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枝の主日 【公教要理】第三十四講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年03月27日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第三十四講  贖罪の玄義・歴史編・枝の主日


【私たちの主の受難の序幕(つづき)】
前回に続いて、まだ私たちの主の受難の序幕を話します。一日経って、ライ病のシモンの家での土曜日の翌日になります。マリア・マグダレナの貴重な壺を割って、私たちの主の足に注いだ場面の翌日です。また、使徒ユダが自分の主を裏切ることを決定して、金を得るために渡すことに決意した翌日です。つまり枝の主日となります。

枝です。「枝」とは、現代でもこの言葉を使いますが、その主日に、私たちの主が経験した不思議な出来事から来る言葉です。私たちの主はまだベタニアにいます。そこで、親しい皆と一緒に前夜を過ごしたのです。つまり、ラザロとマリア・マグダレナとマルタと一緒でした。それで、朝になったら、エルサレムへ行くことになさいました。そうするために、弟子たちに、乗り物として雌ろばと子ろばを連れて来てもらいます。

前にも見ましたが、旧約聖書でろばのことは予言されていたのです。乗り物にするために、雌ろばと子ろばを自分の許に連れ来てもらいます。使徒たちは例の二匹を連れてきたら、私たちの主は子ろばにお乗りになります。それで、そのままに、エルサレムまでいらっしゃいますが、凱旋的な首都入城という形で迎えられています。

凱旋的な首都入城というと、具体的には、人々は自分らの着ている上着を地面に敷いて小枝を手にして、「ダヴィドの子孫よ、ホザンナ(賛美されよ)!」を唱えながら私たちの主を喝采するほどでした。というのも、これは、私たちの主イエズス・キリストの王たる性格、または救い主であることを、民によって公に確認したことに他なりません。つまり、私たちの主に向けて、荘厳な喝采で、凱旋的なお迎えをしたのです。いや、それよりも、救い主は、凱旋的な首都入城という形で、迎えられます。

私たちの主が乗っていない雌ろばは、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)を象徴します。まだ誰も乗ったことのない子ろばは公教会(カトリック教会)を象徴します。というのも、公教会は、小ろばのように、代々の終わりまでに、私たちの主を支えることになるからです。この場面で登場する象徴は非常に意味が強いのです。凱旋的な首都入城で、子ろばに乗ることによって、私たちの主は、ご自分の公教会との新しい約束を示します。


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主は凱旋的なエルサレム入城をなさいます。民の喝采に囲まれて入城なさいます。それから何をなさるかというと、先ず神殿へ行かれました。神殿で礼拝なさいますが、その時、民の絶賛の喝采を聞きながら、同時に人々の心をも読み取っておられたのです。ファリサイ人たちの軽蔑の心をよくご存じです。そういえば、ファリサイ人たちは、主に向かってこう言います。「先生、弟子たちをしかってください」 と。つまり、「この民を黙らせてください。こういうふうに、喝采させないで」という依頼です。そこで、私たちの主の答えはかなり明白です。「私は言う。彼らは黙ったとしても石が叫ぶだろう」 と。

一方、私たちの主は民の出迎え方を承認した上で、ご自分が救い主であることをハッキリ断言なさいます。要するに、私たちの主は、エルサレムに入城して、神殿に行かれます。そこで、二度目になりますが、神殿にいた商人達を追い出します。一度目に追い出した時は、周知の通り、「〈私の家は祈りの家といわれる〉と書かれているのに、それを盗人の巣にするのか」 と仰せになりました。要するに、商人たちを追い出してから、神殿にいって、そこで人々に教えておられます。

この神殿入城も、非常に意味深くて象徴的です。なぜかというと、枝の主日というのは、過越し祭に向けて、子羊の選抜が行われる日だったからです。つまり、私たちの主が神殿にいらっしゃるとき、これから捧げるべき子羊としてご自分を奉献するという意味になるからです。つまり、至上の生贄としてご自分を奉献するのです。旧約聖書のすべての前兆と預言を実現する至上の生贄です。選ばれるべき生贄として、天主が選び給い、聖父なる天主が承認し給う償いの生贄としてご自分を奉献します。要するに、私たちの主の神殿へのご参拝の場面には、意味深い象徴が織り込まれています。

それから、日曜日、聖月曜日、聖火曜日の三日にわたって、神殿でお教えになっています。毎日、神殿で教えを仰せになります。そして、毎日毎日、学士たち或いはファリサイ人たち或いはサドカイ人たちの質問に応じて彼らの罠を逸らして彼らをやり込めます。そのたびに、しっかりとお答えになって、彼らの論調が無駄であることが明らかになります。その上、そのたびに、天主の御慈悲は、彼らの霊魂を啓蒙することに励んでおられます。なのに、残念ながら、傲慢のせいで、彼らの霊魂はどんどん自分を閉ざしてしまいます。

そこに、私たちの主の深い慎重も見えます。なぜかというと、毎晩、エルサレムを去って、ベタニアでお泊りだからです。エルサレムから、30分ぐらいですね。私たちの主は慎重です。聖月曜日でも聖火曜日でも聖水曜日でも、死なないことになさったわけです。過越し祭の日はまだですから

というのも、天主なる私たちの主が、何時何処ご自分が死ぬことを御自分でお選びになるからです。御智慧の内に予定なさったその日、その時間にこそ、死に給うことになるべきです。要するに、日曜日の晩も、典礼歴に登場する聖月曜日の晩も、聖火曜日の晩も、町を去って、ベタニアに泊まります。そして、聖水曜日には、私たちの主が何をなさるかというと、ベタニアに残ります。その日は、エルサレムにいらっしゃらなかったようです。きっと、使徒たちのために教えを説いたり、彼らを慰めたりするために、また、ラザロやマリア・マグダレナやマルタを慰めたりするために、私たちの主はベタニアに一日滞在なさったのでしょう。きっと、聖水曜日をもって、ユダがベタニアを出て、大司祭たちのところに行ったと思われます。
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ユダは心の内に数日前にたてた主を裏切る決意を実行に移します。どうするかというと、大司祭たちのところに行って、「人の子をわたすことができる」と彼らに言います。
「私は彼を知り、傍におり、一緒に住んでいた。渡したら、その代わりに金の報酬が欲しい」といったような交渉です。実は、意外なことですが、司祭たちは彼に確かに金をわたすが、意外と少ない金です。単なる銀貨三十枚で、決して大金ではありません。大司祭たちは、ユダの裏切りをよく知っているし、ユダに至ってまで、恐らくある種の呵責を感じて、銀貨三十枚だけをもらって、それ以上に求めようともしません。銀貨三十枚というのは、旧約聖書に登場してくる値段ですが、モーゼ律法によって定められた値段で、喪失した奴隷の償いの対価だったのです。言い換えると、ある主人が、一人の奴隷を失った時、またその奴隷が殺されたときに、律法の規定に従って、銀貨三十枚の報償を得ることができました。いわゆる、奴隷の喪失の報償に相当する対価とされていた金額です。


要するに、ユダの裏切りの場面を見ると、もうその時、既に、私たちの主は奴隷に過ぎないという扱いされていることが分かります。裏切りの対価は、つまり私たちの主の死の対価は、奴隷の対価だったわけです。一人の奴隷は死んだら、その報償として、銀貨三十枚になります。同じように、私たちの主を死なせるために、銀貨三十枚で渡されたわけです。自明なことに、私たちの主は単なる奴隷扱いにされています。要するに、聖水曜日に、ユダが司祭たちとその取引を結んでから、ベタニアに帰ります。そして、聖水曜日の晩、私たちの主は、エルサレムに泊まることなく、まだその日には死なないこととされて、ベタニアでお泊りのままです。つまり、聖水曜日の夜をベタニアで過ごしてから、聖木曜日になると、いよいよ私たちの主はエルサレムにいらっしゃいます。そこで留まるために、そしてそこで死ぬためです。


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