3月29日史跡探訪も含めたウォーキングに行って来ました。
今回の田島弥平旧宅周辺ウォーキングは、天気予報でその時間だけ大雨との事で、
急遽ウォーキングの計画を変更して食事会を幡羅公民館脇の、
コミュニティ食堂「結」で済ませてから(15名で食事の写真がありません)
午後から田島弥平旧宅(世界文化遺産)に伺いました。(10名)
ガイドの方のビデオを使った説明、その後田島弥平旧宅を含む島村周辺を
ガイドさんの案内で散策しました。
島村蚕種業績碑、そこに植えてあるのは枝垂れ桑だそうです。
田島弥平旧宅(世界遺産、国指定史跡)にある蚕種の貯蔵庫です。
大正時代のコンクリート造りの地下倉庫で、当時の家一軒より費用が掛かったとのことです。
田島弥平旧宅、昔は床下が洪水対策で1メートル以上高かったそうです。(埋めてこの高さ)
この地域の代表的な建物、清涼育法の為の櫓が見事です。
毎月第3日曜日は建物の中と屋根にある櫓から景色も見ることが出来建物も有るそうです。
日本基督教団島村教会国の有形文化財です。
日曜日は中を見学できるそうです。
途中で地元の方に頂いた、ネギを分けています。
8期のウォーキングは途中ラッキーなハプニングが多いです。
田島弥平旧宅案内所に戻って、お世話になったガイドさんと記念撮影
今回はガイドさんに案内をして頂き新しい事実をおしえていただきました。
皇居で今も行われている養蚕の繭(小石丸)はとても小さいのに驚きました。
なぜこの地域に養蚕、藍の栽培が盛んだったのか?、なぜ埼玉県側に群馬県の島村があるのか?
なぜ島村に明治時代に基督教団が建てられたのか?etc.
他に島村(深谷以外)から見た渋沢栄一の評価の違いなどよく理解できました。
皆さんも是非訪れて其の事を確認して見てください。
今回のウォーキングはドタバタしましたが、雨の後天候が急回復して、大変楽に歩くことが出しました。
只、午後は都合の付かない人がいて参加できなかった方には申し訳ございませんでした。
担当 土屋
昨日の春一番の暖かい天気から一転、冷たい大風が吹き荒れる2月16日(金)、風雨の影響を全く受けない「熊谷ドーム」にて、8期会主催の第2回熊谷ドーム グラウンド・ゴルフ大会を開催しました。熊谷ドーム内は程よい気温で心地良かったです。
昨年の第1回が大変好評でしたので、今年も校友会の沢山のグラウンド・ゴルフ愛好家の期待に応える様に、「期を跨いだ活動」として他期の方々を含めて、48名が参加しました。(8期会:10名、他期:38名)
・まずは、全員集合して開会宣言と大会幹事からルール説明です。
・試合開始が12時でしたので、参加者は早お昼を済ませての参加でしたが、中には空腹の方が調子が良いからとお昼を抜いた方もいました。(さすがに試合途中で空腹になり、休憩時間に腹ごしらえをした様です)
・さあ、試合が開始されました。
・いたるところから、ホールインワンの歓声が上がりました。幹事さんはホールインワン賞の商品が足りないのではと心配し始めました。
・1グループ6人編成で回りましたので、ハーフの休憩を入れて3時間弱で試合は終わりました。
・その後は、成績発表と表彰式です。沢山の豪華(?)な賞品を用意しました。
・賞品を貰って先に帰られるとまずいので、まずは集合写真。
その後は、優勝から10位までの表彰です。
優勝:6期会 高田重光さん 59 第2位:8期会 土屋次郎さん 63 第3位:8期会 田口博康さん 65
優勝~10位までの方々です。
その後、ホールインワン賞、ブロッコリー賞、ブービー賞などの表彰を行い、ほぼ全員が何らかの賞品を受け取りました。
他期との親睦を兼ねて、楽しい時間を過ごせました。
来年度の8期会の活動には、「第3回の熊谷ドーム グラウンド・ゴルフ大会」を2025年2月に計画しています。
校友会会員の皆様 これから1年間一生懸命練習して、又、熊谷ドームでお会いしましょう。
ところで、私の成績? 真ん中程度でした。(来年は10位以内を目指します。) 8期会 宮沢
12月8日(金)幡羅公民館にて「8期会 第3回 100年健康講座」を開講しました。
今回も「期を跨ぐ活動」として他期の方も8名参加していただき、合計28名の聴講でした。
講題は「介護保険制度について」。講師は岡部の地域包括支援センター「エンゼルの丘」から主任介護支援専門員(ケアマネージャーさん)の土屋ふみ子様にお願いしました。
主な講義内容は以下の通り。
1.地域包括支援センターについて
2.介護保険証と介護認定について
3.介護保険料について
4.介護サービスを利用する流れ
5.各種介護サービスの紹介と自己負担費用のめやす
などでした。
聴講生には家族が既に介護サービスを利用している方もいましたが、中々介護保険制度の全体を理解(把握)する機会がなかったので、ここでおさらいの意味を含めて、理解を深めることが出来たかと思います。
講義のあとは質問コーナーを設け、聴講生からは「ふっかつ体操」や「ケアマネさんの選び方」などの質問をしました。
最後に聴講生にはアンケートに記入していただき、今後の8期会の健康講座の講題検討の参考資料とします。
聴講の皆様 お疲れ様でした。又、他期のご協力ありがとうございました。
又、今回聴講できなくても、介護保険制度は我々高齢者が明日にでもお世話になる可能性が大きい制度ですので、各人か注視し、理解して、より元気に長生きできるように積極的に活用してゆきたいと考えます。
記 宮 沢
12月2日(土)8期会としては過去に一度開催しましたが、その後は、コロナ禍により中断していた忘年会を兼ねた懇親会を割烹「楓」にて開催しました。
参加人数は23名。8期会会員の約半数が参加しました。
午前中の8期会役員会を粛々と行い、そわそわした気分でしたが、12時30分集合の割烹「楓」へ急いで向かいました。
当然、アルコールをたしなむ予定の参加者は、他の会員の車に同乗です。
まずは、懇親会幹事の傳法谷副会長から開会挨拶があり、その後、宮沢8期会会長の挨拶、田口校友会会長の乾杯の音頭と雰囲気は段々と盛り上がって行きました。そして、楽しい会食です。
その後、ビール、ジュース、ウーロン茶を飲みながら、久しぶり(春の総会依頼かな?)に会った仲間と歓談をすすめ、各テーブルは賑やかで楽しい雰囲気で料理を楽しみました。
島村副会長のウクレレ弾き語りの歌を聞きながら料理をつまみ、カラオケの用意ができたところで、歌いたくてうずうずしていた会員の出番が来ました。
初めてカラオケを聞いた会員も何人かいまして、「こんな人が歌うんだ!!」と認識を改めました。だから、懇親会は楽しいんですね。
カラオケを聞きながら、何人かのグループで歓談が進んだりで、アッと言う間の2時間30分でした。
この様な楽しいカラオケと食事をセットにした催し物を来年もやろうねと宴会幹事にお願い。
ちなみに参加者は男性8名に対し、女性15名。コロナ後の活動では、女性の活発さ(男性のふがいなさ)が目につく近頃です。
記 宮沢
雨が心配だった令和5年11月10日、かねてから訪れたいと思っていた渋沢平九郎ゆかりの地を
ウォーキングを兼ねておとずれました。
深堀講座の講師もお願いしている2期の蛭川さんにお願いして、
ガイドと現地の担当者の説明を受けながら、渋沢平九郎ゆかりの地を訪ねました。
冒頭の写真にあるように、平九郎は飯能戦争に敗れ故郷の血洗島に帰ろうとする途中
新政府軍と遭遇して、若い命を落としました。
最初に訪れたのは平九郎の首塚がある、法恩寺です。
前もってお願いしていた、越生町教育委員会の方の丁寧な説明で
平九郎の首塚を拝見しました。
さらし首になっていた平九郎の首を
地元の有志が丁重に葬ってくれた話。
のちに渋沢栄一によって黒山にある全洞院に埋葬された胴体とともに
谷中にある渋沢家の墓地に移動して完全な平九郎の墓とした話等、初めて聞く話ばかりでした。
次に飯能戦争の現場である、飯能市立博物館に訪れました。
担当の方に飯能戦争の具体的な内容、平九郎が敗れてどのように敗走したかなど
細かく教えて頂きました。そして焼き討ちなどで地元の方々にどれほどつらい思いをさせたか等、
立場の違いなども伺いました。敗走の途中で、尾高惇忠、渋沢喜作とはぐれてしまった、
不安で孤独な平九郎の逃避行も肌で感じました。
高麗川沿いに顔振峠の平九郎茶屋に向いそこで、昼食をいただきました。
ご主人のおばあちゃん手作りの蕎麦、うどんを食べ、記念写真も撮りました。
顔振峠からの絶景です。
平九郎が越えた顔振峠にある秩父方面、黒山方面の分岐で平九郎が
悩んだことがヒシヒシと感じました。
秩父方面に進めば助かったのに、
黒山越生方面に進んだことが悲劇だったと思うと平九郎の無念さが伝わってきます。
越生方面黒山にくだり、平九郎自決の場所につきました。
越生町のご努力で立派な碑も建てられていました。
平九郎グミと名づけられた、グミの大きな木が傍らに立っています。
ここから、本来のウォーキングで黒山三滝まで、歩きました。
平日の静かな渓流沿いを歩き、マイナスイオンをたっぷりあびて
美しい滝を堪能しました。
その後、平九郎の体が埋葬された、全洞院に向かい、墓石に手を合わせ
改めて冥福を祈りました。
住職の都合で平九郎の位牌が拝見出来なかった事が残高でした。
深谷市民にとっては知っておきたい、渋沢栄一の見立て養子
平九郎の数奇な運命をたどる今回のウォーキングですが、
とても充実した一日になりました。平九郎が生きていればその後
どのような活躍をしてくれたかを考える良い機会になりました。
心配していた天気も雨には降られず、快適なウォーキングでした。
ガイドをして頂いた蛭川隆司氏に改めてお礼申し上げます。
担当 土屋