべいなのです。

湯上りだし、気温も高い。もちろんエアコンなんて付いていなくて、扇風機とうちわで風を送るだけ。
で、汗が噴き出てくるのですが、着ている浴衣が、程良く汗を吸ってくれる。

「浴衣ちゅうのは、これが本来の機能なんやろな~。」とわが奥様に語りかけると、
ちょうどわが奥様もそう思っていたらしく、

「ほんまや。ちゃーんと汗をすうてくれるわ。なかなかうまいことしたるな~。」
と、答える。

昔から残っているものには、何らかの残る理由があるわけです。
今まで、浴衣の機能をこんなに実感したことがなかったから、大発見です。
(これが、私たちを馬鹿夫婦と呼ぶゆえんなのかも????)

お茶もいただき、せんべいも食べて(おいしいのよこれが)汗も引いたので、着替えてオプション?の
『又新殿 (ゆうしんでん)』の見学に行きました。

『又新殿 (ゆうしんでん)』
明治32年に建てられた皇室専用の湯殿。
手前から、玄関の間、御次の間、玉座の間となっており、その隣に警護の人が控える武者隠しの間がある。
建築様式は桃山時代風の優雅なもので、建築以来一分の狂いも生じない建てつけとなっているとのこと。
浴槽は、御影石の中でも最上のものとされている香川県の庵治石を用い、正面の湯釜に大国主命、
少彦名命の両神像を刻んだ宝珠がある。
とのこと。

係のおじさんが一生懸命説明してくださいました。

そのあと、夏目漱石さんがよく利用していたという、『坊っちゃんの間』を見学。
漱石さんは、
「道後温泉はよほど立派なる建物にて、八銭出すと3階に上がり、茶を飲み、菓子を食い、湯に入れば
頭まで石鹸で洗ってくれるような始末、随分結構に御座候」と手紙を書いたそうである。(誰にかはわかりませんでした)

ここでも僕の頭の中は、『坊っちゃん団子』でもちきり。
いつかどこかで食べてやる~と、決意するのでした。


ランダに乗りっぱなし  道後温泉にいこう!! 3

2010-08-03 20:49:21 | ランダに乗って
道後温泉の湯玉模様の浴衣に着替え、霊の湯へ。

「かけ湯だけではだめ」と、書いてある。
「はは~ん、先に体を洗えということね」と一人納得して、洗い場へ。

あまりたくさん洗い場はないのだが、ちょうど一人分の空きがあったので占有しました。

石鹸もシャンプーもない・・。と聞いていたのだが、ちゃんと石鹸もシャンプーもありました。
石鹸に至っては、係のおじさんが補充をせっせとされており、ちょうど新しい石鹸を使うことができました。
これも、厳島神社のおみくじ、大吉のおかげ??

ともあれ、体と頭を洗い、
「これで誰にも文句はゆわさへんで~」とばかり、おもむろに“霊の湯”湯船につかる。

第一印象
「あんまり熱くないやん・・・。」
「ん!!、なんか透明度高いぞ!!」

そうなのです。ぼくの印象は、あまり熱くないということと、お湯が『サラサラ』している感じがしました。
みんなが最初に洗ってからつかるから?
なんてことも考えましたが、道後温泉の湯質なのでしょう。
あまり粘り気ががなく、ちょうど湧き出したばかりの渓流の水が温泉になったような感じを、僕は感じてしまいました。

愛媛県の条例で、塩素系薬剤での消毒を行っている・・・。

とは知っていたのだが、塩素の匂いなんかは全然しませんし気になりません。
知らなければ、そんな消毒をしているとは気がつかないでしょう。

「これが、日本書紀にも登場するわが国最古の温泉のお湯か~」

感慨ひとしおなのでした。

まだ 続くんです。