この世界で生きてゆくために

ありふれた毎日を繰り返し、時は過ぎていってしまう。
でも、どんな小さい事でも、優しい瞳で世界を見つめたい

落ち込みます

2006年11月24日 23時57分50秒 | ひとりごと
いつも思うことですが「社会、政治、経済」のカテゴリーを書き終わった後、落ち込みます。
世の中が暗いというのもありますし、自分自身の言葉が偏っている、批判の口調が強すぎると言う意味で。

今度の日曜日、教会ではThanks giving day。収穫感謝祭になります。で、私が子ども達への説教を担当しているんです。

先日、子どもの教会の説教担当者に、説教についての研修会がありました。
その中で、説教をする時、他人を否定してはならない。そういう項目がありました。
勿論、説教とブログ記事では比較になりませんが。私のブログは無意識のうちに他人を否定する事が多いと反省しています。

明日は説教の準備で、また図書館へ行きます。聖書には注解書という聖書の内容や時代背景、言葉の意味を解説している本があります。
それを借りに行く予定です。明日は天気も良いみたいなので、ちょっとしたドライブになるかな。図書館がある場所は、ズバリ「もみじ坂」という所です。

明日は小春日和になるそうで。
他人を否定したり、批判するのではなく、自分の生き方をしっかり持ち、人に信頼される、良い影響を与えられる。この時代という冬にある「小春日和」のような人に、私はなりたいです。

戦争は卑怯では無いのか

2006年11月24日 19時37分46秒 | 社会、政治、経済
今日の読売新聞、夕刊一面のコラムに「いじめが卑怯だ」と載っていました。
私も当然、いじめは卑怯者のやる事だと思います。

ただ、そのコラムに引用された人物に問題あります。あえて個人名を挙げますが、引用された人は藤原正彦氏。

コラムによれば、氏は父からいじめについて「卑怯を憎む心」として、子どもの時に徹底的に教わったとあります。
とても良い事です。
問題は、やはり藤原氏の名前を出すところでしょう。

読売新聞は、藤原氏の考えに、様々な面で賛同していると思います。
解りやすく言えば、読売新聞は、藤原正彦氏が好きです。

しかし、氏は少し前に「右翼系」週刊誌(本当は一般週刊誌なのですが、私はあの週刊誌を「右翼系」だと思っています)に、石原東京都知事との会談記事を載せてます。

タイトルは「あの戦争は正しかったとも言える」

どんな戦争であれ、正しい戦争などあるわけもありません。ましてや第二次世界大戦の太平洋戦争は、自国民と東南アジアに、さらには連合国に多大な犠牲を払いました。

たったひとつの命でさえ、重く大切なことは、Dr.コトー診療所2006を見ていれば、誰にでも分かる事です。
その大切な命が、桁違いの何十万何百万と奪われた戦争を「正しい」と言う人に、いじめは卑怯だと言われても、まったく「ピン」と来ません。

折りしも「教育基本法」改正案が衆院を「強行」通過しました。読売新聞は、野党が審議拒否した事を大々的に叩いていますが、与党の法案には諸手を挙げて賛成している。愛国心、一つ間違えば国の為に命を落とす事は「美しい」とまで考えてしまう。
公平で国民の知りたい事を伝えなければならないジャーナリズムが、政府与党の広報誌になっているようでは、マスコミも終わりです。

朝日新聞を嫌う人は沢山居ますが、読売やサンケイに対して「おかしい」と言う人が少ない今の日本世論に、私は危機感を感じます。