昨日は、誕生日につき、雀の涙程のお悔やみの言葉をいただき、有難き幸せ、この場を借りて暑く御礼申し上げる。コキ使われる、コキ倒す、況や屁コキ虫ではない、「古希」なのである。
朋友の一人が、その古希の出典元の「曲江(杜甫)」の一部を添え書きしてくれていた。今日は改めて、その古典を紐解いてみよう。
壱千参百年の時を超えて、俺は密かに、自分は杜甫の生まれ変わりなのではないかと、真剣に思っている。
(訓読)
朝(てう)より回(かへ)りて日日(ひび)春衣(しゆんい)を典(てん)し、毎日 江頭(かうとう)に酔(ゑ)ひを尽くして帰る。
酒債は尋常、行(ゆ)く処(ところ)に有り。
人生七十古来稀なり。
花を穿(うが)つ蛺蝶(けふてふ)は深深(しんしん)として見え、 水に点ずる蜻蜓(せいてい)は款款(くわんくわん)として飛ぶ。
伝語(でんご)す 風光、共に流転(るてん)して、 暫時(ざんじ) 相(あひ)賞して 相(あひ)違(たが)ふこと莫(なか)れ、と。
(通釈)
朝廷から戻ってくると、毎日のように春着を質に入れ、いつも、曲江のほとりで泥酔して帰るのである。
酒代(さかだい)の借金は普通のことで、行く先々にある。
この人生、七十まで長生きすることは滅多にないのだから、今のうちにせいぜい楽しんでおきたいのだ。
花の間を縫って飛びながら蜜を吸う揚羽蝶は、奥のほうに見え、水面に軽く尾を叩いている蜻蛉は、ゆるやかに飛んでいる。
私は自然に対して言づてしたい、
「そなたも私とともに流れて行くのだから、ほんの暫くの間でもいいから、お互いに愛で合って、そむくことのないようにしようではないか」と。