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【すらすら読める】ジャン=ジャック・ルソー・その人生・その思想 その(一)【第2部】

2019年08月15日 | 哲学
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による哲学の講話をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

Billecocq神父に哲学の講話を聴きましょう



【ルソーの評判が生まれる:『学問芸術論』】


実は、ルソーの評判は、1749年のパリで生まれました。ヴァンセンヌというところに行っていた時のことです。いわゆる有名な「ヴァンセンヌのひらめき」という場面です。御存じの方もいるかもしれません。監獄に収監されたドニ・ディドロを訪ねるためにヴァンセンヌにルソーが行きます。そこに行く途中、ルソーはある雑誌を読んでいました。その雑誌には、論文募集の記載がありました。ディジョンのアカデミーが次のテーマで論文の募集をしていました。論文賞のようなもので、小論文を募集しているということです。「科学と芸術との進歩は風俗の堕落あるいは風俗の洗練のどちらに貢献しただろうか」。つまり、芸術論と道徳論の範囲を跨ぐ題目です。ちょうど、ルソーが音楽も道徳も比較的に知識があります。特に、風俗に関して比較的に知識があります。カトリックの教育も受けたし、幼い時にプロテスタントの教育も受けたから、道徳と言った分野に関してよく知ってはいます。

「科学と芸術との進歩は風俗の堕落あるいは風俗の洗練のどちらに貢献しただろうか」。その後、監獄中のディドロに訪ねて、論文募集の話をしてみたら、ディドロが「応募したら?」ということで、時折ルソーがヴァンセンヌの道を歩いているとひらめきを感じたので、論文を書くことにしました。ルソーの始めての「ディスクール」となります。『学問芸術論』という論文です。その中で彼は「進歩」に反対します。面白いでしょう。そして、1750年、優賞を貰いました。その時デビューするというか、初めて彼の評判が広まります。

優賞だったので『学問芸術論』は出版され、社交界などで彼の名前は知られるようになります。その論文に対して、反駁者も出てきました。しかしながら、反駁者が偉ければえらいほど、逆効果になり、論文の作者に注目を浴びさせるような現象を起こします。そして『学問芸術論』を反駁した有名な人物がいて、国王のフレデリック二世でした。偉い人でしょう。その反駁のお陰もありルソーの論文が大話題となって、彼がいきなり有名となりました。それをきっかけに、ルソーがより多く社交界に出ることになります。しかしながら、問題が発生します。百科全書の作者たちとの間の仲を引き裂いてしまいました。どうせ、ルソーは、結局、最終的に全員と仲悪くなりますが。晩年になって、皆、彼と敵対するようになりました。

1752年、『幕間劇、村の占い師』という寸劇を書きました。この作品こそは今でも評価されています。どちらかというと、『告白』を取り上げるぐらいなら、やっぱり『幕間劇、村の占い師』を取り上げた方が価値のある作品です。フォンテンブローで国王ルイ15世の前で演劇されることになり、大成功しました。しかし残念ながら、その演技に後で、国王がルソーに会いたいということでしたが、ルソーは謁見に出なかったのです。その時、出たのなら恩給でももらえたはずです。しかしルソーは謁見に行かなかったのです。

この事件はルソーの性格のもう一つの特徴を示します。ルソーは何かに誰かに依存することが大嫌いだという性格を示す事件でした。ルソーは熱狂的な自由主義者ですし、まだ夢見がちの人柄で、戯れるのも彷徨うのも大好きで、散歩者のルソーです。従って、誰かに依存するのは耐えられない性格で、孤独が大好きなのです。


【『人間不平等起源論』:「本性的に善なる人間」とは「散歩者、自由孤独なルソー」の裏返し】

1754年、ディジョンのアカデミーが新しい論文募集を公開します。題目の正確の文章は手元にありませんが、その募集に応募したルソーは二つ目の「ディスクール」を書くことになります。それが『人間不平等起源論』で、そしてルソーはそれで確実な名声を博するようになりました。ルソーの一番有名な「ディスクール」でしょう。その中で、ルソーは「人間は本性的に善だ」という命題を打ち出します。『人間不平等起源論』は、社会を攻撃する作品でもあります。まあ、でも、その攻撃はルソーの偏執狂に由来してはいます。ルソーは本当の意味で仕事することはできませんでした。努力することは耐えられない性格だったみたいで、仕事が課せられた時があった時にどうにもなりませんでした。幼い時から、怠惰で、何も義務を果たさなかったので、ルソーは何度も厳しい体罰を受けていた子でした。

有名な場面を挙げると、次の話があります。ある時に、休憩の間に、ある小窓の向こうにあったリンゴを、小棒を工夫して盗もうとするのです。そういったようなことをするには気の利いたルソーでしたが、真面目な仕事なら、書記であれ、時計屋であれ、もうだめでした。要するに、何の拘束をも拒否していたタイプです。自由を愛しているルソーでした。そして、特に大自然を歩いた時に、その自由を見つけていたのです。

要するに、ルソーの思想を理解する為に、彼の性格を理解すべきです。総て繋がっています。「本性的に善なる人間」と「散歩者なるルソー、孤独なるルソー」とは、両面一致の事実なのです。本当に大事なことだと思います。本当に深くルソーの著作を理解しようと思ったら、先ずルソーの心理のあり方を理解するのが非常に大事になってくると思います。つまり、ルソーの孤独さとかですね。そういえば、なぜ五人の子供をも平気に捨てられたかというのも、自分の孤独と自分の自由(独立)を守るためにという理由が、少なくとも入っていたでしょう。

さて、この二つ目の「ディスクール」で名声を博するようになりましたが、大話題となって、激しい論争が起きました。今回は、ルソーを反駁するのは、ヴォルテールとなります。また、フレロンもいます。一発目の「ディスクール」の中と同じように、ルソーが「進歩」を批判して、「進歩が堕落の原因だ」と断言して批判します。そのせいで、啓蒙思想の大人物の全員と仲が悪くなります。他の啓蒙思想家たちは全員「進歩」を称賛するからです。本当に、ルソーが全員の啓蒙思想家らを敵に回しました。そして、ルソーは彼らとの縁を切ります。それだけです。

ルソーは「徳」を望むには望みますが、あくまでも「自然」上の徳しか求めません。言い換えると「自然を愛する徳」に過ぎません。その点に良く注目してください。つまりルソーの諸著作は、結局「ルソーは実際に生きることができないのに、ルソーが生きたい世界を描く」といった物書きに過ぎないという側面が非常に大きいことです。

要するに、いつも「自由を取り戻したい」、あるいは「大自然の中に単純に生きられるように生きたい」という気持ちでずっといるルソーは、結局実際の「社会にぶつかって」、社会の中に生活せざるを得ず、存続するために、社会の中に生きるしかないと感じているのです。つまり、ルソーがずっと「散歩したい」というか、どうしても散歩せずにいられないという衝動を持っているのですが、社会こそが散歩したい衝動を妨げるとルソーが思っています。本当に、ルソーは歩くのが大好きです。機会があるたびに歩いて旅立って、ゆっくり旅行するルソーですから。田舎を歩いて回り道したりするルソーでした。そこで、ルソーは社会こそが自分の「歩く自由」を妨げる、社会はその自由の障害だと見ていました。社会に対するルソーの不満の種は、そこに由来しています。

パリに流行っていた「進歩の哲学」という空気から逃げるために、休むために、ルソーはスイスに戻ります。ジュネーヴに行って一旦休みます。そこで宣誓してカトリックを捨てました。プロテスタントに戻り、改宗しました。その後、フランスに戻って、そして親友だったディドロと喧嘩します。特に社会について論争したことがきっかけで、結局喧嘩になったのです。いつも同じパターンですね。ルソーは不安定の上、結局、人間嫌いです。しかも彼に対して大掛かりな陰謀が仕掛けられていると思い込んでいるほどルソーは人間嫌いです。こういった偏執狂(パラノイア)の内に、常に生きているルソーなのです。でも彼が完全に悪いわけでもありません。

Bernard Fayが指摘する点だったと思いますが、確かに、ヴォルテールやディドロやダランベールといった連中が自分の敵になった時に、偏執狂になる理由がかなりあります。でもそれでもルソーの弁解になるわけがありません。彼らを敵に回したのは、結局ルソーのせいですし、彼の書いた著作のせいでもあります。


【『エミール または教育について』:さらに皆と対立する】

その後『エミール または教育について』を書きました。ところが、1762年、禁書目録に指定されます。従って、ルソーはローマ・カトリック教会をも敵に回し、積極的にローマ教会を攻撃するようになります。ローマ教会を積極的に攻撃して、彼はプロテスタントになりますが、プロテスタントの表現を借りると「反教皇主義者」となりました。

ところが、反教皇主義者になったとしても、ルソーはプロテスタントと仲良くできなかったのです。なぜかというと、プロテスタントはルソーの思想を好まないからです。それに留まらず、プロテスタントをも敵に回して、その挙句、ジュネーヴ市の市民籍を捨てるほど、ルソーはプロテスタントと仲が悪かったのです。あちこちで皆に喧嘩を売った挙句、ルソーはスイスの「ヴィン湖」の仲の孤島に逃亡して避難せざるを得なくなります。Saint-Pierre島というところです。しかしながら、間もなくして、その島から追い出されました。引き続き、ルソーはあちこち彷徨うしかありませんでした。「社会に狩られて」彷徨うのです。その時、自伝を起筆します。自伝というよりも、自己正当化の著作です。それもルソーの特徴です。つまり反省する能力がまったくありません。


【イギリスに逃亡する】

パリから逃亡して、プロテスタントから逃亡して、スイスから逃亡して、フランスから逃亡して、教会と禁書目録から逃亡して、ダヴィド・ヒュームの協力を得て、ルソーはイギリスへと避難しました。ヒュームは、もう一人の哲学者です。その時に、ヒュームはフランス滞在の大使だったはずですけど、兎に角、フランスにいて、ルソーのためにイギリスでの仕事を見つけました。
ルソーがイギリスに行った時には色々な経緯がありますが、ある誹謗書簡がルソーの許に届きます。ヒュームからの書簡だとルソーは思っていたのですが、実際にはヒュームからの書簡ではありませんでした。そこで「ヒュームからも迫害されている」とルソーは嘆きます。僅か半年が経っただけで、イギリスを去り、フランスに戻ります。ルソーの人生は人生とは言えない人生だなあ。パリの周辺でまだ彷徨うことになります。


【パリで急死する】

パリ北部のオワーズのエノンヴィル村辺りにある人里離れた別荘に一旦落ち着きます。そこで、急に死にます。心臓の問題で、正確に言うと脳卒中で急死を迎えることになります。1778年7月2日、死にました。場所はコンピエーニュとパリの間にあるぐらいのエノンヴィルなのです。1794年、パンテオンへ「引っ越し」させられました。


【不安定、怠惰、だらしない、しかし文才があり、自由と孤独を愛する】

ルソーについて何を覚えておけばよいでしょうか。まず、ルソーは不安定な人です。怠惰深くて、だらしない人です。彼の人生を見ると自明です。また、文才のある人です。それも自明です。ところが、文才があったものの、だらしない性格で、ルソーは一度も徹底的に何かを勉強したことはありません。ルソーは長期的に、全力で、何かに尽くしてコミットすることができないのです。不安定で、怠惰だが、ルソーは「自由の愛人」でもあります。何よりも、自由と孤独を愛しています。『孤独な散歩者の夢想』という著作の中にある一つの章は、一つの散策を語るものです。ご紹介するために、原文を持ってくるつもりでしたが、持ちそこなったようです。原文無しで行きましょう。とにかく、その著作にハッキリと「15年前からずっと絶えないで同時代の皆に罵倒されて、傷つかれている」といったようなことを書いています。このセリフで、ルソーは自己紹介するのです。原文が見つかりました。読み上げましょう。

「この世で一人ぼっちになった私には、兄弟も父も隣人も友人も社会もあるが、それは皆、私なのだ。」(拙訳)という文章で、著作が始まります。文庫を持ちそこなったので残念ですが、ある意味で文学的に言うと、フランス語的にいっても綺麗ですけど、彼に同情しようと思っても、やはり同情できませんね。もう、ルソーを読めば読むほどに、同情できなくなります。なんといえばいいかな。もう充分だというか、やり過ぎはやり過ぎだという感じですね。「勘弁してくれ」と言いたくなります。

『告白』もその意味で凄いです。原文がありました。はい、『告白』の始まりを読み上げましょう。非常に有名なものですけど、それで「ルソーによるルソー」を味わっていただければ幸いです。

「私は前代未聞の偉業を遂げようとする。後世には誰も真似できない偉業だ。「私」という偉業。完全なる自然のありのままの一人の男を同類の皆に見せたい。その男は私となる。」以上。
彼は書いていますね。「私だけ。」以上。
「私は、私の心を感じ、人間を理解している。一生見てきた多くの人々と違って、私は違っている。全世界、全歴史に存在したすべての人類とは、私は違う存在だと信じたい。」

御覧の通りに、本当に孤独で、他の人々から完全に孤立している側面がよく読み取れる文章でしょう。

「他の人間より、私は良くないかもしれないが、少なくとも別ものだ。私の生まれた型を壊した自然が良くやったか、あるいは悪くやったかを分かるには、私の著作を読めば判断できる。」
やっぱり、自己正当化ですね。弁解のための著作です。

「最後の審判のラッパがいつ鳴らされても構わない。その時、この本を高く掲げ、至上の裁判官の前に私が出て、恥じないで大声でこういい出そう。『ここには、私のやったこと、思ったこと、私がどういった人間だったということが書いてあります。私の人生の善悪を問わないですべてを忠実に記しました。悪を黙殺しなかったし、善を装ったこともありません。時には善悪と関係なく飾りを足したとしたら、私の記憶の欠如のせいで出てきた空白を埋めるためだけでした。正しいと善意で思い込んでいたことを正しいとしたことがあるかもしれませんが、嘘だと知っていたことを正しいとしたことはありません。有りのままに私を見せました。卑怯と軽蔑すべき時、それをそのままに記し、また私が慈愛深き、高潔な、崇高だった時も、それをそのままに記したのです。あなた(至上の裁判官)が読み取った通り、私の内面を見せただけです。永遠なる存在よ。私の周りに、数えきれない大衆から、私の同類を集めたまえ。彼らは我が告白を聞けばよい、我が卑劣な行為を嘆けばよい、我が不幸を憐れむがよい。そして、皆一人一人が、あなたの玉座の許に、自分の心を私が忠実にしたように、明らかにせんことを。厚かましくも「この男(ルソー)よりも、私の方が善だった」と言い出せる人がいるのなら、名乗り上げんことを』と。」


【最後に】

以上はルソーでした。結局、話しは一時間弱になりましたね。ルソーの人生に関して、これで終了したいと思います。

最後に、ルソーの名作の名前を紹介しておきましょう。
1750年の『学問芸術論』で、始めての「ディスクール」です。
そして、指摘すべき音楽の作品として、1752年の 『幕間劇、村の占い師』があります。ルソーは非常に感情的です。ルソーの特徴として指摘すべき性格です。確かに良い意味で感情的であることは紛れもない事実です。彼の非常な敏感な感情は、理性と意志によって和らげられていないということこそが問題です。

1755年に『人間不平等起源論』を書いて、これは第二の「ディスクール」ですね。
1758年に、取り上げる価値のある著作は、『摂理に関する書簡』 とダランベール宛の『付録 - ダランベールによる「ジュネーヴ」の項目』があります。
1761年、『ジュリ または新エロイーズ』と書きます。「エロイーズ」という有名な歴史上の場面を再編成したものです。「エロイーズ」とは、中世のピエール・アベラールPierre Abélardとエロイーズとの恋愛のことですけど、大雑把に言うと、アベラールAbélardは、「修道士」というか、一応誓願だけは立てていた、エロイーズの家庭教師だったのです。エロイーズは、父を失っていたので、叔父の家で育てられました。そして、二人ともお互いに恋に落ちたのです。エロイーズは妊娠し、子が生まれました。それを知った叔父が激怒しました。記憶が正しければ、もう一人の叔父が大聖堂の参事会員の司祭だったと思います。罰として、アベラールAbélardの去勢が命じられました。アベラールAbélardは良い学者だったのに、その事件で彼の学問上の将来は潰されたのです。

そこで、『ジュリ または新エロイーズ』において、ルソーはジュリ・デタンジュという女性の話を描いています。ジュリが自分の家庭教師に恋します。ところが、両親と社会のせいで、ジュリは家庭教師と結婚できないという設定になっています。御覧の通りに、いつも「社会のせい」になっていますね。ジュリと教師は結婚しないまま恋愛関係を語る小説です。書簡を交わし合います。作品自体は主に書簡体小説という形になっています。そして、教師とジュリが離れざるを得なくなります。その後、ジュリはもう一人の男と結婚します。ヴィルマールという男です。ジュリは夫を愛していることは愛しているという感じです。そして、ルソーがどちらかというと、「愛と結婚」をハッキリと切り離してしまいます。というのは、ジュリは、結婚している相手を相手しているとしても、一番愛している相手とは結婚しない設定になっているからです。その点が作品の面白いところです。

ある日、三人とも皆がついに会い揃います。夫の友達と教師と共通の友達という縁で、たまたま皆がヴィルマール家で揃う場面が出てきます。結末として、全員がある種の理想的な社会で過ごせるようになって、そして完全に自給自足の社会で過ごせるようになります。「自給自足の社会」というのは、ルソーらしいですね。つまり、社会から完全に切り離れた「場所」になります。何とかその理想的な小社会では、人間関係は一応良くて問題はないということになっています。つまり、ルソーにとっての「自然なる人間の本来のあるべき姿」を書こうとしました。つまり、社会抜きの人間を理想にしている小説なのです。以上は『ジュリ または新エロイーズ』の短い紹介でした。

本当に立派な文学性をもっていて、書きぶりは綺麗です。それについて話しがあります。生真面目(きまじめ)なカントという哲学者がいますね。彼は時計のように毎日同じ日課で過ごしていたと言われています。一秒も変えずに、毎日同じだったそうです。ところが、ある日、毎日の散歩をしなかったのです。理由はルソーの『ジュリ または新エロイーズ』を読んで夢中になったせいで、散歩に行くのを忘れたという話がありあります。

1762年、 『エミール または教育について』を書きました。そして、その中の最後の章は「サヴォワの主任司祭の信仰宣言」です。私の記憶が正しかったら、この「サヴォワの主任司祭の信仰宣言」の部分は、「エミール」には最初は入れないつもりでした。結局入れるのですが、入れてからでもルソーは外したかったそうです。
理由は単純で、『エミール』自体が禁書目録で禁じられるようになった場合、「サヴォワの主任司祭の信仰宣言」という文章を手元に持っていて、そのまま出版できるように用意するつもりでした。

同じ1762年、 『社会契約論』も執筆しました。
1765年~1770年の間に『告白』を書きます。『告白』はルソーの死後に出版されました。
もう一つの死後の作品というと、『ルソー、ジャン=ジャックを裁く - 対話』があります。死後の方が裁きやすいですね。

また、晩年に書かれて、死後に出版された『孤独な散歩者の夢想』という作品があります。この作品は確かに書きぶりが上手で文学性があるのだけど、うんざりとする作品を言わざるを得ません。これを読んでしまうと、ルソーに対して、同情できなくなります。
そういえば、こんなことがありました。ルソーが泊まっている部屋の門に、次のことを落書きしたのです。確かに、パリにいた時です。ルソーの部屋の門ですね。次はルソーからの引用です。

「それぞれの分に置かれての世間の人々の私についての諸態度。
国王と偉い方々は、本音を言い出さないが、少なくとも私のことを寛大に扱ってくれる。
栄光を愛している本物の貴族は、私が栄光について達者であることを分かってくれる貴族なので、私を尊敬して黙っている。
司法官は、私に対して多くの悪事をしやがったせいで、私のことを憎んでいる。
私が暴いて見せてやった哲学者は、私の破滅を望んで、何れか成功するだろう。
出生と身分を誇りに思っている司教は、私を畏れず敬意してくれる上に、私をうやうやしく扱ってくれ、私を評価してくれる。
哲学者に買収された司祭らは、哲学者にへつらうために、私に対して吠え掛かる。
才気のある人々は、私の才能の優位性を感じて嫉妬するので、私を誹謗することによって私の優位性に復讐する。
私の熱愛の対象だった国民が、私のことをみて、櫛を入れていないかつらのやつであり、誹謗されている男だと思っている。
女性を侮辱している陽気で興ざめな男に騙されている女性たちは、一番彼女らのために値する男である私を裏切っている。
スイス人は私に対して悪事を強いられたせいで、私をいつまでも赦さないだろう。
ジュネーヴの司法官は自分の罪を感じるし、そして彼の罪を私が赦してやることも感じているし、その司法官がその気になったら償ってくれるはずだろう。
国民の指導家たちは、私の肩の上に立っているのに、私を隠そうとして、自分らだけ目立つようにしたいらしい。
作家たちは私の書いた物を盗んで誹謗している。ペテン師が私を呪っている。ごろつきらが私をやじっている。
良き者がまだ存在しているのなら、私の不幸な運命を見て嘆いてくれる。そして、私はその良きものを祝福して、いずれか死すべき人に私のことを教えてくれるといい。
私のせいでも眠られないヴォルテールが以上の文章を馬鹿にするだろう。ヴォルテールによる愚かな罵りが結局、彼の無本意のうちに私に対する称賛になる。」

以上は、ジャン・ジャックのご紹介でした。ご清聴ありがとうございました。

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