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カトリックと戦争:【国体文化】掲載記事への返答

2021年05月15日 | カトリック
【国体文化】に掲載された連載への返答記事、ポール・ド・ラクビビエ氏の原文全文をご紹介します
〔書評〕相澤弘明著の『キリスト教と戦争』/ポール・ド・ラクビビエカトリックと戦争/ポール・ド・ラクビビエ
里見日本文化学研究所特別研究員 ポール・ド・ラクビビエ


カトリックと戦争
はじめに
相澤氏のキリスト教と戦争に関する記事を読み、感銘する部分もあり、ここに感謝の意を表したいと思う。大まかに相澤氏がまとめてくださった通り、カトリック、それからルターの戦争に対する立場は説明されている。カトリックはもともと正当防衛を認めていた他、正しい戦争をも説いていたので、後ほどそれについて、補足することにしよう。そして、相澤氏の言うように、ルターはかなり暴力主義であったのは知られていることである。戦争だけではなく、例えば魔女狩りについてもプロテスタントを創始したルターこそがかなり扇動した事実がある。ルターによる次の文書がある。1529年の彼の著書である『大教理』からの引用である。

「バターと牛乳と鶏小屋で卵などを盗む魔女にせよ、魔法使いにせよ、それらに対して容赦してはならない。旧法 において、司祭らが罪人に投石したように、できれば、私自身が彼女らの火刑台に火をつけたいところだ。」

それはともかく、「従軍司祭」の制度の起源はメロヴィング朝、8世紀までその前例があるが、制度として整備されたのは聖ルイの時代まで遡る。正確に言うと、「従軍司祭」というよりもフランスではいまだに「従軍教区」が敷かれている。革命があったにもかかわらず、これは聖ルイが整備した制度の遺産である。

「従軍教区」の淵源は「王室聖堂の教区」という特別な教区が教皇に認められたことにある。本来ならば、司教が束ねる教区とは地理上の単位であるが、「王室聖堂の教区」には地理的な基盤はなくて、王室の霊的要請に応えた教区であり、例外的に司教でも認可される教区であった。そこから、軍人のための教区として「従軍教区」ができて、司教はそれらの従軍司祭を束ねるのである。

これは、戦争を肯定するというよりも、国家に身を捧げる軍人の霊魂のための制度であって、戦場におもむく前に秘跡(特に告解とミサ聖祭)に与れるとともに、また瀕死の際も、秘蹟に与れるための制度である。というのも、カトリックでは死んですぐに、裁かれ、霊魂の行き先が天国、地獄、煉獄にいずれかが決せられるので、国家のために奉ずるという軍人の職分の本質に照らして、通常よりも秘跡を必要としている仕事とみなされているからである。

カトリックの戦争観
さて、カトリックの戦争観を簡単に紹介しよう。カトリックは戦争を肯定するといえるだろうか?肯定というよりも原罪の必然的な帰結として現実にあることからして、やむをえない罪の結果とみなされている。従って、罪と同じように戦争を嫌い、基本的には戦争は避けるべきであるものの、一方では正しい戦争もあるとされている。

オックスフォード大学の哲学博士であるJohn Laughland氏の明快な解説によると、正しい戦争はあり得ても、そうではないいわゆる「反乱」は必ず「大罪」となるとされる。現代世界を理解するためにかなり手がかりとなるので、ぜひとも参照していただければと思う(ユーチューブで『キリスト教の道徳と戦争法の変遷(国際法の起源に迫る)』を検索。https://youtu.be/Ko2Ak45QoXk)。

以下、引用開始。
「中世期を見ていきたいと思います。ここにいる多くの方々は中世期の戦争論を知っていると思いますが、「正しい戦争」という観念は有名であり、皆、一度ぐらい聞いたことがあるでしょう。また、ここにいる皆様は正しい戦争に関する聖アウグスティヌスと聖トマス・アクイナスの文章を知っていることを期待します。

ご存じのように、戦争は正しい戦争になるための条件として、聖トマス・アクイナスは三つの条件を提示します。第一に、宣戦布告と戦争自体の展開は正統な権威者がやるべきという条件。第二、戦争を開始する理由は正しくなければならない。つまり、具体的な不正、あるいは不公平を糺すための理由がなければならないという条件。そして、第三、それだけでは足りなくて、戦争開始をする意図も正しくなければなりません。言いかえると、慈悲をもって戦争に臨むべきとの条件。具体的には、暴力を最小限に戦争を展開して、復讐や暴行への欲望に落ちないことに努めるという意味です。

しかしながら、聖トマス・アクイナスはさらにもう一つの条件をつけ加えます。以上の三つの条件は神学大全の第二部、第2部の第40問に記されています。聖トマス・アクイナスはその次の第41問と第42問においても、暴力にかかわる他の事柄について解説します。これらの事柄も戦争を考える際に非常に重要となります。

第42問において、「反逆」あるいは「反乱」の解説があります。反乱というのは、簡単にいうと、ある国における武装化した反逆です。そして、聖トマス・アクイナスは彼ならではの明晰さをもって、反乱について「必ず大罪になる」と説明します。例外は一つのみあります。権力が僭主になった時なら、必ずしも大罪にならないのです。

それはともかく、大事なのは、戦争の場合、条件が満たされたら、正しい戦争になりえる一方、反乱の場合、聖トマス・アクイナスによると、大罪となって、反乱を正当化できないとされます。言いかえると、反乱は例外なく悪い事柄で、悪をもたらすとされているのです。」
以上、引用終了。

この意味で、カトリックの立場は正しい戦争にはいくつかの条件があるということであり、それはどこの文明においてもこのような正しい戦争はあって、かつ、正しい戦争というにはやはり条件があったということである。近代のみ、平和主義を建前に唱えながら、一番むごい戦争を実際に展開していった事実があることを忘れてはならない。それはさておいても、カトリックの戦争論の特徴は、戦争という事象というよりは、平和のありようにある。John Laughland博士の引用を紹介しよう。

以下、引用開始。
「要するに、古代にも現代にもない、キリスト教時代の戦争法の特徴は次の通りになります。平和条約においては、必ず「免責条文、あるいは特赦条文」というものがありました。(まあ、歴史だから、必ずとはいっても、例外も存在するはずですから、必ずといってはいけませんが)、とりあえず『中世においての平和条約』(Nicolas Offenstadt著)に参照していただければと思います。とても良い研究です。面白いことに、中世におけるこのような平和のありようは中世だけではなくて、20世紀まで続きます。

それで、キリスト教的な平和のありようの特徴は法律上の特徴でもありました。なぜ、それが非常にキリスト教的特徴であるのかということはすぐわかるかと思います。つまり、キリスト教時代の平和条約においては、中世、近代、20世紀に至るまでの間、必ず「特赦条文」がありました。あるいは「大赦条文」のような条文があったということです。」
以下、引用終了。

聖ルイの遺言に見えるカトリックの戦争観
聖ルイは王太子だった息子に有名な遺言を残して、そこに教訓を集めていた。その内、戦争に関する条文もあって、聖ルイの時代の間にフランス国内において戦争のなかった時代であったのにも関わらず、戦争に関する条文を残したということはキリスト教的国王として象徴的だと言えよう。戦争はなるべく避けるべきだが、やむを得ない場合は戦争を遂行する義務も残っているということだ。

以下引用開始。
戦争を極力避けよ。
「22. 愛する息子よ、できるだけ、キリスト教徒を相手に戦争を起こすことを控えるようにしなさい。不正と弊害をおまえが被った場合、戦争を起こす前、その不正を糺し弊害を晴らすために多くの選択肢を試みなさい。また、戦争のせいで発生する多くの罪を避けるためにあらゆる手段を尽くし、多く解決案を試みなさい。もしも、そうしても戦争をやらざるを得なくなった場合、例えば、おまえの朝臣が国王の権限を略奪しようとする場合、あるいは朝臣がどこかの教会に対して弊害・不正を犯し、または貧しき人々に対して弊害・不正を犯し、またその他の誰かの人々に対して弊害・不正を犯し、(加害者は)それを償おうとしない場合、また他に妥当な理由があって戦争を起こすべき場合、(加害者だけを罰して)反逆と裏切りの罪を負っていない人々については(戦争に巻き込まれないように)彼らを守るようにしなさい。
また火災でも他の戦災によって、それらの無罪の人々に何の弊害がおこらないように、丁寧に熱心に尽くしなさい。というのも、犯罪者の町・城を破壊するよりも攻囲の力で犯罪者を降伏させ、加害者の領地や財産を没収した方が良いからである。また、戦争を宣言する前、側近からでも本当に善く助言を頂くように努力をつくしなさい。また、戦争の理由は本当に妥当であるように確認し、また戦争を起こす前、必ず、事前に犯罪者を十分に善く忠告するように、そして犯罪者に十分に相応しい時間をちゃんと与えるように注意を払いなさい。」
以上引用終了。

カトリックの戦闘精神
武器を取ることを極力に避けるべきだとしているカトリックにおいて、霊的な戦闘精神は十分に備えている。それはイエズス・キリストが教えて、行動で見せた戦闘のやり方である。つまり、十字架である。福音書によってみよう。

「私が地上に平和を持ってきたと思ってはならぬ。平和ではなく剣をもってきた。つまり、私は息子をその父から、娘をその母から、若い嫁をしゅうとめから別れさすために来た。人は自分の家の者を敵に回すだろう。私よりも父や母を愛する者は私に相応しくなく、わたしよりも息子や娘を愛する者も私に相応しくない。自分の十字架を取って私に従おうとせぬ者も相応しくない。自分の命を保とうと努める者は命を失い、私のために命を失うものは命を見出す。」(マテオ、10,34~39)

「そばにいた番兵の一人はイエズスを平手打ちし、「大司祭に向かってそんな答えをするのか」といった。イエズスは、「私が悪いことを話したのなら、その悪い点を証明せよ。もしよいことを話したのなら、なぜ私を打つのか」といわれた。」(ヨハネ、18,22-23)
神殿から商人を追い出す場面(ヨハネ、2、13-25)

以上に見るように、キリストの平和は形式的な平和ではなく、キリストにおいての平和でしかありえないので、時には抵抗して、常に戦い、殉教死に曝してまで天主が啓示された真理、それからイエズス・キリストによって具現化された正義を通すべきだとされている。

結びに代えて
結論から言うと、法華仏教とカトリックは冥合してはいない。
自然法的な意味では、古代ローマや古代ギリシャもそうだったように、啓示がなくとも人間の本性に刻印されている「正当防衛」と「正しい戦争」に対しては確かにカトリックと法華仏教は共通してはいるが、平和の実践と戦う目的となる正義の中身は全然違ってくるからである。
一方で、平和主義を唱えるようなイデオロギーや宗教などがどれほど非現実的な基盤を持つか、どれほど実際に残酷な戦争を産むのかは革命以降の歴史が示していることに関して皆が同意するところだろう。


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