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御受難の聖遺物について 【公教要理】第四十五講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年04月24日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第四十五講  贖罪の玄義・歴史編その十三・御受難の聖遺物について




(私たちの主は)「ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死してほうむられ」、
聖墓におられます。

今回は、ちょっと時間を割いて、「御受難の聖遺物」についてご紹介したいと思います。「聖遺物」という言葉は、ラテン語から来て、まさに「遺物」或いは「遺跡」という意味です。言い換えると、私たちの主の御受難から現代まで「遺された物」ですが、具体的になんであるか、また何を崇敬できるかということをご紹介したいと思います。


【十字架の聖遺物」
第一は、「十字架の聖遺物」です。聖十字架はコンスタンティノ皇帝の母に当たる聖ヘレナによって326年に発見されました。聖ヘレナはエルサレムにわざわざ行って、十字架刑の行われたゴルゴタの丘を中心に、聖十字架を見つけるために、発掘作業を命令しました。当然ながら、多くの十字架が発掘されました。私たちの主の十字架の他に、盗賊をはじめ、多くの受刑者の十字架があったので、どれがその聖十字架だったかどうやって分かったでしょうか。

それは、単純なことですけれど、私たちの主の聖十字架によって起きた諸奇跡のおかげで、聖十字架を確定できました。言い換えると、聖十字架によって、目覚ましい奇跡が起きたおかげで、聖ヘレナは聖十字架を確定できて、それを安置するために、ゴルゴタの丘の上に、教会をたてました。





また、聖ヘレナは聖十字架の幾かの欠片をローマに持って帰りました。ローマで、聖十字架の欠片を安置するために、「サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂」(エルサレムの聖十字架聖堂)を立てました。ローマにありますが、その名前通りに、エルサレムから持ち帰られた聖十字架が安置されているということです。キリスト教界の都であるローマに聖十字架が安置されて崇敬の対象になるというのは相応しかったと言えます。



また、13世紀のフランス国王聖ルイが聖十字架の欠片の一つを貰いました。パリに安置するために、「サント・シャペル(聖なる礼拝堂)」におかれました。現在では、その聖十字架の欠片は、パリ聖母大聖堂に安置されています。

そして、時代が下れば下るほど、聖十字架のごくわずかな欠片があちこちに渡され世界中に広がりました。どこでも、聖十字架を礼拝できるように、聖遺物の一部の欠片があちこちに置かれました。そういえば、本当の意味で、まことに、聖十字架を「礼拝」するのです。私たちの主の血に染まった聖十字架なので、全人類の贖罪の道具となった聖十字架なので礼拝します。従って、世界中に僅かなごく小さな欠片でも、あちこちに安置されています。何ヶ所あるかと聞かれたら、数え切れないほどあるので、詳しい目録もできそうにありません。


【聖釘】
それから、聖釘もあります。同じくローマのバジリカである「サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂」で、一つの聖釘が安置されています。
もう一つの聖釘がパリの聖母大聖堂に安置されています。常時公開はされていないのですが、定期的に公開されて崇敬できます。
それから、面白い話ですが、もう一つの聖釘はミラノ大聖堂の円天井の要石の中に安置されています。


【捨て札 Titulum】
聖釘に続いて、貼り札という聖遺物もあります。いわゆる「Titulum」という聖遺物です。「ユダヤ人の王、ナザレトのイエズス」と書かれている聖遺物です。この聖遺物も、「サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂」に安置されています。




【茨の冠】
それから、私たちの主からの聖遺物には、「茨の冠」も遺されています。もちろん、全体は遺されていませんが、あちこち「茨の冠」の破片と棘が安置されています。ところが、「茨の冠」の一番大きいな破片は、1239年にコンスタンティノープルの皇帝から聖ルイに与えられた聖遺物ですけれど、この聖遺物を安置するためにこそ、「サント・シャペル(聖なる礼拝堂)」と呼ばれている立派な教会をたてました。私たちの主の冠を安置するためだけの教会です。



現代では、「茨の冠」はもう「サント・シャペル(聖なる礼拝堂)」に安置されてはおらず、パリの聖母大聖堂の宝物室に安置されています。





【聖スポンジ(聖タオル)」

他に、あちこち「聖スポンジ(聖タオル)」もあるにはあります。特にローマの「ラテラノ大聖堂」「聖マリア大聖堂」とで崇敬することが出来ます。


【聖槍】
他に聖槍もあります。私たちの主の脇を突いた槍で、御心臓まで届いた槍ですね。ローマの「聖ペトロ大聖堂」に安置されています。また同じ場所に、聖ヴェロニカの聖布も安置されています。



【聖トゥニカ】
私たちの主の聖トゥニカはトリアー(Trier)[フランス語ではトレーヴ(Trêves)]アルジェントィユ(Argenteuil)とに安置されています。




【聖骸布】
周知の聖骸布は、イタリアのトリノに安置されていて、大人気を博し、頻繁に定期的に信徒の崇敬のために公開されています。聖骸布は多くの科学研究の対象となってきましたので、聖骸布を真面目に見ると、現代という科学的世界は、主を礼拝せざるを得なくなるはずです。言い換えると、聖骸布を科学の目で見たら、私たちの主のキリストの復活というのは、科学の能力を遥かに超えるということを認めざるを得なくなるからです。要するに、トリノで聖骸布を崇敬することができます。やっぱり、この聖骸布は現代なら非常に大事な証言です。この世のこの時代に対して、護教論上、素晴らしい聖遺物です。間違いなく、科学的なこの世に挑んで止まない聖骸布だと言えます。


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【聖なる階段:スカラ・サンタ】

他に、「法廷の階段」も遺されていて崇敬できます。というのも、残念ながらも死刑宣言を受けるために私たちの主が登り給った「階段」なのです。また「Scala Santa聖階段」とも呼ばれていますが、ローマに安置されています。聖ヨハネ・ラテラノ大聖堂の傍のところに安置されています。現代は、もう一層の階段に覆われているので、直接に触っては登れないのですが、「聖階段」の上にある「階段」を登る良き敬虔な修行がありまして、跪きながら登るのがいいですけど、あちこち透明な窓みたいなところが用意されていますので、私たちの主の登り給うた「聖階段」を直接に崇敬することができます。



【鞭打ちの聖柱】
最後に、鞭打ちの聖柱もあります。私たちの主が鞭打ちの刑を受け給うために縛られた聖柱という聖遺物なのです。ローマでの「聖プラクセーデス教会」に安置され、崇敬することができます。聖柱のかなり大きい断片が残されています。
以上、私たちの主の聖遺物をご紹介しました。




【主の死刑に関わった人々】

そして、聖遺物ではありませんが、私たちの主の死刑に関わった人々についてちょっと触れたいと思います。つまり、私たちの主の死刑に関わった有罪者はその後にどうなったかというと、全員屈辱的な運命にあっています。


【使徒ユダ】
まず、使徒ユダがいますね。その最期は周知の通り、聖書に二回記されているのですけれど、自殺してしまいました。自分の犯した罪より天主の御憐れみの方が偉大で広大であることを認めなかったのです。従って絶望して自殺してしまいました。悲劇的な最期です。


【ポンシオ・ピラト】

ポンシオ・ピラト、「卑怯者」のピラト、或いは「自由主義者」と呼ばれるピラトはどうなったでしょうか。罷免されて、ガリアに島流しされて、そこで自殺したと思われています。


【ヘロデ(アンティパス)】
ヘロデはどうなったでしょうか。ヘロデも島流されてしまったのです。まず、ガリアのリオン(Lugdunum)でそしてスペインへ、最期は貧乏になって死んだと言われています。


【カイファ】

カイファはどうなったでしょうか。37年に大司祭職を剥奪されて、自殺したと言われています。37年というと、私たちの主の死の四年後ですが、悲しみで自殺されたと思われます。


【ユダヤの民】
そして、ユダヤの民自体はどうなったでしょうか。ティト(Titus)皇帝による70年、エルサレムの占領によって、離散されました。70年の占領の際に、エルサレムは完全に全焼し、ユダヤ民族が世界中に離散されました。

以上は、私たちの主の死に関わった人々の運命のご紹介でした。

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