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みたり*よんだり*きいたり*ぼぉっとしたり

映画のこと、本のこと、おもったこと。

Firefox

2008-08-10 04:11:22 | ぼぉっとしたり
ここ数ヶ月間のわたしのパソコンときたら、CPUの使用率が100%ふりきりっきりだったり、ブラウザを開くと砂時計がでたきりっきりで「このプログラムは応答していません。」って言われ続けたりしていた。おかげでわたしのイライラ使用率も100%だった。どうにかしなきゃならなかった。どうにかしないことにはどうにもならなかったからだ。新しいパソコンに換える、というのが一番夢のある選択肢だったが、夢はあってもお金はなかった。ありきたりだ。そこで、ぱそこんに下駄を履かせて扇風機をあててあげた。いなせな夏である。途端に、CPU使用率は10%台~100%を行き来し、まともさを取り戻した。そして、ブラウザをFirefoxにした。そう、探索者をやめたのだ。思えば長い付き合いだった。あなたはいろんな不具合を隠し持ちながらも、こんなに世界中の人々に愛されている。でも、わたしは気づいてしまったの。真の信頼とはなにか、ということのほほん。
Firefox 素晴らしく快適です。  謝謝

紙一枚だって爆音になる

2008-06-02 20:38:09 | ぼぉっとしたり
演奏会で観客が演奏中にプログラムを取り出してページをめくる音、これは付近の席にいる者にとっては、かなり耳障りです。何しろ紙一枚ですから、まさか衣擦れならぬ紙擦れの音がひどく他人の神経を逆撫でている、などとは思いも寄らぬことなのでしょう。悪意を持ってプログラムを見るなんていうことは通常ありえないことですし、むしろ配布されたプログラムを読むというのは歓迎される行為ともいえます。でも、演奏中は、これ、爆音に等しいです。とても不愉快です。ましてや、プログラム開きついでに、手持ち無沙汰になって、プログラム丸めてパラパラ漫画見るみたいに、ページぱらぱらぱらっ、ぱらぱらぱらっ、て手遊びするのは、これはやはり言語道断の域に入るでしょ。先日、振り替えで行った読売交響楽団の芸術劇場での演奏会ではアンケート用紙が配布されましたが、このアンケート用紙、演奏中、わたしの並びの席ではずっと折り紙になってました。わたしもこの時までは、折り紙遊びが音出し遊びになるって知らなかった。折り紙遊びしちゃうくらい演奏からは気持ちが逸れているから、折り紙遊び人は、楽器の音と折り紙の音との関係については思い至る余地がないのでしょうね。
さらに、
昨日の能楽堂では、近隣席の方、かばんの中にスーパーのポリ袋が数個入っていて、そのかばんから上演中、上着を探して取り出している。
なかなか探し出せなかったようで、わたしはスーパーのポリ袋が擦れあう音をとても長く聞いていなければならなかった。さらさらにスーパーの小さいポリ袋に紙パックのお茶を入れて持参したようで、上演中ずっとそのポリ袋入りお茶を握りしめている。やはりわたしは絶え間なくポリ袋の音を聞いていなければならなかった。


おねがいです、静かにしてください。

『美術手帖』

2008-03-29 19:08:50 | ぼぉっとしたり




『美術手帖』という雑誌を読んだ。
ちょっと一休みするつもりで、通りがかりの喫茶店に初めて入ってみたら、扉の中は実はそんな気軽な場所じゃなく、ある固定のお客様がある固有の空気を作り出しているような、ある固定以外の者は思い切り場違いなところに足を踏み入れてしまったばつの悪さを感じるようなそんなお店に入ってしまった気持ちを少し味わえる雑誌だった。

と感じていたら、次の一言に突き当たった。

「僕は高校で美術を教えているのですが、彼らにも届く言葉で話し合えれば、と思っています。『美術手帖』もいまのアート雑誌なら、いまに直面してもがいている彼らがもっともっと買って救われるようなものにならなくちゃいけない。」

この雑誌の1月号89ページから始まる「三瀬夏之介×福住廉 往復書簡」での三瀬夏之介さん第一通目のメールは上の文章で結ばれている。
そして、ふたりは”かたちにすること””言葉にすること”について言葉を重ねていく。

そもそも何を?言葉にしたり、形にしたりしなくちゃいけないのか。
そう、ふたりの文章からは”しなくちゃいけない”切迫感が伝わってくる。
言語化することの困難さが言語化への切実なエネルギーを生み出しているみたい。
たとえば死、たとえば孤独、もうとっくに言葉になっているのに、ちっとも共有されないものたちを形にしようと、言葉にしようと向かうエネルギーが湧くのは、その先に共有されることへの希望をもっているからなのだと、『往復書簡』を読んでつくづく感じ入ったのでした。


それはいいことだろう♪

2007-08-28 10:58:15 | ぼぉっとしたり
糠に釘のような暖簾に腕押しのようなピンと来ないから焼け石に水のようなどんなようなかさっぱりわからないけど長袖に覆われた腕の上で目玉焼きがやけそうなそんなくらい暑い中、ギィゴォギィゴォなんて音したら相当やばいけどまぁそんな感じで自転車漕いでると、食欲というものがなくなる。

・・・そういえば食べてないな。

・・・うん。おなか空いてる気がするけど、でも、食べたいものが浮かばない。

・・・うん。なんか、食べたくないんだよね。

ひとり、脳内おしゃべりをしていると、

井上陽水がわたしに囁く。

♪それはぁ 良い ことだぁろぉぉぉおお♪

すかさず、

♪行かなぁぁあくちゃっ♪

と励まされ、脳内陽水効果により

ペダルの回転数は一気に上がる(気がしただけだった。)




いつも補給食は完食のはずが、珍しく手をつけていなかった。
あまりいいことじゃないよね


今までの走行距離470km
ここ数日の体脂肪率25.3






身体がだるいから泳ぐ。

2007-07-07 22:36:45 | ぼぉっとしたり
久しぶりに泳いだのが一昨日。
そうしたら、昨日はまぁ身体重いはだるいは。
神経がへたっ、となることはあっても、
身体がへとへとになることがなくなってしまったので、
思い切り甘やかされた身体になっている。
まずい。
生活習慣の中に組み込まれている運動量の減少を、努力で補うというのは、
これはなかなか大変だ。
ので、ほんの気休めだが今日も泳ぎに行った。

一時でもなにはさておきとにかく夢中になる、のが何かを身につけたい時の自分のパターンだけど、クロールもこのパターンがちゃんと功を奏してきたので、うれしい。
息継ぎもバタ足もどうにも納得いかないひどいレベルだけど、
体幹が水の中で推進力を生む、ことを体得できたこのうれしさは、小学校以来の自分の出来そうで出来ないクロールもどきの泳ぎが根本から覆されて感動ですらある。コストパフォーマンスを気にしていたが、ここでトータルイマージョン方式を習ったことは、現在の自分にとっても長い目で見ても、納得できる選択だった。


ネットワークウォークマンでポッドキャストを再生する。

2007-07-02 23:45:20 | ぼぉっとしたり
こんな時はi-podが欲しくなる。
愛用のネットワークウォークマンは音楽聴くだけだったら機能的にもとても満足してるわけじゃないけど、ひどい不満はないし、デザインは気に入ってるし。
でも、ポッドキャストを再生するのにとても面倒だった。
結局はソニックステージからビートレート(?よくわからないんだけど)を変換してNWウォークマンに転送することで再生できたけど、この結局単純な手順にたどり着くまでに、lilithでファイル変換してからソニックステージ→NWウォークマンをしてみたり、ケーブルでつないで外付けHDとして認識されたNWウォークマンのファイルにポッドキャストのファイルをコピーしようとしてみたりしたが、根本ダメなのか何かどこかがダメなのか、わからないけどこれらでは再生不能。ややこしくしてるのは自分で、余計な試行錯誤をしてしまったのかもしれいけど、まあ面倒だ。
i-tune対応を大前提としたポッドキャスト。
他にもi-tune対応を大前提とした○○というのは、わたしが知らないでいるだけできっとたくさんあるのだと思う。とても楽しく便利な新しい流れにスムーズに対応するって、これは大事な大事なポイントだと思うのです。それも知識があれば、工夫をすれば対応できるというのではなくワンクリックで新たな世界が開ける、というところが小さな違いの大きな差、だと思うのです。